二十三話 僕にその手を汚せというのか
シルフィアの狂気的暴挙から一夜明けた。白み始めた空の向こうには、前日の擬似核爆発のキノコ雲の影響なのか、厚い雲が広がっている。一、二時間もすれば一雨――――宙に舞った放射性物質をたっぷりふくんだ黒い雨が来るかも知れない。
睡眠の必要がないロバートは、見張りも兼ねて洞窟の外で剣を振っていた。腕を突き出して何かを撃ちだす動作を混ぜたり、回避行動をとったりしている。シャドーの相手はエルマー。今のところ全敗である。既に新しい体に七割程度まで順応していて、前夜の時点でゼルクラッドとサフカナを同時に一撃必殺できるレベルまで動けるようになっていた。しかし残りの三割を取り戻すためにはますます精密で繊細な動きが求められる。十全にイモータルの体を使いこなすまでには一年はかかるだろう。ゴーストの頃とは体の構造も武装も違うのだから余計に時間がかかる。
ロバートが使っている緋色の剣は「群魔剣」という。
物理対策のヒヒイロカネと魔法対策のミスリル、特定の魔質対策の物理合金を積層させた刀身は基本として、タキオンによる加速機能とシグナトルムによる腐食機能、魔導による分解機能がついている。
加速機能を起動させると、組み込まれた超変換タキオンに魔力が送られ、光速の0.01%(≒秒速30km、マッハ87)の剣撃を放つ事ができる。回避不能の速度と超威力もさる事ながら、発生する衝撃波による広域攻撃も付随する。衝撃波は魔法ではないので、ミスリルでは無効化できない。当たらずとも吹き飛ばす程度は可能だ。相手が生身ならソニックブームで鼓膜が破れるだろう。
性能に比例するわけではないが、この加速機能は扱いが非常に難しい。
一番難しいのは機能を起動させるタイミングだ。タキオンはざっくりいえば既に発生しているベクトルを強化する性質であるため、タイミングを誤ると大変な事になる。
振りかぶっている途中で起動させれば、相手と逆の方向に加速剣を放ってしまい、盛大に空振りする事になる。
相手に剣を突き出すか、振り始める出だしで起動するのがベストなのだが、誤った方向に加速してしまう事を恐れて慎重になり、剣を振り始めてから起動するように意識しすぎると、どうしてもぎこちない動きになったり、剣の初速が遅くなったりする。加速剣の性能を知っている者なら簡単に見破って対応するし、知らないものでも警戒して下がるか避けるかするだろう。
相手の動きもよく見ていなければならない。剣撃を振り始めてから起動しても、起動寸前で剣を逸らされたり、弾かれたりする事がある。そうなればやはりあさっての方向を全力で斬り裂いてしまう。相手に剣の軌道をズラされない状況を選択して使用しなければならないのだ。
加速剣を相手に当てる事ができればよいのだが、理由はなんであれ空振りした場合、致命的な隙を生む。加速した剣は莫大な運動エネルギーを持つ。空振りしてもそのエネルギーはなくならない。剣がすっぽ抜けてマッハ数百で空の彼方に吹っ飛んでいくか、強く握っていれば剣に体を持って行かれて思いっきり体勢を崩すだろう。
つまり、加速機能を使いこなすためには、戦闘中に使う状況を適切に選びとり、シビアなタイミングで正確に起動し、確実に命中させる必要がある。一朝一夕で使いこなせるものではない。
シグナトルムによる腐食機能は、組み込まれたシグナトルム封入カートリッジを消費し、刀身からシグナトルムを吹き出して相手の魔導装甲を潰すものだ。起動するとまず刀身が裏返り、ヒヒイロカネが裏になり、物理合金が表に出てくる。その状態でシグナトルムを吹き出し、吹き出し終わるとまた裏返って元に戻る。加速機能と併用すれば、刃渡りが足りなくなるほど分厚い魔導装甲でもない限り一刀両断できるだろう。少なくともマジックアーマーは真っ二つにできる。
これも加速機能と同様、扱いが難しい。シグナトルムの噴出は一瞬なので、起動が早くても遅くてもいけない。命中直前の起動がベストだ。更にカートリッジを消費する仕様上、乱用はできない。群魔剣に仕込まれたカートリッジは三発のみ。使いどころは見極めなければならない。
魔導による分解機能はミスリル機能を一時的にOFFにして、物質を分解する魔導を起動する。刀身が触れるありとあらゆる物質を分解する事で、何の抵抗もなく対象を分解切断する事ができる。ただし超高速で振り抜かれる剣の軌道上に存在するものを全て分解するというコンセプト上、一瞬でかなりの体積の物質を分解する必要がある。この分解は原理的には分子の結合エネルギーを相殺する事によって成されていて、最も結合エネルギーの高い分子を基準に魔導の分解出力が設定されているため、一秒間の起動で原子爆弾数発分のエネルギーを消費する。
なお、空気も分解するため、強制的に単原子に分解されて不安定になった窒素と酸素が分解魔導の範囲外に出た瞬間に結合し、その一部が二酸化窒素になる。二酸化窒素は赤褐色の気体なので、分解魔導の起動中は剣が赤褐色の靄を纏っているように見える。従って比較的簡単に起動中か否か判別できる。
分解機能の起動中はミスリルがOFFになっているため魔法攻撃に対して脆くなる、魔導効果であるためミスリルで無効化される、物質は分解できても魔質は分解できない、単純に消費が重い、など多くの欠点を抱えているため、魔法と魔質が飛び交うであろうこれからの戦いで役立つ事はないだろう。
シャドーエルマーと十二合打ち合った後、十三合目で右腕を落とされ、十五合目で唐竹割りに真っ二つにされたロバートは、洞窟で仮眠を終えて出てきたゼルクラッドに軽く手を上げて言う。
「おはよう。よく眠れたか?」
「おはようございます。どこでも寝られるように訓練しているので」
ゼルクラッドは手足を曲げたり伸ばしたりして新調魔導装甲の調子を確かめながら答えた。
設備も素材も時間も足りない状況で造った急造品なので、ゼルクラッドの魔導装甲は手作り感に溢れた粗末なものだった。装甲の表面に緩やかな凸凹や歪みが目立ち、そこはかとなく左右非対称で、動くたびに装甲の継ぎ目が擦れて耳障りな金属音がする。内側からミスリル、チタン、ヒヒイロカネを重ねただけの一重の装甲で、無駄に厚みがあったり、一部だけ薄かったりする。兜がなく頭が剥き出しで、手首、足首から先もない。それでも急ごしらえの割には上出来だろう。
遅れて出てきたサフカナも同じような急造魔導装甲に身を包んでいた。がちゃがちゃと音を立てて魔導鎧の動きを確認しながら、手に持ったエクスカリバーにイライラと話しかける。
「エクスカリバー、この動き難さはどうにかならんのか」
《贅沢言うな。少しぐらいいいだろ、それ装備しなきゃあ実質防御力ゼロなんだから》
「屈辱だ。こんな子供の工作のような鎧で世界の命運を賭けた戦いに挑まなければならんとは」
《まあクオリティはなあ……セルフダメージ加工みたいなもんだもんなぁ》
サフカナに続いて他も三々五々起き出してくる。
テウルスタが寝起きでぼーっとしているアンゼロッタの髪を手櫛で梳きながらロバートに聞いた。
「大御祖父様、群魔剣の予備は無いか」
「千刃剣と砕魂剣と飄護剣があるが」
「なんだ持ってるのか。作る手間省けた。清場さんとサフカナさんに渡してやって欲しい」
「え? いや、渡しても使いこなせないだろ」
「特殊機能は使わなくていい。ただの超頑丈な魔法無効化する剣として使えばいい」
「……確かに。あっ、なんだこれ、恥ずかしっ、そんな事にも気付かなかったのか俺は恥ずかしい死にたい」
「死なないで下さいね?」
「お、おう。今のは勢いで言っただけで、というかアリアーニャ、本当に大丈夫か? お前の方が死にそうな顔してるぞ」
ロバートが千刃剣をゼルクラッドに、砕魂剣をサフカナに渡しながら尋ねると、アリアーニャは青い顔で大丈夫です、と呟いた。全く大丈夫には見えない。使い物にならないと判断したロバートが待機命令という名の戦力外通告を出すと、アリアーニャは分かったのか分かっていないのか分からない様子で分かりました、と頷いた。
アリアーニャは態度も強さも他の面子と比べると軟弱に思えるが、実際のところ標準だ。世界が壊滅した翌日に、世界の暫定覇者を倒そうと冷静に動ける人間は稀だろう。普通はもっと混乱し、絶望し、塞ぎ込み、迷う。ゼルクラッド達のメンタルが強すぎるのだ。
「アンゼ、そろそろ目は覚めたか」
「……テウル、髪梳かすの下手だね。ラキはもっと上手かっいたたたたた痛い痛い! 引っ張らないでちぎれるごめんなさい生意気言いました!」
「よろしい。今日の予定だが、まず俺のマジックアーマーを造ろう。その後セーブデータ保存用のアダマンティウムを揃えて、」
「ちょっと待って、アーニャのマジックアーマーは?」
「後回し。正直装甲つけても戦力にならないし、母様も脅威度ゼロに限りなく近いアリアーニャは俺達が全滅するまで相手にしないと思う。アリアーニャが死ぬ時は俺達が全滅した時だ」
《簡単に殺せる者から殺していこうと考える事もあるのでは?》
「まず数を減らす訳か。あるかも知れないな。ふむ」
「じゃあこうしない? アリアーニャは転送室の奥の外から見えないとこに下がらせといて……」
「おい」
二人が話していると、不意にロバートが警戒の声を上げた。
全員に緊張が走る。ロバートが睨んでいる方向に目をやると、草原の中を半ば倒れこむようによろよろと進んでくる影があった。
「撃つ?」
「いや、待て」
アンゼロッタが影に銃口を向けて尋ねると、ロバートは視覚の望遠機能を使いながら制止した。
それは紫髪の青年だった。体中に焼け焦げた跡があり、溶けて固まった金属鎧の残骸が体に引っかかっている。草木の汁がついた足は右だけ歪んでドス黒く腫れている。
変わり果てていたが、知った姿だった。
「レインだ」
「レイン!?」
「待てアリア! ……くそ!」
ロバートの呟きを聞いた途端、アリアーニャが駆け出した。ゼルクラッドはそれを止めようとしたが一歩遅れ、仕方なく後を追う。
他の面々は顔を見合わせた。
レインが生きていた。生存者が一人でも多いなら、それは喜ばしい事だ。しかし罠かも知れない。
前世、ゼルクラッドは犯人に解放された人質に駆け寄った同僚が、人質の背中に縛り付けられていた爆弾で諸共爆死したのを目の当たりにした事がある。
サフカナは単純にアンデッド化してシルフィアに操られているかも知れないと危惧したし、ロバートは魔法でエルマーかシルフィアが化けているかも知れないと思った。
アリアーニャが涙ぐみながら倒れそうになるレインに肩を貸し、その場に横にさせようとする。追いついたゼルクラッドは素早くレインの体に何か仕掛けられていないか確認した後、脈を取りアンデッドにされていない事を確かめ、魔導鎧の腕を全身に触れさせて何か魔法がかけられていた場合解除されるようにした。
レインの体には爆弾どころか武器もなく、脈はある。魔法で操られていたり、別人が化けている様子もない。
ゼルクラッドは警戒を解き、アリアーニャを手伝ってレインを横に寝かせた。後方で待機していたロバート達に安全だ、と合図を送り、火傷の跡が酷いレインの処置に入る。
レインは焦点の定まらない目で、急いで包帯と消毒液を出すアリアーニャを見た。
「アリア……?」
「レイン! 喋っちゃだめ、私、ここにいるから、もう大丈夫だから!」
「ああ……逃げたんだ……あいつら、俺を……」
「うぅー……!」
アリアーニャは包帯を取り落とし、ぽろぽろ涙をこぼしながら、震える手でレインの血まみれの右手をぎゅっと握った。ゼルクラッドは黙って包帯を拾う。
レインの火傷の跡は全身の六割に及んでいた。基本的に火傷は面積にして全身の五割を超えると死亡の危険があり、七割で助からないとされている。六割はギリギリのラインだ。早急に手術が必要だが、設備が無い。魔法頼りでどこまでいけるか。
応急処置としてひとまず幾つかある裂傷を消毒して包帯で巻いていると、レインがますます弱くなった囁くような声で何か言った。ゼルクラッドは耳元に顔を寄せる。顔にかかる弱々しい呼吸が嫌でも死を連想させた。
「ゼル……俺が……お前を、殺そうと、したのは……もう、知ってる、んだろ?」
「ああ、知っている」
「じゃあ、なんで、俺、を……助け……?」
「人を助けるのに理由がいるのか?」
ゼルクラッドが迷いなく言うと、レインは微かに微笑んだ。
「一つ、聞かせてくれ……」
「なんだ?」
「人を殺すのに理由がいるのか?」
レインは死角に伸ばした手でゼルクラッドの腰の千刃剣を抜き、起き上がり様に鋭い袈裟斬りを放った。急造故にゼルクラッドの魔導鎧は関節が守られていなかった。研ぎ澄まされた剣は一撃でゼルクラッドの左腕を肩から切り落とした。
驚愕してバランスを崩したゼルクラッドの首に向け、返す刀でレインが千刃剣を閃かせる。完璧に不意打ちを喰らったゼルクラッドは避けられる体勢ではない。ロバート達もゼルクラッドから安全だとサインを受けて油断していたため、サポートがぎりぎり間に合わない。ゼルクラッドの脳裏に前世の死に際がフラッシュバックした。
「だめーっ!」
ゼルクラッドとレインの間にアリアーニャが飛び込んだ。レインの剣はそのまま振り抜かれ、アリアーニャの胸が深々と切り裂かれる。間違いなく心臓まで達したであろうその傷から、鮮血が噴水のように吹き出した。
幼馴染の血を全身に浴びるレインは眉一つ動かさず、体勢を立て直しかけているゼルクラッドに再び剣を向ける。
しかし三刀目が放たれる前に、アンゼロッタが放った魔導弾がレインの体を吹き飛ばした。
レインが吹き飛ぶのを監視カメラ越しに観たシルフィアはため息を吐いた。
「片腕だけですか。使えない」
シルフィアは「保護」したレインを洗脳していた。今回の反乱でかけた保険の一つがこれだ。
レインは帝国の武術大会でゼルクラッドに勝っている。もう少しで殺すところだった。
シルフィアは自分がしてやられたゼルクラッドに曲がりなりにも「勝った」レインに価値を見出し、洗脳してゼルクラッドにぶつけたのだ。
レインのカウンセリングで事情を知ったシルフィアは、なぜ廃人になったかをロバートに説明し、ゼルクラッドを会わせないように進言。そうして時間を稼ぎ、甘言を囁き、慰め、叱咤し、ゼルクラッドを殺すように調教した。
元々ゼルクラッドの仲間なので、警戒は薄くなる。更にこの洗脳は魔法ではないので、魔法的調査をされてもシロとしか出ない。
思った通り、刺客として放ったレインは上手くゼルクラッドに接近し、攻撃に成功した。
誤算は取るに足りないクズだと思っていたアリアーニャの行動だ。せいぜい怯えて震えているだけのはずの何の力も知識もない仔兎が、身を挺してゼルクラッドを庇った。それがなければゼルクラッドは確実に死んでいた。
戦う力が全くなく、臆病で、気弱な少女に命をかけた献身をさせたのは何だったのだろうか。
シルフィアは漠然と、それが自分がエルマーに抱く気持ちと似たものだという事を感じ取り、微かに微笑んだ。
しかし次の瞬間には冷徹な顔に戻る。
片腕はとった。急造の魔導鎧は身につけているようだが、戦力は激減。後はどうとでもなる――――
シルフィアは各地の転送室の処理を後回しにしてまで確保した最後の仕込みを使うべく、迷彩解除スイッチを押した。
急襲の衝撃が冷めないロバート達の頭上、厚く空を覆っていた雲。その一部が急に晴れた。
「おいマジか。あんなもんまで持ち出しやがった……!」
ロバートは愕然とする。
そこに現れたのは青空ではなく、地上に砲門を向ける巨大な空飛ぶ船だった。
シルフィア「これから貴様等はなんの手助けも受けず、ただひたすら、死ぬだけだ。どこまで もがき苦しむか 見せてもらおう。死ぬがよい」
次回、最終話。