二十話 A LOVEる-荒ぶる- ダークネス
シルフィアは全てを持って生まれてきた。
ビルテファ王国王都に屋敷を構える、裕福な一家の一人娘。
現実離れした美貌。気品。カリスマ。
一流の頭脳。身体能力。
偉大な祖父、エマーリオによる英才教育はその全てを十全に引き出し活かしたが、性格は少し歪んだ。もっとも、高慢さはシルフィアの能力と立場を思えば相応な程度であったし、欲望に忠実である事も一概に悪いとは言えない。
家族にエマーリオという絶対的天才がいた事がシルフィアに与えた影響は大きい。シルフィアは全てにおいて優秀な人間だが、エマーリオは全てにおいて更にその上を行く。心のどこかで凡才だった両親を見下していたシルフィアも、エマーリオには裏表なく懐き、言うことをよく聞いた。
エルマーとの出会いは、シルフィアの人生に決定的な変化を与えた。溢れる才能や美貌の全てを恋人に向けるようになったのだ。まさに狂愛という言葉が相応しい。何か特別な事件があったわけではない。偶然の出会いからゆっくりと育まれた愛は、育ち過ぎて歪な形を造り完成した。
シルフィアにとって、エルマーはありとあらゆる物事に優先する。
エルマーの願いはなんでも叶え、エルマーが望むものは全て差し出し、エルマーの言動全てに悦び、エルマーのためなら命を捨てる事も躊躇わない。
例えエルマーがシルフィアを捨て、憎悪し、蔑み、拷問し、拒絶し、無視し、忘れ去り、他の女を愛したとしても、シルフィアは間違いなく一片の曇りもない変わらない愛を捧げる。それほど愛しているエルマーが自分を愛してくれているのだから、シルフィアは日々幸福の絶頂だった。
この幸せが永遠に続けばいい。
幸福な人間は時にそう願う。シルフィアもそう願った者の一人だ。
シルフィアが他の人間と違ったのは、ただ願うだけではなく、幸せを永遠に味わい続けるために手段を選ばず努力した事だ。
魔術研究に狂気的な情熱を注ぎ、人体実験を繰り返し、老いる事のない体を手に入れた。
マッチポンプを考案し、巧妙に世界を支配、管理した。
邪魔者は殺す。操る。陥れる。そこに迷いは一切ない。シルフィアの価値観の天秤では常にエルマーが無限大の重さを持つ。何と比べようが結果は揺るがない。
ロバートに散々世話になっていても、娘と息子ができても、家族の中でエルマーは別格であり続けた。ついでに言えば家族以外を有象無象扱いするのも変わらなかった。
清場和仁がエーリュシオンにやってきた時、最初シルフィアは喜んだ。
ガイアの知識が流入し、エルフィリアはますます進歩する。既に外国との技術差は目を覆うほどだったが、差はあってありすぎるという事はない。
清場がマッチポンプを廃止したいと言い出し、ロバートがその意思を尊重すると言い出した時、シルフィアは信じられない思いだった。
知識を引き出した後は消せばよいだけなのに、わざわざ生かして対価を与えるというロバートの行動がまず理解不能だったし、ぽっと出の異世界人のために子孫を危険に晒すほどロバートは薄情だったのかと嘆いた。
ロバートは、マッチポンプをやめたところで外国との技術差は変わらないからシルフィア達の安全は確保できる、と考えていた。
シルフィアは、マッチポンプをやめたら外国との技術差が縮む可能性が出るから安全は失われる、と考えていた。
99%の安全で満足するか、99.999999999999999999999999%の安全でも不安に思うか。危機感の差だ。元々ほどほどで満足する欲の少ないロバートは前者で、欲望一直線のシルフィアは後者。
シルフィアはロバートと清場和仁の契約そのものを止められないと悟ると、横槍を入れて内容を改変した。
契約が達成された場合のリスクは跳ね上がったが、達成は限りなく不可能に近いものになった。シルフィアはそれで一安心した。清場和仁は確かに優秀な人間だったが、祖父ほどの格の高さは感じなかったし、ロバートのように大量の個体を持っているわけでもない。契約条件を全て達成する事など、できるわけがない。
清場和仁改めゼルクラッドが暗殺者パンナを返り討ちにした時、シルフィアの勘が小さく警鐘を鳴らした。ロバートは呑気に感心していたが、シルフィアは違う。
パンナの育成にはシルフィアも一枚噛んでいた。単なる偶然やちょっとした機転で倒せる相手ではない。ゼルクラッドへの評価が「身の程をわきまえない馬鹿」から「警戒人物」に上がった。それまでおざなりに聞き流していたロバートからのゼルクラッドに関する報告を熱心に聞くようになる。
それでも、この時はまだ警戒するだけだった。
ゼルクラッドがエマーリオ邸の地下室を発見した時、シルフィアは確信した。ゼルクラッドには世界を動かす素質がある。判断力、行動力、知識、知恵、幸運、その他諸々。ゼルクラッドがこの先も困難を乗り越えて行く光景が見てきたように思い浮かんだ。シルフィアは自分の直観を信じ、受け入れた。契約は達成されるだろう。
ゼルクラッドが魔力覚醒する事は、祖父の意思を尊重し、妥協案を出して片付けた。問題はその後である。
契約履行に関してはロバートが睨みを聞かせているので、手出しができない。ゼルクラッドが全ての条件を達成し、マッチポンプが破壊される事はもう受け入れる事にした。要所要所で邪魔はするつもりだったが、無駄な足掻きに終わるだろう。
シルフィアは極めて冷徹に、機械的に考えた。
マッチポンプは壊れる。防ぎたいが、防げない。なぜか? ロバートが守っているから。
マッチポンプが壊れた後、他国を攻め滅ぼす事はできない。なぜか? ロバートがそうさせるから。
ロバートによって作られ、維持された平和は、ロバートのせいで壊れるのだ。
シルフィアは思った。
『仕方ない。大御祖父様は殺そう。ごめんなさい、でも私とエルマーの永遠のためだから』
ロバートを始末し、自分とエルマー以外の人類を絶滅させれば、もう自分達を脅かすものはない。息子と娘は飼い殺しにして愛でれば良い。
最初からそうすべきだった、とは思わない、シルフィアはシルフィアなりにロバートの事を大切に思っていたし、できれば一緒に永遠を生きたかった。しかしロバートを生かしておくと、自分とエルマーの永遠が脆くなる。
永遠を生きる事を前提にして考えた場合、99%の安全で満足してしまうロバートに安全管理を任せておくと、いつか1%が当たって死んでしまう。マッチポンプはシルフィア提案という事もあり上手くできたシステムだったが、基本的にロバートの危機管理は詰めが甘い。ロバートには生存と安全の可能性をあらゆる手段を使ってほんの少しでも上げようという意欲が致命的に足りない。生への執着が薄いのだ。下らない中途半端な道徳心や、無価値な慈悲がシルフィア達を危険に晒す。
エルマーにこの事を話すと、あまり理解できていないようだったが、笑って受け入れた。エルマーにとってシルフィアは女神だ。神のする事は全て正しい。
最早シルフィアにとってロバートは敵だった。自分とエルマーのためなら、シルフィアはなんでもできる。できてしまう。
まず、シルフィアはロバートの形質魔力を掠め取り、密かに解析した。
ロバートは六十数万の個体を持つが、全ての個体は単一の意思によって動いている。全く同じ六十数万台のパソコンがオンラインで情報をやりとりしているようなものだ。パソコンの規格が全て同じで、全てオンラインである以上、一台をウイルスに感染させれば連鎖的に全てに感染させられ、破壊できる。
ロバートの個体間情報通信の要になっているのが、形質魔力を構成する魔力鎖の一部、共有鎖である。この共有鎖の構造を特定し、その共有鎖に結合して結合部から繋がる魔力鎖を破壊するウイルス鎖を作成。ウイルス鎖をロバートのどれか一個体に触れさせるだけで、ロバートはウイルス鎖に感染し、全個体が連鎖的に消滅する。
元々エルフィリアには魔力鎖を解析したり、作成したりする技術は存在した。それをこっそりと流用し、アンチ・ロバート・ウイルス鎖はたった十日で完成した。清場和仁がもたらした知識によって解析・作成機器の性能が上がっていなければ三ヶ月はかかっただろう。
次にシルフィアは旅行と称し、エルフィリア文明が到達している別惑星を含む全世界を回った。
何かやらかさないかと心配したロバートがついてきたが、その目を欺く事は造作もなかった。着替えるので見ないで下さい、とでも言えばロバートは簡単に離れる。ロバートはシルフィアが着々と自分を殺し世界を滅ぼす準備をしているとは思っていなかったので、監視というほど厳しくは見張らなかった。
旅先でシルフィアが何をしたかといえば、魔導擬似核爆弾の設置だった。
魔導擬似核爆弾は擬似物質の核爆弾を作成する魔導装置で、シルフィアがスイッチを押すだけで世界各地に仕掛けた魔導装置が一斉に起動。核爆弾を作成し、核爆発を起こす。これによって大多数の人間はあっという間に死滅。生き残った人間達も、撒き散らされた放射性物質によって被爆し、死亡する。放射性物質は擬似物質であり、七十二時間の経過後消滅するように調整されているので、後々まで影響が残る事もない。
シルフィアはこのクリーンな外道戦法をガイアの人類を滅亡寸前まで追いやったという核戦争の話を聞いて思いついた。
人間以外の生物も巻き添えで死滅する事が予想されるが、エルフィリアの研究塔に約二百万種の生物の形質魔力が保管されているので、それを使えばほとんど復元できる。
全てを破壊し、思うがままに創造する――――まさに神の域だ。
もし万が一ゼルクラッドが契約達成に失敗したり、契約を達成してもマッチポンプを継続すると言ったなら、その時は何もなかったかのようにしれっと魔導装置を回収してそれまで通りの生活を続ければ良い。マッチポンプが継続できるならそれに越した事はないのだ。
流石のエルフィリア文明も、宇宙が収縮して消滅したり、別の惑星起源の未知の存在が攻めてきたり、といった宇宙規模の危機に対処できるほどには発達していない。永遠を生きるためにはそういった危機にも対処できるようにならなければならない。
シルフィアとエルマー、ついでに子供達以外の人間が滅びると、科学魔法技術がその域にまで到達するのが非常に遅くなる。もしかしたら到達する前に危機が襲いかかるかも知れない。ロバートが生きていて、マッチポンプをしていれば、エルフィリアの研究はロバートによって安全に管理されながら順調に進んでいく。それが最善。
魔導爆弾の設置やアンチ・ロバート・ウイルス鎖の作成の他にもいくつか仕込みをしたところで、契約を達成したゼルクラッドがエルフィリアにやってきた。あまりにも早く達成したため、シルフィアが考えていた仕込みは全て終わっていなかったが、仕方ない。
そもそも契約を達成した清場和仁をエルフィリアに招待するのは、自分の膝下で確実に始末するためである。「契約達成にまでこぎつけるほどの実力と運命を示したのなら、相当な脅威。念入りに殺しておかなければ安心できない」と、考えすぎと思いながらも張っておいた予防線が役立った。
ロバートがゼルクラッドにこれまでの経緯を説明している間、シルフィアは二人がいる隣の部屋で盗聴器を使って盗聴していた。
ゼルクラッドはシルフィアが思っていたよりも大人しく話を聞いていたが、時々驚いた声や息を飲む音、信じられない、という呟きが聞こえていちいち癇に障る。ゼルクラッドはシルフィアにとって全ての元凶で、やる事なす事全てが腹立たしい。
やがてロバートが話し終わり、ゼルクラッドに解答を迫る。長い沈黙の後、ゼルクラッドは「熟慮が必要な問題ですし、これが最終回答ではありませんが」と前置きをしてから言った。
「やはり私の意思は変わりません。ただし即時の廃止ではなく段階的な廃止を――――」
シルフィアはそこまで聞いた時点でウイルス鎖を解放し、魔導装置の作動スイッチを押した。
アンゼロッタは、屋敷の自室でロバートと相談しながらマッチポンプ廃止後の世界に備えて準備をしていた。ゼルクラッドをエルフィリアまで案内している間になんだかんだ廃止するんだろーなー、という印象を受けていたのだ。もし予想が外れて準備が不発に終わったならそれはそれで良い。
アホ毛をぴこぴこ揺らしながら押入れに上半身を突っ込み、埃を被った魔質コレクションセットを引っ張り出そうとガサゴソしながらアンゼロッタが言う。
「大御祖父様ー、清場さんどうなの? やっぱ廃止しちゃいそうな感じ?」
「まだ返答待ち。即答しないところを見ると悩んでるのか、答えが決まってて自分の中で確認してるのか、どっちかは知らん」
「そっか。これ散々悩んで『何日か考えさせて下さい』とか言い出すんじゃない? すぱっと結論出して欲しいよね、こっちにも準備の都合あるんだからさ」
「軽々しく結論出されたらマッチポンプされてる連中にしてみりゃ実際たまったもんじゃないんだよなあ。ところでコレクション出してどうするつもりなんだ? 俺が十歳の誕生日プレゼントで贈ったら三日で押入れに突っ込んだヤツだろそれ。おじいちゃんは悲しい」
「あ、それはほんとごめんなさい。でも正直年頃の女の子にこれ贈られても困るっていうか。テウルは同じの贈られて喜んでたけど。まーこのまま押入れの肥やしにするぐらいならさ、マッチポンプ廃止直後に売りさばこうかなって。不戦条約明けの戦争に備えて兵器開発関係が活発になって、材料の魔質も需要高まると思うんだよね。大御祖父様はそのへん市場操作とかしないの?」
《マスター、誕生日プレゼントを売るのはちょっと》
「いやいいけどな。市場操作はまあ、経済の崩壊を防ぐ程度にす――――今すぐ完全武装で転送室にダッシュ!」
「え?」
突然切羽詰まった叫び声に変わったのを訝しみ振り返ると、ちょうどロバートが雲散霧消するところだった。
アンゼロッタは知る由もないが、ウイルス鎖が効果を発揮し始めてからロバートが消滅するまでの間に二、三秒のタイムラグがあった。ロバートはその僅かな時間で自分の異変に気付き、何故、何が起きたのかを悟り警告を発したのだ。
ロバートの体は魔力を魔力操作で固定する事によって保っているため、魔力操作をやめれば周囲の魔力に溶けて消える。ロバートは六十万体以上いるし、一体二体が消えたところでどうという事はない。そのはずだったが、消える間際のロバートの余裕のない表情と、遊び心が感じられない強い口調が不安を抱かせた。
もしかして、何かとても恐ろしい事が起きたのではないか?
躊躇も束の間、アンゼロッタはロバートが遺した言葉に従い、窓に走りながら胸に魔導銃エイワスを当てた。
「エイワスお願い!」
《了解。トランス/スピードフォーム》
エイワスの言葉と共にアンゼロッタの体が光に包まれた。同時に服が消えて一糸纏わぬ姿になるが、光のせいで細部はよくわからない。ただし小柄ながらスタイルの良い体の輪郭ははっきり分かった。
魔法少女にありがちなサービスシーンは一瞬で終わり、アンゼロッタの体はピッタリとした黒い薄手のスーツに包まれる。続けて白を基調に黄色の装飾があしらわれたいかにもな丈の短いドレススカートが現れた。長い髪は見えない手に結われるようにして三つ編みになり、金色のリボンで留められる。続けて軽くジャンプすると足に登山靴のようなガッシリした靴が装着された。最後に手の甲に五芒星が描かれた白い手袋が現れ、光が収まった。変身完了である。
自称:魔法少女は伊達ではない。小柄な体と童顔のせいで、豊満な胸を除けば愛と勇気と希望に溢れた思春期の魔法少女にしか見えない。
ちなみにアンゼロッタはあと二種類の変身を残している。
「GO!」
魔導銃を撃って窓を破壊しながら、靴のつま先に力を込めて強く床を蹴る。靴に仕込まれた超変換タキオンが起動し、魔力を一気に消費してアンゼロッタを急加速させる。割れた窓から弾丸のように空へ飛び出したアンゼロッタだが、変身の際に発動した全身を守る魔導障壁のおかげで傷一つない。急加速によるブラックアウトは耐Gの役割を持つスーツが防いだ。
空中に飛び出した直後につま先に別の角度で力を込めると、今度はラピュタイトとスタビライザーが起動した。加速が止まったアンゼロッタの体はエルフィリアを一望できる高さで浮遊する。
エルフィリアは平穏そのものだった。人口の少なさから、見えるエルフの数こそ少なかったが、瓦屋根の家々も、どこからか漂う美味しそうな焼き菓子の匂いも、町の外から来る森のざわめきと涼やかな風もいつもと変わらない。
が、アンゼロッタが空から転送室の場所を確認した瞬間、エルフィリアを吹き飛ばさんばかりの轟音が轟いた。高々と吹き上がる火柱、飛び散る火の粉、押し寄せる熱波。家々はバラバラになり、すぐに黒い煙を出しはじめた。
見慣れたのどかな光景が一瞬で破壊される衝撃。声も出ず、口を半開きにして呆然とする。現実味がなかった。
《マスター! 早く!》
エイワスの大声ではっと我に返り、アンゼロッタは炎に包まれた転送室に向けて再び加速した。ドレススカートには変圧相転移とムスペリウムとフェンリウムを利用した温度保持機能(※)がついている。火災程度なら問題ない。
一体何が起きたのか。何が起きているのか。アンゼロッタにはわからない。
ただ一つ、ロバートの言葉だけが道標だった。
様々な器具が並ぶ研究塔の一室で魔質の実験データを記録していた白衣姿のテウルスタは、隣でデータの統計を作っていたロバートにいきなり耳元で叫ばれた。
「転送室でヌラァフ大陸に逃げろ!」
「!?」
驚いて手に持っていた試験管を取り落とし割ってしまったテウルスタは抗議しようと横を向いたが、既にロバートの姿はなく、ロバートの残滓らしき密度の高い魔力が漂うだけだった。
首を傾げる。ヌラァフに逃げろと言われた。事態がよく飲み込めないが、とりあえず割れた試験管を片付けてからにしよう、と思い、箒とちりとりを取りに行く。部屋の隅の掃除用具ロッカーを開けようとした時、塔が突然爆音と共に不吉な揺れ方をした。
「地震!?」
《地理で習った事を忘れたと見える。エルフィリア近郊には断層もホットスポットも》
「無い。なら何だ?」
《さあ?》
指輪に嵌ったソロモンと話しながらなにげなく窓に近寄って外を覗いたテウルスタは、崩壊と火災の波に飲まれていくエルフィリアを見てひゅっと息を呑んだ。
「白昼夢か?」
《ところがどっこい……夢じゃありません……! 現実です……! これが現》
「言ってる場合か! ソロモン、防御系魔導全乗せ!」
《Ja! 耐熱――耐寒――防護膜――代謝型再生法術――受容光量及び音量閾値設定――指定有害物質排除――完了。ミスリルで攻撃されたら一発で全部貫通♂されるから過信はアカンで?》
「余裕だなこんな時に!」
《マスターが慌てた時こそ落ち着くのが魔核の役目なのは確定的に明らか。落ち着きたまえ^^》
「お、おお。すー、はぁー……よし」
テウルスタは深呼吸し、顔を両手でぱしんと叩いて気を引き締めた。なぜか作動しない警報器に舌打ちをして、エレベーターのボタンを連打しながら考える。非常階段がないのは建築ミスだ。
エルフィリアが外敵から攻撃されるのは大御祖父様がいる以上ありえないいやその大御祖父様の様子が変だったという事は何か予測できない事がおきたのかまさか異次元からの侵略なわけはないか流石に現実的ではないわざわざヌラァフ大陸に逃亡先を指定したという事はそこに意味があるはずでヌラァフと他の場所の相違点といえばまずマッチポンプの有無と住んでいる人種とそういえば昔締結した条約がまだ有効でヌラァフ大陸への移動には許可が必要だったはずだがそれは一体どうなって……
《時にマスターよ、こんなマジやべぇ状況になるならアンゼみたいに召喚装備作っとけば良かった、なんて思ってないかね? ん?》
「? 思ってるが……まさか作ってあるのか!?」
《いや作ってない。サーセン》
「なんだよ! 期待させるな!」
《ま、無い物嘆いてないで今ある手札で乗り切るしかないってこった。今は言われた通り逃げる事に集中するべきそうすべき。考え込みたくなるのももっともだがエレベーター動いてないっぽいのにはそろそろ気づいても良いと思われ》
「……すまん」
《それはいいっこなしだぜマスター。とにかく逃げなきゃ(使命感)》
「ん、窓から脱出する。魔導用意」
《把握》
テウルスタは窓に向かう途中でふと思い立ち、白衣を脱いで実験テーブルの上に並ぶ魔質をかき寄せて包んだ。エルフィリアが不測の危機に襲われ逃げるしかないのなら、魔質は後で必ず役に立つ。
ガチャガチャと音を立てる白衣の包みを脇に抱え、テウルスタはソロモンが発動した浮遊魔導を受けて窓から外へ飛んだ。
家族は無事か。ロバートとエルフィリアに何が起きたのか。ヌラァフ大陸に行った後どうすれば良いのか。
湧き上がる疑問は棚上げにして、焦げた地面にふわりと着地したテウルスタは転送室に駆けた。
「……という酵素反応実験結果からー、覚醒鎖を生成するタンパク質はD型アミノ酸で構成されている事が証明されたわけだねー。ちなみにここから余談だけどー、魔力を視覚的側面から認識できるのもー、目の水晶体がほとんど代謝を行わずD型アミノ酸を蓄積するからという説が有力でー、実際ホムンクルスの水晶体を取り除いた状態で魔力覚醒させてー、その後水晶体を移植したらー、魔力の視覚的側面からの感知精度が落ちたのねー。この事実を受けてー、実は魔力を感知する魔感はー、厳密には魔力を魔力として感じ取っているのではなくー、魔力的刺激を既存の五感に無理やり当てはめて認識しているのではないかーなんて事がー、言われるようになってー。なぜならー、人間はもともと魔力を受容する感覚器なんて持ってないわけでー、覚醒鎖が魔力を受容する新しい感覚器を形質魔力に付与してー、新しい感覚に目覚めさせるなんて大改造をするって考えるよりもー、脳の各感覚を司る部位ー、または脳全体に覚醒鎖が影響してー、普通の五感受容とは少しズレたー、ノイズ混じりの情報っていうかー、魔力刺激という名のバグ情報を送ってるって考えた方がー、自然じゃないー? あー、話逸れ過ぎたねー。どこまで話し……あれ、ぇー ? あた ま が 」
大学で生徒に講義をしていたロザリーは、突然頭の中で何かが蠢くような形容し難い感覚に襲われ、ふっと意識を失いその場に崩れ落ちた。
ロザリーの思考と体は法術鎖によって動いている。その中に組み込まれたロバートの共有鎖を通じて、シルフィアのウイルス鎖の影響を受けたのだ。共有鎖の構造がロバートのものとは微妙に異なっているため、ロザリーの法術鎖は完全に分解されたわけではないものの、虫食い状態に破壊されており、完全に再起不能である。同時刻、世界各地のロバート支配下にあったノーライフ達も同様にバタバタと倒れていた。
「……先生?」
ぐんにゃりと床に突っ伏したロザリーに、生徒の一人が訝しげに声をかける。ゾンビであるロザリーには持病も発作もない。突然倒れられても、心配よりも困惑が強かった。
気まずそうに顔を見合わせる数人の生徒を、突如横殴りの紅い爆風が襲った。何人かの生徒は魔核付きの『杖』を持っていたが、突然の猛威に反応できた者は皆無。魔核は砕け、人肉は焦げて千切れて四散する。トドメに爆破解体の如く効率よく破壊された大学の建物が崩落し、中にいた全てのものを押しつぶした。
無慈悲な炎がエルフィリアを嘗める。
住宅も、野菜畑も、店も、銀行も、博物館も、全て等しく焼け落ちていく。悲鳴や叫び声は聞こえない。シルフィアは非常に巧みに爆風が広がるように仕掛けを作っていたため、エルフ達は声を上げる間もなく確実に死んでいく。
シルフィアは自分が巻き添えになるのを恐れ、エルフィリアだけは魔導核爆弾を使っていない。そのため運良く近くにロバートがいて、かつ警告が間に合った一部のエルフ達が即死を免れていたが、生存者を敏感に察知したシルフィアとエルマーが殺して回ったため、次々と殺されていった。
元々エルフの人口は少ない。ロバートの消滅から三分もしないうちに、エルフィリアの生存者はシルフィア、エルマー、アンゼロッタ、テウルスタの四人になっていた。
究極のホムンクルスにして不老のノーライフ、アイリスは、北の山脈の崖でロッククライミングを楽しんでいた。白い防寒具に全身を包み、フードの横から美しい金髪がこぼれて風に煽られている。法術「神秘の鎧」の効果で常に体表の温度が27℃に保たれているため防寒具は必要ないのだが、そこはそれ、雰囲気を大切にする心意気だ。
ブックホルダーに収められた魔道書型の『杖』ネクロノミコンと、そこに嵌った魔核ロベルト(※2)を腰に装備したアイリスは、黒いグローブをつけた手で岩肌の凹みや出っ張りを掴んで少しずつ確実に垂直な岩肌を登っていく。法術「狂戦士」による身体能力の強化と、不老法術による疲労無効があり、そして落下しても法術「天駆ける脚」で復帰できるからこその荒業である。
アイリスが手を滑らせ、何度目かの落下をする。空中を蹴って元に位置に復帰しようとすると、一瞬前までいた位置の岩肌が抉れクモの巣状にヒビが入り、硬質な破砕音と共に岩の破片がバラバラと飛び散った。
「ふぁっ!?」
とっさに方向転換し、斜め下にあった狭い岩棚に着地する。上を見上げると、岩肌の破壊痕になんとなく見覚えがあった。超変換タキオン弾の試射実験で見たものによく似ている。超変換タキオン弾は、魔導によって空気抵抗を無効化した弾を、タキオンで光速の10%の速度に加速するもので、狙撃に用いられる。
いったいこんなものがどこから飛んできたのかと山々の尾根に視線を移せば、遠く金属精製所や魔王城跡からキノコ雲が上がっているのが見え、アイリスは目を見開いた。
「なにこれ怖い。ラグナロク? んーっと、とりあえず索敵!」
原始的な火器ならフノジ大陸にもあるが、魔導やタキオンを使用した高性能の弾はエルフィリアでしか使われていない。エルフィリアに属する誰かが狙撃してきたなら、かなり洒落にならない事態だ。キノコ雲の事もある。
アイリスはブックホルダーからネクロノミコンを抜き放ち、頁を開いて構えた。ロベルトがそれを受けて魔導を発動する。
《了解。広域魔導エコー起動……北北西からの反応が帰ってきません。ミスリルかそれに相当する、何かしらの魔導を無効化するモノが存在すると推測されます》
「どれどれ北北西、っと」
法術「鷹の目」で何か怪しいものがないか探す。すると遥か遠くの薄く雪が積もった岩の陰にキラリと光るものが見えた。直感的にその場を飛び退いて宙に躍り出ると、一拍置いて今度は岩肌に炸裂弾が突き刺さり、爆発して鋭い金属の破片と岩の破片がアイリスの体にくい込んだ。
「いったぁー! 炸裂弾!?」
《魔導防御を張ります!》
「無駄だよ、次はたぶんミスリル弾撃ってくる! ここは目隠し一択っ!」
自由落下しながら、身を捻って岩のくぼみに溜まっていた雪塊に足を向け、法術「聖なる風」で突風を放つ。雪が空中に撒き散らされ、降下するアイリスの体を隠した。
そのまま雪煙と共に落ちていき、魔導を使ってぼふんと積もった雪を巻き上げ軟着陸する。広域攻撃で辺り一帯を吹き飛ばされたらどうしようもないので、即座にステルス魔導を使ってその場を離脱した。しかし何かしらの方法で探知されているらしく、数秒毎に弾丸が飛んでくる。緩急をつけたトリッキーな動きで岩山を逃げ回りながら、アイリスはロベルトと会議をした。
「誰だと思う? ガンナーっていえばお嬢だけど殺されるほど恨まれた記憶ないよ」
《ラキとロザリーも狙撃講習を受けていたはずです。エルフと古参ノーライフにもちらほら受講者が》
「うむぅ。ま、誰でも良いか。舐めた真似してくれちゃって。私を殺して良いのはロバートだけなのに。ね?」
《は、はあ》
「なにその反応」
《いえ、別に。それよりも怪我を治療しては?》
「いい、魔力温存したい。これぐらいなら二十分ちょっとで勝手に治るし。ロベルト、赤外線遮断できる? たぶんそれで狙ってきてると思うんだけど」
《申し訳ありません、その魔導は登録されていません。一般的な擬似物質は一通り登録していますので、エタノールを撒く事なら可能です》
「おっけ、それよろしく」
魔道書ネクロノミコンの頁がひとりでに捲れ、アイリスの周りにエタノールが散布された。
「がおーっ!」
続けてアイリスが法術「印度の炎」で口から火を吐き、着火する。雪化粧をした岩山に赤い炎が沸き起こり、熱波が雪を溶かし水蒸気を発生させた。
熱源を増やしたのが有効だったのか、途端に弾が飛んでこなくなった。アイリスは薄く笑い、平らな岩の上にひらりと着地し魔道書ネクロノミコンを掲げてポーズをとる。
「さあーっ、正当防衛――――じゃなかった、過剰防衛の時間だよっ!」
山岳迷彩に身を包み、地面に伏せて魔導狙撃銃TSR-236カスタムを構えていたラキは、アイリスが炎と水蒸気に包まれ高機能赤外線センサーで捉えられなくなった事に舌打ちをした。初撃を外し、次の一手を避けられ、体勢を立て直されてしまった。
これではシルフィア様に申し訳が立たない、と落ち込みながら、位置を変えるためにトラペゾヘドロンを介した転移魔法で別の尾根に移動した。
生前シルフィアに命を救われたラキは、シルフィアに忠誠を誓っている。長年の奉公でその忠誠を認めたシルフィアは、最初の魔導核攻撃を逃れた者の中で、自分の手が回らない厄介者の始末をラキに命じていた。ラキのターゲットは、アイリスの他に、魔核の何体かが含まれる。
ラキは全てのターゲットを始末した後、自害しなければならない。
本人はそれに納得していた。失うはずの命を助けられ、ずっと生かしてくれたのだから、シルフィアのために延びた命を使い、果てるのは当然だと信じていた。例えターゲットが知り合いでも、友人でも関係ない。胸にチクチクした痛みを感じても、シルフィアの命令なら押し殺す。
シルフィアのする事が正しいとは思っていない。むしろ自分の安全のためとはいえ、人類を撲滅するのは流石にやりすぎだと思っている。
しかしそれとこれとは関係ない。シルフィアが何を思い、何をしていても、それに従うのがラキにとっての正義だった。
狙撃銃を地面に固定し、ナノ積層魔質構造弾(※3)を込めながら、ラキは凍てついた心で任務の達成を誓った。
それぞれの思惑を胸に、自らの存亡をかけた戦いがはじまる。
今話のあらすじ「ロバート、死亡確認!」
いよいよ最終決戦です。
当作品では現在魔質を利用した兵器、装甲などを募集しています(例:超変換タキオン弾、ミスリル&ヒヒイロカネ複合装甲)。私も色々考えてはいますが、思いついたモノだけではちょっと物足りない。感想かメッセージで兵器、装甲案などを出して下されば、私の方でそれが可能か検証し、クリアすれば最終決戦に出させて頂きたいと思っています。
わざわざ私に案を提供しなくても、「魔質を使ってこんな兵器を実現できないだろうか」「この魔質を上手く兵器利用できないだろうか」と妄想するだけでも面白いかも知れません。別に兵器じゃなくてもいいんですけど。設定データを使って妄想を楽しむ、というのも私が思うノーライフ・ライフの楽しみ方の一つです。
魔質の種類や性質については設定資料集【魔法関連】の【錬金術】の項を参考にどうぞ。
※
変圧相転移については設定資料集【魔法関連】参照。
おそらく次話で詳しく触れる事になるが、アンゼロッタの魔法少女装備のドレススカートは非常に細かい魔質製の鎖でできている。この鎖の一つ一つの中に温度調節機構が封入されている。温度によって膨張・収縮しやすい化合物(単体だと魔化してしまうため)を温度受容体に使う。化合物の膨張・収縮を利用して鎖内部の空間の圧力が変化するようにする。圧力の変化に伴い、リン(ムスペリウム)とナトリウム(フェンリウム)のどちらかが変圧相転移によって魔化、もう一方が還元し、魔化している方が超変換で効果を発揮して適温に戻す(化合物の体積が一定になる=圧力が一定になるように変圧相転移が作動する)。
要するに魔質を上手く使って自動で温度調節してます。ドレススカートに覆われていない部分の熱は魔導でガード(こちらは温度調節上限アリ)。スピードフォームなのでそこまで防御性能は絶対的じゃないです。
※2
綴りは「Robert」。ロバートとも発音できる。
※3
シグナトルムやミスリル諸々をナノ単位で加工して作った弾丸。物理魔法錬金問わず、あらゆる装甲を貫く。あまりにも厚い複合装甲だと抜ききれない場合もある。