十二話 魔法
あてがわれた部屋でゆっくり一人でよく考えてみると、今の状況は潜在的危険性は高いものの案外悩む必要の無いものである事に気が付いた。
魔法について知る、という目的はエマーリオが約束を果たす限り達成の見通しが立っていて、短い間だが話してみてエマーリオが約束を破る人間には見えなかった。つまり魔法は無事修得できるか、修得できないにしても知識は得られる。
俺はかなり面倒臭く厄介な存在らしいが、魔力で構成された存在なので一般人には全く知覚できず、現在俺の存在を知っているのはエマーリオとシルフィアのみ。
この二人がバラさなければ早々「もしもし教会です。珍しいゴーストを捕獲しに来ました」なんて事にはならない。出会って半日も経っていない人間を信用して自分の命運を預けるってお前馬鹿だろとも思ったが、既に二人を信用する以外の道は無くなっている。
ここから逃げてもバラされたら追手が来て捕まるだろうし、吹けば飛ぶ様な霊体では口封じも出来ない。いや逃げないし口封じが可能でもやらんけど。
迂闊に出歩かず普通に共同研究してりゃまず安全だろ。出歩くにしてもうっかり教会の魔法使いに遭遇しない様に壁の中とか土の中を移動すれば良い。
そう考えるとかなり気が楽になった。シリアス(哀)とか勘弁してくれよ、俺は陰鬱な事嫌いだから。好きな奴なんて居ないだろうけどな。
しかし早急に結論を出してしまうのもアレなので、時間を置いてもう一度考えよう、とその日一杯は屋敷にある美術品の数々を鑑賞して過ごした。俺が通された客間の家具もカーペットも嫌味にならない気品に溢れている。宝石やら黄金やらはほとんど見当たらず、風景の写実画や陶器の類が多かった。エマーリオは家具と芸術品に金をかけるタイプなのかねぇ。あの歳で女遊びも無いだろうし体格的に食道楽してる様には見えないし。
研究環境云々ってのは案外家具芸術品の事なのかも知れない。帝国文化のものより王国文化のものの方が好みとか? ……ありそうだ。
俺は半分妄想の予想をしながら客間を出てぷらぷらと屋敷の中を漂い、美術品をじっくり眺めて回った。と言っても移動範囲は廊下だけ。迂闊にそこらへんの部屋に入ってシルフィアの着替えに遭遇していやんとかそんなお約束は御免だ。エマーリオの着替えに遭遇してうげぇはもっと御免だ。
共同研究者とは言え勝手に部屋に入るのは不味いだろうし、物理干渉が出来ないので鍵が開いてるかどうかも確かめる術が無く、入口に部屋の用途が書かれプレートがある親切設計なんて事も無いので自然廊下しか動けない。
教会関係者に見つかると危ないので庭にも出れない。夜になったらちょっと出てみるか? 別に霊体は発光していないので暗闇に居れば見えない。はず……いや、そういやあ木霊は夜でもバッチリ見えてたな。「魔力を見る」のは視覚に依存していないと考えた方がいいだろう。生前も目を閉じた状態で魔力感じ取れたし。
廊下を一通り見て回って暇になり、シルフィアを探してどの部屋なら入って良いか聞こうとしたが屋敷の中に気配を感じず、どうも俺を客間に案内した後に出かけたらしかった。
エマーリオに聞けばいいのだが奴にはあまり近付きたくない。消し飛びそうになるから。
夜の帳が降りてもシルフィアは帰って来ず、やがてエマーリオの部屋から時折聞こえていた物音も止んだ。シルフィアは何かの事件に巻き込まれて帰ろうにも帰れない状況にあるのではと一瞬心配になったが、エマーリオが全く騒いでいない所を見るに、いつもこうなのか今日は何か用事で外泊しているのだろうと気付いた。放置だ放置。
俺は静まり返った屋敷の客間で徐々に昇り、降りていく円い月を見ながら長い夜を過ごした。夜が長いと感じたのは久し振りだった。
この二百年で退屈という感情は薄れていたが、今日人と触れ合い密度の濃い時間を過ごした後では随分と暇に感じられた。月を見て、星を見て、風と虫の音を聞き、夜も感覚を鍛えれば面白い変化に満ちているものだと思ってはいたが、自然のささやかな変化は人間がもたらすそれと比べると物足りな過ぎる。
人間の激動を知らず和やかな自然で満足してしまうのが幸せなのか、人間の激動に身を投じ自然の流れに鈍くなってもそれが幸せなのか、俺にはよく分からない。やっぱり幸せだと思えば幸せで、楽しいと思えば楽しいってのが不変の真理なのかね。衣食住足りて金銀財宝に囲まれてもまだ満足しない奴もいれば、俺みたいにほどほどで満足できる奴もいる。幸福の基準は人それぞれだ。
結局俺はとりとめもない事を考えながら、夜が明けるまでずっと窓辺から星空を眺めてしんみりしていた。
翌朝改めて状況を纏めてみたが結論は昨日と変わらず、当面の間はエマーリオの屋敷に居候して魔法研究に精を出す事に決定した。昨日の時点で既にそれは決定していた訳だが、勢いに流されてなあなあな感じに行動するよりしっかり考えて納得づくで行動した方が良いに決まっている。
要は「契約書に書名はしたけど約束破棄しようかなどうしようか……書名した以上逃げれんが」から「契約書に書名したし頑張るぜ!」に変わったのだ。些細な様で結構違う。主に気分が。
日の光が窓から差し込み、さてエマーリオもそろそろ起きたか、という頃にシルフィアが堂々と朝帰りした。妙に肌がツヤツヤして幸せそうな顔をしている。おい、お前何して来た?
「おかえりシルフィア。どこ行ってたんだ」
「……ただいま帰りました。恋人の所です」
「そうか、こいび……恋人!?」
「何か?」
驚く俺に首をこてんと傾げて不思議そうにする。
なんだこいつ。別にシルフィアぐらいの歳(十三歳)であんなことやこんなことやっても王国の法律的には無問題なはずだが、明らかにやる事やった顔で朝帰りして恥ずかしげも無くあっけらかんと恋人の所に居ましたって。お前に恥じらいは無いのか。
「きのうはおたのしみでしたね」
「はい。たくさん愛してもらってきました」
「……あ、何かもういいわ。すまん俺が悪かった」
皮肉ったつもりが普通に幸せそうに答えられてちょっと引いた。
なんだこのストレートな惚気は。ここまでいくといっそ清々しくなってくる。
シルフィアは玄関で邪魔をしていた俺の横をすり抜けてさっさと屋敷に入り、朝食の用意をしますので、と言って奥の部屋に消えた。それを黙って見送る俺。朝食係はシルフィアなのか。食べ終わる頃になったらエマーリオの部屋に行こう。
食器を下げるシルフィアと入れ違いに俺はエマーリオの部屋へ入った。昨日と同じくロッキングチェアに座るエマーリオは文机に羊皮紙の束とインク壺をスタンバイして待っていた。やる気あり過ぎだろ。いや俺がやる気無いのか。魔法については知りたいが絶対エマーリオほど熱心じゃない。
俺は部屋の隅の出来るだけエマーリオから離れた位置に移動した。今日もエマーリオの魔力はハンパない。
「おはようございます。考えは纏まりましたかな?」
「ああ。待遠しいみたいだから早速始めようか」
部屋にいるのは俺とエマーリオの二人。シルフィアは居てもぶっちゃけ議論に参加できないだろうという事で後でエマーリオが纏めた資料を見るだけにするそうだ。
「ではお言葉に甘えて。まずは研究の前段階として互いの情報の共有をしておきましょう。先に私が一般的な従来の魔法と私が新たに発見した魔法について説明して宜しいか?」
「どうぞどうぞ」
エマーリオ、新しい魔法を発見しているらしい。凄いのか凄くないのか魔法知識が欠けてる俺には分からんがなんとなく凄そうだ。だってエマーリオだし。
俺が促すと、既に話す内容を纏めていたのか滑らかに話し出す。
「魔法を修得するにはまず教会の認定を受ける必要があります。教会に多くの寄付をした者は魔力の祝福の強さが充分である場合に限り、更に金を積む事で秘薬を授けられます」
教会あこぎな稼ぎ方してるな……
「魔力の祝福が弱ければ魔法は発動しませんので、教会は最低限の祝福を得ている者、付け加えるならば寄付額が多い者にのみ秘薬を授けるのです。貴重な秘薬は無駄に出来ませんからな」
「そのついでに軽く儲けてる、と。聞き逃せない所があったんだが祝福が強ければ魔法が使える、弱ければ使えない、間違いないか?」
「左様。ロバート殿は祝福が魔法の使用が可能となる最低限の強さに届いていないようですので、正確に言うならば『既存の魔法は祝福が強くなければ使えない』ですな」
ははーん。俺が普通の魔法を使えないのは密度が薄いからだったのか? エマーリオの口振りからして祝福が強い魔力=密度が高い魔力って事らしいが、一応確認しておくか。
「エマーリオ、試したい事がある。今部屋に広がってる魔力を一端引っ込めれるか?」
「……難しいですな。この状態を保つ事が体に染み付いておりますので……ロバート殿の周囲だけならばなんとかできない事も」
「それで良い。頼む」
エマーリオは頷き、目を閉じて集中した。俺の体を取り巻く魔力がぬるぬるとゆっくり動き、じれったいぐらいのノロさで引いた。俺を中心として半径一メートルほどが台風の目の様にエマーリオの魔力の無い空間になる。
エマーリオ魔力操作おっせぇ。魔法は得意でも魔力操作はド下手なのか。まあいい。
俺は自分の周囲が標準的な大気魔力の密度になっている事を確認し、自分の体を構成する魔力固定を保ちつつ、右手を横に伸ばして右手のひらの周囲の魔力を集めた。
魔力圧縮をするつもりだ。自分の魔力プラス数パーセントにしか圧縮できないから、エマーリオの阿呆みたいに濃い魔力は圧縮不可能。そのためにわざわざ俺の周囲の魔力を引っ込めて貰ったのだ。
横に差し出した右手を訝しげに見るエマーリオに尋ねる。
「魔力は万物に宿るって認識は共有してるよな? 大気中にも魔力があるって事も?」
「はあ。それは承知しておりますが」
良かった。これで知らんとか言われたら泣く。説明が面倒過ぎて。
「じゃ、俺の右手に纏りついてる大気魔力の……祝福の強さ、をよく覚えてくれ。覚えたか?」
エマーリオは無言で頷く。それを確認してから俺は右手の周囲の大気魔力に圧縮をかけた。大気魔力を直接は操作できないので自分の魔力を道具代わりに大気魔力を手繰り寄せ、薄い魔力を操作し、集め、集中させ、一ヵ所に押し込める。
薄い薄い大気魔力は体積に反比例してみるみる濃度を上げていく。まだ上がる。まだ上がる。
自分と同濃度まで密度を上昇させてからエマーリオを見ると、絶句して持っていた羽根ペンを取り落としていた。
「馬鹿、な……そんなまさか……いや、現にこうして…………………………………素晴らしい魔法、いや技術ですな、ロバート殿」
驚愕していたエマーリオはあっと言う間に復帰すると瞳を少年の様に輝かせ羽根ペンを拾って猛烈な速度でメモをとりはじめた。
素晴らしく立ち直りが早い。エマーリオって取り乱したりするのか? 慌ててる姿の想像がつかんぞ。
「今祝福の強さが上がった様に見えたか?」
「はい。確かにそのように見えましたな。革命的な――――技術です。それは一体どのような方法で? 始めから使えたのですか? それとも研究に発見と修得を? その半透明の姿にならなければ行えないのですか?」
「ちょ、質問は一つずつ頼む、というか後回しにしてくれ。いやそんな顔するな、後でしっかり教えるから。ただまずはエマーリオの話を一通り聞かせてくれ。俺の話はその後だ。
あー、今のは俺が魔力圧縮、と呼んでいる技術だな。大気中もしくは動植物が持っている魔力を圧縮して密度を高める。一般的には祝福の強さ? で魔力の密度を表現してるみたいだが、この通り祝福の弱い魔力、つまり密度の低い魔力を集めて圧縮すれば祝福が強く――――密度が高くなる。祝福って表現から推測するに教会が広めた言葉なんだろうが、『祝福』よりも『密度』の方が魔力の本質を的確に捉えていると俺は思う」
「…………ふむ。私も同意見です」
「よし、それじゃ以後密度で表現してくれ。そっちの方が(俺が)分かりやすい」
「了解しました」
ガリガリと高速で羽根ペンを動かしていたエマーリオは頷き、更に数秒羽根ペンを動かしてから手を止めた。羽根ペンを脇に置き、咳払いして話を続ける。
「では続きを。秘薬により魔力に目覚め、数日置いて魔力の感覚に馴染めばもう魔法を使う事が出来ます。魔力の……密度が魔法の威力、量が規模にそれぞれ反映されますな。魔法は己の魔力を消費して発動され、魔力が尽きれば使えなくなりますが、おおよそ一晩休めば全快します。また魔法は己が発する魔力が存在する場所でのみ発現します。魔力覚醒直後は自身の体内、体表にのみ魔力を纏っている状態であり、従って行使可能な魔法は自己に作用するものに限定されます。魔力に目覚めた後の修練は主に自身の魔力を体から伸ばし、魔法の射程を伸ばす事となります」
「魔法の発動に道具とか呪文は要らないのか?」
「必要ありません。発動の鍵となるものは意思一つですな」
…………えー、と、いう事は、部屋に魔力を充満させているエマーリオは部屋全体を魔法の有効範囲に納めている訳か。
こえぇな……今の俺の状況は槍の穂先を全身に突き付けられてる様なもんだ。害意が無いと分かっていても恐ろしい。
「自分にかけるだけなら魔法は数日で使えるんだろ? 自分を魔法で強化して戦う魔法戦士みたいな奴はいないのか?」
「おりません」
エマーリオは俺の質問をばっさり両断した。
「昨日説明した様に魔法使いは貴重な存在です。負傷し命を落とす可能性が高い近接戦闘よりも安全地帯から魔法を飛ばす遠距離戦闘の方が良い事は自明でしょう」
「ああ……まあ確かに」
素手より剣。剣より槍。槍より銃。攻撃の射程の長さはそのまま強さに繋がる。魔法戦士とか魔法剣士は個人的に格好良いと思うが、現実的に考えて遠距離攻撃が出来るのにわざわざ近接を選ぶ奴はいないか。
そりゃあ近接攻撃の方が威力だけ見れば高い事もあるかも知れないが、腕に超強力なドリルを装備していても敵に近付く前に銃で撃たれりゃ死ぬ。遠距離攻撃は偉大だ。一体なぜ前世の戦争で銃やミサイルが発達しハンマーや刀が消えたのかという話。
「攻撃として使う魔法の利点はその射程と隠密性です。熟練した魔法使いならば弓矢の射程よりも長くなりますし、魔力は一般人に見えない為遠距離から魔力を敵兵の目前まで伸ばし……例えば炎魔法を使えば、前触れも無く突然火達磨なった様に見えるでしょう。魔法使いを相手にする時、相手はいつどこから来るかも分からない攻撃に怯える事になるのです」
「えげつねぇな……」
「だからこそ魔法を持たない帝国に抵抗できているのですが」
まあなぁ。やられる方はたまったもんじゃないだろうが、やる方は良いよな。パッと思いつくだけでも色々戦略がある。
同じ魔法使いでさえも見ただけでは相手が魔法使いだとは分からない。俺もシルフィアを見ただけでは魔法使いだとは分からなかった。魔力密度が高くてもそれだけでは魔法使いであるとは判断できないのだ。
つまり「この軍には魔法使いがいる」とブラフをかけても相手は嘘か本当か分からない。実際に交戦して魔法が飛んで来なければ嘘だと分かるが、それまでは事実の場合を考えて慎重にならざるを得ない。
更に魔法使いが相手側に居ると分かっていても、誰が魔法使いか分からない。よくファンタジーでは先に魔法使いを潰せ! という戦法があるが、この世界ではそうもいかないだろう。
何しろ魔法を自分の手元から飛ばすのでは無く自分の魔力が存在する場所からいきなり発動できる。魔法を使っても自軍の数が多ければ敵は誰が魔法使いか特定できず(後方にいるって予測ぐらいは立つだろうが)、魔法を封じようとするなら片端から殺していくしかない。
わざと目立つ魔法使いっぽい奴を影武者に立てて本物の魔法使いは陰で魔法連射とか常套手段なんだろうなぁ。
戦争のド素人が少し考えるだけでこれだけ思いつくのだから、さぞ魔法使いは凶悪な戦力として帝国に恐れられているに違いない。
それでも帝国が押してるって事はやっぱり戦いは数だよ兄貴って事なんだろーけどな。
「魔力の受け渡しはできるのか? 一般人から魔法使いが魔力を補充したりは?」
「不可能です。人は皆それぞれ固有の魔力を持っていまして、受け渡せない事も無いのですか、受け取った側の魔力と渡した側の魔力の質が違うため混ざりあい、混合された魔力を使用した魔法は使えません。操作も不可能です」
「違う色の色水を混ぜると濁るようなものか」
「ああ、その比喩は的確ですな」
赤い魔力じゃないと魔法が使えない奴と、青い魔力じゃないと魔法が使えない奴。魔力を混ぜたら紫になって二人共使えなくなる。
「一度魔力が混ざると二度と魔法は使えないなんて事は……」
「それもありません。最長でも二日経過すれば再び魔法が使える様になります」
ふむ。それならわざと魔力を混ぜて相手の魔法を封じるのは無理か。いや一時的には可能か? 二日で回復してしまっても二日間魔法を封じられるというのはなかなか……
……いやちょっと待て。今嫌な事に気付いてしまった。
生身なら魔力を使い切ろうが何もしなくても一日あれば魔力は全回復する。しかし俺は存在自体が魔力の塊であり、自分の魔力でなければ魔法を使えないという事は、魔法を使える様になった時に文字通り身を削らなければならない可能性が高い。一応自分よりも密度が低ければ周囲の魔力を操作できるが、それは一時的に操作しているだけであって自分の魔力とは呼べない。
自分の魔力を使って魔法を使う=自分の体を削って魔法を使う、という公式が成立しやがる。
生身の魔法使いは肉体があるから魔力を使いきっても時間が経てば回復するが、俺の場合は恐らく自分の体を構築している魔力を削って魔法を発動させる事になるので、自分の体の体積の半分を超える魔力量を消費してしまった時、俺は消滅する。メガンテか。
消費量が半分以下なら復活できるが、腕一本分の魔力を再度体に取り込むのでさえ一ヵ月はかかる。ゴーストは魔力が自然回復しないのだ。
つまりMP上限が生身の魔法使いの半分で、MPが自然回復せず、意識的に回復させる必要があり、その意識的に行う魔力回復の速度は現在生身の人間の三十分の一ほど。
なにこれマゾい。
欠損した体の再構築にかかる時間はこの二百年で少しずつ短くなっているから、意識的魔力回復速度はこれからも上がっていくだろうが、現状三十日かかる回復速度を生者と同じ一日まで短縮するにはあと何十年かかることやら……
思わず虚しいため息を吐いた俺なエマーリオが不審そうな顔を向けて来たので何でもないと手を振って誤魔化す。俺Tueeee! なんて期待していないが、俺Hutuuuu! ぐらいにはなりたかった。
いや、魔法が弱い代わりに物理干渉無効があるから差し引きそれほどマイナスにもならないか? そもそも魔法が使える(見込みがある)時点で一般人よりは……
……まあいいか。このあたりの事はまた後で考えよう。さっきから黙り込んでしまった俺をエマーリオがジッと見てる。
「すまん、続けてくれ」
「はい。射程を伸ばす必要性から魔法使いは通常徹底的に魔力を伸ばし広げる技術を磨きます。シルフィアは魔力に覚醒して二年ほどですが、八ミールまで伸ばせます。熟練の魔法使いが九十ミールから百ミール。私は睡眠時以外は常に周囲八ミール四方に展開し、最高二百七十ミールまで伸ばせられますな」
「二百七十ってお前……」
ミールはメートルと大体同じ距離を表す単位だ。物差しが無いからはっきり分からんが、ほぼ一ミール=一メートル、のはず。
二百七十ミール離れた距離から不可視の空間跳躍(一般人の目から見て)攻撃? やだこの老人ほんと人間兵器。エマーリオが有名な理由が段々分かってきた。
「私がロバート殿を見て妙だと感じた原因はそこです。魔法使いは皆必要に迫られ魔力を体から離す技術を磨いているというのに、ロバート殿はむしろ魔力を体に引きつけ離さない様にしておられる。従来の魔法とは対極。ロバート殿の魔法の秘密はそこにある、と私は睨んでおります」
「…………………………………………あー……何となく、分かった気がする」
「本当ですか」
「いや、長くなるから後でまとめて話す」
エマーリオは落胆した様子で僅かに乗り出した身を戻した。
道理で今までゴーストが存在しなかったはずだ。魔法使いは皆例外無く魔力を体から離す訓練を積んでいたのだから。
魔力を体から離す、即ち魔力放出に慣れた普通の魔法使いが、死んだ瞬間に拡散しようとする体を固定できるとは到底思えない。体内魔力操作に慣れた俺でさえ危うく拡散する所だったのだから、体外魔力放出に慣れた魔法使いでは抵抗しようが無い。それこそ魔力覚醒していない一般人よりも一瞬で拡散してしまうだろう。
俺は偶然魔力密度が一般人よりも高く、
偶然毒性の無い秘薬の薬草を食べ、
偶然魔法を知らないまま魔力の`体内´操作を磨き、
運良く死んで拡散する前に魔力操作で体を固定でき、
運良く消滅する事無く生前と同程度まで密度を取り戻し、
偶然教会に見つからず、
偶然シルフィアに会って、エマーリオと今こうして話している。
これはもう一生の運を使い果たしたんじゃなかろうか。前世で余った運で補填できないかなあ……補填されたからこそ今の状況なのかも知れんけどな。
「では基本的な要素はお話ししたと思いますので実際に魔法をお見せしましょう」
そう言うとエマーリオは羽根ペンを置いて椅子から立ち上がった。いよいよか。エマーリオは一歩後ろに下がり、ゆっくりと語る。
「魔法は、魔法に変換する魔力を意識しつつ起こす魔法を強く想像する事で発動します。魔力を意識するだけでは発動せず、魔法を想像するだけでも発動しない。しかしその二つを同時に満たした時――――」
部屋に充満しているエマーリオの魔力の内、エマーリオの正面の魔力がいきなり火の玉に変わった。呪文も魔法陣も前触れも何も無い。握り拳大の火の玉は一瞬激しく燃え上がり、ふっと消える。
おおお……ちょっと感動。魔法だ魔法! 地味だがこの部屋全体の魔力を炎に変えたら屋敷が焼け落ちそうだし、実演としては妥当か。
「魔法でできるのは炎を出すだけじゃ無いよな?」
「勿論です。想像次第でいくらでも魔法の種類は変わります。密度と量により威力と規模の制限はつきますが」
今度は文机の上の羽根ペンを包む魔力が`何かの力´に変わり、魔法を受けた羽根ペンがふわりと宙に浮かび上がる。
「魔法で不老不死になろうとした場合は?」
「効果がありません。恐らく刹那の一瞬不老不死になり、すぐさま効果が切れ生身に戻っているのだろうと推測されております」
なるほど。威力が関係無い様な魔法は持続時間が限定されるって事か?
エマーリオは効果時間が切れたのか力を失い落下した羽根ペンを拾ってペン立てに入れた。
「炎は魔力を消費し一気に燃え上がり消滅し、念動は密度が持続時間に影響します。魔法で物質を創造した場合は――――」
突然ばしゃんと音を立てて宙に現われた水球が落下し、落下地点のカーペットを水浸しにした。高そうなカーペットがぐっちゃぐちゃ。
しかし俺にはエマーリオはこんなデモンストレーションで家具を無駄にする事は無いという確信があった。つまり――――
しばらくじっとびたびたになったカーペットを見ていると、すっと水が消えて元通りになった。一度濡らされた影響か多少けばくはなっていたが水気は無くしっかり乾いている。
「この通り、効果時間が切れると同時に消失します」
「効果時間と威力は魔力密度と比例しているのか?」
「……いいえ、厳密には比例しておりません。基本的にはその通りなのですが、同系統の魔法を幾度も行使していると威力と効果時間は微々たるものですが上がっていきます」
「それは魔力密度が上がってる訳じゃないんだな?」
「左様。密度に変化はありません。神へ魔力を捧げる魔力通路が太くなっていくからだ、と`一般的には´言われております」
エマーリオは一般的には、を強調して言った。まるで実際は違うかのような口振りだ。
「エマーリオはそう思って無いのか?」
「思っておりませんし、事実そうではありません」
「なぜ言い切れる」
「神など存在しませんから」
「ちょっ」
エマーリオ、さらっと言いやがった。それ教会に聞かれたら完全にアウトな台詞なんじゃないか? いや防聴魔法かけてるんだろうけど。危ない会話も今更だけどさ。
前世までは無神論者だったから神がいないという言葉には賛成したい所だが、俺は転生を経験し、魔法という超常現象の実在を知ってから、「この世界には神が居るかも知れない」と思っている。実際会った事は無いが、俺の観点で見れば魔法があるなら神が居てもおかしくない。
ホントかよ、という感情が顔に出ていたのか、エマーリオは静かに付け足した。
「神の不在は既に証明しております。公表はしておりませんが」
「…………」
証明しちゃったよ。
え? 神の不在って証明できるものなのか? 悪魔の証明とどっこいだと思うんだが。
「……参考までに聞くがその証明方法は?」
「ふむ。少々時間をとっても?」
「時間はたっぷりある」
俺が答えるとエマーリオは頷き、文机に歩み寄り引き出しを開けてゴソゴソし始めた。
「教会は魔力を神に捧げる事で神が奇跡を起こしている、と主張し、それが一般論となっております。神に捧げる魔力を定め、神に奇跡を望む事で、神が魔力を受け取り魔法を起こしていると」
エマーリオは引き出しから手のひらサイズの砂時計を二つ取り出し、文机の中央に置いた。インク壺と羊皮紙、羽根ペンは隅に寄せる。
「教会が信仰する『神』とは、『人を創造し、天界から全てを見通し、魔力を対価に奇跡を起こす者』です。細く言えばもう少しあるのですが、支柱はこの三つ。三つの内のどれかを崩せば神を――――少なくとも教会が主張する存在としての神を――――否定できます。さて」
エマーリオは片方の砂時計を指で軽くつついた。今の所エマーリオは何も矛盾した事を言っていない。砂時計を何に使うのかは分からなかったが、口を挟まず黙って聞く。
「始めに砂時計を魔力で包み、砂時計が落ち切った瞬間に爆発する魔法を行使します」
エマーリオは砂時計を魔力で包み、ひっくり返すと同時に魔法を使った。見た目に変化は無いが、砂時計を包んでいた魔力が消えたので魔力が消費されたのは分かった。
ゆっくりと落ちる砂時計の砂。言葉通りの魔法が発動したなら砂が落ち切った時に爆発するはずだ。
砂時計から目を離してエマーリオを見ると、何故か目を閉じて両手を耳でふさいでいた。
「なにやってんだエマーリオ」
尋ねても耳をふさいだエマーリオには聞こえない。このままだと爆発するじゃねぇか。いいのか?
見ざる聞かざるになったエマーリオと刻一刻とタイムリミットが近付く砂時計を見比べる。なんかドキドキしてきた。爆発したら砂が飛び散るだろうと部屋の隅に避難しようとしたが、既に隅に居た事に気付いてその場に待機。
やがて、というほどの時間も経たない内に、そわそわ見守る俺と目と耳を動かして石像になっているエマーリオを尻目に砂時計は最後の一粒を落としきり、
「…………あん?」
爆発しない。砂時計は爆発するとでも思ったの? 馬鹿なの? という風情で沈黙している。何? ストライキ?
爆発魔法をかけたってのは嘘だったのか?
疑問に思ったがエマーリオは耳をふさぎっ放しで質問しようがない。何がしたいんだ。
砂時計が落ち切ってから一分ほど経過し、気が弛んで来た時、エマーリオが目を開け耳から手を離し、文机に置かれた砂時計を見た。
瞬間、派手な爆発音と共にガラスと砂をまき散らして砂時計が爆散した。
呆気に取られる俺。なんだそれ。砂が落ち切ったら爆発するんじゃなかったのか。あと部屋の中砂まみれになってるぞ。
空中に飛び散った砂が全てカーペットに落ち切ってから、何かの防御魔法を使ったらしい身綺麗なエマーリオは唖然としている俺に説明した。
「この様に、特定の条件により発動する魔法を行使した場合、行使者が条件が満たされた事を知覚できなければ発動しません。今回は私が目を開け、砂時計が落ち切っているのを知覚した瞬間に爆発が起きた。これは条件魔法の発動が私の認識に依存している事を意味しています。魔法そのものは条件を認識しない。神が魔法を起こしているのなら魔法行使者が砂時計を知覚しているか否かに関係無く魔法は発動し、爆発していたはず。にも関わらず魔法が発動せず、私が砂時計を認識した瞬間に爆発が起きたと言う事は、教会が主張する全てを見通し魔法を起こす存在としての神は存在しない、という事です」
「…………………………………………………そう、なる……のか?」
ざっと論理展開の穴を探してみたが見つからなかった。
わざわざ『全てを見通し魔法を起こす存在としての神』というもってまわった言い方をしたのは、三つの神の定義の内二つしか否定できていないからだろう。『人を創造した存在としての神』が存在するかどうかははっきりしない。が、二つ否定されれば充分過ぎる。
どうやら神はいないらしい。魔法は人が自らの意思で起こしている現象なのだ。
俺は魔法で部屋に飛び散った砂時計の破片を一ヵ所に呼び寄せているエマーリオを見て思った。こいつ天才だ。
実験がでは無い。実験と考察も見事だとは思うが、それ以上に凄いのは神を否定するその発想。
前世の世界、中世では全てが神の意思によって成り立つと考えられていた。雨が降るのもリンゴが木から落ちるのも人が死ぬのも『神がそう定めたから』。そこに疑問を挟む余地は無い。あまりに当然の事だから。
今世、今俺が存在する世界の価値観は前世の中世によく似ていて、「神の意思で世界は動いている」という風潮が俺の村にもあった。村を襲った火事の原因を(恐らく)土地が呪われている(=神に見放されている)からだと見做したのもその価値観が根本にある。
超常の意思によって世界が存在し動いているという考え方は、現代の日本人が『世界は物理・科学法則に従って動いている』と考えるのと同じぐらい強固なものであると断言できる。
しかしエマーリオは『当然存在する』はずの神を疑い、あまつさえ神の不在証明さえ成し遂げた。
その発想力が恐ろしい。概念を学ぶのは誰でもできるが、概念を打ち破るのは本物の天才にしかできない。
エマーリオは本物の天才だ。なんちゃって転生者の俺とは格が違う。
無事な砂時計と集めた砂時計の破片両方を魔力で包み、ビデオの逆回しの様に修理しているエマーリオ(多分無事な砂時計の状態を壊れた砂時計にトレースしているのだろう)が偉大な科学者に見えてきた。魔力密度王国一。量も王国一。頭脳は超一級。体つきからして何となく若かりし頃は運動神経も抜群だった気がする。
道理でエマーリオが有名な訳だ。これだけハイスペックならそりゃあ有名にもなるだろうさ。
元通りに直った砂時計を引き出しに戻し、さて話を続けましょう、と言うエマーリオを見て、こいつ俺が持ってる情報を渡せば共同研究をするまでも無く一人で魔法の真理に辿り着くんじゃないかと思った。
説明だらけでごめんね! しばらくこういう話だよ! ゆっくり読んでね!
2011/7/13
一部修正
2011/8/24
一部修正