裏話 セイバトゥルース
清場和仁とロバートは、一ヶ月以上に及ぶ綿密な話し合いの結果、契約要綱を以下の内容とする事で概ねの合意を得た。
一、清場和仁(甲)はロバート(乙)との契約に関する記憶を全て失う。
一、甲はビルテファ系標準型ホムンクルス五歳相当の肉体を得る。
一、乙は甲が前項を完了した後エレメン教国精霊殿前で意識を取り戻すよう取り計らう。
一、エルフィリアに所属する存在及びその同盟関係にある存在及びそのような立場であった経歴のある存在は、甲に対し意図的に危害を加えてはならない。
一、甲の脳死あるいは心停止が確認された場合、乙は一度に限り復活後ただちに生命の危機が及ばない条件にて甲を蘇生させる。
一、ガイアにおいて甲の妻であった清場小雪(丙)の魂を乙が認識した場合、乙は無条件に丙に肉体を与え、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、丙が望むならば甲と面会させる。
一、乙は契約後の甲が望むならば甲に対し精霊魔法Lv3スペルまでを全属性解放する。
一、乙は甲との契約後満三十年が経過した直後、甲に対し乙が行っている社会管理政策(俗に言うマッチポンプ)に関する全てを説明する義務を負う。
一、乙が前項の義務を遂行した後、乙は甲に対し甲が行っている社会管理政策の是非を問い、乙の解答に従い社会管理政策の続行、変更、廃止を行う。
一、甲が乙との契約後満三十年が経過する前に二度死亡した場合、乙は甲の肉体、精神、記憶を二度目の死亡直前まで戻した上で保護し、しかる後に甲に対し乙が行っている社会管理政策に関する全てを説明する義務を負う。
一、乙は前項の義務を遂行した後、甲の意見を考慮した上で社会管理政策の続行、変更、廃止を行う。
一、甲、乙の名称が変更されたとしても契約は失効しない。
偏見なくエーリュシオンを体験するべきというのは共通認識だったので、記憶を失うという事についてはすぐに決まった。
ビルテファ系標準型ホムンクルス五歳相当の肉体を得るのは、より多彩な体験をするためだ。「エーリュシオンを体験する」というからには、成長に従って幼い者の視点、若者の視点、成熟した者の視点と、様々な視点から体験した方が良い。最初から二十歳の肉体を得る事もできるが、それをするとエーリュシオンに住む幼い者の視点で見た世界がわからない。どんな肉体であれ中身は成人男性なのだが、ロバートが過去に行った人体実験により、個人差はあるが精神は肉体の年齢や性別に引っ張られる事が多い、というデータが出ている。
エレメン教国精霊殿前で意識を取り戻すよう取り計らう、というのは消去法である。海千山千の商人が跳梁跋扈するノーヴァー連合国に放り出されれば間違いなく半日で奴隷に堕ちるし、修羅の国ナルガザン帝国に放り出されれば喧嘩に巻き込まれて死ぬか、餓死するか、腕っ節でのし上がるか。その点、エレメン教国の、それも精霊殿の前ならば、まず間違いなく保護される。それからは里親の下に送られるか、そのまま精霊殿に置かれるか、それ以外か。何にせよ理不尽な目には合わない。理不尽な目に遭う事も含めて「エーリュシオンを体験する」という事ではあるが、流石にわざと理不尽に襲われ易い状況に放り込むのはそれこそ理不尽だ。なお、ヌラァフ大陸にはマッチポンプが無いので論外で、フノジ大陸はマホウ大陸ほどマッチポンプとロバートの管理が浸透していないので、マッチポンプの是非を判断するための人生を送る場所としては不適切である。
エルフィリアに所属する存在及びその同盟関係にある存在及びそのような立場であった経歴のある存在は、甲に対し意図的に危害を加えてはならない、という項目は安全装置として機能する。ロバート本人、またはその命令を受けた配下、名目上配下ではなくなったが本当は配下な者などが契約後に清場を殺したり精神を崩壊させたりして全て無かった事にするのを防ぐ。もっとも、契約項目全てに言える事ではあるが、契約を破っても罰を与える者がいないので、このような形式的な釘刺しをしたところで意味は薄く、契約が護られるかどうかはロバートの善意を信じるしかない。「名称が変更されたとしても契約は失効しない」という項目も契約が反故にされないための予防線ではあるが以下同文。
「甲の脳死あるいは心停止が確認された場合、乙は一度に限り復活後ただちに生命の危機が及ばない条件にて甲を蘇生させる」は、平たく言えば一回だけ死んでも生き返るよ! という事だ。エーリュシオンでの人生を歩み初めてすぐに運悪く事故で死ぬ事もあるかも知れない。そんな時に死んだからそれでおしまいでは得られるものが何もない。従って、不運による契約の意義の喪失を防ぐためにこの項目が儲けられた。ただし、二度目以降の死亡は不注意や思慮不足が招くものとして、復活して人生の続きを、という処置はとらない。普通の人間は一度死ねば終わりなのだから、十二分に慈悲深いと言えるだろう。和仁もまさか駄目元でしたこの条件が受け入れられるとは思っていなかった。ロバート曰く、「死ぬときは何度でも死ぬから一回ぐらい別にいい」。
清場の嫁が奇跡的にエーリュシオンに来た場合の対応については、実際に事が起こる確率が天文学的数値なので、和仁としては一縷の望みに賭けて、ロバートとしてはどうせ有り得ないからオマケという扱いで盛り込まれた。
精霊魔法Lv3スペルまでの全属性解放は、清場に対して監察官(精霊=ロバート)の目を付けやすくするため、というのが理由の一つ。精霊魔法の便利さを体感して欲しい(一属性しか使えない一般的な精霊使いよりも些か便利すぎるが)というのも理由の一つ。最後にして最大の理由は、ロバートの「せっかくだから最強系チート主人公が見たい」という意味不明な主張である。
契約後三十年という区切りでマッチポンプについての結論を聞く事にしたのは、和仁には人生は三十年という認識があったからだった。ガイアの人類は放射能の影響で大抵三十代で死亡する。ロバートはもうちょっと生きた方がいいんじゃないかとも思ったが、まあ三十年あればエーリュシオンで人生を送ったと言えるか、と納得した。
なお、二度死亡した場合は二度目の人生の命を軽く扱い真面目に生きなかったとみなし、ペナルティとして清場のマッチポンプについての意見は参考に留める事にする。大雑把にいえば、自分の命を軽く扱う奴が、大勢の命や人生について論じようなんざァちゃんちゃらおかしいぜ、という訳だ。
契約要綱では全体的にロバートの裁量が大きくなったが、そもそもプチッと潰されずにマッチポンプ廃止の機会をもらえるだけ有情なのだし、和仁はロバートを信用していた。人類に対する考え方では相容れなかったが、ロバートの公平性は長い話し合いの中で実感できていた。時折垣間見せるよくわからないこだわりという名の人間性は、不安定さではなく、「ああ、この人はしっかりと人間の感覚を残している」という安心感を与えてくれる。
何よりも、是非は別にして、マッチポンプという超大規模で極めて繊細な調整や微妙な判断を要求されるシステムをたった一人(の意思)で二百年以上安定して運用してきた、という事実が、ロバートの不動の精神性をよく表している。契約を無為に破る事はない、と確信できた。そんな事をするぐらいなら最初から契約などしなければ良いのだ。
要綱を決め、細部を詰めにかかった二人だったが、そこにシルフィアが口を突っ込んできた。彼女は、マッチポンプの継続・廃止はエルフィリアの未来も大きく左右するのだから、エルフィリアの長である私が口を出すのは当然だ、と言った。それを言うなら他国の首脳陣も口出しして当然なのだが、そこはそれ。ロバートは借りも無ければ友人でも家族でもない連中をわざわざ呼び込んで面倒な論争を引き起こすつもりはなかった。
シルフィアは初対面の時点からあからさまに清場を敵視していた。彼女が求めるのは愛しのエルマー(とついでにその他の家族)との永遠の平和な生活。その安定を崩しにかかる「マッチポンプ廃止」を提案した清場は、許しがたい敵だった。
しかし清場はロバートに保護されていて強硬策は使えず、マッチポンプの廃止要求は正当な対価だと主張するロバートを説得する事もできなかったので、せめて契約内容を引っ掻き回す事ぐらいはしよう、と考えたようだった。
まず、シルフィアは和仁が転生(仮)して三十年を過ごすだけでマッチポンプの衰退を決める事ができる、という項目に対して異議を唱えた。
三十年間死にさえしなければ(二回死にさえしなければ)、例えどれほど堕落した退廃的生活を送っていても、無為で無価値な人生を送ったとしても、マッチポンプに関する決定権が与えられる――――これはおかしい。マッチポンプを継続するという結論になったなら問題ないが、廃止した場合、大きな混乱が起こる事は和仁も承知している。和仁はその大きな混乱に対して責任を持つべきである。和仁が原因で起こる混乱なのだから。
そしてもし、和仁がエーリュシオンで無気力な人生を送ったとしたら、その混乱に対処できる立場や経験を得られるとはとても思えない。
つまり、マッチポンプを廃止するなら、廃止後の混乱に対応できる程度の行動力、人脈、信頼などを二度目の人生の中で示さなければならない、という主張だった。
あれが間違っている、これは駄目だ、という糾弾は誰にでもできる。重要なのは、何がどう間違っていてどう駄目なのかを説明し、どうすればよりよくする事ができるのか代替案を出し、その代替案を実現できる、という事である。この三つの中で、和仁は代替案を実現する能力を証明できていない。
仮にも安定した平和を作り出し維持してきたのだから、それを半端な決意や実力で潰された挙句、廃止後の新しい社会の構築に失敗して人類が衰退するという事になったら憤りの一言だ。
だから勢いや口先だけではない事を証明して欲しい、というシルフィアの言葉はどう考えても建前で、なんでもいいからとにかく使えそうな理屈を並べ立ててマッチポンプ廃止を阻止しようという意図が透けて見えたが、清場は建前と分かっていても納得してしまった。確かに、これだけの大事を口先のやりとりだけで済ませてしまうのは不誠実だ。清場はエーリュシオンに来てから知識や記憶を語る事しかしていない。ガイアで培った行動力や正義感をエーリュシオンでも十全に発揮できる事は、身をもって証明して然るべきだろう。
清場の同意が得られるや否や、シルフィアは我が意を得たりとばかりに契約の修正案を出した。
一、乙は甲との契約後満三十年が経過した直後、甲に対し乙が行っている社会管理政策(俗に言うマッチポンプ)に関する全てを説明する義務を負う。
一、乙が前項の義務を遂行した後、乙は甲に対し甲が行っている社会管理政策の是非を問い、乙の解答に従い社会管理政策の続行、変更、廃止を行う。
一、甲が乙との契約後満三十年が経過する前に二度死亡した場合、乙は甲の肉体、精神、記憶を二度目の死亡直前まで戻した上で保護し、しかる後に甲に対し乙が行っている社会管理政策に関する全てを説明する義務を負う。
一、乙は前項の義務を遂行した後、甲の意見を考慮した上で社会管理政策の続行、変更、廃止を行う。
この四項目を削除し、
一、乙は甲が以下の条件を全て満たされた事を確認した場合にのみ、甲をエルフィリアに招待し、社会管理政策に関する全てを説明する。ただし甲が二度死亡した場合は蘇生も説明も行わない。
一、甲の命を狙う刺客の討伐(脅威に対する受動的対応能力の証明)
一、魔王の撃退あるいはリビングアーマーの破壊(脅威に対する能動的行動能力の証明)
一、フノジ大陸及びマホウ大陸の発見(情報収集・分析能力の証明)
一、エレメン教国、ナルガザン帝国、ノーヴァー連合国、エルフィリアの内、最低三国の指定された要人と一定以上の緊密な関係を持つ(社交能力の証明)
一、有事に際し、甲の決定により千人以上の動員を行える(統率・統治能力の証明)
一、精霊の指輪に用いられるものを除く四種類以上の魔質の所持(未知への探究心の証明)
この七項目を追加する。
全ての項目を満たすのは不可能に近い。だが、不可能ではない。これぐらいはできなければ世界の命運は委ねられない、とシルフィアは言った。
めんどくさくなりそうな気配を察して傍観の体勢に入ったロバートを横目に、清場は抗議した。方針としては概ね納得できる条件ではあったが、恣意的過ぎる。清場は契約に関する記憶を失って二度目の人生を送るのだから、例えば「フノジ大陸及びマホウ大陸の発見」などは、海洋に関する仕事や立場に就かない限り、契約の記憶が無ければわざわざ情報を集めようとも思わない。
そもそもの契約修正に同意した理由からして、清場が人生の中で無意識下であっても積極的に行動すれば、自然に満たす可能性がある、というような条件でなければ納得できない。
シルフィアは弁舌巧みに言いくるめようとしたが、清場の意思は固く、断固として譲らない。
話し合いは平行線をたどり、やがてシルフィアがイライラした様子で感情論を持ち出しはじめ、清場をある事ない事罵り出して言い争いに発展した。シルフィアのいちいち心を抉るようなトゲのある言葉に、最初は冷静に対応していた清場も気を悪くし、険悪な様相になる。そうなるとますます言い争いは決着から遠ざかった。
数日それが続き、あまりの不毛さに見かねたロバートが妥協案を出した。
清場が条件達成難度に対して大きく譲る代わりに、エルフィリアはマッチポンプ廃止後に他国に攻め入らない休戦期間を設けるようにしてはどうか、というものだ。
マッチポンプはロバートの管轄だが、エルフィリアという国はシルフィアが動かしている。実際、シルフィアはマッチポンプが廃止されるや否や各国を攻めて世界の覇権を握り、自分の思い通りに動かす、という事が可能だ。清場にとっては大きな悩みの種だった。頼みの綱のロバートは、そこは自業自得だから自分でどうにかしろよ(迫真)という態度なので、シルフィアがその気になれば止められる者はいない。それだけエルフィリアと他国には差がある。
シルフィアはこの妥協案を一蹴した。あくまでも押し切るつもりなのだと言わんばかりの居丈高な態度だった。対して清場はロバートの介入で冷静になり、実際問題そのあたりが落としどころだろう、と思った。条件を達成できなくなるリスクは高まるが、リターンはそれ以上に大きい。
清場はロバートの提示した妥協案を全面的に受け入れる形でシルフィアを説得した。最初は取り付く島もなかったシルフィアも、段々沈静化していき、最後には渋々とだったが承知した。不機嫌そうに改訂版契約要綱を確認し、ロバートに対して清場に甘い契約内容にしないように念を押し、去っていった。
シルフィアが去り際に微かに口元を吊り上げているのを見たロバートは、ハッと自分が上手く利用された事に気付いた。
シルフィアは清場への敵意を剥き出しにしている。敵意を隠そうと思えば完璧に隠せただろうが、隠して媚びるのが嫌だったのだろう。清場もシルフィアに良い印象を持っていない。そんなシルフィアから妥協案が出されれば、清場は抵抗感から更に交渉を重ねようとしただろう。その点ある程度の信頼関係があり、二人の言い争いを傍観していた第三者に近いロバートから妥協案を出させ、シルフィアがそれに噛み付けば、逆に清場はその妥協案が良いものであるように思え、支持する。ロバートがどんな妥協案を出すのかは、シルフィアなら予想できる。あるいはロバートが特定の妥協案を出したくなるように会話内容を調整するぐらいはしていたかも知れない。
わざと言い争いを不毛なまでに長引かせていたのは、見かねたロバートが妥協案を出すのを誘導するためだったのだ。
シルフィアは賞金を増額する代わりに、問題の難度を上げた。問題が解けなければ賞金を払う必要はないのだから、いくらでも賞金を釣り上げて問題の難度を上げればいい。
散々大嫌いな清場を罵ってスッキリした上で、自分に有利な契約を取り付ける。感情も実利も満たせる、質の悪い上手い手だ。割と頭の回転が早い清場も、二百年以上を生きるシルフィアには敵わない。手のひらの上で転がされた事にも気付いていない様子だった。
ロバートは清場にそれを言うのは止めておいた。イヤらしい手だったが、本質的にはシルフィアは自分の国の安全性を高めるために努力をしただけである。上手くノせられた清場の落ち度だ。
しかし最低限、シルフィアが契約を無視して他国を攻める可能性については、自分が責任を持って止めると請け合った。そこは家族の年長者の仕事だ。清場も六十万以上の個体を持つロバートの理不尽さな強さは理解していたので、その言葉を信用した。同時に、結局この契約の成立はロバートの善意に依存している事をいやが応にも自覚させられた。情けなかったが、そうするしかなかった。
最終的に、契約要綱は以下の内容に決まった。
一、清場和仁(甲)はロバート(乙)との契約に関する記憶を全て失う。
一、甲はビルテファ系標準型ホムンクルス五歳相当の肉体を得る。
一、乙は甲が前項を完了した後エレメン教国精霊殿前で意識を取り戻すよう取り計らう。
一、エルフィリアに所属する存在及びその同盟関係にある存在及びそのような立場であった経歴のある存在は、甲に対し契約外の目的で意図的に危害を加えてはならない。
一、甲の脳死あるいは心停止が確認された場合、乙は一度に限り復活後ただちに生命の危機が及ばない条件にて甲を蘇生させる。
一、ガイアにおいて甲の妻であった清場小雪(丙)の魂を乙が認識した場合、乙は無条件に丙に肉体を与え、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障し、丙が望むならば甲と面会させる。
一、乙は契約後の甲が望むならば甲に対し精霊魔法Lv3スペルまでを全属性解放する。
一、甲、乙の名称が変更されたとしても契約は失効しない。
一、乙は甲が以下の条件を全て満たされた事を確認した場合にのみ、甲をエルフィリアに招待し、社会管理政策(俗にいうマッチポンプ)に関する全てを説明する。ただし甲が二度死亡した場合は蘇生も説明も行わない。
一、甲の命を狙う刺客の討伐(脅威に対する受動的対応能力の証明)
一、魔王の撃退あるいはリビングアーマーの破壊(脅威に対する能動的行動能力の証明)
一、複数の特定情報の内、最低一つを入手する(情報収集・分析能力の証明)
一、エレメン教国、ナルガザン帝国、ノーヴァー連合国、エルフィリアの内、最低三国の指定された要人と一定以上の緊密な関係を持つ(社交能力の証明)
一、有事に際し、甲の意思により千人以上の動員を行える(統率・統治能力の証明)
一、精霊の指輪に用いられるものを除く四種類以上の魔質の所持(未知への探究心の証明)
二人は契約要綱を補足するように細部を煮詰め、清場和仁がエーリュシオンにやってきて二年目に入った頃、やっと契約を結んだ。
ロバートは話し合いをしていた清場和仁を消滅させ、代わりにコピー&セーブしていた「エーリュシオンに来た直後の清場和仁」の形質魔力をビルテファ系標準型ホムンクルス五歳相当の肉体に入れて記憶を脳にフィードバックさせる。
その肉体を精霊殿の前に置き去りにした一分後に、目を覚ました清場和仁の第二の人生は始まった。
なお、この契約について知っているのはロバートとその支配下にあるノーライフ達、ロバートの子孫のみで、一般エルフには「ガイア知識をもたらした偉人清場和仁は、肉体を与えられエルフィリアの外で暮らしている」という事だけが伝えられた。
最初の数年、ゼルクラッドを名乗るようになった清場和仁の行動の全ては完全にロバートの想定内だった。
精霊殿に保護され、アリアーニャやレインと仲良くなり、精霊魔法を身に付け、アンデッドが利用できない(しても意味がない)現代知識を広める。一番可能性が高いと踏んでいたルートだ。ちなみに中確率・低確率のルートとしては、通りすがりの市民に保護されるルートと、見知らぬ町を警戒して脱出し、しばらく野外で野宿しながら様子を伺うルートがあった。
想定内ゆえに、対応もし易い。ロバートはゼルクラッドと契約している精霊の体裁をとって、間近でゼルクラッドが契約条件を満たしているかどうかおはようからおやすみまで確認し続けた。精霊の指輪にはトラペゾヘドロン、ヒヒイロカネ、グブレイシアンが使われているが、契約には「精霊の指輪に用いられるものを除く」とあるので魔質所持とはカウントしない。一方で、ゼルクラッドがアウレオールス経由でシアン硬貨を手に入れたため、シアン硬貨に含まれるグブレイシアンは所持数一とカウントした。
シアン硬貨はエルフィリア外では珍しいが一応流通している。割と早い段階で手に入れた事は確かだが、魔質の入手はここからが難しい。簡単に手に入る魔質はグブレイシアン一種類しかないのだ。二種類目からは入手難度が跳ね上がる。
ゼルクラッドが転生(仮)して六年が経ち、そろそろエーリュシオンにも慣れて最低限に体も育ったと判断したロバートは、「甲の命を狙う刺客の討伐」のイベントをはじめる事にした。
前もって精霊殿に潜入させていた特製リッチ……クリエイト・ゾンビの時に36℃を保つ事で体温を再現したリッチ、パンナに指示を出し、ゼルクラッドを殺しにかかるように命じた。アンデッドを嗅ぎ分けて人間に警告する役目を負っているはずの精霊が手引きしているので、パンナの精霊殿侵入は造作もなかった。一応パンナは新種のアンデッドだから精霊に感知されなかった、というカバー設定を作っておく事も忘れない。
まず、パンナはロバートと相談し、ゼルクラッドに分かりやすい攻撃を加える事にした。
「甲の命を狙う刺客の討伐」の目的は、脅威に対する受動的対応能力の証明である。パンナは精霊殿に料理人として潜入していたので、ゼルクラッドのスープに毒でも盛れば確実に殺せただろう。しかしそれでは道端を歩いていて通り魔に刺されるのと同じだ。日常的に通り魔に警戒している人間がいたらちょっと精神を疑う。
だから、最初に分かりやすい攻撃で正体不明の敵対者の存在を知らせ、それからあの手この手で殺しにかかる。突発的に理不尽な脅威を叩きつけるのではなく、脅威の存在を知らせてからそれに対する対応能力を試す、というフェアプレイ精神である。結局手のひらの上で踊らせてるのにフェアプレ~もクソもないよね~、というロザリーのからかいは黙殺された。
通り魔が多発しているというニュースが流れていれば、日常的に通り魔に警戒してもおかしくはない。むしろ慎重な者なら警戒して当然。そんな訳で、パンナはとりあえず最初の警告の一撃としてゼルクラッドを死なない程度に攻撃する事にしたのだ。
パンナはゼルクラッドを攻撃するつもりだったが、射線上にアウレオールスがいたため、誤射してしまった。
ゼルクラッドに重症を負わせる程度に手加減したはずの一撃は、アウレオールスにクリティカルヒット。アルレオールスは即死した。
パンナはまさかの事態にキョドったが、ゼルクラッドに「脅威」は警告できたので結果オーライと考えて落ち着いた。問題は、キョドっている間に精霊殿からの脱出タイミングを逃し、精霊殿の中庭に集められてしまったという事だった。
でも正体バレたわけじゃなさそうだし、落ち着いてきたらこっそり逃げればいいかな、というパンナの甘い見込みは、精霊使い達の迅速な対応によって粉々に砕かれた。
精霊使い達の会議を傍聴していたロバート経由で、このままだと正体がバレると警告されたパンナは焦り、魔法で精霊殿の中庭にいた自分の周辺の人間達を巻き添えに爆発を起こした。当然、混乱は更に大きくなり、目論見通り急行した精霊使い達の犯人探しの手は緩んだ。
どさくさに紛れて周囲の様子をさりげなく探りながら、脱出のタイミングを測るパンナ。
しかし目ざといゼルクラッドに攻撃され、爆発を起こした時に自分を守るために張っていたバリアがその攻撃を弾いてしまった。正体がバレる。
今度のパンナの反応は早かった。
ゼルクラッドを殺すのが自分の仕事だが、流石にこの数の精霊使いに囲まれては袋叩きに遭う。一度態勢を立て直すのがベスト。元々逃げるつもりだったのだから、準備もできていた。即座に身体強化をして門に向かってBダッシュ。同時に背後に弾幕を張って牽制。
邪魔な門番の頭を吹き飛ばし、法術「天駆ける脚」で落とし穴を飛び越え、受けた攻撃はバリアで弾く。
そして逃げ切ったか!? と思ったところでテレポートして距離を詰めてきた何者かに体当たりを受けて組み付かれた。引き剥がそうと魔法を使いかけたが、自分に組み付いているのがゼルクラッドだと気付き、殺す方向に切り替える。しかし高温の炎で丸焼きにしてやろうと魔法を発動したとほぼ同時に投げ捨てられ、殺害は失敗した。
地面に落ち、立ち上がって逃げようとするが、立ち上がれない。いつの間にか関節を外されている事に気付き、ゼルクラッドの早業に驚いた。
自力では立てず、魔力も切れ、打つ手なし。
ロバートはやっちまったなぁおい、と呟くだけで、助けなかった。ロバートはパンナを助けようと思えばいくらでもできるが、だからこそパンナが詰むたびに助けていたらゼルクラッドはいずれ確実に殺される。今回はパンナを捉えるチャンスを見事に掴み取ったゼルクラッドの勝ちだ。
この時点で「甲の命を狙う刺客の討伐(脅威に対する受動的対応能力の証明)」の条件は達成された。
置き土産にそれっぽい捨て台詞をテキトーに吐いて、パンナは死んだ。
パンナが装備していた黒い指輪があるが、実はエンハンサイトと結合したグブレイシアンが使われている。この指輪を手に入れれば魔質所持カウントが増えたのだが(既にグブレイシアンは所持しているので、エンハンサイトだけ追加される)、ゼルクラッドは研究保管のために精霊殿に提供したので、カウントはされなかった。
パンナはゼルクラッドの人生が続く限りつきまとう謎の暗殺者ポジションになり、倒すとボーナスとして黒い指輪をドロップする予定だったが、初日で返り討ちに遭ったので色々と考えていた暗殺者系イベントは全て無駄になった。
予想外だったが、想定外ではなかった。ゼルクラッドの手際の良さに感心する余裕すらあった。エンハンサイトは精霊殿に保管されているのだから、いずれゼルクラッドの手に再び渡る可能性も残っていたし、何よりもパンナを初日で殺せたのは大きい。これからのゼルクラッドの死亡率はぐっと下がったと言える。
とはいえ、まだまだ契約条件を全て達成するにはほど遠い。
一方、アウレオールスの死体を故郷に送りに行ったゼルクラッドがエマーリオ邸の隠された地下室を発見したのは、完全に想定外だった。ロバートもシルフィアも、その地下室の存在を知らなかったのだ。エマーリオは秘密の地下室を二人から完璧に隠し通していた(※)。
ゼルクラッドが石畳の模様を解きはじめて数分で、最初「こいつなにやってんだ? 狂ったか?」と訝しんでいたロバートは行動の意味に気付き、地面をすり抜けて地下室に入った。中にあったものと石碑を読み、エマーリオの遺したものを知って、人外じみた深謀遠慮に驚き、呆れ果て、畏敬の念を覚えた。エマーリオは全てを予測していたのだ。
石碑の文章を解釈すると、
―――――――――――――――――――――――
いつかの時代、これを見つけた者に告げる
もし君が存在する時代において他者の意思の介在なく自在に超常的力を行使できるならば、これが持つのは歴史的価値のみである
もし君が存在する時代において音声、舞踏、儀式などによってのみ超常的力を行使できるならば、これは変革の鍵となるだろう
以下に後者の時代である事を前提として記す
まず君は自らの安全を確保しなければならない
無闇にこれの力を使用してはならない
無闇にこれについて吹聴してはならない
無闇にこれについて尋ねてはならない
これについての思索は可能な限り自己の内面で完結させる必要がある
さもなければ君は不幸な事故によって命を落とす事になるであろう
次に君はある種の力を手に入れる事ができる
台の上にある五つの容器を全て開封し、中の種を全て粗く砕いて飲み込む
さすれば凡そ三日後、君は力を手に入れるであろう
力を手に入れた君は世界の新たな要素を感知するようになる
君に素質があるならば、自身の要素に意識を向け、事象を想像し、現実のものとなる事を願う事で、要素を事象とする事ができる
ただし心せよ、素質の有無は到達に関係しない
君はこれを使用しても良いし、しなくても良い
君の行く先に幸あらん事を祈る
エマーリオ
―――――――――――――――――――――――
これが、
―――――――――――――――――――――――
いつかの時代、これ(石の容器の中に入っている魔力覚醒を促す種)を見つけた者に告げる。
もしロバートとシルフィアが魔法を世界に秘匿していなかった場合(魔力覚醒しているのが珍しくない世界であった場合)、これには歴史的価値しかない。
もしロバートとシルフィアが魔法を世界に秘匿していた場合(マッチポンプをしていた場合)、これは魔法の探求その他の、思想や発展を管理された世界では成し得ない事を成すのに役立つ。
以下に後者の状況である事を前提として記す。
まず君は自らの安全を確保しなければならない。
ロバートとシルフィアは何らかの方法で魔法の秘匿に気を配っているだろうから、魔力覚醒した事を言いふらすと口封じに殺される。
できる限り気づかれないように大人しくしていた方が良い(石碑の発見者に宛てた意味)。
大人しくするように忠告した事だし、石碑の発見者が魔力覚醒する事を許し、できるだけ始末は思いとどまって欲しい(石碑の発見者とほぼ同時に石碑を発見するであろうロバートとシルフィアに宛てた意味)。
次に君は魔力覚醒する事ができる。
台の上にある五つの容器を全て開封し、中の種(何かの処置を施して保存性を上げたムスクマロイの種を真空低温保存したもの。五つの種は全て微妙に施した処置や保存法が違うらしく、全ての種が劣化して魔力覚醒効果を失うという事態に対する予防になっている)を全て粗く砕いて飲み込む。
そうすれば約三日後、君は魔力覚醒する
魔力覚醒すると、魔力が感じ取れるようになる。
君の魔力密度が2.0mp以上なら、魔法(古代魔法)が使える。
ただし、もし魔力密度が低くて魔法が使えなくても、魔力圧縮やクリエイト・ゾンビ、死後のゴースト化など、魔法の可能性は幅広いから、自分なりに魔力の用途を探ると良いだろう。
君は魔力覚醒しても良いし、しなくても良い。
君の行く先に幸あらん事を祈る
エマーリオ
―――――――――――――――――――――――
こうなる。
ロバートはゼルクラッドが石畳を解き終えて地下室に降りてくるまでの時間を使い、なんとか考えをまとめて想定外の事態に対処した。
エマーリオが死を選んだのは、個人的な信念が理由だ。自分が不死を手に入れると、数百年の期間で見れば多大な利益や成果を生み出すが、それは同時に一人の人間の理論や思想、研究が世界に大きすぎる影響を及ぼす事なる。それは健全ではないし、何よりも千年、万年の更に長い期間で見れば、むしろ思考の多様性の低下や硬直化によって利益や成果は少なくなる、と分析したのだ。
そして恐らくそれは正しい。現にロバートやその一派によってマッチポンプ体勢が敷かれたエーリュシオンは、発想力不足という問題を抱え、まさにエマーリオが危惧したような状況に陥っている。
エマーリオはこのような自分の思想、考え方をあくまでも自分の内に留めた。ロバートやシルフィアに、これこれこういう訳だから不死はよくないだとか、一個人が世界に大きすぎる影響力を持つのはダメだとか、説教をしなかった。エマーリオのスーパースペックなら、説得して改心させようと思えば簡単にできたはずだ。しかし、システマチックに平和や安定を重視するロバートや、個人的な欲望を剥き出しにして不死を選んだシルフィアの思想を尊重し、自分の考えに染める事はしなかった。
だから、エマーリオが自分の意思を尊重してくれたように、自分もエマーリオの意思を尊重しよう、とロバートは自然に思えた。エマーリオが遺した未来への可能性――――魔力覚醒は、エマーリオの希望通りに石碑の発見者、つまりゼルクラッドに与える事にした。
石の容器の中身はどうやらエマーリオ独自の処理が施されたムスクマロイの種らしいとわかったので、エルフィリアで栽培しているムスクマロイの種とすり替え、エマーリオの遺産の種は研究塔に送って分析を始めた。石の容器の中身は要するに魔力覚醒するためのものなので、エマーリオが遺したものでもエルフィリア産のものでも本質的には変わらない。分析の結果、極めて単純かつ効果的な、まさに発想の勝利と言うべき保存処理がされている事が分かったのだが、それは置いておく。
ゼルクラッドが魔力覚醒してから一連の出来事を知らされたシルフィアは、なんとも形容し難い複雑な顔をした。
シルフィアにとって、ゼルクラッドを魔力覚醒するのはとんでもない事だ。世界の真実に気付いてしまう可能性がぐんと上がるし、エルフィリアの脅威にならないとも限らない。その一方で、尊敬する祖父が後世に遺したチャンスを自分の都合で潰してしまうのは心が痛い。自分の警戒心に従うか、祖父への敬意に従うか。
悩んだシルフィアは、「ゼルクラッドを魔力放出の訓練(俗に言う古代魔法を効果的に使うための訓練)をするように誘導する」という妥協案を出した。祖父の意思を尊重しつつ、せめて魔術を発見されるのだけは防ごうと考えたのだ。
ゼルクラッドがまんまと誘導に乗り、魔力放出の訓練を積んでそれに固執するようなら、しょせんそれまでの人間という事。真に魔力を活用できる器ではない。
ロバートもシルフィアの意見に同意した。他人に言われるままに動く人間に画期的な発見はできない。
果たして、ゼルクラッドは「器ではない」人間だった。あっさりと誘導に乗り、魔力放出の訓練を始めた。独自に古代魔法について調べたり、細々とした検証や研究はしていたが、ロバートとシルフィアの目を引くような目新しい事は何もしなかった。
もっとも、ゼルクラッドは突飛な発想をしたり新しいアイデアを生み出したりするのが苦手な分、高い行動力や論理的思考能力を持っている。魔力の新しい領域は開拓できなくても、古代魔法を上手く使いこなす事はできそうだった。
「複数の特定情報の内、最低一つを入手する(情報収集・分析能力の証明)」は、この発見によって満たされるものとした。ロバートやシルフィアですら想像もしなかった、あのエマーリオが隠したものを発見したのだ。情報収集・分析能力の証明としては最高の結果を出したと言って良い。
ロバートに時代を超えた死角からの一撃を加えた一連の騒動は、秘密の地下室を十分に調査した後崩落させて潰し、ゼルクラッドの精霊殿への帰還を確認した事でひとまずの決着を見た。
魔王城攻城戦は「魔王の撃退あるいはリビングアーマーの破壊(脅威に対する能動的行動能力の証明)」の条件を達成する絶好のチャンスだった。
ゼルクラッドは道中でリビングアーマーを破壊しなかったので(そもそも破壊を可能とする手札がなかった)、条件達成は魔王の撃退に懸かる。
魔王の正体は無数の貌を持つロバートであり、どの程度のダメージや攻撃で撃退するか、という目安を作るのが難しかったので、魔王は寄り代となる邪悪な秘宝を守っていて、それを壊されると逃げていく=撃退成功扱い、という設定にしてあった。撃退に成功した場合、パンナの場合と同じように魔質を一種類(タルコフを使ったペンダント)入手するチャンスがある。
ロバートは道中の襲撃を乗り越えて魔王城にたどり着いたゼルクラッドに、最強の剣士エルマーを差し向けた。「甲の脳死あるいは心停止が確認された場合、乙は一度に限り復活後ただちに生命の危機が及ばない条件にて甲を蘇生させる」の条件を適用させる、つまりセーブデータを消すためである。マッチポンプの片翼を担う魔王を討伐しようというのだから、これぐらいのリスクは負って然るべきという考えだった。魔王城を攻めた際のエルマー来襲は契約内容にも明記され、清場和仁は合意している。
エルマーは防具無し、愛用の覇道剣&勝竜剣も使わないという舐めプ仕様だったので、一応ゼルクラッドが生き残る可能性もないとは言い切れなかった。契約では三度攻撃を当てればエルマーは撤退する事になっている。
結果は至って順当で、ゼルクラッドが自分の死亡と引き換えにエルマーの腹部に薄皮一枚の斬撃を入れて終わった。役割を果たしたエルマーは、皇帝サフカナとゼルクラッドとそこそこやりごたえのある斬り合いができて満足し、撤退。ゼルクラッドは精霊の指輪経由で記録していたセーブデータを使い復活。精霊の指輪は死亡ペナルティでボッシュート。
エルマーが去った後は討伐隊が押されに押され、このままゼルクラッドが二度目の死亡もあるかと思われた。
しかしゼルクラッドが大雑把に見当をつけて撃った古代魔法が、壁を突き破って「魔王の寄り代となる邪悪な秘宝」にクリティカルヒットした。これにはロバートも驚いた。まるでしっかりと目視して精密射撃したような正確さと絶妙な威力で、邪悪な秘宝(笑)は一撃で破壊された。
魔王城の城内でゼルクラッドが侵入してきたらどう迎え打ってやろうかとわくわくしながら準備していたロバートは、準備を台無しにされて軽く泣きそうになった。だがラッキーパンチだったとしても契約を達成した事に変わりはない。「魔王の撃退あるいはリビングアーマーの破壊(脅威に対する能動的行動能力の証明)」は完了である。
ゼルクラッドの魔法攻撃は魔王城の要の部分を壊したらしく、魔王城は激しくぐらついた。すぐに連鎖的に城の崩壊がはじまると知ったロバートは、どうせなら派手に行こう! と吹っ切れ、わざと魔王城内部のあちこちを爆破して崩壊を一気に進めた。アクション映画さながらに華々しく崩壊する魔王城は、すぐに瓦礫の山に変わった。魔王撃退のドロップアイテムとして用意したタルコフペンダントとエクスカリバーは瓦礫に埋もれた。ゼルクラッドはこれで二度魔質獲得のチャンスを逃した事になる。
崖から転がり落ちたゼルクラッドと、なんの偶然か合流したサフカナを、ロバートは遠巻きに監視した。ゼルクラッドは精霊と精霊の指輪を失っているので、堂々と精霊の姿で監視するわけにはいかず、魔力が視えている以上、距離をとらないと怪しまれる。ゾンビオオカミやアニマルスケルトンなどをうろつかせて注意をそちらに引きつける作戦が上手くいき、ロバートは最後まで見つからなかった。
遠くから見ていたのではっきりとは分からなかったが、二、三回は死ねる怪我を負っていたサフカナがみるみる元気になっていくのは把握できたし、サフカナが妙にゼルクラッドにスキンシップを多くとっているのにも気付いた。リア充生きろ、と思った。これだけの事をやってのけたのだから美人に惚れられるぐらいの役得はあっても良い。ゼルクラッドは役得だと思っていなかったが。
ゼルクラッドが魔王城から精霊殿へ向かっている頃、エルフィリアではテウルスタがゼルクラッド支持派に転向した。最初は単なる理想家か夢想家だと思っていたが、実際に数々の難題をクリアしていくのを見て、こいつはただものじゃない、こいつには、やると言ったらやる………『スゴ味』があるッ! と思い直したらしい。
テウルスタはシルフィアに隠れてロバートに手引きしてもらい、精霊使いのリジットに化けて精霊殿に潜入。帰還したゼルクラッドと面通しをし、更に軽くハグをして「緊密な関係を持った」と強弁できる接触を持った。
これにより、ゼルクラッドはエレメン教国の要人(第六代大司教トリーアやリジット(真)など)、ナルガザン帝国の要人(皇帝サフカナ)、エルフィリアの要人(エルフの王子テウルスタ)と親しい関係になった。「エレメン教国、ナルガザン帝国、ノーヴァー連合国、エルフィリアの内、最低三国の指定された要人と一定以上の緊密な関係を持つ(社交能力の証明)」が達成された事になる。
テウルスタは精霊殿を出て物陰でリジットの変身への解除した時、パルテニアを観光中だったシルフィアとばったり出会ってしまい、何をやっているのかと問いただされ、やらかした事が即バレした。
シルフィアは激怒した。ロバートはロバートだから仕方がないとしても、まさか自分の息子がゼルクラッドの味方をするとは思いもしていなかったのだ。全身の痛覚神経を引き摺り出して酸に浸してやりたい、と言わんばかりの魔王よりも魔王らしい顔で睨まれたテウルスタはしめやかに失禁した。
シルフィアはロバートの必死のとりなしでテウルスタへの悪魔的な罰は辛うじて思いとどまった。テウルスタは既に大学を卒業し、研究塔の研究員として働き始めている。もう自分の事は自分で判断する大人なのだ。いくら親子とはいっても、テウルスタの判断にシルフィアが罰を与えるのはおかしい。
テウルスタはほとんど精神攻撃レベルの説教を十二時間受けるだけで済んだ。説教から解放されたテウルスタはアンゼロッタが何度も生きているか脈をとって確認するほど生気の無い虚ろな目をして口の端から涎を垂らしていた。三日ほどで大体正常な精神に戻ったあたりにシルフィアの身内への手加減を感じさせる。
帝国武術大会のレインとゼルクラッドの死闘は、なぜそうなったのかロバートには意味不明だった。レインは自分の悪感情を喋りも書きもせず徹底的に隠し通していたので、観察はできても心が読めるわけではないロバートには分からない。レインが尋常ではない様子でゼルクラッドを本気で殺しに行った事だけが分かっていた。
治療され、宛てがわれた部屋のベッドの上でじっと天井を見上げているレインはとても正気には思えなかった。
ロバートはレインを誘拐する事にした。ゼルクラッドは想定通りに動いたかと思えば、偶然なのか必然なのか想定を上回る動きを挟んでくる。不確定要素を持っている事が判明したレインを放置しておけば、ますますゼルクラッドの動きが予想し難くなる。
契約にはレインの安全保障は含まれていない。ロバートは浚ったレインをエルフィリアに転送し、シルフィアにカウンセリングを頼んだ。
テウルスタを言葉責めだけで発狂ギリギリまで調整して追い詰める事ができるシルフィアなら、レインの精神を正常に戻す事もできるのではないかと思ったのだ。
しかし能力は一級品でも性格が悪いのが心配だった。くれぐれも八つ当たりに使ったり、途中で飽きても放置したりしないように言い聞かせた。シルフィアとしてもほとんど不可能と思われた契約を次々と達成していくゼルクラッドに脅威を感じ、ゼルクラッドに関わる不確定要素は調べておきたいと思っていたため、渡りに船だった。
不安に思ったロバートが時々経過を見に行ったが、シルフィアは驚くほどの(完璧に本性を隠しきった)包容力と優しさを見せ、レインの心をゆっくりと解きほぐしていっていた。
魔王城の瓦礫に埋もれた聖剣エクスカリバーはロバートが回収した。内蔵されている灰魔核(古いロバート)の希望もあり、『杖』としての機能その他を追加して皇帝に渡す事になった。
建前は灰魔核を帝国皇帝の見張りにつけるためで、本音はそうした方がファンタジックで面白いからだ。
エクスカリバーを皇帝に渡す役目は、ちょうど卒業旅行で帝都ラケダイモーンに行く予定だったアンゼロッタに任された。シルフィアにくれぐれもゼルクラッドに絆されないようにと念を押されたアンゼロッタは顔を青くしてこくこく頷いていた。説狂されたテウルスタの有様を見ていただけに脅しの威力は抜群だった。
アンゼロッタがゼルクラッドと合流する前、サフカナはゼルクラッドの頼みでレイン捜索のために兵を動かした。まさかと思い、帝国軍高官の地位に就いているホムンクルス経由でそれとなく探りを入れてみたところ、サフカナはゼルクラッドが頼めば躊躇いもなく帝国全軍を動かす事が判明した。惚れた弱みである。
これにより、「有事に際し、甲の意思により千人以上の動員を行える(統率・統治能力の証明)」が間接的に達成されている事が判明した。
これで契約最後の砦、「精霊の指輪に用いられるものを除く四種類以上の魔質の所持(未知への探究心の証明)」以外は全て達成された。
最早偶然では済まされない。何か強大な力、運命のようなものがゼルクラッドに味方しているようにすら思えた。ロバートをして「こいつ絶対主人公だろ」と言わしめる運命力。
しかしゼルクラッドが得体の知れない力に動かされているのではなく、微かな揺らぎやきっかけを掴み取る実力を示してきたのもまた事実だった。
的確にパンナを追い詰めた手際。
エマーリオ邸の石畳に違和感を抱き、解き明かした頭脳。
前世の記憶にあぐらをかいて地道な訓練をサボっていれば、サフカナはゼルクラッドに惚れなかった。
シルフィアがゼルクラッドを潰すために契約に捩じ込んだ無理難題の数々は、かえってゼルクラッドの力をグウの音も出ないほど見せつける事になったのである。
アンゼロッタは魔法を使ってカストル城執務室に侵入し、エクスカリバーを配達した。
この時ゼルクラッドがレインの行方について尋ねたが、アンゼロッタは母が最近熱心に紫髪の青年に構っている事は知っていたが、それがレインだとは知らなかったため、知らないと答えた。
ゼルクラッド達がレインを探して帝都の死霊教徒本部に行く事をエイワス→ロバート経由で知ったシルフィアは、正気に戻りつつあるレインから上手く聞き出した事情を説明し、ゼルクラッドをレインに会わせないようにロバートに進言した。会ってしまえば今度こそ取り返しのつかない心の崩壊を招くと言うのだ。
レインはエルフィリアに匿われているとは言え、ゼルクラッドの二度目の人生の数々の実績を思えば、探し当てないとも限らない。ロバートはそれもそうだと頷き、一計を案じ、死霊教徒本部にレインの死体の偽物を設置し、レインはもう死んだと思わせる事にした。
ゼルクラッドが戦った司祭が持っていたミスリルの盾は、帝都の死霊教徒本部の切り札として置いてあったものだ。ちなみに教国の死霊教徒本部にはマテリア、連合国の死霊教徒本部にはオリハルコンの剣がある。もちろん、これを手に入れても魔質の所持にカウントされるが、入手は難しい。魔法を使い、近接格闘に長けた司祭と狭い空間で戦うのだから、普通に死んでもおかしくない。
しかしと言うべきか、やはりと言うべきか。ゼルクラッドは司祭を攻略し、ミスリルの盾を手に入れた。しかも意図したものではないはずだが、水素爆発の時にチオチモリンを生成して入手するオマケ付き。
ミスリルの盾を手に入れた時点では、魔質は「シアン硬貨に含まれるグブレイシアン」「盾のミスリル」「体に付着したチオチモリン」の三つしか所持していなかった。まだ一つ足りない。しかも体に付着したチオチモリンは、放っておいても蒸発するし、服の間に入り込んだり染み込んだりした分も着替えて体を洗えば確実に完全に無くなるため、所持カウントはすぐに二つに戻る。
アンゼロッタがアムリタを出してレインの偽物の頭部を消した時、ロバートは自分の失策を悟った。
アンゼロッタの行動はせっかく立てたレインの偽装死計画を台無しにするものだったが、この計画は死霊教徒本部突入の直前になってから立てられたもので、アンゼロッタには知らされていなかった。何かの拍子にミスリルの盾に触れても擬似物質でできた偽物の頭部は消えるので、そもそも急ごしらえの杜撰な計画だったといえる。ロバート、痛恨のミス。
そしてそのミスから派生したチャンスを逃さずに掴むのがゼルクラッドである。レイン生存の可能性を悟り、シアン硬貨を使ってアムリタを入手した。これにより、グブレイシアン、ミスリル、チオチモリン、アムリタの四種類の魔質を所持した事になり、「精霊の指輪に用いられるものを除く四種類以上の魔質の所持(未知への探究心の証明)」を達成した。
とうとうゼルクラッドは全契約条件を満たした。
ロバートやシルフィアはもちろん、契約を交わした清場和仁でさえ、ここまで順調に短期間でクリアできるとは思っていなかった。
ゼルクラッドはロバート代理のエイワスから招待を受け、エルフィリアに行く事になる。道中で命を失う危険がある東の森を通過するが、用心深い清場和仁は先導役を付けて危険を回避する事を契約にしっかりと含めていた。
アンゼロッタの先導でゼルクラッドがエルフィリアに移動する間、シルフィアはゼルクラッドの華々しい活躍の犠牲者とも言えるレインの惨状を盾にとり、こんなひどい事をしておいてそれに気付かないような人間に世界の命運は任せられない、契約は破棄するべき、と主張したが、流石に通らない。
自分で契約の改善を提案しておいて、それが達成されたら今度は後付けの理由で契約を無効にしろと言う。そんな馬鹿な話はない。シルフィアはかなり粘ったが、自分でも無理があるという自覚はあったらしく、最後には渋々引き下がった。
エルフィリアにやってきたゼルクラッドを、ロバートは努めていつも通りに振る舞いつつそわそわチラチラと観察した。
契約上、条件が全て達成された以上ロバートはゼルクラッドに対するマッチポンプの説明とその是非を問う義務が発生するが、契約の細部を確認したところ、ゼルクラッドがロバートに話しかける前に偶然死亡すれば、「ただし甲が二度死亡した場合は蘇生も説明も行わない」が適用され、マッチポンプは護られる、と解釈できる事をシルフィアが指摘していた。
突然心臓麻痺を起こしたり隕石が当たって消し飛んだりすればまだワンチャンスある。
が、もちろんそんな奇跡というか悪運に襲われるはずもなく、ミスカトニック大学前でゼルクラッドがロバートに話しかけた瞬間に儚い望みはあっさり潰えた。
観念したロバートは屋敷にゼルクラッドを連れて行き、全てを説明した。
あとは真実を知った清場和仁がマッチポンプをどうしたいと言うのか、その一点にかかっている。
※この地下室は一章十六話でロバートがブレーメンごっこしていた地下室とは別。