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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
四章 コインの裏表
118/125

零話 これからの「マッチポンプ」の話をしよう―エルフィリア白熱教室―

 ガイアからエーリュシオンに渡り、一時的にゴーストとなった清場和仁が全ての知識をロバートに口述するまでに、およそ一年を要した。ゴーストはその気になれば不眠不休で動ける体を持っているが、精神的にはそうではない。一日のうちで口述に費やした時間は十六時間ほど。それでも一年間で約六千時間となり、文字数にして約一億五千万字。平均十万字のライトノベル換算で1500冊分である。

 語学、経済学、政治学、医療、哲学、詩、歌劇、占い、娯楽文学、植物学、地学、工学、エトセトラ。ほとんどあらゆる側面からガイアの文化を説明するに足るその知識量は圧巻で、エルフィリアに激震を起こした。


 例えば、生物の分野の一つ、培養。培地の作成法から滅菌法、用いる器具、実際の実験操作の注意点など、基盤がしっかりとした正確な知識が山ほどもたらされ、菌類や細胞を従来とは比較にならない精度で安定的に培養できるようになった。

 魔法の弱点は認識できない事はできない事である。目に見えない微小な菌・細胞の培養に関しては正にその弱点が当てはまり、魔法は役に立たない。また、微小な菌・細胞は大きさ相応に精製する形質魔力の量が極端に少なく、形質魔力の採取や構造特定は不可能だった。従って魔力鎖の構造が分からなければ何もできない魔導も、培養には役に立たない。法術や錬金術も培養には役立たなかった。

 そこに科学知識の流入である。停滞していた研究は一気に加速し、ロバート数千体を投入して未知の細菌や菌の研究が行われた。有用な特定物質の抽出、病原体の特定などはすぐにエルフィリアに直接的利益を与えたし、長期的に見ても素晴らしい成果の源になり続ける事に疑いの余地はない。

 狭い一分野に絞って簡潔に評価してもこれなのだから、全体でみればエルフ社会の文化、技術に狂乱を引き起こしたと表現しても良いほどだ。


 この科学革命とも言うべき現象を起こした莫大な知識の価値について論ずる上で重要なのは、清場和仁の知識は人口が飽和しそうになっていた地球の人類の結晶であるという事だ。

 エルフの人口は約二千人。そのうち研究職に就いている者は八十人弱。ゾンビやヴァンパイアを含めても百人程度に収まる。人口比としては素晴らしく多いが、それでもたったの百人。

 対して、二十一世紀初頭の地球。世界人口は七十億人を超え、研究者数は少なく見積もっても五百万人を下らない。エルフの五万倍である。

 研究や発見の99%は地道な実験や検証によるものだが、残りの1%は発想や偶然に大きく依存する。1%がなければ99%は無駄になる。エルフ社会では99%の部分はロバートが担う事で解決するが、キッカケとなる重要な1%を産み出すのが百人しかいない。

 更にエーリュシオンではマッチポンプによってエルフィリア以外の技術発展が意図的に抑制されているため、最先端の研究ができるのはエルフだけ。エーリュシオンでは、自分では研究しているつもりになっているマッチポンプの犠牲者を除くと、本当の研究者は百人に絞られる。

 つまり、細かいファクターを無視して大雑把かつ単純に考えれば、地球ガイアにおける研究や発見はエーリュシオンの五万倍のペースで進むのだ。流石にそのまま地球の一年分の発展がエルフィリアの五万年分の発展に換算される事は無いにしても、哀れみを覚えるほど歴然とした差があるのは間違いない。

 科学以外の文化や芸術で見ても、エルフが積み上げてきた歴史と地球の人間社会の歴史では年月だけでも軽く十倍の開きがある。


 地球の知識をロバート達が地道な研究で得ようと思ったら、百年、二百年どころではない途方もない歳月と労力が要る。それが一挙に解決した奇跡。

 清場和仁はエルフィリアにとって正に天の助けだった。


 ところで。

 ロバートは地球ガイアからやってきた形質魔力=魂を捕獲し、擬似的に肉体を与え、情報を引き出すのだが、その時に地球ガイアからの来訪者に対して次のような条件を提示する。



・提供した情報の質と量に応じ、相応の対価を与える



 和仁の前にもロバートとこの取引を交わした地球ガイアからの来訪者は何十人もいた。その内数人は限定的ではあるが貴重な情報を持っていたため、対価として肉体を与えたり、恒久的な金銭の支給を約束したり、別の惑星への移住を許可したりしている。

 そういった前例と比べて、和仁が提供した情報の質と量は天と地ほど差があった。

 ロバートが提示した条件――――契約を反故にしないのなら、眩暈のするようなすさまじい対価を支払わなければならない。仮にエルフィリアの支配権を求められでもしたら(守るべき最低限の項目と期間は儲けるが)断われない。


 シルフィアは契約など破棄してしまえばいい、と主張した。いくらなんでも与えるべき対価が大きすぎる。

 幸い和仁とロバートでは武力的・政治的力関係に圧倒的というのも生ぬるい差がある。和仁のエーリュシオンでの立場を保護しているのはロバートであり、ロバートがそうしようと思えば容易く抹消できる。それに対して文句をつける者はいないだろうし、いたとしても簡単に消す事ができる。知識の口述が終わった時点で、和仁の存在はエルフィリア上層部のほんの一握りしか知らなかった。そして上層部はシルフィアの傀儡である。反対はないだろう。


 が、ロバートは契約は履行すべきだと強硬に主張した。

 ロバートは必ずしも誠実ではなかったが、卑怯でもなかった。契約通り、相当無茶な願いでも聞き入れるつもりだった。和仁はそれだけの価値のある情報をもたらしたのだ。とんでもない対価を支払っても、長期的に見れば十二分に回収できる。決して契約破りは正義に反するとか、情報を絞ってポイは人道的に間違っているとか、そんな理由ではない。単なる打算だ。収支がプラスなら許容範囲。和仁の案件は少し規模が大きいだけ。


 エルフィリアの総力を挙げてガイアへの帰還方法を研究してくれと頼まれたら、そうする。

 居住可能な星が欲しいと頼まれれば、適切な星を探しテラフォーミングして提供する。

 全人類を奴隷にしたいというなら、百年程度に期限を切った上で手配する。

 性格的に最後の願いはあり得ないが。


 だから、和仁に対価として「マッチポンプの廃止」を要求された時、ロバートは戸惑った。


 一年の間、知識の口述の合間に度々交わした雑談の中で、和仁が善良で誠実、そして分別のある人物であり、平和を望んでいる事は察していた。故に分からない。ロバートは、現状のエーリュシオンをかなり平和な世界だと見なしていた。その平和はマッチポンプの上に成り立っている。


 重犯罪者をアンデッドとする事で更なる犯罪を抑止し、また、労働させる事で社会の役に立たせる。悪事を働くとアンデッドになり魔王に支配されるという恐怖から、犯罪率は非常に低い。人々が日常的に感じる恐怖感は長いマッチポンプの中で調整し、ストレスにならず、かつ充分な抑止効果を発揮するレベルに保たれている。

 精霊によって利便性の高い手段を提供し、急激な発展を抑制。じっくりと確実に発展させ、発展に伴う歪みを細やかに密かにフォロー。

 マッチポンプによる犠牲者もいるが、その大部分は利益を生む犠牲であり、トータルでの死亡数・幸福・利益はプラスになるようにかなりの余裕をもたせて管理されている。

 人々は管理され安定した幸福を享受するが、誰も管理されている事に気付かない。


 マッチポンプを行わなかったらどうだろうか。

 犯罪率は上昇するだろう。技術は急激に発展していき、ガイアで様々な革命が歪みや流血を生んだように、エーリュシオンも同じ道を辿るだろう。いや、科学だけではなく魔法も存在する分、歪みはより大きなものになるかも知れない。理不尽は増え、救済は減り、苦痛に喘ぐ人間は確実に増え、幸福を享受する人間は確実に減る。


 マッチポンプの改善案ならば理解できた。だが、単純に止めろというのは全く理解できない話だ。

 ロバートは和仁が何か勘違いをしているのかと思い、もう一度マッチポンプによって生じる様々な利点欠点について、具体的なデータを交えながら、包み隠さず分かりやすく丁寧に説明した。

 和仁はそれを静かに聞き、言った。


「マッチポンプの理屈はわかりました。ですがロバートさん、あなたは人間の尊厳を考えていない」

「尊厳……? いや、確かに人間を騙して操ってる自覚はある。でも結果的に幸福になるならいいだろ。優しい嘘ってやつだ。本人達は操られてる事に気付いてないんだし、尊厳を侵されてるって意識もない。ノー・プロブレムだ」


 和仁はため息を吐いた。ロバートはますます分からない。


「典型的な功利主義ですね。納得しかねます」

「功利主義……『行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用によって決定されるとする考え方』だったか」

「はい」

「いや、別に良いんじゃないか? 功利主義のどこが拙いのか分からないんだが」

「そうですね、原理を説明しても分かってもらえそうにありませんし……では『幸福の町』の例を出しましょうか。あるところに幸福に溢れた町があったとしましょう。その町に住む住民は誰もが笑顔で、幸福で、満たされています。そしてそれが永遠に続くと知っている。しかし一方で、町の地下室には一人の少年が閉じ込められています。少年には何の罪もありませんが、日々虐待され、苦しみ、世の全てを憎み、絶望しています。町の幸福は少年が苦しんでいる限り維持されますが、少年がほんの一時でも救われると、町の幸福は瞬時に崩壊し、永遠に戻りません。そして町の住人は皆これを知っています。さて、この町の状態は正しい事だと思いますか?」

「思う」

「  」


 ロバートが即答し、和仁は絶句した。


「え? いや、あのですね、前提として少年に罪は無いんですよ? 何も悪い事はしていません。法律的にも道徳的にも一切の悪事は働いていません。少年は間違いなく苦しんでいて、現状を受け入れず、脱出したいと思っているんですよ。理不尽だと思わないんですか?」

「そりゃ理不尽だとは思うさ。でもな、少年が苦しんだ分以上の幸福が町にもたらされるならそれは正しい事だろ。まあ少年が自力で脱出して復讐に走る可能性とか、外部の人間が少年を発見して解放して事態が発覚し、町人が非難を受ける可能性とか、少年の処遇を巡って意見が対立して町が割れる可能性とか、現実的には色々問題が付きまとうんだろうが、その仮定の上なら何も問題はない。

 ああ、言いたい事は分かる。自分が少年の立場になったらどうなんだ、だろ? もちろん嫌だ。俺は大多数の幸福のために自分が犠牲になるほど献身的じゃないんでね。しかし理屈は分かる。俺が少年の立場だったら当然脱出しようとするし、町人に復讐しようとする。もし解放された後、今度は自分以外の誰かを犠牲にする事で『幸福の町』を維持できるというなら、俺はそうする。個人の意思と全体の利益は往々にして反目するもんだ」

「ロバートさんは実際に少年の立場になった事がないからそう言えるのでしょう?」

「そういう和仁も少年の立場になった事ないだろ」

「それはそうですが、そういう問題ではなく……ああ、どう言えば良いのか」

「いや、言いたい事は分かる」

「分かっていません。分かっていたら幸福の町を肯定はしない」


 和仁がもどかしさと苛立ちを感じているのは分かったが、ロバートは全く共感できなかった。俺はまだマトモな精神してると思ってたが、ひょっとしてそうでもないのか? と、内心首を傾げる。


「そうかぁ? ……まさかお前、父親と母親、どちらかしか助けられず、どちらかは必ず死ぬ。どちらを助けるか、って聞かれた時に両方とか答えないだろうな」

「まさか。そこまで青くはないですよ。ただ、ギリギリまで両方助ける手段を模索しますし、そもそもそんな状況に陥らないように努力します」

「おお。良かった、話は通じてるんだな」

「通じていますよ。えー、と、つまり、私が言いたいのはですね、幸福の追求にも手段を選ぶべきだ、という事です」

「選んでるだろ。俺だって人間捕まえて脳内麻薬ぶち込んで『この人間は幸福感じてるから幸せ!』なんてほざいたりはしてないぞ。パラノイアじゃないんだから」

「それは極端過ぎる例ですが、方向性は間違っていません。キツイ言い方になりますが、この世界エーリュシオンの人間は家畜小屋で餌を与えられている満足している豚にしか思えません」

「え? いいじゃん」

「え?」

「え?」


 二人はきょとんとして顔を見合わせた。お互いに相手の言っている事が飲み込めなかった。


「あれ? あ、言い方がおかしかったですかね。マッチポンプで人類は思想から根本的に誘導されていますよね? 幸福を与えられ、不幸は排除され、悪い人間は間引かれて、管理されて、しかしそれに気付いていない。これでは家畜同然でしょう。豚は人間に餌を与えられ、都合の良いように飼育されて、飼育される以外の生き方を想像すらできていないでしょう。人間は家畜ですか? 違うでしょう?」

「はぁ。なんだお前、動物は人間のごはんじゃないとか言っちゃう人か? 家畜に神はいない?」

「違います。そういう何か勘違いした人と同一視するのはやめて下さい」

「冗談だ。まあマジレスするとガチで家畜もそう悪くないぞ。奴らは病気にかからないように物凄く気を遣って貰えるし、何もしなくても毎食餌が出てくる。外敵から厳重に守られていて、屠殺以外で死ぬ心配はまずない。野性の動物は病気の予防なんてあったもんじゃないし、餌を自分で獲れないと餓死するし、外敵を常に警戒しないといけないし、死亡フラグがゴロゴロしてる。長生きする可能性はあるが不慮の事故でぽんぽん死ぬ野生動物と、長生きしない事が確定しているが一定の時期になるまではまず死なない家畜。どっちもどっちだと思うね。むしろ種全体の安定性の面だと家畜の方が上かもわからん」

「家畜に自由がなくても? 自分達ではない何者か、家畜の場合は人間ですが、人間に生殺与奪権を握られているとしても?」

「自由を対価に安全買ってるじゃねーか。人間だってそうだ。納税の義務を負うって形の不自由を受け入れる代わりに色々サービス受けてる。見事な取引だと感心はするがどこもおかしくはないな」

「エーリュシオンのマッチポンプでは取引をしていないでしょう。一方的に押し付けているだけです」

「じゃあ豚とも取引しろってか?」

「いいえ、彼らは取引の概念を理解できる知能をもっていません。十分な意志疎通をできる精神性を持った存在ではないですから、取引の必要はありません。が、ロバートさんと人間はそうではないでしょう。ロバートさんは元人間ですし、今私とこうしているように人間と十分な意志疎通が可能です。もしこの世界の人間が管理された幸福を享受する、つまりマッチポンプを受け入れるなら、それはロバートさんがしっかりと事実を説明し、交渉した上で交わされた合意の上にあるべきだ」

「うーん……」


 考え込むロバートに和仁が追撃をかける。


「自らが家畜である事に苦しむのは不幸ですが、家畜である事にすら気づかず生きるのはもっと不幸なのではないですか? ロバートさんと同じ功利主義を支持した哲学者ミルの言葉を借りるなら、『満足した豚であるより不満足な人間である方が良く、満足した愚か者であるより不満足なソクラテスである方がよい』んです」


「不幸、ねぇ。俺は知らない方が幸せな事もあると思うがね。これは精霊の俺が人間を観察してて実際に見た事なんだが、ある村に父と息子がいたんだ。仲の良い親子でな、喧嘩してもすぐに相手を思いやって仲直りして、見ていて気持ちいい奴らだった。んで、実はこの父と息子ってのが義理の関係でな? 息子の実の父親を殺した男が、罪の意識から自分が父親だと言って息子を育ててたんだ。息子からしてみりゃ父親だと思ってた奴は本当の父親の仇ってわけだな。もちろん息子はそれを知らなかった。二人はめっちゃ幸せに暮らしてんだが、息子が成人した日に、養父の方が真実を隠しておく事に耐えられなくなったみたいでな。本当の事を打ち明けたんだ。きっと今回も分かり合えると思ったんだろうな。もしかしたら罵られて縁を切られるぐらいは覚悟してたのかも知れんが。結果は今までずっと騙されてきたと思った息子が怒り狂って養父を殺して、自分も自殺。それでおしまい。結局真実を明かした結果無駄に不幸を生んだだけだ。知らなければ全て丸く収まった」


「……その話のその親子の場合はそうでしょう。しかし何かが違えば息子が事実を受け入れ、養父への愛が勝ち和解し、より一層絆を深める事もあった」

「ま、確かに俺が知らないだけで似たような状況でハッピーエンドになった親子もいたのかもしれんけど。考えてみ? 例の親子は悲劇の直前まで十分幸せだったわけだろ? それをもっと幸せになれるかも知れないなんて欲を出して全部ぶっちゃけたから凄惨な死亡エンドのしっぺ返しを喰らった。今ある幸せに満足してれば重いリスクなんて背負う必要はなかったんだ。言い換えれば、マッチポンプに支配されてれば人間はかなりの幸せは保障されてる。それをわざわざ支配から解放して混乱と不幸を撒き散らすリスクを負う意味がわからん」

「その考え方は安定を重視していると言えば聞こえはいいですが、より良い人生のために必要な試練から逃げているだけです」

「いやあ、世の中お前みたいに強い奴ばっかだったら良いんだろうけどさあ。お前の言う人生の試練を乗り越えられなくて潰れる弱い奴が一体どれぐらいいると思ってるんだ? 妻に逃げられて立ち直れなくなったり、事業の失敗と多額の借金に悲観して自殺したり、イジメに怯えて引きこもってニートになったりさ。マッチポンプを廃止したら、マッチポンプのおかげで試練を回避できてたそういう奴らが大量に犠牲になるぜおい」

「試練を無自覚に回避『させられている』今の状況が異常なんです。自分の意思で戦う事、立ち向かう事から逃げるのは一つの道ですが、選択肢すら奪われているのは到底健全とはいえません。マッチポンプの解除で起きる混乱や犠牲はできる限り少なくなるように私も全力を尽くしますし、混乱を乗り越えた時、人間はきっと大きな成長を遂げるでしょう」

「お前のその人類奉仕の情熱はどこから来てるんだ……」

「性分ですから。こればかりは死んでも直りませんね」

「ほんとにな」








 こうしたロバートと和仁の論争は幾日にも及んだ。


「この世界エーリュシオンでは悪事や不幸を何かといえば魔王やアンデッドのせいにする風潮があるそうですね。悪が自分の中にあるものと自覚せず、悪や不幸の原因を全て魔王やアンデッドが原因であると考えるのは歪で、人の心の成長を妨げます」

「おおう痛いところ突いてきたな。それはまあ、認める。しかしその成長の阻害を補って余りある恩恵をマッチポンプは生み出しているわけで、例えば――――」


 ある日は心や倫理の問題について。


「お前はマッチポンプを独裁みたいに捉えてるみたいだけどな、独裁も独裁者が正常なら有効なんだ。ローマが権力を一人に集中させた独裁官の職を作ったのは、いちいち合議で物事を進めるよりもそっちの方が素早く的確な判断を下せるからだ。マッチポンプを廃止したら無駄な争いが巻き起こるのは目に見えている」

「独裁官は任期を区切っていたでしょう。ロバートさんのように超長期的に続けたわけではありませんし、そもそも公的機関によって指名された民意の上にある役職です。世界をロバートさんが実質的に一人で掌握しているのはリスク管理の面から考えても非常に危険です。これまではロバートさんは上手く――――ロバートさんなりに上手くやってきたようですが、これから先もずっとそうであると言えますか? ロバートさんが一人で世界を管理しているという事は、もしロバートさんの気が変わって世界を滅ぼそうと思ってしまったら、それを止める者が存在しないという事です。例えば機械や魔導にマッチポンプの管理権限を移行したとしても、機械の直列的処理では人間の価値観などを鑑みた繊細な管理は不可能に近いですし、結局故障や暴走の危険があるのでリスク面でロバートさんの支配体制と大差ありません」


 またある日はリスクや利益の問題について。


 根気強く話し合い、相互理解を深めていったが、かえって根本的な思想の違いが浮き彫りになっていった。

 とうとう話し合える事を話し尽くした和仁は、疲労をにじませて言った。


「どうあってもマッチポンプ廃止の要求は却下するつもりですか?」

「は? そんな事は言ってない」

「……え?」


 和仁は一瞬頭が真っ白になり、パッと顔を上げた。ロバートがいつものなんでもないような調子で続ける。


「言ってない。廃止は駄目なんて最初から一言も言ってない。理由と動機を聞いてるだけだ。俺が納得できないとか理解できないとか気に入らないとか、そーいうのは契約の履行とはあんまり関係ない。俺は和仁が契約云々を抜きにして俺を宗旨替えさせたいだけだと思ってたんだが、その顔だと違うっぽいなぁ……正直スマンかった。別にマッチポンプ廃止を対価に設定してもいいんだがどうする? って聞くまでもないか」

「はあ……まあ……そうですね……気が抜けました。今までの話し合いは一体……では、私の知識の対価はマッチポンプの廃止でお願いします」


 和仁が言うと、ロバートは躊躇いもなく頷いた。


「オッケ、じゃあその方向で。散々お前と話し合ってマッチポンプについての理解は深まったから、今ならお前の知識の対価としてマッチポンプの廃止が適正かどうか判断し易い。

 で、まぁ流石にマッチポンプ廃止となるとそのまま叶えるわけにもいかん。理由が理由だしな。たった二人の意見の食い違いに運命握られるなんて世界中の何千万人って普通の人間にとっちゃたまったもんじゃないっつーか。和仁からすれば暴挙を止めるだけかも知れんが、俺、というか俺達からすればマッチポンプの廃止はそれこそ暴挙だ。

 このあたりはどれだけ話し合っても平行線だろう。分かり合えないという事は分かり合えたよな。

 マッチポンプの廃止は対価として適切な範囲内だと思うが、思想が深く関係するだけにあんまり軽々しくハイ四十秒後に廃止~なんてやるのはおかしい。だからマッチポンプの廃止条件をつけようと思う」

「条件、ですか。それはどんな?」


「条件というか、まあなんだ、どうも和仁にはこの世界エーリュシオンがしっかり見えてない気がしてしょうがないんだよ俺には。エーリュシオンの生活とか現状については全部俺が話した内容で判断してるわけだろ? 実際にこの世界エーリュシオンを見て、聞いて、体感したわけじゃない。この世界エーリュシオン地球ガイアとは違う。体験してみないと分からない事もあるはずだ」

「確かに。一理ありますね」

「だろ? そこでだ、こうしよう。和仁、お前のこっち( エーリュシオン )に来てからの記憶を消して、肉体に入れてどこかの町に送るから、俺が話した知識……つまり色眼鏡の無い状態で、実際にこの世界の生活を何年か体験してみてくれ。この世界の良い面だけを見せるような真似はしない。剥き出しの世界を見せると誓おう。それでもお前がマッチポンプを間違っていると思うなら、その時は俺も納得できる。手を引こう。魔王もアンデッドも精霊も全て消す。どうだ?」

「ふむ…………」


 ロバートとしては相当和仁に配慮した条件だった。記憶を失って、今までとは全く別の生活を体験しても自分の意思が変わらない自信があるならかなりのヌルゲーだ。数年待ってGOサイン出すだけでいい。ロバートには和仁が記憶を失っている間にわざと殺して契約をうやむやにするつもりもない。

 ロバートがマッチポンプをしている理由はシルフィアとエルマーの平和で安全な生活をしたいという願いを叶えてやるためで、ロバート自身に信念があってやっているわけではない。エルフィリアに大きく貢献してくれた和仁の希望ならそっちを優先しても良いかな、と思える程度のものなのだ。


「分かりました。その条件をのみましょう」


 そして和仁が頷き、運命の歯車は動き出した。


 間章の終わりと四章冒頭を繋ぐ話でした。具体的な契約内容と、四章の裏側は次話で。

 私はロバート派です。が、和仁とロバート、どちらにも納得できるように書いたつもりです。偏っていたら申し訳ない。

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― 新着の感想 ―
久々に読みましたが、やはり何度読んでも断固ロバート派ですね。清場は人間の愚昧さに対する理解が低い。頭で分かってるだけな分、質が悪い。頭でっかちすぎます。
[一言] 私は和仁が取引というか、「情報をすべて明かしたうえでの合意」を行った上のロバート派ですね。自由に価値はあるけど、その価値が人により違いますね。それを取引のチップにできる選択さえがあれば、結果…
[一言] 私はロバート派、かなぁ
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