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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
四章 コインの裏表
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十九話 ガイアが俺にもっと輝けと囁いてる

 ゼルクラッドが無意識に契約の条件を達成した事が分かってから、アンゼロッタは段々と考え込む事が多くなり、初対面の印象と比べると格段に大人しくなった。慇懃無礼は影を潜め、自分は周囲とは隔絶した存在であるとでも言わんばかりの傲慢なまでに自信に満ちた態度も随分控えめになった。

 ゼルクラッド達はアンゼロッタとごく短い付き合いしかないので、大人しい方が素なのか天真爛漫な方が素なのかははっきり分からない。しかし妙に怯えたような、不安そうな様子でひそひそとエイワスと囁き交わしているところを頻繁に見かければ、初対面の性格が素だという事はなんとなく想像がついた。


「なんというかな。そう、取るに足りないと思っていた瀕死の獲物に牙を剥かれて戸惑う若い肉食獣に似た気配がする」


 というのはサフカナの言で、言われてみれば確かにそう思える説得力があった。言い換えれば、アンゼロッタは生まれながらの捕食者で、ゼルクラッド達を草食動物ですらないどうとでも料理できる雑草だと思って気まぐれに弄んでいたが、雑草が毒を持っていると知り、毒が致死的なものなのか加熱すれば消えるものかもわからずどう処理すれば良いのか分からない、といった風なのだ。

 一体何を思い悩んでいるのかと尋ねてもマトモな答えは返らず、エルフィリアに行けば全て分かる、というような事を遠まわしに言うのだった。


 途切れかけたレインの足跡を追うには、どうやらこの世界エーリュシオンを漠然と覆う何か広大なものの秘密が隠されているらしいエルフィリアを訪ねる他ない。

 ゼルクラッドの抱擁やゆっくりと言い聞かせた言葉でやっと発狂が解けたアリアーニャは、口では自分もついて行こうと言ったが、精神を崩壊させる強烈な衝撃の名残だろう、意思に反して体が上手く動かないらしく、問答の末に、ゼルクラッドがエルフィリアに行っている間、精霊殿で休息をとる事になった。

 最初から戦うべく訓練を積んだ勇敢な兵でさえ戦場から戻ればPTSDに罹る者がいるのだから、元々気弱な気質のアリアーニャならばあれだけの事を経験して衰弱程度で済んでいるだけ上出来とすら言える。


 サフカナも市場に時折流れる高品質・高性能な武具の制作元であり、エクスカリバーにも関わっているらしいエルフィリアに(文句を言いに)行こうとしたが、それはアンゼロッタが断固許さなかった。エルフィリアへ招待されるのはゼルクラッド一人であり、同行者は認められないと言うのだ。

 それでも強引に来るなら最悪戦争になると真顔で言い切り、それを挑発ととったサフカナと一触即発になったが、ゼルクラッドがなんとか宥めて落ち着かせた。アリアーニャが心配だからそばに着いていて欲しい、と頼み込めば、この哀れな薄幸の少女のささやかな勇気やいじらしさを気に入っているらしいサフカナは、渋々とだがアリアーニャと一緒に精霊殿で留守番をする事を承知した。


 旅の道筋としては、まずナルガザン帝国首都ラケダイモーンを出て、馬車で街道を北へ向かう。このマホウ大陸を南北に縦断する長大な街道は武術大会に参加するために往路を通った道で、それを逆に辿ってエレメン教国首都パルテニアへ戻るだけだ。

 パルテニアでアリアーニャとサフカナを下ろし、そこからは徒歩でエレメン教国の遥か東にある謎めいた森の中心にあるという、エルフの隠れ里=エルフィリアへゼルクラッドとアンゼロッタ(とエイワス)だけで向かう。

 アンゼロッタは故郷のエルフィリアに戻るのにどうにも気乗りしない様子で、道中の町やパルテニアで観光をしていく事を主張したが、早くレインの手がかりを得たいゼルクラッドと契約への不誠実は許されないと説教するエイワスの突き上げをくらい、苦みばしった顔で最短の行程で行く事に同意した。


 国家元首である皇帝はとにかく強ければ良いというのが帝国の伝統であるからして、またしても本国を留守にして旅に出る皇帝サフカナは誰にもとがめられる事なくゼルクラッド達と出国した。

 特筆すべき事もない、順調な旅だった。

 多少急いだスケジュールで十日後、パルテニアに到着する。一行はここで一度全員精霊殿に入った。アリアーニャとサフカナはしばらく逗留する事になるし、アンゼロッタは精霊殿の見学に興味津々だったし、そろそろ帝国遠征のために持っていった路銀が尽きるゼルクラッドも色々と補給が必要で、精霊殿を離れていた間の情報収集もしなければならない。


 精霊殿では第六代大司教トリーアが高齢を理由に引退を表明し、代わりにリジットが第七代大司教に就任していた。トリーアはアリアーニャの祖母でもあるので、心を抉られ続けていたアリアーニャはこれで一緒にいられる時間が増える、とささやかな慰めを得た。

 リジットは眼鏡をかけた細身強面の壮年男性で、現在の精霊殿は彼の指示で動いている。来るべき魔王討伐後の世界に備え、アンデッド対策から人間の犯罪者対策へ人員移動を行い、予想される治安悪化に予防線を張っていたり、長年連合国と帝国の間に横たわり移動や交易の邪魔をしてきた万死の長城の三国共同攻略作戦について三国間で検討を重ねていたり。まだ第三次魔王城攻城戦の死者行方不明者の捜索や遺族への見舞金の支払なども終わっていないため、大司教の立場に慣れていない事もあり目の回る忙しさに忙殺されているようだった。


 精霊殿のトップはそうして滞りなく動いている。では末端の精霊使い達はどうかというと、人間主義者と精霊主義者に分かれて喧々囂々の議論が巻き起こっていた。

 魔王討伐が現実味を帯びてきた以上、これまで取らぬ狸の皮算用だった人間主義と精霊主義の主張も現実味を帯びてくる。

 精霊と自然を敬い尊重し、精霊を呪文の鎖から解放し戦力強化する事を指標とするのが「精霊主義」で。

 精霊は親愛なる隣人であるがあくまでも人間が優先であるとし、呪文で縛ったまま運用する事を指標とするのが「人間主義」である。


 精霊殿の内部では精霊主義が主流を占めているが、精霊嫌いの帝国には人間主義が多く、連合国は浮動的だった。

 魔王という明確で強大な敵の像が揺らぐと、精霊が新たな人間の敵となりはしないかと不安を抱く者もいるらしい。自然の具現である精霊は、自然を切り開いて発展する人間の発展の妨げになりはしないか。もちろん自然と寄り添う形での緩やかな発展を選べば共存はできるだろうが、そうもいかないのが人間の性。長きに渡る魔王との戦いを共に戦ってきた同胞なのだから、いつまでも呪文で縛るのは人道に反すると主張するものもいれば、いやいやこれまで上手くやってきたのだから無理に関係を変える必要はないと主張する者もいて、他にも多種多様な意見や主張が飛び交っている。

 特に連合国の商人達は早くもこの問題に関してロビー活動を開始したらしく、金やコネを使って自分に都合の良い主義を押し、それがまた対立を煽っていた。現在は総合的には人間主義が若干優勢らしい。


 ゼルクラッドは魔力を感知でき、精霊と会話もできるので、精霊殿にいる精霊にこの問題についてどう考えているのか聞いてみた。するとどうも精霊の中でも呪文から解放してもらえるならその方が良いという者と、別にこのままでも構わないという者に分かれているという事が分かった。属性ごとに皆同じ姿に見える精霊にも個性があるのだ。

 精霊と関係が深いというエルフ(アンゼロッタ)にも聞いたが、「どうでもいい、っていうかそれどころじゃない」とまるで興味を示さなかった。

 ゼルクラッドとしても今は二派の争いに首を突っ込むよりもレイン捜索の方が優先度が高いので、どうでもよくはないが、それどころじゃないという点ではアンゼロッタと同じだった。

 なお、一縷の希望に賭けて精霊殿でもレインの情報を集めてみたが、何もわからなかった。


 精霊殿で二泊し、ゼルクラッドとアンゼロッタはまた旅に出る。例の銀の盾は徒歩の旅に持っていくには大きすぎて重すぎたため、サフカナに預けた。

 出発の時、ゼルクラッドとアンゼロッタを見比べてモヤッとした顔をしたアリアーニャがサフカナの耳元でひそひそ囁いたが、サフカナが「二人旅だけで惚れるような男なら私もこれほど苦労はしない」と隠しもしない普通の声量で返したので、何を話しているかは丸分かりだった。顔を真っ赤にしたアリアーニャに見送られ、二人は東へ発った。


 パルテニアから二つ、三つ離れた町までは、石畳で舗装されたしっかりとした街道があり、歩きやすかった。日頃から足腰を鍛えているゼルクラッドにとっては丸一日歩き続けても苦にならない道だ。しかしアンゼロッタにとってはそうではなかったようで、日の出から日の入りまでほぼ休みなく歩き続ける苦行に早々に音を上げ、二日目からは宙に浮かぶスケートボードに乗って移動しはじめた。

 古代魔法を使えば宙に浮く事はできるものの、一日浮いて移動し続けるとなると魔力が全く足りない。それを簡単にやってのけるスケートボードは一体どんな魔法が作用するアーティファクトなのかと聞けば、エルフィリアでは80,000シアンで普通に販売されているという。驚きだった。ゼルクラッドの中のエルフィリアのイメージが森の木々や泉と戯れる素朴な森林都市から一気に未来的なものに変わった。シアン硬貨の鋳造と言い、人工知能なのか通信機器なのか判然としないエイワスといい、浮かぶスケートボードといい、エルフの魔法技術はとてつもなく高い水準にあるという事は端々から伝わってきた。


 パルテニアから離れるにつれて町の規模は小さくなっていき、街道の舗装はなくなり、踏み固められた土に轍の跡が残る普通の道になる。馬車も他の旅人もあまり見かけないようになっていった。

 大魔法使いエマーリオが没した思い出深い町、ロロップメジテを過ぎると過疎は顕著になり、町と町の間を一日で踏破できず、野宿が必要になった。町は牧歌的な農村になり、やがて村もなくなる。村がなくなれば、街道もなくなった。エレメン教国の東の端だ。そこから先は広大な草原が広がり、小川、ちょっとした森、湿地などが点々としている。


 アンゼロッタはエイワスが吐き出したカードサイズの端末を持ち、それに示されているらしい地図を時折見て確認しながら道なき道を浮かぶボードに乗ってふよふよ進んだ。ゼルクラッドはひたすら着いて行く。

 夜になれば必然的に野宿をする事になるのだが、二人はアンゼロッタが虚空から出し入れする不自然なほど頑丈なテントに泊まり(内部は二部屋あったので分かれて寝た)、野獣の襲撃にも虫にも煩わさせられる事は無かった。アンゼロッタが雑草を集めてエイワスを向けると、一瞬で焼きたてのパンや新鮮な野菜に変わり、それを惜しげもなく(若干の恩着せがましさはあった)振舞うので、食料問題とも無縁。

 旅につきもののハプニングらしいものもなく、極めて順調に旅程を消化していった。


 旅の退屈さを紛らわせるために、二人はよく話をした。もっとも、ゼルクラッドには長々と語るクセがあり、アンゼロッタは禁止ワードを出されるたびに口を噤むので、ほとんど会話というよりも交互に言いたい事(言える事)を言っているだけ、という奇妙なやりとりになった。

 そのやりとりの中でゼルクラッドが感心したのは、アンゼロッタの極めて高い教養だった。前世の科学や政治経済について語っても難なく理解し、時には反論をしたり補足したりする事さえあった。同時にアンゼロッタの口が重くなるのは魔法に関してだけで、科学に関しては比較的口が軽い事にも気付いたが、それが何を意味しているかまでは想像が及ばなかった。


 本人曰く「大学を卒業した」というのに偽りはないようで、豊富な知識に裏打ちされた地頭の良さが感じ取れた。致命的な欠点に思えた軽薄な態度も、長く接していると彼女なりに超えてはいけないラインを持っている事が伺われ、どちらかといえば、本人の性格の問題というよりも、エルフ社会の常識と人間社会の常識の食い違いが起こしているものだという印象を受けた。閉鎖的なエルフ社会で生まれ育ったアンゼロッタは外の世界の常識や機微に疎く、それが元々の自由奔放な性格を悪く見せていたのだ。

 と、いう事が分かったところで、サフカナはこのエルフの働いた無作法狼藉を許しはしないだろうが、ゼルクラッドの見る目は優しくなった。悪い人間ではないのだ。善人でもなさそうだったが。


 一ヶ月ほど歩くと、二人は東の森の端に着いた。草原がふっつり途切れ、密生する暗い森と草原の境界を目で追えば、木々が視界の遠くに霞がかかるほど果てしなくどんよりと広がっている。

 ゼルクラッドは森をざっと見渡し、首を傾げた。


「まさかエルフは東の森全体を管理しているのか?」

「……なんでそう思うの?」

「木と木の間隔が狭すぎる。自然に落ちた種子が発芽して森が広がったなら、土地面積あたりの日照量と植物群落の遷移の関係でもっとまばらに生えていなければおかしい。それにこのあたりの木は巧妙に隠された手入れの跡が見える。計画的に剪定して、わざと放射状にかつ絡まり合うように枝葉が広がらせなければここまで暗い森にはならない」

「うえぇ……知識チート乙。エイワスエイワス、これ言っていいのかな」

《良いのでは? 外の世界でも古い歴史記録を紐解けば分からない事もない話ですし》

「そっか。まあ、そうだね、このあたりには昔村があってね。大御祖父様も住んでた事あったみたいだよ。でも大火事で村が燃えて無くなっちゃって、それからしばらくしてから近くのムスク―――――薬草の群生地の跡地も巻き込んで大規模な植樹したんだって。その時ついでにもし誰かフラッと来ても森に入る気無くすようにイジったのね。だから管理してるのは森の外周と中心、エルフィリアの周りぐらいかな」

「アンゼロッタの先祖が住んでいた、か」

「むかしむかしの話だよ。さ、行こっか。私から離れないでね」


 勝手知ったる、とまではいかないようだが、アンゼロッタはこの森に慣れているようで、張り出した枝や盛り上がった木の根、崩れやすい地面を上手く避けて進んだ。触るとかぶれる木や致命的な毒を持った蛇、好戦的な大型の肉食獣、湿地に蛭、強烈な幻覚作用のある胞子をばらまくキノコなど、東の森には危険が多い。アンゼロッタの案内がなければ一日二回は死ねる。

 途中でゼルクラッドは何者かの巧妙に隠された気配を感じた気がしたが、それを伝えられたアンゼロッタが何か合図をすると気配は消えた。エルフィリアに近づく者を排除するエルフの防人のものだったようだ。アンゼロッタと一緒でなければ問答無用で殺されていたというのだから恐ろしい。

 アンゼロッタはエルフの姫とはいえ戦闘員ではない。にもかかわらずサフカナではダメージを与える手段が無い(自称)。非戦闘員でそれなら、国防を担う防人の戦闘能力は推して知るべし、だ。


 二日間森の中を進むと、樹冠の向こうに巨大な塔が突き出しているのが見えてきた。前世ガイアでも珍しい超高層ビルに匹敵する高さだった。エルフの首都というからには世界樹でも生えているかと思えば、あからさまに人工的な超高層建造物。エルフは未来に生きているらしい。


 塔に近づくと、森が途切れた。作物が青々と茂る畑が広がり、その奥には近代的な家々が密集している。畑仕事をしているエルフ達が物珍しげな好奇の視線を送ってきた。

 アンゼロッタはゼルクラッドを振り返って微笑む。


「ようこそ、エルフィリアへ!」

「あ、もうエルフィリアの中なのか。門か何かがあるかと思った」

「昔は柵で囲ってたみたいだけどね。ずっと外敵が来なかったし町の拡張に邪魔になるからって辞めたんだって」

「へえ」

「人口約二千人、都市面積は1平方kmぐらいだったかな。特産品は……まあ外国からすればなんでも特産品なのかな。公用語はビルテファ語で、清場さんが話してるナルガザン語に近い言語だからなんとなくフィーリングで話せると思うけど、私達学術言語に日本語採用してるから、そっちで話す方が伝わるかもね。あの突き出してる塔は研究塔っていうんだけど、ロバー塔って呼ぶ人もいるし、エルフィリアで塔っていえばアレしかないから――――」


 アンゼロッタに案内されながら畑を抜け、家が立ち並ぶ区画に入る。家の屋根には大抵瓦が敷いてあり、窓には透明なガラスが嵌められている。道路はコンクリートで舗装されていて、街角では電光掲示板がニュースを流し、オープンテラスのカフェでは子供が数人カードゲームで遊んでいた。

 中世そこそこの社会で暮らしていたゼルクラッドは、異世界に迷い込んだように、あるいは地球ガイアに戻ったように感じられた。それほど近代的で、異質だった。明らかに化学繊維でできた青いパーカーを着た若いエルフがジョギングしながらゼルクラッドをじろじろ見つつ通り過ぎていったし、同じ顔をした金髪碧眼の男の幽霊のような者がちらほら歩いていたり浮いていたりする。


 あまりのカルチャーショックに声も出ないゼルクラッドの肩をぽんと叩き、アンゼロッタは言った。


「はい、じゃあエルフィリアに入った時点で清場さんの情報規制は全部解除されたから、聞きたい事があったらそのへんの人捕まえて聞けば教えてくれるよ。知ってればね。あと民家に勝手に入ってタンス漁ったり壺割ったりはダメだけど、公共施設は基本フリーパス。帰る時は塔の近くにパッと見で分かる大きな屋敷があるから、そこに来れば誰か送ってってくれると思う。あ、これエルフィリアの地図ね。大事に使って。ここからは特に案内する事もないし自由行動だから、まーなんていうの? 好きにすればいいんじゃないかな。えーと、他に何かあった?」

《現金の引き落としは中央銀行がありますのでそこでどうぞ。あなたの口座があります。窓口で名前を言えばキャッシュカードと通帳がもらえます。ただ十八時には閉まるので行くのならお早目に。宿は一つしかないのでそこに泊まって下さい。一応屋敷に来れば部屋を用意しますが、おすすめはしませんね。エルフィリアの法律は当然外国とは違いますが、常識的に考えて犯罪だと思われる行為をしなければ大抵は問題ないかと。それでも心配なら書店で法律かマナーの本を買って下さい。何か質問などは?》

「お、おお……あー、アンゼロッタはこれからどうするんだ?」

「私? 私は家に帰って今週の週刊ホップステップ読む。あと他にも色々やっときたい事あるんだよね。じゃ、またね!」


 アンゼロッタは片手を上げ、さっさと歩き去った。

 一人取り残されたゼルクラッドはしばらく道端で呆然としていたが、自分をみてひそひそ話をしている年老いたエルフ達に気付き、とりあえず地図を頼りに中央銀行に向かった。なぜ開設した覚えの無い口座があるのかはわからなかったが、あるというのなら幾らかは引き出しておきたかった。何をするにしても現金はあって損はない。


 外国人がよほど珍しいのか、歩いていて好奇の視線が消える事はなかった。ゼルクラッドはエルフと同じ金髪碧眼だが、耳は長くないし、服装の趣もかなり違う。

 長期滞在になるなら服を買う必要があるか、いや情報収集の結果次第だ、誰か現地人の案内が欲しい、アンゼロッタを引き止めるべきだった、などと考えながら歩いていると、銀行に着いた。小さめの一軒家ぐらいの大きさで、表の看板にはナルガザン語に似た文字の下に『エルフィリア中央銀行』と日本語で併記されていた。


 自動ドアを通って中に入り、小さなカウンターの裏で書類を整理していた銀行員に話しかける。


「こんにち、もとい、『こんにちは、清場和仁です。アンゼロッタさんからこちらに私の口座があると聞いてきたのですが』」

「えっ? う……あー、『こにちは、いらしゃいませ、エルフィリア中央銀行。お願い……再び名前、一回語れ下さい? すみませんが』」


 アンゼロッタの言葉を思い出して日本語で話しかけると、銀行員の顔が引きつった。その返答からカタコトでしか話せないのは一瞬で分かったので、ゆっくり、はっきりした発音で問い返す。


『私の、名前を、もう一度、言えば、良いのですか?』

「……『すみません、少し時間、待機お願い、申し訳』。×××! ×××ー!」


 短いやりとりで手に負えないと判断したらしい銀行員が店の奥に声をかけると、パリッとしたスーツを着た壮年のエルフが出てきた。銀行員と何事か話し、入れ違いにゼルクラッドの前に来た。軽く会釈をして、軽い訛りのある日本語で言う。


『お待たせしました。店長のマイグリンと申します。本日はどのようなご要件でいらっしゃったのでしょうか』

『アンゼロッタさんからこちらに私の口座があると聞きまして、その確認と、可能なら現金の引き出しを』

『なるほど。失礼ですが、名前をお伺いしても?』

『清場和仁です。ただ、ゼルクラッドという名前で登録されているかも知れません』

『かしこまりました。少々お待ち下さい』


 店長はカウンターの下で何やらゴソゴソすると、一つ頷いて一度店の奥に消えた。それから少しして出てきた時には、通帳とカードを持っていた。


『お待たせいたしました。こちらが清場様の通帳とカードです。口座をご利用の際は必ずカードをお持ちください。指紋・形質魔力認証と併せて使用します。紛失した際は再発行致しますが、手続きに時間がかかりますし、手数料もかなりかかりますので大切に保管なさいますようお願いいたします。通帳への記帳は営業時間内ならばいつでも承ります』


 丁寧な説明とともに渡されたカードは灰色の石のような材質で、ビルテファ語で文字が記されている。通帳は最初の二ページに注意書きらしい文章が書かれていて、預金らしい数字がかかれているのは三ページ目だった。残高と思われる欄には10,000,000と記載されている。単位も価値もさっぱり分からないので、通帳を見せて聞いた。


『これは一千万シアンですか?』

『はい、そうですね。利息計算は本日より始まるご契約となっております』

『こちらの経済に疎いもので、できれば一千万シアンがどの程度の価値を持っているのか教えて頂けると助かるのですが』

『そうですね、外食なら一食七百シアン前後、宿に一泊素泊まりで五千シアンです。外国とは物価が違いますので交換レートに関してはなんとも申し上げられませんが、エルフィリアの平均年収が六百万シアンですので、大金といって差し支えないかと』


 絶句した。棚ぼたと喜ぶ前に恐怖すらわいてくる。一体自分の記憶にない「清場和仁」は何をしてこれほどの大金を作ったのか。頭が混乱する。アンゼロッタ曰く、なぜか情報統制が解けているらしいので、これから真実を知る事はできるのだろうが、それには相当の覚悟が要る予感がした。

 ひとまず五十万を引き出し、炎貨(金貨)四十九枚と火貨(銀貨)九枚、灯貨(銅貨)百枚を手に入れる。店を出る前にふと思いついて店長に尋ねた。


『これは銀行の業務と関係の無い話になりますが、お聞きしてよろしいでしょうか?』

『構いませんよ。何でしょう』

『行方不明の友人について情報を集めているのですが、どこで調べるのが良いでしょうか?』

『御友人、ですか。その方はエルフですか?』

『いえ、エレメン教国の精霊使いです』

『……精霊使いですか。そうですね、方法はいくつかありますが、ロバートさんに聞くのが一番早く正確かと。ロバートさんは分かりますか? あの同じ顔をしているゴーストの事です』

『ああ、あの。大丈夫です、分かります。どのロバートさんに聞けば良いのでしょうか』

『どの個体でも同じですよ』

『?』

『外国の方には理解が難しいかも知れませんが、どれも同じロバートさんです。見かけたら話しかけて見てください。良いように取り計らってくれますよ』

『はあ、そうですか……ありがとうございました』

『いえ。またのご来店をお待ちしています』


 店長の丁寧な礼に見送られて銀行を出たゼルクラッドは、早速ロバートを探した。エルフィリアに入ってからあちらこちらで見かけたゴーストは、探し回るまでもなくすぐに見つかった。『ミスカトニック大学』と書かれた看板がはめ込まれた門に入っていく一体に声をかける。


『すみません、ロバートさんですか?』

『……あー、やっぱりなあ。ここまで来ればなー、そりゃそうなんだよなあ』


 ゴーストは頭を掻きながら振り返った。ロバートはまさにゴースト、という半透明な姿をしていた。魔力が視えるゼルクラッドには、それが精霊と同じ魔力でできた体である事が分かった。二十代前半の金髪碧眼の男性で、魔力でできている事を除けばどこにでもいる普通の男に見えた。耳も長くない。地味ではなく、派手でもなく。正に普通という言葉がふさわしい。


『はじめまして、私は清場和仁と言います。突然で申し訳ないのですが、どうか力を貸してください。行方不明の友人を探しています。レインという私と同年代の青年で――――』

『まあ待て』


 早速説明をはじめたゼルクラッドを、ロバートは億劫そうに遮った。


『レインがお前の前から姿を消したのも、お前の頭の中が軽くメダパニ状態なのも知ってる。ぶっちゃけいちいち質問に答えるのはめんどくさいというか効率が悪い。めっちゃ長話になるからな。で、ここはもう事の始まりから順序立てて説明していった方が分かりやすいと思うんだが、聞くか? 聞くよな?』

『え、あ、はい』

『じゃあ、まあ、ここで話すのもなんだ。屋敷に行って話そうか。地球ガイアからこの世界エーリュシオンに来たお前が、何をしたのかを、全て』


 次話は四章の裏側で何が起こっていたのかの解説回です。ちょっとクドくなるかも知れないけどここまで読み進めてきた読者諸兄なら歯牙にもかけないと信じてる!

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