十話 圧倒的じゃないか、我が軍は
今回の魔王城攻城戦は史上三度目である。これまでの魔王城攻城戦で明らかになった事を挙げてみよう。
魔王は魔王城にいる。
魔王城は大陸の北の果ての山脈奥深くにある。
道のりは険しく、大部隊が一気に侵攻するのは不可能。
弱卒を同行させた場合、倒されてアンデッドにされてしまい、敵戦力を増やすだけになる。
新種の強力なアンデッドが現れる可能性大。
魔王城城内には大量のウィスプが待ち構えている。
不利を悟ると魔王城ごと転移して数km遠方に逃げる。
特に最後の項目が厄介で、偵察隊が魔王城の位置を特定するたびに魔王がそれを察知して転移を繰り返したため、第三次魔王城攻城戦の討伐隊が進軍を開始するまでに結局三年もの年月を要した。
北方山脈には道がない上、アンデッド達が密やかに土木作業を繰り返し微妙に地形を変化させるため、迂闊に進軍すれば遭難の憂き目に遭うか、無駄に遠回りをして、道中散々奇襲を受けるハメになる。事前の偵察は重要だ。三年で進軍ルートを確定し、魔王城の転移パターンを特定できたのは上出来と言える。
戦争に限らず、戦いとは事前にどれぐらい準備できるかが勝敗の大部分を決める。準備に三年もかかっただけあり、今回は第二次魔王城攻城戦よりも格段に精霊・人間側の形勢は良い。これはひとえに兵站や情報戦の重要性をしつこく説いたゼルクラッドの功績と言えるだろう。
その三年の偵察期間も無駄にする事なく、三ヶ国合同の訓練を重ね、連携を取れるようになり。技術者の交換や情報交換により魔法に頼らない医療体制は飛躍的な向上を見せ。化学肥料や病害虫防除によって作物の収量が上がり兵糧は無理なく十分に集まった。他にも細々とした点でゼルクラッドの現代知識は大いに戦況に影響している。
そのゼルクラッドは十四歳になり、身長が伸び逞しさも増して精悍な青年になっていた。スポーツ医学に基づいて鍛えられた体と、高い精神年齢から来る落ち着いた雰囲気が二回りも三回りも年上に見させる。実際、三十路の男達に囲まれて話し合いをしていてもまるで違和感がなかった。
しかし成長したのはゼルクラッドばかりではない。三年の月日はレインとアリアーニャも等しく成長させている。
レインの体格はゼルクラッドに一回り筋肉をつけたようなものだ。帝国の血筋が強く出た紫髪黒目と相まって、帝国の戦士にしか見えない。精霊殿襲撃の際に何もできなかった事を悔やんだのか以前にも増してオーバーワーク気味に肉体を苛め抜き、消化戦気味のものではあるものの実戦も数回経験し、なんとか魔王城攻城戦に参加できるレベルに仕上げてきた。幼さは削り取られ、促成で叩き上げられたため幾らか危うさが感じられるものの、大盾で攻撃を防ぎ近接武器で牽制しつつ精霊魔法で攻撃するオーソドックスな精霊使いの戦い方を十分身に着けている。
有象無象は殺されてアンデッドになり、盾にすらなれず敵を増やす事になるため、魔王城攻城戦に参加できるのは選りすぐりの精鋭に限る。討伐隊の平均年齢は二十代後半であり、強くてニューゲームなゼルクラッドはまだしも、素の状態で十四年しか生きていないレインが参加できたのは、恵まれた環境と、才能と、何よりも苛烈な訓練の賜物だろう。
もっとも依然としてゼルクラッドとの間に大きな差があるのは変わらない。
アリアーニャは医者として完全に後方支援の道を進んでいた。
初めての実戦で親しい人の鮮烈な死を見たせいで、完全に心が折れていた。元々心が弱かったアリアーニャは外に出るのを極端に恐れるようになり、一歩でも精霊殿の外に出たら頭が吹き飛ぶと思っているかのように引きこもっている。当然魔王城攻城戦にも参加しない。むしろ幼馴染二人が参加するのを引き留めようとした側だ。レインなどは儚げな金髪碧眼の美少女に成長したアリアーニャの引き留めにかなりグラついていたが、決意は変わらなかった。
一方で、医者としての腕は飛躍的に向上している。薬学を修め、手術の助手を務められるようになり、水属性Lv3スペル「ヒーリング」も使えるようになっていた。
「ヒーリング」を習得している精霊使いの多くは他の精霊使いと組んで哨戒や作戦行動に赴き、回復役と補助役を兼ねる。負傷者を医者の所へ運び込むよりも、医者が随行した方が安全なのは間違いない。大がかりな作戦行動に致命傷の即時回復を可能とする「ヒーリング」使いは必須であると言える。魔王城攻城戦ともなれば総動員と言ってもいい、が、そうはいっても「ヒーリング」使いを全て攻城戦に出すわけにもいかない。当然ながら負傷者はアンデッドとの戦い以外でも日常的に出るし、不測の事態に備えて待機する者も必要だ。
そんな訳なので、貴重なLv3スペルが使えるアリアーニャが魔王城攻城戦に参加せず精霊殿で待機する事に異議を唱える者はいなかった。
さて、話は戻って魔王城攻城戦である。
討伐隊は純戦闘員六千人、非戦闘員五百人から成る大部隊。全員の練度の高さを考えると、相手が一般的な兵士程度なら三倍の兵力差があっても間違いなく完勝できるだろう。それを戦闘民族国家ナルガザン帝国の皇帝が大将となり、指揮を執る。現状の人類が考えられる最高の布陣と言える。
各国から風属性精霊使いのテレポートで北の山脈の入り口まで討伐隊を転送し、そこから入山。偵察隊の見立てが確かなら七日で魔王城に辿りつく。魔王城は本隊出撃の数日前の先遣隊の脅しで一度転移逃亡しているため、決戦前に逃げられる事はない。魔王城の転移逃亡は連続して行えないのだ。
魔王城に到着したらノコノコ城内に侵入するような真似はせず、包囲して魔法を雨あられと降らせ、城を破壊する。城の崩壊で魔王が下敷きになって死ねばそれで良し。生きていたら死ぬまで瓦礫の山に魔法を叩き込み続ける。魔王が死ねば全てのアンデッドも同時に再死亡するので見極めは簡単だ。
第二次魔王城攻城戦では精鋭部隊が魔王城に侵攻する隙に手薄になった本国を襲撃されたので、それを警戒して通常戦力を相当数残してある。背後の憂いも無い。
情報を集め、戦略を練り、兵を集めて、下準備を整えた。
後は決着をつけるのみだ。
「駄目だ、返事もしてくれない」
と、アリアーニャをなだめに行ったレインが戻ってきて、軽くショックを受けた様子で言った。
ゼルクラッドが精霊殿の討伐隊メンバーをテレポートで送っている間に、部屋に閉じこもって顔も出さないアリアーニャに声をかけに行ったのだが、無言の抗議に負けたらしい。
「本人が見送りもしたくないなら仕方ないだろう」
「でもさあ……なんか自信なくなる。ここは『お願い、絶対生きて帰って来てね』とか言ってさあ、抱き合ってさあ、キスとかしてさあ。そういうモンだろ。それが無視だぜ?」
「アリアの見送りが無いと行けないのか?」
「そこまでは言わねーよ。たださ、別れの言葉ぐらいあってもいいだろ。これが最後かも知れないんだし」
「遺書は書いただろう? レインが殉職すればそれを読むさ」
「そういう意味じゃ……つーか生きて帰れとは言わないんだな」
「世の中には死んでも成し遂げるべき事がある」
「お前のそういうとこはホント正義の化身って感じするわ。マジぶれねーな」
レインはゼルクラッドを小突いて少し笑う。ゼルクラッドは微笑みを返し、呪文を唱えてレインと一緒に精霊殿から消えた。
テレポートで移動した先では既に討伐隊が集まっていた。澄み渡った初秋の青空の下で、薄い雪化粧をした急峻な北の山脈を仰ぎ、六千強の兵達が整然と並んでいる。ゼルクラッドの目には兵の周囲を興奮気味にふらつく精霊達の姿も映っていた。
二人は隊列の端に並んだ。既に集まっている兵は抑えつけられた緊張と興奮にざわめいている。全員が揃うまでにはまだもう少し時間があるようだった。
「こんだけいりゃ魔王軍粉々になるんじゃね? 油断するわけじゃないねーけど」
屈強な兵士の群れを見渡したレインが呟いた。実際、大陸中から集まった精鋭が並んでいる姿は壮観で、確かに相対しただけで絶対に勝てないと思ってしまいそうな迫力があった。並の人間では遠目に見ただけで逃げ出すだろう。しかしゼルクラッドは全く安心できない。
「そう思うか?」
「だって盾持って軽装なのが精霊使いだろ。ざっと数えて……大体四千? 残り二千の重装備が前衛の戦士。戦士が壁作って精霊使いが魔法撃てば魔王城だって一瞬で木端微塵だろ」
「そう上手く行けば楽なんだが」
戦争に不測の事態はつきものだ。全てが作戦通りに進む戦争というのはまずない。
不測を推測するのが情報収集で、不測を減らすのが作戦で、不測に対応するのが兵の練度。今回の討伐隊はそのどれもを現代には劣るものの結構な水準で満たしている。一見上手く行きそうに思えるが、忘れてはならない。敵側も同じ事をしているのだ。討伐隊が魔王軍を木端微塵にできるなら、魔王軍も討伐隊を木端微塵にできると考えるべき、というのがゼルクラッドの考えだった。果たして人類の総力は魔王に通用するのか。
やがて、というほどの間も無く、討伐隊が全員現地に到着した。整列を終えたのを見計らい、今回の総大将が演説台に上がる。それだけでざわめきは静まった。
総大将は年若い女性だった。歳は十七、八だろうか。長い紫紺の髪を背中で括り、使い込まれた軽鎧だけの身軽な装備をしている。女性としてはかなりの長身で、歩く姿は実に堂々としていて、安定感がある。顔立ちにも覇気にもどこか日本刀のような鋭さと美しさがあった。
優美な緋色の剣――――聖剣エクスカリバーを天に掲げ、彼女は大音声を発した。
「我が名は八十四代ナルガザン帝国皇帝サフカナ! 討伐隊総大将である! 頭が高ァい! 控えろ! と、言いたい所だが! 諸君は救世の勇士である! 控えなくてよろしい!」
凛としたその声は、獣の遠吠えのように遠くまで響き渡り、討伐隊の目と意識を残らずひきつけた。
無茶苦茶な第一声に、なんだこいつは、と困惑しているのは教国と連合国の兵ばかりで、帝国の兵はニヤニヤしている。
サフカナはエクスカリバーを一振りして、ますます声を張り上げた。
「我々は屈辱的な敗北を二度体験した! 諸君は之に思う所があるだろう! 私もだ! しかァし! 三度目は無い! 私が諸君に命じるのはたった一つ! 単純明快な真理である! 『勝て』! 肉体を! 魂を燃やし! 勝ち取れ!」
サフカナは檀上からひらりと飛び降り、白炎を帯びたエクスカリバーの目にも留まらぬ剣撃で演説台をバラバラに斬り裂く。レインは小さく口笛を吹いた。かなりの腕前だ。パフォーマンスとしては悪くない。
「全軍! 進軍開始ッ!」
鬨の声が上がり、大軍が動き出した。
討伐隊の侵攻は順調に進んだ。偵察隊のおかげで見通しが良く進みやすいルートは分かっている。途中不自然な崩落で道が塞がっていても、土属性精霊魔法ですぐに通れるようになった。
ゼルクラッドの魔力感知も度々役に立った。万物に宿る魔力には強弱があり、基本的に生物は無生物よりも強い魔力を持っている。魔力の強弱は壁越しでも分かり、アンデッドも無生物よりは強い魔力を持っているため、地面に埋まって奇襲をかけようとしているスケルトンや、岩陰に隠れているゾンビやデュラハンをいち早く発見して警告する事ができた。
スケルトンやゾンビといった弱いアンデッドは一時間と間を置かず波状攻撃を仕掛けてきた。死なない限り「ヒーリング」で治るので思い切った反撃ができ、戦闘は毎回短時間で終わり、結果的に死者は想定以上に少なく済んだ。その代わりヒーリング使いはフル稼働だったが。
しかし負傷は治っても、疲労までは抜けない。いくら弱いとはいっても、絶え間なく襲い掛かる死者の群れ。時折デュラハンやリビングアーマー、レイスといった強力なアンデッドが混ざるため、警戒や防衛に手を抜く事もできない。更に進軍するにつれて山肌に雪は増え、標高が高くなって気温は下がり、空気が薄くなる。肉体的にも精神的にも負荷は掛かり続けた。
それでも事前準備のおかげで前回・前々回の魔王城攻城戦よりは負荷は少なく済んでいた。討伐隊は帝国の中央にある山脈で高所演習を積んでいたし、二度の敗北から学んだ事は多い。特に警戒していた新種のアンデッドが現れなかった事も大きい。デイウォーカーを作ったばかりで次の新種を生み出す余裕が無かったのだろう、というのが有識者の見解である。
先陣を切ってずんずん進み、エクスカリバーの一振りでアンデッドをなぎ倒すサフカナのおかげで士気は常に高かった。ゼルクラッドはサフカナが死んで反動で士気が急落する事を恐れたが、当のサフカナは進軍中にいつの間にかデイウォーカーとすり替わっていた近衛に腹を貫かれてもまるで動揺する事なく反撃の一太刀で首を刎ね、その後ヒーリングを受けて平然と進み続けていた。一歩間違えば大惨事だったが、サフカナがあまりにも当たり前のように対処したためむしろ士気は更に上がった。
「ああいうのが英雄なんだな」
と、レインはパンを齧りながらしみじみと言った。
進軍六日目の夜。翌日に魔王城到着予定のため、討伐隊は早めに野営準備に入っていた。ゼルクラッドとレインは一緒に夕食のパンとスープの配給を受け、テントの前に小さな焚火を作って体を暖めながら食事を取っている。スープからゆらめいて上がっていく白い湯気が夜空にちらちらと舞う粉雪を溶かしていた。
「皇帝か」
「そうそう、初日に湧いて出たゾンビ共に真っ先に突撃した時は頭可笑しいんじゃないかと思ったけどな。俺が聞いてるだけで三回ぐらい致命傷貰ってんのに生きてるし。そりゃヒーリングあれば致命傷だって回復するけどさ、即死するかも知れなかったわけで。蛮勇も無謀も突きぬけりゃ英雄だ。あれは誰にも真似できねーな」
「ああ、確かにあれは良い筋肉だ!」
口を突っ込んできたサラマンダーがシルフに蹴られて退場していくのを横目に見ながら、ゼルクラッドはパンを齧って言った。
「定義的にはレインも英雄だろう。『才知や武勇などがすぐれ、普通の人にはできないような良いことをする人』だから、最年少で魔王討伐隊に入っている時点でレインも該当する。もっとも英雄の意味には諸説多い。例えば『一人殺せば犯罪者だが戦争で百万人殺せば英雄だ』という言葉がある。この言葉の解釈にもまた諸説あるが、殺人は『悪』であるにも関わらず、それを『善』と見做す戦争の狂気を皮肉ったものである、あるいは正義は大衆の支持によって決まるあるいは勝利者が『なる』ものであり、大量殺人も大衆の支持を得て成し、且つそれが勝利に大きな影響をもたらした場合英雄と称されるというある種多数決的な価値観の変動を示すもの、といった解釈が一般的だと記憶している。価値判断ではなく存在判断の側面から英雄を論じるならば、優れた素質を持っているから英雄と呼ばれるのではなく、優れた結果を示したから英雄である、と言う事ができる。優れた素質が必ずしも生かされるとは限らない。平和な時代においては殺人の才能を持っていても無用の長物であるし、同様の才能を持って戦争に兵として参加したとしても、初戦で不運に見舞われて死亡し、何も為せない事もままあるだろう。一方で、特別能力の無い人間が幸運に恵まれて次々と普通では考えられないような成果を叩きだす事も稀にある。どちらにせよ英雄が生まれる状況が揃った上で、その状況に投じられる人数の母数が大きければ、それだけ英雄も多く生まれる可能性があるという結論になる。魔王城攻城戦は大規模な戦いだから英雄は生まれるだろうし、それが皇帝であるという考え方には賛同できるが、例えば皇帝が城攻めで大きなミスを犯し討伐隊を壊滅に追い込めばこれまでの戦果は帳消しどころかマイナスになり、英雄というよりも戦犯と評価される事になる。従って厳密には『今この時点では皇帝は英雄的な働きをしている』としか言えない」
「あ、話終わった? スープ冷めるぜ」
「…………」
「ところで話変わるけどさ、皇帝を奇襲したデイウォーカーいるだろ」
「ああ、前日の夜の間にアンデッド化していたらしいな」
「やっぱりそいつも死者の指輪嵌めてたのか? 精霊殿襲撃した奴はしてただろ」
「嵌めていた、らしいな。精霊の指輪と同じように死霊魔法を強化するための媒体になっているのではないかという話を小耳に挟んだ」
「ほー。それ今どうなってるんだ?」
「皇帝が踏み砕いたらしい」
「は!? 貴重なアンデッドの研究資料を、ってまあ魔王倒せば関係無いのか」
そんな事を話している内に夜は更けていき。
決戦の朝が来る。