九話 魔力が見えぬ者には分かるまい…
今回ゼルクラッドが発見した「種」は、どうやら一人分しかないらしい。植えて発芽するかどうか実験してみるのはリスクがあまりにも高い。発芽せず腐りでもしたら取り返しがつかない。増やすのは無理だろう。
碑文に書かれた説明は随分と持って回った書き方だったが、種を食べて得られる「力」というのは古代魔法である事は想像がついた。大魔法使いエマーリオの経歴や碑文の文言からしてまず間違いない。
そして古代魔法というのは、個人が振るう力である。
現代知識とは違い、誰かと共有したり、受け渡したりできない。死ねば失われるものだ。奇跡のような幸運で手に入れた魔王への鬼札は、ゼルクラッドが一人で握っている。それは世界の命運を握っているに等しい。半端な覚悟や経験で乗り越えられるプレッシャーではないが、そこは第四次世界大戦勃発の分水嶺となる抗争においても冷静かつ確実に任務を遂行した男である。種を前にして、冷静にメリットとデメリットを考え始めた。
ここで取れる行動は三つに分けられる。
種に手を出さない。安全は確保されるが、古代魔法は手に入らない。いや、安全が確保されるかも怪しい。ゼルクラッドが古代魔法の手がかりと接触した情報がどこからかアンデッドに漏れれば命を狙われる。もっとも命を狙われるのは今更ではあるが。より苛烈になる事は間違いない。
種を飲み、碑文の忠告通り魔法を隠す。エマーリオによれば、それで概ね安全は確保されるという。ただし一人でできる事は限られる。古代魔法を有効に活用できるかは怪しい。
種を飲み、忠告を無視して協力を募る。古代魔法の研究や活用は大いに進むだろう。ただし不幸な事故、とやらがどんなものかにもよるが、得体の知れないリスクがつきまとう。
考えていられる時間は少ない。エマーリオ邸にあまり人は近寄らないが、全く来ない訳でもないだろう。近くまで来てチラリと目をやれば石畳に空いた地下室の入り口はすぐに分かる。目撃者が一人でも出ればそこからアンデッドに情報が渡らないとも限らない。
そこまで考え、とりあえず種だけ確保して地下室を出る事にした。重要なのは種であって、地下室ではない。長居する理由はなかった。
種が入っている石筒を持って外に出て、周囲を警戒しながら石畳のパズルをかけなおして入り口を隠す。一度解いた跡が微妙な違和感となって残っているが、そこまで丁寧に偽装する余裕はない。そのまま素知らぬ顔でエマーリオ邸を後にした。
世界を一変させる大発見があったというのに、変わらない通りの静けさが奇妙に感じられた。ぽつぽつと歩く通行人は見向きもしてこなかったし、石筒に目をやる事はあっても、あまりにもゼルクラッドが堂々としているのですぐに興味を失って目線を外した。わざわざ立ち止まってじろじろ見たり、声をかけたりするほど奇妙なものでもない。
精霊使いの詰所は監視されている危険性があるので、適当な宿屋を見つけて入った。カウンターで帳簿をつけていた老婆が顔を上げた。
「いらっしゃい。泊まりかね?」
「はい、一人一泊素泊まりで。個室をお願いします」
料金を払い、部屋に案内される。耳を澄ませて老婆の足音が遠ざかるのを確認してから、部屋を見回す。部屋の隅のベッド、水がめ、小さなテーブルには水差しとコップが乗っている。ごくごく普通の一室だ。防音に関しては期待できそうもなかったが、とりあえず人の目から隠せれば良い。
ドアに鍵をかけてからテーブルに石筒を置き、ふひゅうと息を吐いた。肩を揉むとかなり強張っている。自然にふるまえるのと緊張しないのはまた別の話だ。
ゼルクラッドは肩を回してほぐし、少し休んでからさっそく石筒を詳しく調べにかかった。
三日後、宿屋のベッドに仰向けに寝転ぶゼルクラッドは、自分の周りをちょろちょろする精霊達に戸惑っていた。
種を飲んで得られるのは予想通り古代魔法だった。手軽に奪える種という状態で置いておくよりも、人間そのものに移して管理した方が良いという判断で飲んだのだ。結果、使えるようになったのが古代魔法で、見えるようになったのが精霊である。
古代魔法については初代大司教ニパが残した手記や数少ないビルテファ王国の資料などを読んで知っていたが、実際に使えるようになってみると色々と分かる事は多い。
種を飲んでからぞわぞわそわそわうずうずするもどかしい感覚に悶え、その感覚が消えると共に目覚めたのが五感に次ぐ感覚、魔感、のようなものだ。魔覚と表現してもいいだろう。
魔感がどんなものかは説明が難しい。強いて言えば視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、全てを混ぜて煮つめて乾かして干したようなもので、嗅覚が臭いを嗅ぎ、視覚が光を見るように、魔覚は魔力を感じ取る事ができる。
魔力はどこにでもあり、どんなものでも持っている事はすぐに分かった。水差しの水も、床板も、空気も、天井裏を走るネズミも、もちろんゼルクラッドも持っている。無機物から感じ取れる魔力は小さく、生物、それも高等なものになるほど感じ取れる魔力は大きい傾向にある。また、同種の生物でも個体差があるようで、ネズミ並の魔力しか持っていない人間もいれば、人間並の魔力を持つ猫もいた。ゼルクラッドは人間の中でもかなり高い方らしく、宿の窓から通りを歩く人々を観察した限りでは、ゼルクラッドよりも魔力が大きい人間はいなかった。
そう、ゼルクラッドより魔力が強い「人間」はいない。精霊はゼルクラッドより魔力が大きかった。
土の精霊ノームは小柄な男で、白髪交じりの灰褐色の短髪に赤いとんがり帽子を乗せ、巌のようなゴツゴツした顔にはヒゲを生やしている。こげ茶の長袖シャツとズボンを着て長靴をはき、黙ってゼルクラッドの傍らに立ってじろじろ見ている。精霊の中で一番静か、というか微動だにしないが、視線は一番強い。
水の精霊ウンディーネは麗しく儚げな美貌の女だった。起伏に富んだ身体を水色の薄い羽衣で包み、腰まで届くロングストレートの蒼い髪を流している。胸元には貝殻のペンダントをかけていた。見た目通りの透き通った声で、一番マトモにゼルクラッドと会話をしている。
火の精霊サラマンダーは鷲を思わせる猛々しくも暑苦しい顔つきの青年で、短く刈り込まれた燃えるような……実際に燃えるように揺らめく赤毛をしている。着ている服は黒いハーフパンツのみ。靴すらはいていないため、鍛え上げられ引き絞られた鋼鉄のような暑苦しい筋肉が余すところなく目に入る。低く耳障りの良い実にイイ声をしているが、気まぐれに大声で一方的に暑苦しく喋るため会話にならない。一番暑苦しい精霊だ。
風の精霊シルフは十二歳ぐらいの少女で、好奇心にキラキラしている瞳は碧色、風もないのになびくセミロングの髪は深緑。服装は薄手のワンピースの上にベストを羽織り、腰にはベルトをゆるく巻いている。先が反って尖った革靴と、蔦と花の冠が妖精らしさを醸し出している。一時も休まずゼルクラッドの周りを飛び回り、一番よく喋る、一番活発な精霊だ。
精霊魔法は詠唱に応じて精霊が使うものだ。近くに精霊がいるという事は知識としては知っていた。しかし存在が目に視えるようになると戸惑いは大きい。日本人が想像する「精霊」のイメージと不思議なほど一致しているため、すんなりとこれが精霊なんだな、と納得はできたが。
「なんで黙ってるのーっ? 何か言ってよー、聞こえるんでしょ? 見えてるんでしょっ? ねえってばー! えーなにーちょっとちょっと無視? 無視してるの? やだよーせっかく魔力覚醒したんだからもっとお喋りしよーよ! なんでもい」
「そうだ! もっと熱くなれよ!」
「筋肉は静かにしててー! 汗臭い!」
「シルフもちょっとだけ静かにしましょうね。ゼルクラッドさんが戸惑っています」
「なにさーいい子ぶっちゃってー! ウンディーネだってお喋りしたいでしょー? てゆーかなんでゼルは喋らないの? あ、喉痛いとか? ウンディーネ、ヒーリングしてあげなよって詠唱できなきゃダメかー。まいったね! お茶でも飲んだら? ハチミツとか喉に良いらしいよ? 美味しいみたいだし! よくわかんないけどー! あ、やや、そのへんはゼルの方が詳しいのかなっ! 転生者だもんね! 私知ってるよ! 契約してからずっと見てたもん! ずーっとお話したいなって思ってたからさー、ゼルが魔力覚醒して私とってもうれしーんだ! ね、ノームも嬉しいよね!?」
「…………む」
「ほらノームも嬉しいって言っ」
「俺も嬉しいぞ! この気持ち、まさしく愛だ!」
「マッチョは向こうで筋トレしててー! ホモ臭い!」
「すみませんゼルクラッドさん、騒がしい子で」
そこでやっとシルフの猛攻が途切れる。予想より遥かに人間らしい精霊達に押されていたゼルクラッドは、はっと我に返り言葉を選んで言った。
「いや構わな……構いませんが。少しお聞きしたい事が――――」
「えーなんで敬語ー? もっと普通に喋っていいよっ! 私達とゼルの仲じゃない! や、あれ? あーそっかそっか、ゼルはずっと私達の事見えてなかったんだねそういえば。私達は普通に喋るからゼルも普通にして! 他人行儀にされると寂し」
「そうだ! リラァクスしていいぞ!」
「ああ、ありがとう。親身になってくれて嬉しいよ。ところで聞きたい事があるんだが、良いだろうか?」
またシルフの独壇場になりそうな気配を察し、サラマンダーが会話をぶった切ったのに便乗して素早く言葉を挟む。シルフはサラマンダーに中指を突き上げながら花が咲くような笑顔で身を乗り出した。
「何? 何でも聞いて!」
「三日目に行った地下室には、君達も同行していたんだな?」
「もちろんしてたよっ!」
「碑文も読んだ?」
「読みましたよ。興味深い内容でしたね」
「君達はあの碑文をどう解釈した?」
そう尋ねると、精霊達は言いよどんだ。
碑文には魔法について触れ回るな、という旨の事が書いてあったので、一応直接的な聞き方は避けた。しかしこの反応を見る限り、何かしら引っかかるものがあるという事は間違いない。
精霊が地下室に同行して碑文を読んでいたなら、伏せる意味はない。そう踏んだのだが、失敗だったかも知れない。ゼルクラッドは数秒の短い沈黙に胃を締め上げられるような気がした。
「…………ん」
「んっとねー……」
「何と言いましょうか……」
「かあっ!」
サラマンダーが叫ぶとボコン! と彼の筋肉が膨れあがり、火の子が汗のように飛び散った。
火以外の三精霊は揃って筋肉をぴくぴく動かすサラマンダーを見て、同じ動作でゼルクラッドに目を戻した。代表してウンディーネが言う。
「そういう事です」
「わけがわからない」
天下のマルチリンガルゼルクラッドも、流石に肉体言語は専門外だった。
「あー、要するに言えないという事か?」
「そう理解しておいて頂ければ問題ないかと」
ウンディーネは控えめに言い、曖昧に微笑んだ。
「ただ、一つだけ言わせて頂くなら」
「ん?」
「魔力を遠くへ伸ばす訓練を積まれた方が宜しいかと思います。射程の長さに繋がりますので」
「ああ、そうだな。分かった」
有史以来、人類の兵器の強さと射程の長さは密接な関係にある。
遡れば原始人がマンモスを狩る事ができたのは投げ槍による遠距離からの攻撃によるところが大きく、弓矢は長く戦場の主兵器の一つであり、剣が槍に勝つには三倍の実力が要るとされるのはひとえに射程のためで、大陸間弾道ミサイルの保有数は国力の目安とされた。
故に魔力を伸ばす訓練を積み、射程を上げるというのは至極まっとうな提案だと言える。離れた距離から攻撃できるというのは、それだけで強力なアドバンテージだ。
碑文の解釈とゼルクラッドの知る古代魔法の断片的な知識を突き合わせると、「自分の魔力があるところに魔法を発生させる事ができる」という事が分かる。
デフォルトでは自分の魔力はほぼ自分の体と重なって存在するため、その状態で例えば火を発生させる魔法を使おうものなら、体の内側から焼けて死ぬ。今のところ、体から魔力を離そうとするとほんの数センチで手ごたえが消えて拡散してしまう。訓練は必須だ。
他にも幾つか精霊に質問をしたが、曖昧な答えが返ってくるばかりで、これと言った情報は得られなかった。ただ、大っぴらに魔法を使う事に関しては明らかに難色を示していた。
が、具体的に碑文が警告しているものが何なのかはさっぱり分からなかった。碑文からは古代魔法に関する事で派手に動くほど危ない……というようなニュアンスが読み取れたが、まさか実際に派手に動いて危険を見極めるわけにもいかない。エマーリオの没年にはまだアンデッド達は表に出てきていなかったから、案外「危険=アンデッド」という単純な結論なのかも知れないが。
エマーリオがどこまで知っていて、どこまで予測して碑文を書いていたのかがはっきりしない以上、全て想像の域を出ない。碑文の内容は抽象的で、推理するには情報が足りなかった。あるいはわざと情報を絞ったのかも知れないが、それはいくらなんでも考え過ぎだろう。難解に書いても後世の人間が理解できると思い込んでいたに違いない。天才にありがちなミスだ。
精霊との密談を終えたゼルクラッドは、石筒を処分して宿を引き払った。表向きの理由もなくあまり長々と滞在を続けるわけにはいかない。
そして精霊殿のあるパルテニアに帰還する、前に、エマーリオ邸に寄った。遠巻きに変化がないか確認するだけの予定だったが――――
「……これは」
地下室は崩壊していた。砕かれた石畳が地下室の中に落ち、クレーターに瓦礫をばらまいたようになっている。それを囲むようにして簡素な柵が作られていて、立ち入り禁止の看板が立っていた。
(かなり古い地下室だ。一度開けて脆くなり、崩壊した? ……いや)
楽観視はしない方が良い。ゼルクラッドはアンデッドが察知して潰したのだと考えた。誰が地下室の封を解いたのかまで知られていたら、刺客の五人や六人、送り込まれていない方がおかしい。つまりアンデッド達は地下室に不都合なものがあったのは察した。しかしそれを誰が手に入れたのか、もしかするといつ手に入れたのかも分かっていないのだろう。
長居すれば怪しまれると直感したゼルクラッドは、不自然にならない程度の早足でその場を立ち去る。すぐ近くまで這いよるアンデッドの魔手を、確かに感じながら。
馬車を乗り継いで精霊殿に帰還したゼルクラッドは、安堵から気が抜け、丸一日寝込んだ。
うなされるゼルクラッドに寄り添う精霊達が何を思っていたのかは、誰も知らない。
「魔力を遠くへ伸ばす訓練を積まれた方が宜しいかと思います。射程の長さに繋がりますので」
あからさまな誘導。いやらしい……