八話 二百年後の君へ
精霊殿襲撃の報は瞬く間に大陸中を駆け巡った。アウレオールスの頭が吹き飛ばされるのを目撃した者がいたし、検問も敷かれたし、物々しい警備体制に切り替わったのは隠す余裕もなかった。
世界中で最もアンデッドに対して堅牢なはずの精霊殿が襲われたという情報は、あらゆる方面の人々に衝撃を与えた。
まずパルテニアで混乱が起こった。
都市の性質からアンデッドの恐怖とはほとんど無縁だった民衆は動揺し、どういう事だと精霊殿に詰めかけた。混乱が収まるまで三日を要し、その間に一部の市民は南に向かって逃げだした。魔王城は大陸の北の果てにあるため、少しでも離れようとしたのだ。しかし実際のところアンデッドに関わる事件の件数は南北で差が無い。リッチやウィスプなどの強力なアンデッドによる事件は確かに北に多いが、南は南でスケルトンやゾンビが多くうろついているため、結果的に北南の危険度は同程度である。
もっとも、大多数の民衆は精霊殿すら襲われるならばパルテニアの外はもっと危ないと考えたため、人口の移動は目立つほどのものでもなかった。事件の深刻さの割に混乱が少なかったのは、間違いなく精霊教が長年の内に築き上げた信頼の賜物だろう。
エレメン教国の南にあるナルガザン帝国では混乱は起きなかった……というより、反応が薄かった。
己の肉体を信じて闘う武人気質のナルガザン帝国では、呪文を唱えて魔法を撃つ精霊使いはウケが悪い。はっきり言えば下に見ている。極端に侮っているわけではないが。事実、帝国軍の精鋭はLv3の精霊使いでも手こずる強力なアンデッド、リッチを下手をすれば精霊使いよりも上手く相手どる事ができる。
精霊殿が襲われたからといっても陥落したわけではない。ならば大した問題ではない、という考え方だ。脳筋が多く、深く考える者が少ないというのも反応の薄さに一役買っている。ただし頭の回る国の上層部の一部は大混乱状態だった。
ナルガザン帝国の更に南、大陸の南西の端にあるノーヴァー連合国では真っ先に商人が動いた。
今までアンデッドを近寄らせた事すらない精霊殿の襲撃は、民衆に不安を与えた。人は不安になると安心を求める。そして安心は商品である。
神経質になった金持ちの護衛サービスから、ニセモノのアンデッド除けの護符販売などの詐欺、今後の教国の動きを見越した先物取引など。精霊殿襲撃から五日で破滅した商人、成り上がった商人はかなりの数にのぼる。生き馬の目をぬく連合国の商人にとって精霊殿襲撃事件は確かに衝撃ではあったが、商売のタネでしかなかった。
そして十日後。混乱や騒動も下火になり始めた頃、更に燃料が投下された。
エレメン教国、ナルガザン帝国、ノーヴァー連合国による、第三次魔王城攻城戦の決定である。
ゼルクラッドはよろよろと精霊殿の会議室から出てきた。黒々としたくまの目立つ目を押さえて深いため息を吐き、のっそりと自室へ向かう。襲撃から十五日、ようやく面倒な会議から解放された。ゼルクラッドはアンデッドから守るためにこれまで大切に隠されてきたが、事ここに至ってまで悠長な事は言っていられない。第一アンデッド側に情報が漏れているようであったし、隠す意味もなくなった。
別世界の知恵の宝庫であり、異例の全属性Lv3スペル使い。豊富な戦闘経験、成熟した精神を持つ。肉体年齢は十一歳でも精神年齢は三十代。人類の行く末を左右する会議に参加する資格は十分にあり、本人もそれを望んでいた。拒否すれば周囲が無理やりにでも参加させただろうが。
会議の間は寝室と会議室を往復する毎日で、往復すらできない日もあった。最初の三日は頭の使い過ぎで頭痛に苦しみ、次の三日は変に高揚して饒舌になり、その後の九日は機械的に質疑応答をしていた。それもこの日でひとまず終わりだ。第三次魔王城攻城戦が会議で可決された事により、しばらくお役御免となる。
精霊殿襲撃の下手人である体温のあるアンデッドは「デイウォーカー」と名付けられた。精霊の探知を欺き、精霊殿の中に潜伏でき、かなりの大暴れをして見せたのだから、強力なアンデッドである事に疑いの余地はない。精霊教ではこれを魔王の力が強まっている証と判断した。
魔王と精霊が復活した約二百年前から、徐々に強力なアンデッドが増えている。デュラハンがそうであるし、リビングアーマーなどは正攻法では勝てない途轍もない力を誇る。ここ数年でゼルクラッドの知識により精霊教は大幅に勢力を増したが、魔王も力を付けている。現代知識によるアドバンテージがある内に魔王を倒さなければ、いずれ追い付かれ追い越されかねない。そうならないためにアンデッドが利用できない、あるいは利用し難い知識に絞って広めたのだが、デイウォーカーという精霊の前提を覆す新種アンデッドが登場した以上、広まった現代知識に適応したアンデッドが今後現れないとも限らない。
故に第三次魔王城攻城戦が決定された。時間は魔王に味方する。早く倒せるなら、多少無理をしてでもその方が良い。
さて、大陸にある国家は三つだけだ。第三次魔王城攻城戦にはその三国全てが参加する。
北にある精霊教国家、エレメン教国。
南にある武力国家、ナルガザン帝国。
南西にある商業国家、ノーヴァー連合国。
第三次魔王城攻城戦は、提案した教国は言うに及ばず、帝国と連合国も賛成を示した。理由は極めて単純。帝国は武威を示すため。連合国は戦争特需が狙えるから。
脳筋国家ナルガザン帝国では何よりも強さが貴ばれる。戦争で強敵を倒すのは最高の誉であり、人類を滅ぼそうとしている魔王を討伐する、というのは帝国人にとってはこれ以上ない美味しい餌だった。戦費や国力の低下など二の次三の次である。
連合国は第一次、第二次攻城戦ともに戦力をほとんど出していない。出すのは金と商品である。戦費の多くを負担する事で恩を売り、格安で提供する商品は薄利多売を狙う。戦力は出さないので国力の低下はあまりない。敗戦したらしたで復興支援で大儲け。どう転んでも儲かるように立ち回る強かな国である。今回もそう動くつもりだった。血を流さず金だけ流す蝙蝠のような態度は帝国人に嫌われていたが、致命的な嫌悪に至らないように調整しているあたりが連合国の連合国たる由縁といえるだろう。
魔王城への経路偵察、指揮系統の統一、兵の編成、移動、各種物資の購入と集積、兵站、その他国家間の調整など、戦争の準備は短期間で終わるものではない。過去の魔王城攻城戦の経験から、魔王に察知されないように密かに準備を進めるのは不可能だと分かっているので、堂々と準備できる分いくらか時間は短縮されるが、それでも少なく見積もって半月はかかる。
ゼルクラッドは現在十一歳。歳の割には身体能力が素晴らしく優れているが、体力・筋力が絶対的に不足していて継戦能力が低いため、長期戦必至の攻城戦には参加しない。精々安全圏から精霊魔法を撃つぐらいで、主にアドバイザーとしての随行となる予定だ。出陣まで出番はない。
ではそれまで何をするかと言えば、ゼルクラッドは養父の遺体を養父の故郷に返しに行こうと考えていた。血は繋がっていないとはいえ、アウレオールスは養父である。陰でゼルクラッドが異世界に馴染み易いように便宜を図っていてくれていた事は知っていたし、毎年最初に出会った日になるとささやかな贈り物をしてくれるのは満更でもなかった。
感謝している。恩もある。それに、意図しなかったとはいえ、自分の身代わりに死なせてしまった申し訳なさもある。せめて死後は故郷で安心して眠って欲しかった。自分の手で葬送するのは義理であっても息子としての当然の礼儀だ。
現在頭の無いアウレオールスの死体は清められ、棺に納められ、精霊殿の奥に安置されている。本来アンデッドに殺された人間は、首を刎ねアンデッドにならないようにするのが通例であるが、幸か不幸か既に頭が無いのだから、これ以上いたずらに死体を辱める事もない。故郷へ送り、埋葬し、それで終わりだ。精霊教では死者の送り方に特別な様式はない。
自室に戻ってベッドに倒れ込んだゼルクラッドが次に目を覚ました時、窓の外から朝日が差し込んでいた。丸一日寝ていたらしい。たっぷり寝たおかげで連日の疲れはかなり抜けていた。
大きく伸びをしてベッドから降り、しばらく世話をする暇がなかったため枯れかけている植木鉢に水をやり、水がめの水で顔を洗う。それからカソックとローブを足して割ったような精霊使いの正装を脱いで、質素な麻のズボンと上着に着替えた。養父の送別には精霊使いとしてではなく、養子として行きたかった。
旅支度をする前に食事をとっておこうと部屋を出ると、レインとばったり会った。
レインは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに顔を顰めた。
「おはよう、レイン」
「……おはよう」
レインは渋々挨拶を返した。
ここ数日、レインの機嫌は悪い。精霊殿襲撃の時に何もできなかったのが不満なのだ。毎日の稽古。勉強。それは血反吐を吐くほど過酷ではなかったが、決して楽なものでもなかった。それだけの事をしてきたにも関わらず、いざという時に何もできなかった――――いや、何もさせてもらえなかった。事件の後の事後処理も蚊帳の外。とても納得できるものではない。怯えるアリアーニャを慰める事だけは役得だったと思っていたが。
「聞いたぞ、攻城戦に出るんだろ?」
「耳が早いな。まあ主に支援だが」
さらりと返すと歯ぎしりの音が聞こえた。ゼルクラッドが身構えると、案の定レインは廊下の壁を殴りつけて叫んだ。
「なんでだ! 子ども扱いしやがって! 俺だって精霊使いだ! なんで俺だけ参加しちゃだめなんだ!?」
「アリアも参加しないだろ」
「そうじゃねー! なんで! ゼルは良くて! 俺はだめなんだよ! トシは同じだろ!」
「要因は色々あるが、一番は実力不足だな」
「俺だって戦える! 襲撃の時だってやれって言われりゃやれたんだ!」
「……レインは歳の割に良く鍛えられている。たしかに戦えない事も無いかも知れない。が。戦えても勝てない。まず間違いなく不確定要素に対処できない。戦場に予想外はつきものだ」
「んなもん分かってる!」
「いいや、分かって無い。予想外というのは何も予想外の強敵だけじゃない。例えばこういう事とかな」
ゼルクラッドは喋りながらまるで頭を掻くような自然な動作で、ポケットに入れていた手を上げた。それはあまりにも何気なく、レインは見えていても意識できなかった。数拍置いて、レインは首元にナイフを突きつけられている事に気が付いた。
「う、あ?」
冷や汗が流れる。早さも力も無いゆっくりとした動きだったが、ゼルクラッドがあとほんの十センチもナイフを前に出していたら死んでいただろう。
ゼルクラッドはふっと息を吐いてナイフをしまった。
「分かったか? こういう事が起きるかも知れないようになったんだ。裏切り、伏兵、罠。最早精霊使いでさえいつ敵になるかも分からない。状況が変わったんだ、レイン。お前にこの戦争は力不足だ。大人に任せろ。子供は守られる事が仕事だ」
そう諭すように言ったゼルクラッドは、体こそ子供でも大人顔負けの貫禄があった。レインは言い返そうとして、言葉が出ず、俯いた。
実力不足なのは分かっていた。攻城戦に参加できるのは各国の精鋭中の精鋭達。普通に鍛えただけの少年が参加できる訳が無い。だからこれは八つ当たりだ。分かっていても抑えられない。
「じゃあ俺は、俺は、一体なんのために頑張ってきたんだよ……!」
「魔王を倒せばそれで全て終わり、という訳でもない。魔王を倒せても大きな犠牲が出る。アンデッドになる恐怖に抑えつけられていた犯罪者予備軍が暴れるだろうし、国家間の戦力バランスが崩れて人間同士の戦争が起きるかも知れない。どうあがいても混乱は起きる。その時に何かができる力を持っているのは重要な事だ。さっき子供は守られる事が仕事だと言ったが、守られて大人になったら今度は守る側になる。焦る事はない。努力はきっと報われる。それが望んだ形か、そうでないかまでは分からないが」
「…………」
最後にレインの頭を優しく撫で、ゼルクラッドは食堂へ歩いていく。
その後ろ姿を、レインは悔しさと諦めが入り混じった複雑な思いで見送った。
ゼルクラッドはその日の内に精霊教の人員輸送用の馬車に相乗りさせてもらい、旅に出た。身に着けるものはマントに雑嚢、それなりの資金。身軽なものだ。棺桶は重かったが、馬車に乗せているので苦にはならない。
この世界の馬は頑健で力が強い代わりに小柄で、人が乗るのには適していない。戦場で使われないのはそのためだ。こうして馬車に使われる程度で、地球ほど生活に密着した生き物ではない。もっともゼルクラッドが地球で生きていた時代に、馬は絶滅危惧種になっていたのだが。
道中は警戒していたアンデッドの襲撃も無く、ゼルクラッドは無事に目的地に到着した。街の入り口で馬車を降り、棺桶を下ろして相乗りしていた精霊使い達と別れる。
「古代魔法、か」
ゼルクラッドは街をぐるりと囲む土壁を見て呟いた。
ここはロロップメジテ――――大魔法使いエマーリオの没した街だ。
大魔法使いエマーリオ。彼の名はよく知られている。史上最強の人間の一人に数えられる傑物だ。
約二百年前、現在エレメン教国がある地域にはビルテファ王国が存在した。王国は古代魔法を独占的に所有・管理しており、古代魔法の使い手は魔法使いと呼ばれた。魔法使い一人で熟練した精鋭兵二十人に匹敵するとされたが、エマーリオは魔法使いの中でも唯一「大」とつくだけあり、桁が違う。彼がその生涯の最期に王国に押し寄せるナルガザン帝国と衝突した際討ち取った数は二千とも三千とも言われている。眉唾ものに思えるが、当時の記録から千を超える死者が出た事は間違いないと考えられている。
また、エマーリオの建築技術はエレメン教国に存在する旧王城跡に残っており、高く評価されているし、絵画や陶芸、数学、天文、剣術など様々な分野で彼の名前は散見される。
そんな彼の最期を飾った街であるから、ロロップメジテはそれなりに有名で、観光客も多い。街を囲む土壁はエマーリオが古代魔法で築いたものを毎年修復して保たれている。
歴史上の偉人が残した数々の史跡に興味はあったが、その前にやるべき事がある。ゼルクラッドは車輪がついた棺桶を引き、街外れの共同墓地に向かった。
アウレオールスの両親はアンデッドに殺され他界していて、親類もいない。以前聞いた話によると、生家も取り壊されて畑になっているという。
なんとも寂しいものだ、と物思いに沈みながら、アウレオールスは共同墓地で墓守からスコップを借り、隅の方に穴を掘った。
照り付ける日差しの中、時折額に滲む汗を拭いながら黙々と穴を深くしていく。精霊魔法を使えば数秒で終わる作業であったが、自分の手でやりたかった。結果ではなく、過程に意味があるのだ。
汗だくになって穴を掘り終え、棺桶を静かに下ろす。副葬品としてアウレオールスが生前使っていた盾と服、花を添え、黙とうを捧げた。
転生前は死後の世界や魂の存在を信じていなかったが、今はそうではない。ただ、安らかな安息を祈るのみだ。
数分の黙とうを終え、ゼルクラッドは気持ちに一区切りをつけた。また黙々と棺桶に土を被せていく。
やがて土を戻し終わり、ゆるく盛り上がる土が見えるのみになった。ゼルクラッドは目印に石を置き、最後に一礼して、墓守にスコップを返しに行った。
精霊使いの詰所で屋根を貸してもらい、一夜が明けた。
用は済んだ。ゼルクラッドは感傷を引きずるタイプではない。後は帰るだけになったが、せっかくなので史跡に寄ってみる事にした。
エマーリオ邸は墓地とは反対側の街外れにあった。
小さな赤煉瓦造りの屋敷で、派手さはないが、趣味の良さを感じるゆったりとした家だった。門の前の看板を見ると、見学は自由になっているらしい。盗まれるようなものは別に保存されているのだろう。
門をくぐり、前庭の石畳の道を通って屋敷に入る。他に観光客の姿は見当たらない。第三次魔王城攻城戦の話は民間にも広まっている。呑気に観光する者は少ないのだろう。それともアンデッドに狙われるのを恐れ、古代魔法の残り香を漂わせる場所に近寄らないようにしているのか。
ゼルクラッドは芸術関係の書物も多く読んだ事があるが、本人の芸術的感性が殊更に優れているわけではない。屋敷を回った感想としては、エマーリオとはバランス感覚に優れた人物なのだな、という事だった。調度品が撤去されていても、ドアや柱の彫り物、部屋の間取りなどから、落ち着きと豪華さを調和させた家だという事がよく分かった。客が貴族であっても、一般人であっても、問題なく迎えられただろう。誰にとっても住みやすい家だ。とても二百年前のものだとは思えない。当然土壁と同じように修復は繰り返されているだろうが。
少し期待していた古代魔法の手がかりも見つからず、一時間ほどで見学を終えたゼルクラッドは、屋敷を出たところでふと違和感を覚えて足を止めた。
屋敷の入り口と門の間には、石畳の道がある。その石畳の配列に既視感を感じた。
秘密箱、というものがある。
内部や表面に仕掛を施し、一定の操作を行わないと開かないように作られた容器である。細工箱やからくり箱などとも呼ばれる。宝石や硬貨などの貴重品を泥棒などから隠すために作られたもので、日本産の寄木細工で作られた秘密箱などは現代でも高い評価を受けている。
例えば箱根で生産されている秘密箱は、表面に寄木の技法による装飾がつけられている。これは、装飾と同時に表面にある木材の繋ぎ目(仕掛けの関係で面の中央など不自然な位置にあることが多い)を隠す効果もある。ゼルクラッドは転生前に秘密箱の本を読んだ事があり、石畳の模様に秘密箱の装飾に近しいものを感じ取った。
偶然の一致という可能性はもちろんある。しかし、シンクロニシティである、つまり、異なる世界の異なる文化において、同じ細工にたどり着いたという可能性もあるのではないか。
ゼルクラッドは記憶を辿り、秘密箱の模様と石畳が作りだす模様を照らし合わせ、解除の基点となる場所にしゃがみ込んだ。石畳を形作る一枚のなんの変哲もない石に手をかける。
これで何も起きなかったら笑い話だ。エマーリオが、あるいはこの屋敷を設計した建築家が偶然それらしい模様に石畳を組んだだけという事になる。
半信半疑、というより90%以上疑ってかかりながら手に力を込めると、あっさりと、石がレールに沿ったように滑らかに動いた。
「!?」
しっかり固定されていない事が原因でズレたのではない。明らかにそう動かされる事を想定して作られたような感触だった。
心臓の鼓動が早くなる。もしかすると大発見をしたのかも知れない。
ゼルクラッドは単なる見学客であり、エマーリオの屋敷をどうこうする権限は持っていない。発見をしたならば、下手に手を加えず、屋敷を管理している人なり組織なりに連絡を入れるべきである。
そうしようと立ち上がりかけたが、はたと思い当たるものがあり、また座り込んだ。
アンデッドは古代魔法を恐れている。
エマーリオは古代魔法使いだった。それも極めて優秀な。
そしてそのエマーリオの屋敷に、巧妙に隠された何かがある。
もしかして、それはアンデッドにとって致命的に成り得るものなのでは?
ありえなくはない。単に普通の金銀財宝が隠されているだけという可能性もあるが、同じぐらい古代魔法に関するものが隠されている可能性もある。
屋敷の管理者に連絡した場合、隠された何かは多数の人間に知られる事になる。その中にアンデッドが混じっていないと、どうして言えるだろうか? 精霊殿の中にすらアンデッドが紛れ込んでいたというのに。
そしてアンデッドが古代魔法に纏わる何かを見つけた場合、確実に抹消されるだろう。ビルテファ王国の古代魔法も、アンデッドの手によって消されたという。
許可なく史跡に手を加えるのは犯罪のようなものだが、状況が状況である。もし隠された何かが魔法に関係のないものであれば、その時はできる限りの謝罪をしよう。
そう決断したゼルクラッドは、記憶と自らの頭脳を頼りに石畳を動かし始めた。
日本の秘密箱と同じ特徴を持つとはいっても、全く同じではない。何度も詰まり、戻し、悩んだが、解除は順調に進んだ。他に人が来ることもなかった。後から知った話ではあるが、エマーリオ邸は地元では有名な幽霊屋敷だった。よほどの物好き以外に近寄るものはいない。
小一時間かけて石畳を動かし、最後の一枚を動かすと、石畳の一画に穴ができた。人が一人通れる程度の穴で、地下へ続く階段がある。ゼルクラッドは大きく深呼吸をして息を止め、階段を降りた。階段は十段足らずで、すぐに下まで着いた。
「これは……」
そこは小さな部屋になっていた。年月を経た冷たい空気がひっそりと肌を撫でる。風が通っているらしい。毒ガスが溜まっていてもすぐに流れ出るだろう。警戒をといて息を吐いた。カビ臭さが鼻をつく。
部屋にあるものは三つだった。中央にある台と、そこに乗った円筒形の五つの容器。あとは隅にある石碑だ。
侵入者への罠を警戒しながら慎重に台に近づき、調べる。台は何の特徴も無い石製だった。何かが刻まれているわけでも、特殊な石が使われているわけでもない。
円筒形の容器は石でできていて、叩いてみるとどうやら中身は空洞のようで、振ると何かが動く音がした。しかし奇妙な事にどこにも切れ目がなかった。光源が地下室の入り口から差し込む弱い光しかなかったので、見逃しているだけかもしれないが。
容器も念入りに調べたが、分かる事はなかった。持ち帰って調べてみようと考え、ひとまず元の場所に戻した。
地下室のものが全て石でできているのは経年劣化に対する対策だろうかと考えながら、次に石碑を調べた。
幸い石碑の文字ははっきりと彫り込んであり、カビなどもなかったため、読み取る事ができた。
そこに刻まれた文字を読んだゼルクラッドは驚愕する。
それは今はないビルテファ王国の言語と、ナルガザン語、そして日本語の三つの言語で記されていた。
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いつかの時代、これを見つけた者に告げる
もし君が存在する時代において他者の意思の介在なく自在に超常的力を行使できるならば、これが持つのは歴史的価値のみである
もし君が存在する時代において音声、舞踏、儀式などによってのみ超常的力を行使できるならば、これは変革の鍵となるだろう
以下に後者の時代である事を前提として記す
まず君は自らの安全を確保しなければならない
無闇にこれの力を使用してはならない
無闇にこれについて吹聴してはならない
無闇にこれについて尋ねてはならない
これについての思索は可能な限り自己の内面で完結させる必要がある
さもなければ君は不幸な事故によって命を落とす事になるであろう
次に君はある種の力を手に入れる事ができる
台の上にある五つの容器を全て開封し、中の種を全て粗く砕いて飲み込む
さすれば凡そ三日後、君は力を手に入れるであろう
力を手に入れた君は世界の新たな要素を感知するようになる
君に素質があるならば、自身の要素に意識を向け、事象を想像し、現実のものとなる事を願う事で、要素を事象とする事ができる
ただし心せよ、素質の有無は到達に関係しない
君はこれを使用しても良いし、しなくても良い
君の行く先に幸あらん事を祈る
エマーリオ
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副題:ロバート最大の誤算
八話は推敲全然してないので粗が目立つかも