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ノーライフ・ライフ  作者: 黒留ハガネ
四章 コインの裏表
103/125

五話 ゾンビ「」←一番カユウマした奴がスケルトン

 ゼルクラッドが転生して六年が経ち、十一歳になった。アリアとレインも同い年なので同じ年齢になっている。

 この六年で精霊教の勢力は大きく増した。


 まず、古代語が精霊使いの間で広く浅く普及した。今まで精霊魔法の呪文は意味も分からず丸暗記して棒読みしていたのだが、意味を知り、発音を知り、文法を知った。残念ながら詠唱の短縮や改造はできなかったが、発音が滑らかになる事で魔法の威力は数段増した。それに伴いアンデッドの撃破率も上がっている。撃破率の上昇と共に民間の精霊教支持も強固なものになり、精霊使いの数は順調に増え、その支援体勢も整っていっている。


 詠唱についての研究が進むにつれ、精霊教の首脳陣の間では、古代語の詠唱は一種のセーフティーネットとして作られたのではないか、と考えられるようになった。つまり、古代人は、精霊がもし古代人に刃向おうとしても、魔法が使えないようにした、というのだ。

 そもそも古代人が使った古代魔法は詠唱を必要としなかった。現存する古代魔法の継承者たるエルフの魔法も詠唱は不要であるし、かつて滅びたビルテファ王国にあった古代魔法もまた詠唱は要らなかった。古代人はアンデッドの脅威に古代魔法だけでは対処できなくなったため精霊魔法を創造したのだ。「詠唱が必要」か「詠唱が不要」かでいえば不要の方が便利に決まっている。にも関わらず脅威に対抗するための新しい武器をわざわざ従来の武器よりもグレードダウンしたのには、必ず理由がある。


 もし精霊が自らの意志一つで魔法を使えれば、それは確かに便利だろう。放置していても精霊は勝手に増え、アンデッドを倒してくれる。しかしアンデッドを駆逐し、魔王を討伐したその後に困る。

 精霊は意志を持った自然の具現であり、自然の中で栄え、増え、能力を発揮する。対して人間は往々にして文明の発展に伴って自然を破壊する。精霊にとっては面白くないだろう。アンデッドという共通の敵を相手にしている内は良いが、敵がいなくなった後は対立するのが目に見えている。だから古代人は多少不便になるのを承知で、精霊に安全装置をしかけた、と、こういう訳だ。被造物に反乱を起こされてはたまったものではない。


 そして困った事に、この説に則って精霊教は二つに割れつつあった。

 精霊と自然を敬い尊重し、精霊を呪文の鎖から解放し戦力強化する事を指標とした「精霊主義」。

 精霊は親愛なる隣人であるがあくまでも人間が優先であるとし、呪文で縛ったまま運用する事を指標とした「人間主義」。


 前者は精霊の自由化によって対アンデッド戦が楽になるが、魔王討伐後の自然開発に著しい制限がかかる事が予想される。その制限を良しとして、精霊=自然と共存した穏やかな暮らしを望む一派だ。

 後者は今まで通り対アンデッド戦は厳しいものになるが、魔王討伐後は全く自由な開発と発展が見込まれる。精霊は良き友人であるが、いつまでもそうであるとは限らないと考え、わざわざ潜在的な敵を増やす事はないとする一派だ。


 もっとも、精霊を呪文の楔から解放する手段の目途がさっぱりついていない以上、どちらの主義をとっていても大した変わりはないため今のところ衝突は少ない。これからどう転ぶかは不透明だったが、ゼルクラッドとしては内輪揉めしている場合じゃないだろいい加減にしろと言いたい所だ。自らの存亡を前にしても、人類の団結は危なっかしかった。


 ゼルクラッドが齎した影響は古代語(日本語)関連だけに留まらず、例によって現代知識TSUEEEEEによる革新も起きていた。それは主に農業・医療分野だ。

 ゼルクラッドの莫大な知識をもってすれば銃器や爆弾、飛行機や自動車の開発もできると言えばできるのだが、それらは全てアンデッドにも利用されてしまう。

 銃器を開発し、一般人を手軽に兵士化。それはいいのだが、アンデッドが一般人に紛れ込んでいるというのが厄介過ぎた。情報はすぐに漏れ、武器は右から左へ流出する。銃を人間勢力に普及させれば、それはそのままアンデッドへの銃の普及に直結するといっても過言ではない。人間はアンデッドが利用できない、または利用しても意味がない形で戦力を強化しなければならないのだ。だから農業と医療。


 例えばノーフォーク農法や科学肥料、害虫防除などによる作物生産性の大幅な向上。これは食事を必要としないアンデッドが利用しても何の意味もない。

 新しい薬品の科学合成や培養、人体学の普及、手術の概念の浸透、衛生向上などによる医療の発展。これも死者であるアンデッドには利用できない。

 他にも数学、統計学、、工業用の統一単位や規格の普及、養殖などの漁業法、法制度、経済・経営学、教育制度改革、天文学・測量学などなど、手広くやっている。


 精霊教という大陸全土に広がる巨大な組織を利用したこれらの推進活動は迅速に進んだ。従来の常識と対立するようなモノも多かったので問題も多かったが、人類を守る組織であるところの「精霊教」お墨付きというのが大きかった。精霊教の活動は大体全て良いもの、というのは社会の常識に近い。精霊使いは悪意に囚われると魔法が使えなくなるので信用が置けるのだ。腐敗とは無縁の組織である。


 数年が経ち目に見える結果が出始めると、それまで様子見をしたり渋ったりしていた者達も率先して精霊教の推進活動に参加し、加速度的に農業と医療は改善されていく。景気は良くなり、生活が安定する。人口も増える。精霊教も勢力を増している。


 全てが上手く回っている。エーリュシオンには人類の転換期が来ていた。














 精霊殿の中庭の片隅に、今日も剣戟の音が響く。土がむき出しになった固い地面を踏みしめ、二人の少年が目まぐるしく剣を振るう。二人の少年――ゼルクラッドとレインは、逞しく成長していた。


 刃を落とした二本の小刀を鋭く奔らせているのはゼルクラッドだ。前世と同じく戦闘の邪魔にならないように金髪を短く刈り込んでいる。深く澄んだ碧眼は凪のように静かで、しかし揺ぎ無い意志を感じさせる。スポーツ医学に基づいて鍛えられたしなやかで強靭な筋肉を活かし、熟練の技巧でもって研ぎ澄まされた連撃で攻め立てる。攻め手に反し非常にゆっくりとした深い呼吸が余裕を感じさせた。


 対してレインはというと、少し内側に湾曲した長方形の大盾でゼルクラッドの刀を防ぎつつ、間隙を塗ってブロードソードを繰り出すという防御重視のスタイルをとっている。耳にかかる程度に伸ばした紫の髪を刀が霞めるたびに、僅かに怯んで勝気な黒い瞳を瞬かせている。ゼルクラッドに比べてガタイの良いレインはどっしりと盾を構え、攻撃をよく耐えていた。

 盾をメインに持ち、激しく動かずに相手の攻撃に耐え、小ぶりな武器で牽制するというのは精霊使いの一般的な戦闘スタイルだ。

 剣を振り回せば息切れして呪文を唱えるのが難しくなるし、呪文を唱えながら剣を振れば注意が散漫になって思わぬ怪我をし易い。剣か魔法どちらかに絞るのが常道にして王道。そして射程も威力も剣より魔法の方が良いのだから、魔法を活かす戦い方をするのは当然と言える。

 なお、ゼルクラッドは豊富な(前世の)実戦経験と特殊な呼吸法、年期の入った無駄の無い体術、滑舌の良い早口での詠唱などにより例外的に激しく剣で攻めつつ精霊魔法を使う事ができる。転生者の面目躍如だ。


 この模擬戦は精霊魔法を全く使わないという制限で行っているため、先ほどから二人とも武器しか使っていない。そもそも攻撃性のある精霊魔法は人に対して使えないのだ。使うとすれば突風を吹かせて体勢を崩したり砂埃を巻き上げて目つぶしをしたりという補助的なものになる。

 攻撃が最大の防御と言わんばかりに常に動き回りながら攻め立てるゼルクラッドと、時折危ない所はあるものの堅実な守りを崩さないレイン。

 ゼルクラッドは攻めきれず、レインは反撃できない。千日手に陥ったかのように見えるが、そうではない。


 実の所ゼルクラッドはまだまだ余裕がある。年齢が同じで、鍛え方も方向性は違うが概ね同じ。しかし技術も経験も違う。本気を出せば簡単に押し切れるだろう。伊達に修羅場を潜っていない。

 それをしないのはレインに「攻撃の凌ぎ方」を覚えさせるためであり、ゼルクラッド自身の特殊な訓練をするためである。


 戦闘開始から三十秒が過ぎる。レインに焦りが出始めた。盾の取り回しが大振りになり、強引にシールドバッシュを当てようとする。ゼルクラッドは冷静に見切って最低限後ろに下がってかわし、突き出された盾の縁を掴んで引っ張った。レインは慌てて盾を捻りながら勢いよく引き戻して手を引きはがす。


「くそっ!」

「こら、焦るな」

「馬っ鹿、なんかしねーと負けるだろーが! うおらっ!」

「おっと……残念、時間切れだ」


 盾の振り回しとブロードソードの逆袈裟斬りの二連撃をかわしたゼルクラッドの視界が急激に色を失っていった。

 視界が色褪せ、モノクロになり。音が遠のき、途切れ。仄かな鉄臭さと汗の臭い、森の香りが掻き消えて。視界に映る光景が時間を引き伸ばされたようにスローになる。

 走馬灯現象である。


 転生前はアルコールを摂取した上でツボを刺激し、目を閉じてじっとして落ち着いて二分間集中する、という面倒な手順が必要だったが、体が変わったせいかより容易にこの状態に入れるようになっていた。戦闘しながら自己暗示をかけ、特殊な呼吸法を行うだけでいい。


 諸説あるが、走馬燈現象は命の危機に晒された時、危機回避手段を探すために起こすものだと言われている。過去の体験から現状を打開する手段を見つけるために、猛烈な速度で追憶するのだ。

 命の危機は往々にして瞬間的な判断を要するものであり、危機を感じる→走馬燈現象に入る→危機への対応を始める、のサイクルは数瞬~数秒程度しかない。本来の走馬燈現象は通常の状態から一瞬にして切り替わる。


 対してゼルクラッドの意図的な走馬燈現象は四十秒ほど時間を掛けなければ切り替えができない。

 しかし理論上は一瞬の内に切り替えができるはずなのだ。「今、命の危機に陥っている」と錯覚するほど強烈な自己暗示ができればいつでも切り替えができる。実際に九歳で訓練を始めた時は二分かかっていた切り替えが四十秒まで短縮されている。実戦に近い空気の中で訓練する事で時間短縮はより捗った。


 「入った」ゼルクラッドがそれまでよりも更に研ぎ澄まされた突きを放つ。盾でわざと受けさせ、受け方を制限し、重心の動きを観察して詰碁のように次の一手を計算する。たった四発の突きでレインは盾を横に逸らされ、半身を露出させられてしまった。ゼルクラッドは手前に巻き込むような回し蹴りで大盾を引きはがそうとする。


 レインは回し蹴りを受けても大盾を手から離さなかったが、離さなかったせいで体勢が前のめりに崩れた。そのがら空きの腹に牽制の中段蹴り。レインは素早くブロードソードを間に入れてガードする。ガードを見越していたゼルクラッドが中段蹴りを途中で膝蹴りに切り替えるも、レインは顎を逸らしてギリギリで回避。

 しかしそれで致命的にバランスが崩れた。本命の刀の二連撃を首と腹に叩き込まれ、レインは声もなく地面に崩れ落ちた。倒れたレインの胸を踏みつけながら心臓と頭に素早く寸止めの突きを入れ、そこではじめてゼルクラッドは動きを止めた。

 ゼルクラッドの勝ちだ。


 数分経ち、ゼルクラッドの視界が元に戻る。丁度レインの呼吸も戻り、悔しそうに呻いた。


「また勝てなかった。神速使われたら勝てねーよ……使われなくても勝てねーけどな! ハッハッハァー!」

「そうヤケになるな。前よりは動きが良くなってる。真面目に訓練しているな」

「るせー!」


 怒鳴るレインに苦笑する。

 ゼルクラッドの走馬燈現象は日本語を齧ったレインに『神速』と命名されていた。「意図的な走馬燈現象」と長々呼ぶのも面倒だったし、意味もそう間違っていない。何より「思考加速」が恰好良くないという理由で却下されてしまっては神速を受け入れるしかなかった。

 いつものように負け、いつものように機嫌を悪くしたレインに、いつものように諭す。


「実戦では仲間と連携する事になる。堅実に守るのも重要な仕事だ。勝てなくても、負けなければ仲間がフォローして倒してくれる。仲間としても倒れない盾がいるのは有り難いもんだ」

「うるせー説教すんな、分かってる。そーいう理屈は聞き飽きたんだよ」

「ゼルに勝てないと意味が無い、か?」

「はん、わかってんなら言うなっつーの」

「それは悪かった」


 レインはフンと鼻を鳴らし、ブロードソードを手に取って立ちあがった。そしてそのまま素振りを始める。ゼルクラッドは地面に転がった盾の隣に座りこみ、黙って見守る。

 負けても腐らずに努力を重ねるレインをゼルクラッドは好ましく思っていた。数年に渡って全く容赦せず打ちのめし続けても、レインはいじけず、怠けず、投げ出さない。どこまでも真っ直ぐに努力し、なんとかしてゼルクラッドに勝とうとしている。驚嘆すべき事だ。

 幼少期から負け続けた相手に、青年期になってもまだ勝とうと思うのは難しい。普通はどこかで心が折れる。あるいは惰性で勝てないと思いながら身の入らない勝負を続けるか。

 しかしレインは闘志を消していない。ゼルクラッドはレインから暗い嫉妬や僻みを感じた事がほとんどなかった。口は悪いが。


 大した奴だ……と改めて思いながら見守るゼルクラッドの視線が気になるのか、レインは途中で素振りをとめて疲れた様子で言った。


「何見てんだよ、どっか行けよ」

「いや、俺がレインぐらいの歳の頃はそんなに真面目じゃなかったと思ってな。レインはよくやっていると思うよ、本当に。敬意を感じると言ってもいい」

「は? なんだいきなり上から目線な事言いやがって」

「上から目線だったか?」

「あーそうだったね。マジうっぜえ」

「そうか? ……そうかも知れん。気付かなかったな。どのあたりが上から目線だと感じたか言ってくれ。直す。自分じゃ分からないんだ」


 レインは真面目な顔で言ったゼルクラッドをまじまじと見た。なんとも言えない様子で口をむにゃむにゃ動かし、ため息を吐く。


「お前は本当に……なんでそこで素直になっちゃうんだよ」

「?」

「あーあー、もういい、俺が悪かったよ。ゼルと口喧嘩するといっつもこうだ。やってらんねー」


 レインは心底あきれ果てた様子で空を仰いだ。












 早朝訓練の後、二人は武具を片付けてアリアと一緒に朝食を摂った。


 元々引っ込み思案で大人しかったアリアは、成長期に入り本格的に戦闘訓練を始めた二人と違い、後方勤務のための勉強をするようになっていた。

 成長する内に自然な流れで三人とも将来精霊教の下でアンデッドとの戦いに身を投じる事を決めていたが、アリアは戦いの才能が無く、また本人も戦いを怖がっていたため早々に戦闘訓練を止めていた。今はゼルクラッドの広めた医学の勉強をしたり、水属性Lv3スペル「ヒーリング」の習得を目指して修行を積んだりしている。そちらの才能はあったため、最近メキメキと頭角を現していた。


 アリアは性格がそのまま反映されたような、純朴でおだやかな容姿の美少女に育っていた。長く伸ばして三つ編みにした金髪に、慈愛溢れる碧眼がよく栄える。まだ少女の可愛らしさが目立ち、女性らしい美しさは表に出てきていないが、将来は母性溢れる美女になる事は間違いない。


 そんなアリアだが、一ヵ月前ゼルクラッドに告白して振られている。

 勘違いや再挑戦の余地が無いほどきっぱりはっきりと断られたのだが、アリアはまだ諦めていない。その情熱は確かなものでも、不毛な事だった。

 二人は精神年齢が違うのももちろんだが、ゼルクラッドは前世で娘を幼い内に亡くしているため、アリアを娘と重ねてみている部分が大きい。加えて誰かを女性として愛するのは前世の妻に対する裏切りだと思っている。とても恋愛感情は抱けなかった。


 告白されてからレインはますます積極的にゼルクラッドと張り合うようになった。訓練にも一層熱が入り、用事や暇を見つけてはアリアに会いに行く。

 そこでゼルクラッドは初めてレインが勝ちにこだわるのはそういう事なのだろうと気付いたが、だからといってどうという事はない。強くなる理由としては立派なものだ。誰かに良い所を見せたい。多いに結構。誰かを痛めつけたいとか、復讐したいとか、そんな理由よりはずっといい。


 アリアの方はレインの気持ちに気付いていない。鈍感というより、ゼルクラッドへの気持ちで頭がいっぱいでレインに気が回っていない。恋は盲目というが、視野狭窄まで起こすらしい。


 ゼルクラッドとしてはレインとアリアが恋仲になると嬉しいのだが、どうすれば良いのか分からないので見守っているのが現状だ。恋愛関係のアドバイスはできない。前世では妻に一目ぼれされてから一ヵ月のスピード結婚だった。恋愛経験も何もありはしない。


 朝食を食べながら、レインはどこから仕入れてきたのかひそひそと噂話をした。

 ちなみに席はアリアを挟んで左右にレインとゼルクラッドだ。


「なー聞いたか? リジットさんが精霊主義に鞍替えしたらしーぜ」

「え? リジットさんってあの怖そうな眼鏡の人でしょ? すっごい人間主義の人じゃなかった?」


 アリアは驚いてサラダに刺したフォークを止めた。レインがその反応に気を良くして得意げに語る。


「そうだったんだけどな。なんでも最近呪文唱え損なって危うくゾンビに殺されそうになったらしくてな。こりゃ危ないってんで精霊主義に回ったんだとさ」

「なるほど。そうなると人間主義は相当下火になるか」

「あれっ、そんなに精霊主義の人って多かった?」

「多い多い。それに偉い人はほとんど精霊主義。まず大司教がそうだろ? アウレオールスさんもそうだし、Lv3スペル使いもほとんどそうだったよな。ゼルは精霊主義だっけ?」


「いや俺は中立。まだ詠唱破棄は絵に描いた餅だ。精霊魔法に使われている言語は日本語だが、厳密に単語も接続詞も決まっている。同じような意味であっても別の単語を使うと精霊は反応しないし、倒置法で唱えても反応しない。囁くような小声なら反応するが曖昧な発音だと威力が下がっていって、最終的には発動しなくなる。呪文全体の文字数に対する曖昧であったり訛っていたりする発音の文字数に比例して呪文の威力が下がっていくというあたりはシステマチックだな。発音の正確さの判断基準が機械的な音波判定なのかある程度恣意的な精霊独自の判断なのかは分からないが。精霊魔法は精霊に呪文で語りかけて魔法を発動させるというよりも精霊に呪文で合言葉を伝えて魔法を発動させると言った方が正しい。例えば予め精霊に日本語で『次に呪文を唱えても魔法を使わないでくれ』と頼んでおいても呪文を唱えれば基本通りに精霊魔法が発動するから、精霊自身も日本語を断片的にしか習得していないという事も考えられる。精霊も呪文を丸暗記しているだけで、その意味まで理解しておらず、呪文以外の言語で語りかけられても分からないという訳だな。ああ、もちろん精霊は日本語を完全に理解しているが呪文の威力や発動に関する決定権が精霊に無いため魔法の調節ができないという考え方もある。ただし精霊が現れた最初の頃は何度か精霊側からアンデッドに関しての情報伝達があったという記録が残っているし、その時に魔力覚醒していた……古代魔法の使い手で精霊を認識できた魔法使いと簡単な意志疎通を図ったという逸話もあるから完全に精霊に意思決定権が無いというわけではない事は分かっている。そもそも精霊は人間の詠唱を必要としない方が嬉しいのかという問題もある。精霊の精神的活動については分からないが、精霊の自由意志で精霊が精霊魔法を使えるようになっても、精霊自身が独特の感性や理論に則ってあくまでも詠唱に拘る可能性もある。しかし初代大司教以来精霊と対話して意志を確認できる人間はいない。今後対話が可能になる見通しもない以上研究の手段は間接的な物に限られ、実際の所研究の大部分が過去の文献を紐解く事とそこからの推測に基づくもので、最近は新規性のある発見も」


「おいゼル」

「ん?」

「短く」

「……できるかどうかも分からない事で争うのも馬鹿らしい」

「そっ、そうだよね! 私もそう思う!」

「最初からそう言えや」


 ぼーっと聞いていたアリアがはっと我に返っていい加減に相槌を打ち、レインはパンをちぎってスープに浸しながら投げやりに言う。ゼルクラッドは頭を抱えた。長々と語ってしまう癖は死んでも治らなかった。気を付けてはいるが治らない。


「まーこのペースで行けば人間主義消滅かねぇ」

「いや、現状アンデッドに押されているから戦力不足を補いたい精霊使いが精霊主義を唱えているだけだろう。人間の勝ちが見えて戦後を考える余裕が出れば人間主義は増えるさ」

「ええ……何それ」

「だらしねーなおい。そんなにコロコロ主義変えるのかよ」

「まあそう言うな。長い人生、何から何まで信念をもって貫き通すのは大変だろう? 譲れない所だけしっかり守ればいい」


「フム。含蓄のある言葉だ」


 急に背後から声をかけられたゼルクラッドは口に含んでいた牛乳を吹きそうになった。なんとか堪えて振り返る。そこには養父が厳格そのもの、といった顔で立っていた。ゼルクラッドと一緒に振り返ったレインとアリアの背筋が反射的にすっと伸びる。


「おはようございます、アウレオールスさん」

「おはよう。レインとアリアも」

「お、おはようございますっ」

「おはよーございます!」

「うむ、元気で宜しい。食べ終わったら三人とも執務室に来なさい。話す事がある」

「分かりました。何かありましたか?」

「それは向こうで話そう。ああ、急がなくてもいい。ゆっくり食べなさい」


 それだけ言うとアウレオールスは立ち去った。

 三人は顔を見合わせる。


「なんだろ?」

「さあ? 俺悪い事はなんにもしてないぞ」

「なんだろうな? 心当たりはないが……まあ行けばわかるか。ごちそうさま、先に行ってる」

「あ、まって私も」


 一緒に席を立ったアリアは嬉しそうにゼルクラッドの袖の端をちょこんと掴んでいる。

 それを見て一瞬表情を無くしたレインはため息を吐き、パンの残りを口に突っ込んで二人の後を追った。











 三人がノックして執務室に入ると、事務机についていたアウレオールスは眉を顰めて言った。


「早いな。急がなくても良いと言っただろう」

「いえ、もうほとんど食べ終わっていたので」

「そうか……」


 アウレオールスの目がちらりとパンくずのついたレインの口元に行ったが、何も言わなかった。顔が厳めしくてもそこまで厳しい性格をしているわけではない。三人の顔を順番に見て頷き、話し始める。


「実は昨夜、郊外でアニマルスケルトンが目撃された。見間違いかも知れないという話だったが、数日前に目撃地点付近の農場で家畜がいなくなっている。いなくなった家畜がアンデッドになっている可能性は高い。アニマルスケルトンは一般人でも武器を持てば対処できる程度の危険度が低いアンデッドだが、放置するわけにもいかん。そこでこの件は私が受け持ち、お前達の初陣に充てる事にした」


 勝てる戦いで実戦の空気に慣れさせる。よくある事だ。三人はこれまでずっと精霊殿に缶詰を強いられていたが、今回の初陣・外出には三者三様の理由がある

 日本語-ナルガザン語の辞書をざっと書き終え、日本語(精霊語)の普及も進み、ゼルクラッドの重要性は以前よりも相当下がっている。現代知識は半分弱は曖昧になっていてはっきりとは思い出せないし、役立ちそうな目ぼしい知識は全て文字にしてあるため、実も蓋も無く言えば死んでもそれほど大きな痛手ではなくなった。依然として重要人物であるのには変わりないが、警備に人員を割き続けるのも問題だ。将来前線に行くなら、戦闘の勘を取り戻しておくのは必要だった。

 レインは多感な時期であるが、もう右も左も分からない子供ではない。いくら家族が軒並みアンデッド化した不吉な家系といっても、本人は小さな頃からそれなりに熱心な精霊教信徒。今更アンデッドに誑かされる事も無いだろうという判断での外出許可、兼、実戦だ。

 アリアについては祖母である大司教トリーアの意向で二人についていく事になっていた。理由としてはゼルクラッドに近い。どこで何をしていてもアンデッドに狙われる立場にいるのだから、いざという時に対応できるように実戦経験の一回や二回は積んでおいた方が良い。


 突然の話にも特に心を動かさず、納得だけして無表情のゼルクラッドと違い、レインはあからさまに嬉しそうな顔をした。何度かコッソリ抜け出そうとしてまで行きたかった精霊殿の外。初めての実戦。どちらも心躍るビッグイベントだ。

 今にも踊りだしそうなレインと反比例するようにアリアは不安そうな顔をしている。


「あ、あの、あの、私は? 私も? 私も行くんでしょうか?」

「もちろん行くとも。アリアーニャは後ろで見ていなさい。もし二人が怪我をしたらすぐに治療する事。前線に出る事は無くとも実戦の空気を知っておく事は必ず役に立つ」

「えっと、はい……」

「緊張する事はない。今回は私が護衛につこう。リラックスされても困るがね」

「は、はい」


 アリアはガチガチに緊張した強張った顔で頷いた。アウレオールスは苦笑して少年二人に目を向ける。


「準備をして三時間後に精霊殿の正面門に来なさい。もしアニマルアンデッドを発見できなかったとしても夕方には一度戻る。荷物と武装は自分で考えて用意する事。質問は?」

「敵の数は」

「最低三体。消えた家畜の数から推測するに最大で十体といったところか。勿論別のアンデッドが現れる可能性もある。他には?」


 質問はゼルクラッドからだけで、アリアとレインからは出なかった。これは質問が無いというよりも何を質問するべきなのか分からないというのが大きい。万が一の場合の撤退の合図や、移動時間、目的地周辺の地形など聞くべき事はあった。ゼルクラッドは知っていて質問を促すために聞かなかったし、アウレオールスは質問を思いつくか試す為に黙っていた。

 結果的に質問は出なかったが、ここで教え諭すよりも実戦で痛い目を見て覚えた方が身になる、と年長者二人は判断した。あるいは実戦を終えた後に纏めて指摘するか。致命的でない失敗はできる内にしておいた方がいい。


 話が終わり、三人は退出する。


「っしゃあ!」


 執務室を出て扉を閉めた途端、レインはガッツポーズをとった。気負いは全くない。全身から嬉しさが溢れだしていた。

 監視付とはいえ戦士として認められた嬉しさと、物心ついてから初めての外出。実戦への恐怖や緊張はそれらに比べれば些細なものだった。

 戦いの歌を歌いながら自分の部屋に走っていったレインを見送り、アリアとゼルクラッドが残される。適度な緊張を持ちながらも余計な力みが無い理想的な状態のゼルクラッドと、小刻みに震えて動きがギクシャクしているアリア。性格がよく表れている。


 ゼルクラッドはレインの浮かれ具合も心配だったが、アリアの過度な緊張も心配だった。ほぐせるだけほぐしておく事にする。できるだけ優しい声音を作って話しかけた。


「アリア」

「なっ、ななななに?」

「あれは三日ぐらい前だったか、夜遅くまで薬草事典を開いて勉強していたな」

「えっ? あ、うん……そ、そうだけど。なんで知ってるの?」

「トイレに起きた時に窓から見えた。夜はカーテンぐらいは閉めておいた方がいい。明かりも漏れるからな。しかし勉強するのは良い事だ。アリアがいつも頑張っているのはよく知っている。将来はきっと立派な水属性の癒し手になれるだろう」

「そ、そう? そうかな……えへへ」


 ゼルクラッドに褒められ、少しくすぐったそうに髪を弄る。


「医務室の手伝いに行く時、最近は雑用以外にも助手として働かせて貰っているらしいな?」

「あ、うん、そう、なの、かな? うん、言われてみると色々やらせて貰えるようになったのかな? 包帯巻いたり薬出したり、あっ、消毒液作って消毒もできるようになったよ!」

「そうか。安心しろ、実戦に出てやる事もそれと変わらない。いつもと違う場所、いつもと違う状況で、いつものようにやればいい。不安になったら思い出せ。毎日詠唱した呪文を、毎日開いた薬草事典を、毎日手伝った医務室の仕事を。今回は失敗しても大丈夫だ。ちょっと緊張し過ぎだからな、失敗しに行くぐらいの気持ちで行けばいい」


「……うん」


 話が実戦に戻った。またアリアの顔色は悪くなったが、先ほどよりは大分良かった。

 控えめにぐっと手を握りしめたアリアと分かれたゼルクラッドは、今度はレインに忠告しに行く。レインとアリアを足して二で割れば丁度良いのに、と思いながらため息を吐いた。

 だがこういうのも悪くない、とも思った。後進が育つのを見るのはいつだって嬉しいものだ。


 三時間後、準備を整えた四人は精霊殿の正面門に集まっていた。

 固く閉ざされた荘厳な扉を前にしてレインがそわそわと体をゆすっている。背中に背負った大盾と、腰に差した剣の他には昼食を入れた袋しか持っていない。

 アリアはパンパンに膨らんだリュックサックを背負っておどおどと体を揺らしている。弁当の他に包帯に消毒液に添え木にナイフに気付薬に針に縫合糸に、と持てるだけ持ってきていた。一応申し訳程度の小盾も腰にぶら下げている。

 ゼルクラッドは刀を腰に差し、脛当てと手甲を装備している。持ち物は携帯食料と水、ナイフ数本、発煙筒をウエストポーチに入れていた。


 アウレオールスはいつもの赤いローブ姿で、カイトシールドを背負い、雑嚢を腰に下げている。三人の装備をざっと見て、アリアの大荷物を見て眉を顰めたが、特に何も言わなかった。明らかに過剰装備だが、即座に指摘して正さなくてはならないほど致命的なミスでもない。


「フム。では行こう。私についてきなさい」


 アウレオールスはそういって正面扉の閂を外した。待ちきれないレインがいそいそとその後ろにつき、青い顔のアリアがレインの後ろに並ぶ。殿はゼルクラッドだ。アウレオールスはゼルクラッドを先頭にと考えていたようだが、道中の地理に不安があったためアウレオールスを先頭に変更した。前後を熟練者で挟んでおけば真ん中の二人は安全だろうという配慮だ。

 四人は精霊殿の正面扉を開けて外に出て――――





 一歩踏み出した瞬間、アウレオールスの頭が吹き飛んだ。

 唐突に吹き飛んだ養父の頭部。なんと精霊殿の外ではお腹をすかせたシャルロッテの群れが待ち構えていた……このままでは全員マミられてしまう!

 どうするゼルクラッド! どうなるゼルクラッド!

 次回、

 第六話「アウレオールス! 新しい顔よ!」

 お楽しみに!





 嘘です。四話で展開遅いとか言われたのでアウレオールスの頭を吹き飛ばすのを一話早めてみた。一話抜いただけで急展開にしか見えない

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