四話 来いよレイン! 木剣なんて捨ててかかってこい!
清場和仁が転生してゼルクラッドになり、一年が経った。依然世界には目に見える大きな動乱は無く、平和といえば平和だ。裏では精霊と魔王の熾烈な戦いが繰り広げられているのだが、それが表面化するほどには事態は深刻化していないので、まあ平和といっても良いだろう。
いくら全く知らない言語とはいえ、一年も日常的に聞いて話して学んでいればそれなりに覚えるもので、ゼルクラッドは相手が早口でなければ日常会話が通じる程度にはエレメン教国の言語――――ナルガザン語を習得していた。逆に養父であるアウレオールスや精霊教の最高位第六代大司教(最初に会った老婆)トリーアに日本語を教えているが、こちらははかばかしくない。
新しい言語を学ぶ場合、母語との差異が大きい言語ほど習得難易度は上がる。ナルガザン語は地球に存在するメジャーな言語をほぼ全て習得したゼルクラッドをして「全く聞き覚えも見覚えも無い」と言わしめた。従ってナルガザン語話者にとって日本語習得の難易度は極めて高いと言える。養父や大司教達は熱心に学んではいるが、未だに会話が成り立つレベルまではいっていない。
全く異なる言語を学ぶのはゼルクラッドも同じではあるが、こちらは多言語を学ぶ下地があるため比較的習得が早い。
言語学習と並行して情報収集・情報交換をした結果、ゼルクラッドは肉体年齢相応で身に着けるべき一般常識のほとんどを把握した。要するに六歳児相当の常識を覚えた。しかし一部の分野、特に精霊関係は専門家レベルまで身に着けている。
精霊という存在はエーリュシオンでかなり重要なポジションを占めている。いつから存在していたかは定かではないが、約千二百年前には既に古代人が使役していたという。そしてその千二百年前の古代人文明の断片的な情報は地球の二十一世紀初頭のそれと大体一致する。飛行機、車、電波塔、インターネット、日本語などの特徴的文化・文明が存在したようだ。地球で死んだ和仁がエーリュシオンにやってきてゼルクラッドになったように、過去にも地球で死んだ日本人がエーリュシオンにやってきて故郷を真似した文明を築き上げたというのがもっとも納得できるシナリオだ。
しかしそうなると、地球とエーリュシオンでは時間の流れが違うという事になる。大雑把に考えてエーリュシオンでの千二百年前が、地球での四百年前。エーリュシオンは地球の三倍速で時間が流れている。
仮に地球への帰還が物理的あるいは魔法的に可能だとしても、地球行きの装置なり魔法なりがゼルクラッドの存命中に開発できるとは到底思えない。
更に付け加えるなら、例え三倍速でもエーリュシオンで九十年経てば地球では三十年。三十年経てば前世の知り合いは軒並み鬼籍に入っている。前世で義理堅く誠実だとよく言われたゼルクラッドだが、流石に墓参りのために世界を超えるほど殊勝でもなかった。
もっとも地球とエーリュシオンの関係がどうであれ、エーリュシオンに生きるゼルクラッドには最早関係無い。現代のエーリュシオンよりも遥かに優れた古代人文明ですら地球と行き来したという記録は無いのだから、ゼルクラッドの存命中に文明レベルが古代人文明の水準を上回り、行き来できるようになる望みは皆無といってもいいだろうし、もし行き来した結果地球の放射能汚染がエーリュシオンに浸食してきたり、逆にエーリュシオンのアンデッドが地球になだれ込んだりしたら洒落にならない。
地球とエーリュシオンは行き来できないし、してもいけない。それがゼルクラッドと精霊教上層部の共通見解だ。
ゼルクラッドは何かが窓を叩く音で目を覚ました。首を後ろに捻って窓の外を見ると小鳥が嘴で窓を叩いている。精霊殿の中庭には小動物が住み着いているため、中庭に面した部屋ではよくこういう事があった。窓を開けて留守にすると帰ってきたときに猫や蛇が侵入していたりする。
普段の起床時刻よりも少し早かったが、二度寝するほどでもなかったので身を起こす。小鳥はびっくりしたのか飛び立っていった。
いつものように着替えて食堂へ向かう。食堂ではレインとアリアーニャがちょっと眠気を引きずった様子で皿にシチューをよそっていた。朝の挨拶を交わして席につくと、これもいつものようにレインが聞いてくる。
「今日なんかある?」
「ないよー。ゼルは?」
「ない」
「じゃあさ、」
と、レインは誰も自分達に注目していない事をさっと確かめ、顔を二人の方へ寄せて声を潜めた。
「食べおわったらこっそり町に出よう。さっきエルフがきてるって話きいちゃったんだよ、こりゃもう行くしかないよな?」
「え?」
「ん?」
「え、あれ?」
アリアーニャとゼルクラッドにまじまじと見つめられ、レインはたじろいだ。
「な、なんだよ」
「私たちはここから出ちゃいけないんだよ?」
「そんなの大人がかってに決めたことだろ。少しぐらいバレないって」
「バレないとかそういうのじゃないよ、ダメなんだからダメなんだよ。おこられちゃうよ」
「バレなきゃおこられないって。アリアは行きたくないのか? エルフだぞ、エルフ。今日行かないときっとどっかいっちゃうぞ」
「うぅん、行きたいけど……」
「大人たちはなんかかいぎ? があるとかなんとかで今日の昼まで外に出ないみたいだし、おれはうら口の戸のあけ方知ってるから見つからずに出れる。だいじょうぶだって、な?」
「んんん……」
「ゼルも行きたいだろ?」
立て続けにまくし立てられ、元々押しに弱いアリアーニャは頷きそうになっていた。ゼルクラッドは黙って聞いていたが、勿論反対である。
エルフというのはエレメン教国の東にある大森林に住む少数民族で、精霊に愛され、古代人の失われた魔法を操ると噂の謎が多い種族だ。耳が長く、金髪碧眼で、魔法が得意で森に住むといういかにもな種族の上、名前が「エルフ」。偶然地球の「エルフ」と合致したというには出来過ぎている。ゼルクラッドは古代人と深い関係にあった種族だと睨んでいる。古代人は黒髪黒目のため、末裔という線は薄いが、遺伝子改造をした可能性もあるので本当のところは分からない。
そのエルフだが、人前には滅多に姿を現さない。町はずれの空き地に勝手に小さな店を立てて珍しい品物を商っていたかと思うと翌日には店ごと消えていたり、宿屋のカウンターの前に忽然と現れて一泊だけしていったり。エルフに会いに東の森に入った調査隊は必ず消息を絶つためどんな種族なのかはよく分かっていない。
ゼルクラッドとしてもいたく興味をそそられるところだが、好奇心にかられて精霊殿の外に出た結果アンデッドが群がってきて死にました、では洒落にならない。
精霊殿の精霊使いは門番や外来担当などの一部を除いて全員会議に出席するため、護衛をつけて外に出るというのもダメだ。
ゼルクラッドが外に出るのは論外。Lv2スペルもそれなりに使えるようにはなっているが、とても足手まとい二人を守りながら奇襲搦め手に対応できるレベルではない。
アリアーニャは大司教の孫であるため、立場上アンデッドに狙われる恐れがあり、外出禁止。
レインは物心つく前に両親祖父母兄が軒並みアンデッドになって精霊使いに討たれたという過去を持つ。アンデッドになりやすい血筋なのではと疑われ、アンデッド化を防ぐために護りの厚い精霊殿の外に出てはいけないと命じられている。
とは言え真正面からダメ出ししてもレインはゴネにゴネるだろう。ゼルクラッドは話を危険域からそらす事にした。
「会ってはみたいな。エルフは珍しい品物を売ってると聞く」
「あー! あったあったそんな話! でもあれだろ、ヘンテコなお金がないと買えないんだろ? こづかい全部出したら売ってくれないかなー」
小遣いの残高を思い出しつつ指を折って計算するレイン。つられてアリアーニャも計算していた。
エルフは教国で流通している貨幣とは異なる特殊な貨幣で商売をする。一応両替はしてくれるが、近頃はかなりレートが上がってきているという話をゼルクラッドは小耳に挟んでいた。
「いや、レートが高いから小遣い全部出しても多分はした金にしかならん」
「れーと?」
「交換比率の事」
「こうか……なに?」
二人は揃って首を傾げた。ゼルクラッドは苦笑して、小遣い全部出してもエルフの売ってるものは高いから買えない、と大雑把にまとめる。
「えー」
「おばーちゃんの部屋のエルフの絵みたいの欲しかったのになー」
「なんとかしろよゼルー」
「むりいっちゃだめだよレイン」
「いーんだよ、大司教様の部屋の絵みたいのが手に入るならうれしいだろ?」
「え? それは、うん……あれっ?」
言いくるめようとするレインと混乱しはじめたアリアーニャは既に声を潜めていない。食堂中に聞こえているが、ゼルクラッドがついているなら大丈夫だろうと全員静観を決め込んでいた。テーブルの反対側で苦笑いしている女精霊使いに任せて下さいと目配せして、ゼルクラッドは仕上げにかかる。
「実はこっそり集めたエルフの金があってな。中庭に隠してあるんだ」
「まじで!? やっるー! 取りに行こうぜ!」
「俺の金だぞ?」
「うっ……あ、後で! 後で返すからかしてくれ!」
「前もレインそんなこと言って返してないんじゃなかった?」
「ちょ、アリアだまれ」
慌ててアリアの口を塞ぐレインに苦笑する。確かに数ヶ月前の小遣い前貸しをまだ返してもらっていなかったが、特に返済期限も設けていないのでゼルクラッドとしては構わない。最悪、年の末のお年玉に当たる小遣いから差っ引くので問題はない。
それにゼルクラッドのエルフの金――――シアン硬貨はエルフについて勉強する時に資料としてアウレオールスから貰ったもので、棚ぼたで手に入れた金だ。手放すのを惜しいとも思わなかった。
何やらわあわあ騒いでいる二人に提案する。
「せっかくだから宝探しをしようか」
「宝探し?」
「そう、宝探し。中庭を探して、隠してある硬貨を見つけたらそれは自分のものにしていい。二人が探し始めて一時間したら俺も探す」
「えー……そんなの、かくしたのゼルなんだからゼル有利じゃん」
「だから一時間待つ。一時間経ったら俺も探すが、妨害してもいいし、先回りしてもいい。ただし人から宝箱を奪うのはナシだ。誰かが宝箱に触ったらその時点で触った人の物。こんなルールでどうだ」
「なんで人からとっちゃダメなの?」
「泥沼の奪い合いなるだろ」
「? ……ああ、なるほど」
レインとアリアは少し首を傾げて頷いた。奪い合いを許すといつまで経っても宝探しは終わらない。今日中は二人を精霊殿から出したくないゼルクラッドにとってはその方が都合が良いのだが、奪い合いがエスカレートして遺恨を残すようではいただけない。勝負に終わりを作るのは大切だ。
「やってやんぜ! ぜんぶおれが見つけてやる!」
「い、いっこは見つけたいかな」
レインは拳を握りしめて宝探しに燃え、アリアは控えめな目標を呟く。目的が「エルフに会いに行く」から「宝探し」にすり替わっている事に気付いていない。ゼルクラッドはひっそりと笑い、スープを飲み干した。
「硬貨は宝箱に入ってる。金貨の宝箱が一つ、銀貨が二つ、銅貨も二つ。ただし銅貨の宝箱は三枚入りだ。宝箱の大きさはこれぐらい」
手で握りこぶしを作って大きさを示すと、レインとアリアが頷いた。中庭の端のベンチの傍で、三人は
「普通に木の宝箱だから見れば分かる。質問は?」
「じめんにうめてるとかねーの? 中庭ぜんぶほるのはやだぜー」
「どこに隠してあるのか考えるのも含めて宝探しだ。ただ、ヒントが無いと分からないような場所には隠していない、と言っておこうか」
他に質問は無いのか、二人は腕まくりをして開始の合図を待った。
二人はまるで疑問を抱いていないが、ゼルクラッドは元々二人に構ってやるためにそのうち宝探しをしようと密かに準備をしていた。用意が良いのはそのせいだ。多少予定は早まったが問題はない。
「一時間後に俺も探しにいく。じゃあ、スタート」
「っしゃおらー!」
「はじっこからさがそっと」
ゼルクラッドの合図で二人は密林のような中庭の森の中に駆けこんでいった。
それを見送り、ベンチに腰掛ける。空を見上げると青空に白い雲がゆっくりと流れていた。輝く太陽は一つで、地平線の端の方に薄く浮かんだ月も一つ。余計な衛星は見えず、空の色も普通だ。これだけ見ると地球なのではないかと錯覚する。しかし地球ではない。
ゼルクラッドは宇宙が無数にあるというマルチバース説を支持している。各宇宙はそれぞれ内包する素粒子の性質が異なり、素粒子の性質が異なれば物理法則も異なる。無数にある宇宙の中には、地球の物理法則と比較するとまるで魔法のように見える物理法則が成り立つ世界も当然あるだろう。この世界の物理法則がまさにそうである。
しかし異なる物理法則が成り立っている割に地球と同じような生命体が存在しているのは妙だ。
無数にある宇宙の中でも、生命が誕生する条件を満たした素粒子が存在する宇宙は僅かしかない(もしかしたら地球だけかも知れない)と言われていた。生命が存在するという時点で素粒子の性質が極めて狭い範囲に絞り込まれ、同時に物理法則も近しいものになる。要するに生命が存在する世界の物理法則はほぼ地球と同一でなければならない。人間の想定の及ぶ限りでは、だが。
更にその物理法則の中で実際に生命が誕生する星が生まれる条件は更に厳しい。程よい安定性と反応性を持った元素が大量にあり、かつ恒星との距離がちょうどよく、大気を逃さない程度の重力を持ち、周囲の惑星がその重力によって致命的な大きさの隕石の軌道を逸らす役割を担っている、などなど。
従って地球の物理法則に加えて魔法という法則がとってつけたように存在しているのはおかしい。新幹線に羽を生やすようなものだ。既に完結している物に余計な物を付け足したら、バランスが崩れて壊れる。にもかかわらず実際に魔法があるのだから、魔法が存在するかどうかは生命の誕生にとって誤差の範疇、なのだろう。生前読書家の上に乱読家だったゼルクラッドでも、流石に宇宙論・生命論の専門知識まではもっていないのではっきりとした事は言えない。
あるいは魔法というのはただの錯覚で、空気中に散布されたナノマシンが音声に反応して云々……というSFチックな物理の延長という可能性もある。大陸の形が変わるほどの未来にやってきたと考えればあり得なくもない。もっとも大陸の形が二十四世紀の原型を留めないほどに変わっているにも関わらず、人間が進化した様子も無ければ退化した様子も無いというのはそれはそれでおかしな話だが。
つらつら考えている内に一時間が経過したので、ゼルクラッドはベンチから立ち上がってのんびりと中庭の森に入って行った。勝つ事が目的ではないので、焦る必要はない。
鬱蒼とした暗い森林の中は深い森の匂いがする。空気はひんやりと冷えていて涼しく、小鳥の鳴き声が四方八方から聞こえてきた。宝箱を隠した場所は全て覚えているので、森林浴を楽しみながら一番近い隠し場所に向かう。森に入ってすぐに感じた視線と尾行には気付いていないフリをした。
さくさくと落ち葉を踏んで歩き、立ち枯れて朽ちかけた大木の前で立ち止まる。大木の根は大岩を包み込むようにして絡みついている。その大岩の隙間を覗くと、隠しておいた銅貨入り宝箱が無くなっていた。
「ほう?」
少し感心した。森の中でも分かりやすい目印がある場所に隠したのは確かだが、見つけられるかどうかは五分だと考えていた。二人への評価を上方修正し、次の隠し場所に移動する。
二つ目の隠し場所、岩に囲まれた砂場に半分埋めておいた銅貨入り宝箱も消えている。銅貨は両方とられていた。なかなか鼻が利くようだ。
残るは銀貨二枚と金貨一枚。発見難易度も相応に上がる。全部とったのならわざわざ尾行する事はないだろうから、少なくとも一つは未発見の宝箱がある事になる。
三カ所目、大きなウロができた一際大きな木の下で、ゼルクラッドは上を見上げた。二メートルほどの高さに突き出した枝の分かれ目に宝箱が引っかかっている。
その宝箱を取る方法は大きく分けて二つ。木に登って取りに行く方法と、もう一つは――――
「おっと!」
突然強風が吹いて枝が大きく揺れた。宝箱がバランスを崩して落下する。ゼルクラッドは宝箱が枝を離れて落下を開始した時点で既に振り返り、鋭く重い踏み込みで猛獣のように走り出していた。
木刀を両手に持ち、横に構えて走り込みゼルクラッドに斬りかかろうとしていたレインが驚いて足を迷わせる。
「迷うな、レイン!」
「っ! がああ!」
ゼルクラッドの叱咤を受けてレインは顔を歪め、一拍置いて吠えながら横薙ぎを放った。ゼルクラッドはスピードを殺さずそのまま懐に入り、腕を捻り上げると同時に足をかけて重心を崩した。そこから急制動をかけて止まりつつレインが腕の痛みに身を捩る方向と重心の崩れを誘導する。それだけでレインは錐もみ回転をして横に投げ捨てられた。レインが自分から跳んだようにも見える。
「にゃろ!」
「良い根性だ。が、素直過ぎる」
即座に跳ね起きてまた飛びかかるが、あっさりと木刀の一撃を受け流されてぽーんと投げられる。今度はついでとばかりに木刀も巻き上げられた。背中から落下して息を詰まらせたレインはぐったりと大の字になって地面に転がった。
「くっそ! かてねー! なんでだ!?」
「年の功、かな。早々負けてやる訳にはいかんよ」
ムスッとして上半身を起こしたレインに、落ちた木刀を投げて渡してやりながら評点をつける。
「風の精霊魔法で枝を揺らして宝箱を落とし、俺がそれを拾おうとした隙に背後からの奇襲をかけるつもりだったと見るが、精霊魔法の無駄打ちと言わざるを得ないな。俺が棒なり精霊魔法なりで宝箱を落とそうとした時にバランスを崩させる目的で使った方が有効だ。まず斬りかかり、振り向いた所に精霊魔法をぶつけてもいい。体力の無い子供の内は特にそうだが、戦い始めたらすぐに息切れでまともに詠唱できなくなる。初撃を上手く使わないと俺には勝てないさ。上手く使われても簡単に負けてやるつもりはないが。
まあそれでも最初からレインが囮役でアリアが奪取役の役割分担をしているなら言う事は無いんだが、その表情から察するに単に漁夫の利を取られただけみたいだな。アリアもなかなか強かだ」
レインが自分の背後に向けたなんともいえない奇妙な視線と足音で宝箱をアリアがかっさらっていった事を察知したゼルクラッドは、振り返らずに苦笑した。一応気付いてはいたが、振り返るとレインに背中を斬られる可能性があったので見逃した。むしろ状況をややこしくする事もない、自分やレインと比較して身体能力に劣るアリアが宝箱を手に入れるチャンスを潰すことも無い、とレインの足止めも兼ねた弁舌をふるっていた。宝探しが終わった時にアリアの成果がゼロでは後々の禍根になりかねない。
「せなかに目ついてんのか、っておい! アリア追わないのかよ! 逃げちゃうぜ!」
「ルール」
「……あ」
宝箱は最初に触った人の物になる。追いかけても意味はない。熱くなってそれを忘れていたレインは間の抜けた声を漏らした。ゼルクラッドは服についた汚れを払って言う。
「さてレイン。ここで俺を動けなくなるまで叩きのめしてからゆっくり残りの宝箱を探す手もあるが、どうする?」
「くそ、分かってていってるだろ。ねーよそんな手は。へんだ、せいぜい次はせなかに気をつけろよ!」
レインは捨て台詞を吐いて走り去った。ゼルクラッドは肩をすくめ、残りの宝箱の隠し場所に向かってまっすぐ歩き出す。
それまでの宝箱にもまっすぐ歩いて向かっていたので、そろそろ気付いてもおかしくない。少し頭を使えば先回りを思いつくだろう。頭を使って先回りして宝箱を取るならそれで良し。尾行して横取りも成功するならそれはそれで悪くない。
気付かれないようにわざと譲ったり負けたりする事もできるが、その場合、後々「あの時わざと負けたんだ」と悟られた時に心に大きな傷を作る。勝った喜びが大きいほど手を抜かれたと知った時の失意も大きくなる。故にゼルクラッドはハンデをつける事はあってもわざと負ける事だけはしないようにしている。
そうすると人生経験の分有利なゼルクラッドは連戦連勝する。レインもアリアも一度も勝負事でゼルクラッドに勝った事がない。何を挑んでも負けるのは大変なストレスになる、というのは理解している。しかしそれもまた経験だ。将来アンデッドと対峙するような職に就くのなら、一度も勝てない相手とも戦っておいた方がいい。
もし負け続けて腐って折れる程度の精神力なら、今の内に折れておいた方がいい。後方で大人しくしていれば良い。中途半端に自信をつけて凶悪なアンデッドに挑むのが一番危険だ。逆に努力を重ねた結果本気のゼルクラッドに勝てたなら、それは大きな自信に繋がる。
完全に子供の教育をする親の考えだった。
次の銀貨の宝箱はなくなっていて、ラストの金貨の宝箱はアリアとレインが連携して横取りに動いた。が、拙い連携の隙を突かれ、容赦なく叩き伏せられる。宝箱はゼルクラッドが手に入れた。
最終スコアはアリア銀貨1、レイン銅貨2銀貨1、ゼルクラッド金貨1。金額的にはゼルクラッドの勝利。宝箱の獲得数ならレインの勝利。ただし勝敗の基準を決めていないので勝ちも負けもない。
宝探しが終わり、アリアとレインは森の外で硬貨を光に翳して嬉しそうにはしゃぐ。それをゼルクラッドは暖かく見守っていた。二人とも擦り傷だらけだったが、宝物を手に入れてとても嬉しそうだ。二人が喜び、良い経験を積み、そんな二人を見るゼルクラッドも嬉しい。そして、
「あーっ!」
突然レインが叫び声を上げた。愕然として真上に上った太陽を見上げている。
「昼になっちゃったじゃん!」
「え? ……あっ」
「まいったな、宝探しに時間をとられ過ぎたか」
アリアも間を置いて理解し、ゼルクラッドがさらっと合いの手を入れた。ゼルクラッドの目論見通り時間は潰れ、もう精霊殿を抜け出せる時間帯は過ぎた。ちょうど三人の見ている前で回廊に面した扉が開き、会議を終えた精霊殿の重役達がぞろぞろと出てくる。
丸く収まって良かった、と内心で安堵しつつ、ゼルクラッドは悔しがる二人をなだめにかかった。