三話 精霊について語るスレ
エーリュシオンに現在存在する精霊の総数ははっきりしていない。しかし野良猫程度にはいるらしい、と漠然と考えられている。多くはないが希少でもない。精霊は豊かな自然の中で力をつけ、増えていくので、数は常に変動している。
精霊の姿を捉える事が難しいというのも精霊の総数把握を妨げている。土が不自然に蠢いたり、水が奇妙に盛り上がったり、火が不気味に揺らめいたり、風が埃を巻き上げたりして人型を作る事があるが、そんな時はそこに精霊がいるとはっきり分かる。しかし人の生活圏の外にも精霊はたくさんいるし、生活圏の中にいる精霊全てが前述のような分かりやすい印を出すわけではない。
近くに精霊がいるかどうかの確認法として確実なのは呪文の詠唱だ。精霊魔法の内、Lv1スペルと呼ばれる最下級の呪文は近くに精霊が存在すれば無条件に発動する。
Lv1スペルはマッチ程度の火を灯したり、そよ風を起こしたりという程度の弱い魔法で、生活の役には立つがとてもアンデッドとの戦闘に使えるものではない。
そこでより実用的で実践的なLv2スペルを使えるようにするために必要なのが「契約」だ。
人間が特定の精霊に常に自分の傍に居て貰えるようにお願いし、精霊がそれを承諾すると、人間と精霊の結びつきが強まってLv2スペルが解放される。また、Lv1スペルを唱えて「しかし こうかが ない。ちかくに せいれいが いないようだ……」となる恐れがなくなる。この一連の流れを契約といい、一般的に「精霊使い」といえばLv2スペル以上の魔法を使える者をいう。
さて。
ゼルクラッドはLv1スペルを通常より強力に使う事ができたが、契約をしているわけではない。異世界転生から三ヶ月が経ち、アウレオールスと大司教の勧めでゼルクラッドはLv2スペルの契約をする事にした。
契約にデメリットは無い。強いて言えば無契約の精霊の数が減る事だけだ。もし精霊魔法を悪用すると精霊が力を貸すのを辞めてしまうので、悪用の恐れもない。ちなみに一度使えるようになったLv2スペルが使えなくなるというのはこの上なく不名誉な事で、それだけで村八分状態にされる。
その日、朝早く起きたゼルクラッドは(精神年齢的に)年甲斐もなく胸を高鳴らせていた。転生前はオカルト否定派だったが、今は世界の法則が違うからという理由で特に否定はしていない。エーリュシオンでは魔法の存在を前提とした物理法則が成り立っているのだから、否定する方がおかしい。魔法は常識なのだ。
とはいえあまり魔法に憧れは抱いておらず、精々新しい自転車を買いに行く子供程度のワクワク感だ。
転生した日から使っている部屋は変わらないが、二段ベッドは一段になり、箪笥や棚が増えている。机の上にはインク壺や万年筆、キッチリ角を揃えてまとめて積まれた紙の束、植木鉢などが置かれて以前よりも生活感が出ていた。
ゼルクラッドはベッドから降りて寝間着を脱ぎ、子供用のカソックともローブともつかない白い服を着て、靴を履く。備え付けの水がめで顔を洗い、ついでに植木鉢に水をやって部屋を出た。
まだ日が昇るかどうかという時間帯だったが、廊下ではちらほらとすれ違う人がいた。すれ違うのは大人ばかりで肉体年齢六歳のゼルクラッドは浮いていたが、少なくとも外見には隔意無く和やかに挨拶を交わす。
精霊教はあれをしろこれをするなという規則の厳しい宗教ではないが、嫉妬や憎悪などの悪意は魔王に魅入られる原因となるため悪しとされている。無くせと言われて無くせるものではないし、下手に禁じると抑えつけられてますます膨れ上がるため、誰それが嫌いだ、気に入らないという発言や態度は普通にする。するが、陰湿な苛めや排斥には発展しないあたりは努力が見られる。怒鳴りあいや暴力沙汰もほとんどない。合わない相手とは距離を取るか、とことん話し合って妥協点を見つけたり理解し合ったりする。
そのためか年嵩の精霊使いほど穏やかで理知的な性格になる傾向にある。
要するに「子供の皮を被った大人だ、気持ち悪い」とか「得体が知れない、関わりたくない」とか、そんな事を思われていても虐めや冷遇には繋がらない。付け加えれば戦略的に重要であるから機嫌を損ねると不味いという打算も働いているし、そもそも大多数の精霊使いは好意的である。
ゼルクラッドが食堂に入ると、そこでは数人の精霊使いが長テーブルに着いて静かに食事をとっていた。彼らに会釈し、端の方の席に着く。籠に入ったパンをとり、トングで少ししなびたサラダを皿によそって食べ始める。
食堂はコンビニを二つ繋げたぐらいの広さで、長方形の部屋の中央にこれまた長方形のテーブルが置かれている。テーブルにはスープの入った平鍋やサラダボウル、ティーポット、食器などが置かれているので、席に着いた者は自分で勝手に好きなだけ食べる。パンだけ食べたりサラダだけ食べたりするのもアリだが、朝なら前夜の、昼なら朝の、夜なら昼の残飯も置かれていて、それを優先的に食べるのが暗黙の了解になっている。
パンにサラダにスープにとバランスよく食べていると、アリアーニャとレインが食堂に入ってきた。テーブルを見回しゼルクラッドを見つけると、右隣にアリアーニャが座り、アリアーニャを挟んだゼルクラッドの反対隣にレインが座った。
「おはよ」
「よー」
「おはよう」
レインが言い、目をとろんとさせたアリアーニャが追従し、ゼルクラッドが答える。
アリアーニャはのろのろとパンをとって齧りはじめた。レインがテーブルの上にしなびたサラダが残っているのを見て少し嫌そうな顔をしたのに目ざとく気付いたゼルクラッドは、おかわりして残りのサラダを全て取る。レインはラッキー、という顔をして嬉しそうに新しいサラダを山盛りにとった。
「今日なんかある?」
新鮮なサラダをフォークでざくざく刺して口に運びながらレインが二人に聞いた。
「ないよー。ゼルは?」
「精霊契約がある。今日、遊ぶない、ずっと」
「えー? なんだよつまんねーの。そんなのほっときゃいいじゃん、べつにゼルがいなくてもけいやくできるんだろ? きのうあたらしいけんつくったんだよ、けいこつきあえよー」
「? ……ああ、付き添い違う、俺の、自分の契約」
「だれのけいやくだって?」
「俺の」
パンに肉と野菜を挟みながら何気なく聞き返したレインは言葉を脳内で反芻して固まった。
果物ばかり皿にとりながら不思議そうにアリアーニャが聞いてくる。
「ゼル、けいやくするの? けいやくって大人にならないとしちゃいけないんじゃないの?」
「いや、俺は特別例で、体は子供でも大人思い出のあるので」
「はーっ!? なんだそれ! なんだそれ!」
叫び声で食堂中の視線が集まった。テーブルに追加のパンを運んできた厨房のおばちゃんが眉を吊り上げる。
「レイン、静かに」
「ずっこいぞゼル! んだよもうおまえはもいっつもいっつもさー! さんすうもさー! けいこもさー! なんでもできてさあ! おまえばっかりさあああああ! ちゃんとしゃべれないのに! なんでだよおかしーだろ!」
「ああ、まあ、見た目と歳が同じ違うからなんでもできるのは当たり前で、ナルガザン語を喋るか日本語を喋」
「えこひいきだ! ゼルがするならおれもけいやくする!」
「聞けよ」
「きいてるよ!」
聞いてはいるが聴いてはいない。いっそ口を塞いでやろうかと考える。アリアーニャは近づいて来るおばちゃんとレインを交互に見ながらオロオロしていた。レインはますますヒートアップしていく。
「おれだってがんばってるのに! じゅもんだってLv2スペルぜんぶおぼえてる! なんでゼルがよくておれはダメなんいってぇえ!」
「食事中はお静かに」
「うぐぅ……」
厨房のおばちゃんに拳骨を落とされ、涙目で頭を押さえて静かになった。
その後もしばらく小声でぶつぶつ文句を言っていたが、デザートの果物を食べる頃にはアリアーニャと何をして遊ぶか楽しそうに話していた。ゼルクラッドはそれを微笑ましげに見守り、フォークを置いてそっと席を立った。
朝食後、ゼルクラッドは廊下を渡り、中庭の中心にある契約の間に移動した。契約の間といっても屋内ではなく屋外で、屋根も壁もなく鬱蒼とした木々に囲まれている。地面に半径五メートルほどの円形の石が敷かれていて、円周上の東西南北の位置に四精霊の姿が彫られた四本の石柱が立っている。白っぽい石柱には蔦が絡みつき、風雨にさらされくすんだ色合いになっていた。
契約の間では立ち合い人としてアウレオールスが待っていた。他には誰もいない。ゼルクラッドは精霊教にとって下手をすれば大司教よりも重要な人間だったが、必要以上に仰々しくされる事はない。精霊教のその素朴さをゼルクラッドは気に入りはじめていた。
「心の準備は」
「いつでも」
養父の静かな問いかけに短く返し、ゼルクラッドは契約の間の中心に立った。覆いかぶさるように頭上に広がる樹冠から柔らかな陽光が差し込むそこは、魔法的なものとは何か違う幻想的な雰囲気を漂わせている。
ゼルクラッドは大きく深呼吸をして心を落ち着けた。特に試練や難しい儀式があるわけではなかったが、事が事だけに流石に緊張する。
一人の人間が契約できるのは一属性の精霊だけで、四属性の内一属性の精霊を選んで契約すると、他の属性の精霊とは契約できなくなる。例えば水属性の精霊ウンディーネと契約した場合、水属性スペルがLv2まで使えるようになり、他の属性はLv1までしか使えなくなる。この縛りの原因は精霊同士の相性の問題であるとも、精霊がまだ力を取り戻しきっていないからだとも言われている。他にも全ての属性の精霊に共通してアンデッドを見分ける能力も得られる。近くにアンデッドがいると精霊のざわめきのようなものが感じられる(※)、というもので、危機管理に非常に役立つ。
今回、ゼルクラッドは風属性の精霊シルフと契約する予定だった。
Lv2精霊魔法の使い手――――精霊使いはアンデッドに嫌がられると同時に狙われ易い。アンデッドは精霊使いを厄介に思い避ける一方で、隙あらば殺そうとしてくる。精霊もそれが分かっているので、精霊側から一方的に人間と契約を結ぶ事はない。人間が自ら精霊に呼びかける必要がある。
ちなみに精霊殿の契約の間はいわば精霊と人間の交流の場で、ここで呼びかければ必ず精霊は応えてくれる。契約の間以外で契約をしようと思ったら、見えもしない精霊を探してひたすら森や湖をうろついたり、精霊がそこにいるか確信を持てないままあてずっぽうに契約の呪文を唱えて回る必要がある(例外的に精霊側から契約の打診をしてくる場合も無い事はないが)。人間と共闘している割に人間に不親切だが、精霊も忙しいらしく、そういう仕様と諦めるしかない。その点契約の間での契約は楽で良い。
契約は実質的にアンデッドとの戦いに身を捧げるという誓約でもある。従って精霊使いの大多数は精霊教に所属していて、在野の精霊使いは稀だ。子供の精霊使いはさらに稀である。精神的にも肉体的にも未熟な子供は容易くアンデッドに殺されてしまったり、騙されたり唆されたりしてアンデッド側に寝返ったりする。だから精霊教では子供の契約は基本的に禁じている。アンデッドと戦うためとはいえ命を粗末に扱う事はない。
しかしゼルクラッドは例外で、精神的に成熟しているし、契約に関係なく命を狙われる状況なので、万一に備えて契約しておいた方が賢い。早い内から精霊魔法を使い、慣れておくという意図もある。生きている限りアンデッドと敵対する事になるのだから、どんな生き方をするにせよ精霊魔法は必須だ。
アウレオールスに目を向けると、黙って首肯を返された。元々アウレオールスは単なる立会人であり、必要なのはゼルクラッドの一言だけである。あとはそれを口にするだけだ。
いざ契約をしようと口を開いたところで、ゼルクラッドはふと疑問に思った。どうもここまで上手く行き過ぎている感がある。
転生し、すぐさま最大級の保護を受け、衣食住困る事なく暮らし、問題無く学び、魔法を手に入れ。転生して三ヶ月経つが、未だに挫折らしい挫折や軋轢、失敗は無い。仮にも常識の違う異世界転生したというのに、だ。普通ならもっと前世の価値観や先入観などから来るミスを犯す方が自然である。
何事にも謙虚な態度で生活していたし、どうも精霊に愛されているらしいというエーリュシオンでは価値のある体質を持っている事もあり、必然だったのだと言えばそれまでなのだが、まるでお膳立てされたかのように全てが順調に進んでいる。
ゼルクラッドは悩んだ。本当にこのまま流されるまま契約し、先へ進んで良いのだろうか? 何か見落としてはいないか?
前世では対等な友人や同僚、家族がいて、違う視点からのものの見方を知る事ができた。しかし今世では若干語弊があるがVIP待遇で、(肉体的に)同年代の子供とは精神年齢が違い過ぎる。同じ立場から異なる考え方を教えてくれる者がいない。どうしても視野は狭くならざるをえない。
ゼルクラッドが今どのような状況にあり、どう行動すべきなのかは自分で判断するしかない。
「ゼルクラッド?」
アウレオールスに沈黙を訝しがられる。その声で我に返り、大丈夫だと頷いた。
二回目の人生がお膳立てされたというなら、それは精霊がそうしたのだ。ゼルクラッドはアンデッドへの強力な切り札に成りうるが、ゼルクラッドがどうするかはゼルクラッド自身が決める事ができる。極端な話、その気になれば自殺して切り札を白紙にする事ができるし、人類を裏切ってアンデッド側につく事もできる。
(大丈夫だ。俺は自分で選んでいる)
どんな状況でも選べる道は一つではない。合理的に考えれば一択だとしても、合理性だけで生きないのが人間だ。それは地球でも、異世界でも変わらない。
今回は精霊と契約するのが合理的で、心情的にも精霊と契約してみたいという好奇心がある。今はそれだけでいい。
そしてゼルクラッドは契約の呪文を唱えた。
『契約を締結する。応えよシルフ』
呪文が紡がれた直後、契約の間に涼やかな風が流れ込んだ。風はゆるゆると流れてその場に留まる。空気が歪んで人間の少女の形を作った。シルフがやってきたのだ。
あとはここからシルフが手を差し出し、それを握り返せば契約は成立するのだが――――
「む?」
契約の間から数歩離れて見守っていたアウレオールスが困惑した声を上げた。
緊張と期待の入り混じった気持ちで手を出そうとしたゼルクラッドが周囲を見ると、妙な事になっていた。
円形の石畳の縁から独りでに染み出し伸びあがり、優しげな女性の形を作る水。
虚空に灯り、大きく膨らんで屈強な大男の形を作る火の玉。
不自然に盛り上がり、ずんぐりした背の低い男の形に変わる土。
風精霊と契約するはずが、何故か他の精霊も反応していた。
精霊達は呆然とするゼルクラッドの周囲に集まってくる。火や水が人型を作って動く様はまさに自然の化身だった。
「ゼルクラッド、できるなら四属性すべて契約すれば良い」
「え、あ、はい」
立ち直りはアウレオールスの方が早かった。ある程度想定していたかのように落ち着いている。実際、ゼルクラッドの精霊からの贔屓具合を考えればこのような事態は想像に難くない。大多数の精霊教徒にとってゼルクラッドはいずれ世界を救う英雄の卵か聖人のようなもので、評価は高い。これぐらいはやってもおかしくないと思われていた。
ゼルクラッド本人としてはLv1スペルと同じようにLv2スペルも高威力で使えるかな、ぐらいにしか考えていなかったので、これは想定外である。
想定外だったが悪い事ではない。数秒思案したゼルクラッドは手を差し出した。四精霊は手を重ねてそれを握る。手から何か違和感のようなものが流れ込み、それと同時に精霊の姿が崩れ、水で濡れた土塊とぬるい空気だけが残る。
拍子抜けするほどあっさりと契約は完了した。
「ふむ。私は歴史の目撃者になったのやも知れんな」
アウレオールスが淡々と言う。ゼルクラッドはまだ実感がわかなかったが、曖昧に頷いた。
自分の手のひらを見つめる。何も変わっていないように見えるが、決定的に変わった。いとも簡単に。試練も訓練もなく。
何か納得がいかなかったが、悪い事ではないと自分に言い聞かせた。四属性全てのスペルを使えれば単純に考えて使いこなすまでにかかる労力は四倍で、複合的な使い方を考えれば四倍どころではない。なににせよ努力は必要になる。
まだ最終的な将来像は漠然としていたが、ひとまずは精霊魔法を使いこなすための訓練の日々が待っている。
やるべき事から確実にこなしていこう、とゼルクラッドは思った。
【契約内容】
一、乙は甲が契約確認後エレメン教国精霊殿前で意識を取り戻すよう取り計らう
※魔力圧縮で瞬間的に魔力密度を上昇させる。圧迫感のようなものを感じる。