十話 大魔法使い
「そういえばおじさん、お名前は?」
「随分久し振りに名乗る気がするな……ロバートだ」
「ありきたりですね」
「黙れ。そういうお前はどうなんだ」
「シルフィア」
「お前もありきたりだ」
「えぇ、そうですか? 他にシルフィアって名前の人知らないんですけど。どんな名前ならありきたりじゃないんですか?」
「……ブンガロバッサとか?」
「それ人名じゃないじゃないですか」
ちなみにブンガロバッサは痺れ薬になるこの世界の薬草の名前だ。生前痛み止めに使っていたアレ。
阿呆な会話をしながら俺はふよふよとシルフィアの横を漂い、街中を行く。シルフィアは商店街に差し掛かった所ですれ違う町人の怪訝な目線に気付いて口を噤んだ。俺は一般人には視認されないため、シルフィアは傍目からすればぶつぶつ会話調で独り言を言う怪しい人だ。黙った方が賢明だろう。一方的に話し掛けても面白くないので俺も黙った。
シルフィアの背後霊と化しながら商店街や道端の露店から大体文明の発達具合を推測し、思ったよりも遅い発達速度にもやもや感を抱く。前世の人類が長足の進歩を遂げただけなのか、この世界の人類の歩みが遅いのか。同じ人間なのだからもっとばんばか発展していくのだろうと思い込んでいたがそうでも無いらしい。
魔法があるからか? 人間の気質から言って魔法と化学の融合とかやってむしろ発展速度が急上昇しそうなもんだけどなあ。
『もうすぐ到着です』
「おわっ!? なんだ今の」
突如耳元で声がして俺は思わず変な声を上げてしまった。シルフィアを見れば三歩分は離れている。えええ……? 今確かに耳たぶ噛み千切れるぐらいの距離で囁かれたと思ったんだが。
『通話魔法です』
シルフィアは前を向いて脇目も振らずすったかたと歩きながらまた耳元に声を送ってきた。横から顔を覗き込んでみると確かに唇が微妙にもごもご動いている。
「通話魔法? 念話ではなく?」
『念話……直接頭の中に声を送る魔法の事ですか?』
「そう」
『それをやると死にます。良くて廃人ですね。やってあげましょうか?』
「謹んでお断りします」
ニコーッと笑ってブラックジョークを……ジョークだよな? ブラックジョークを飛ばしたシルフィアにご遠慮申し上げる。
魔法ってのは炎やら念力やら以外にも色々種類があるらしい。エクスプロージョンとかテレポートもあるんだろうか? 通話魔法は呪文を唱えている様子はなかったが、本来呪文が必要な所を無詠唱化したのか、ハナから呪文はいらないのか、何かマジックアイテムの補助を受けているのか。
発動形態も分からない。神や精霊に魔力を渡してお願いして魔法を起こして貰っているのか、それとも自分で魔力を消費し魔法を起こしているのか。
その他諸々聞いてみたい事は山ほどある。しかし俺はシルフィアの理解を超えた存在であるらしく、先程質問を拒否されたばかりだ。「大」魔法使いなのだからエマーリオとやらはさぞ魔法に詳しいのだろう。ここでシルフィアに散発的に質問を浴びせるよりはエマーリオに聞いた方が良さそうだった。
そう結論を出して非効率な質問を控えた俺とシルフィアは会話も無く黙々と歩く。商店街を抜け大通りから脇道に逸れて人気の無い小道をしばらく進み、唐突にシルフィアが足を止めた。
『ここです』
「ほう」
着いたのは町外れの小さな屋敷だった。華美な装飾は無いながらも門柱に刻まれた模様や煙突の上の魔除けの石像、ドアのノッカーなど随所に品のある金の使い方を感じた。良い趣味をしている。門から入りこじんまりとした前庭を越えた先にすぐ赤煉瓦造りの屋敷はある。広さは一般的な民家三、四件ほどか。如何にも一線を引いた御隠居が住んでいそうな落ち着いた趣の屋敷だった。
「良い金の使い方をしてるな」
「よく言われます」
「世辞じゃないぞ」
「それもよく言われます」
シルフィアが門の前でゴソゴソ手を動かすと、カチャリと軽い音を立てて門が開いた。よく油が差してあるようで滑らかな開閉だった。
「どうぞ」
シルフィアが一歩下がって俺に促す。なかなか礼儀正しい娘だ。一瞬門から入ろうと動きかけたが、ふと意地悪をしてみたくなった。方向を少し横にずらし、門柱をすり抜けて屋敷の敷地内に入る。門だの塀だのは俺にとってあって無きがごとし。不法侵入のエキスパートとは俺の事。
「えええー……」
振り返るとシルフィアがなんとも言えない微妙な表情をしていた。してやったり。勝ち負けかで言えば勝ちだ。
「ぅん?」
子供相手に子供っぽい優越感に浸っていると、突然シルフィアが何かに気付いた様に声を上げた。首を傾げながら俺の顔をマジマジと見つめ、ぽそっと言った。
「えっちなのは駄目ですよ」
ハァ?
「いきなり何を……ん? ああ、そういう意味か。それは深読みし過ぎだ」
一般人には見えず何でもすり抜ける=覗き放題、という事か。女の立場からしてみれば男に最も持って欲しくない能力の一つだろう。
しかし俺はゴーストになってから人間の三大欲と言われる睡眠欲も食欲も性欲も感じていない。覗きは可能でも動機が無い。
そう説明すると、シルフィアはうさん臭そうな顔をしていたがひとまずは納得したらしかった。嫌だねおい、まさかこんな潔白の証明をしようがないもので嫌疑をかけられるとは。
前庭を抜けて玄関から屋敷に入る。屋内も外見通りに落ち着いた高級感に溢れていた。廊下の壁に掛かった風景画、縁を蔦模様に彫り込まれた採光窓。窓際の鉢植えの鉢や壁紙、美しい木目の床板などは全体的に暖色系で揃えられている。どことなくアンティークな雰囲気だった。
「屋敷の造りはエマーリオの趣味か?」
「そうです」
いいねぇ。なかなか気が合いそうだ。
会う前から大魔法使いの評価を上方修正し、魔法しか能が無いという事は無さそうだと安堵もする。シルフィアの躾具合からも分かるがなかなかにできた御仁の様だった。
シルフィアが迷いなく歩いていくので嫌味無く配置された調度品の数々をゆっくり見ている暇は無い。後で見させて貰おうと頭の中の予定帳に書き込んでいると、急に寒気がした。体がざわつき、これ以上先に進む事を拒否する。
それは孤独な二百年間に散々味わって来た――魔力を乱される感覚。
俺は進むごとに強くなる圧力にたまらず移動を止めた。ゾクリと背筋を走る悪寒に知らず体を後ろにのけ反らせてしまう。
この先に何かやばい奴がいる。
動きを止めた俺の気配に気付いたのか、シルフィアが怪訝そうに振り返る。
「何か?」
シルフィアは何も感じていないらしい。俺は三歩分後ろに下がってから答えた。
「何か高密度の魔力を持った存在がいる」
シルフィアは目を瞬かせ、よく意味が分かっていない様子ではぁ、と曖昧な言葉を出した。
「高密度の魔力、とは祝福の強い魔力の事でしょうか?」
「ん、ああ、使ってる言葉が違うのか。密度云々は俺が勝手に作った概念だから……まあ多分その通りだろ。しかしおい、この屋敷にはドラゴンでもいるのか?」
「どらごん? どらごんが何を指しているのかは知りませんけど、屋敷に住んでいるのは私とお祖父さまだけです」
「じゃあそいつ――――エマーリオだな」
俺は内心とんでもない奴もいたもんだ、と呟いた。量は把握できないが、密度に関して言えばこの先の部屋にいるであろうエマーリオはずば抜けている。
はてさて。
俺は生前一般人よりも密度の高い魔力を持っていた。一般人を1.0とするとその倍、2.0ぐらいだろうか。俺が住んでいた村で最も魔力密度の高い村人が3.0ぐらいだ。
俺の妻は逆に最も低く、0.5ほどだった。俺に対し常に得体の知れないプレッシャーを感じていて、俺が魔力を捨てるとそれが消えた事から大きな密度差は圧力を生むと考えて良い。妻は3.0の村人からもプレッシャーを感じていた様だし、ゴースト期間の経験から言ってもこの法則に間違いはないと断言して良い。
妻との密度差は四倍。即ち四倍以上の密度差は圧力を感じる原因となる。
現在の俺の魔力密度は生前と同じ2.0まで回復しており、シルフィアの密度は4.0弱。二倍の差はあるが圧力は感じない。
と、ここまでを前提とした上で廊下の先から漂ってくる魔力を観察してみよう。
推定密度、10強。俺の五倍。まだ部屋の中にすら入っていないというのに廊下まで漂って来る、恐らくは莫大な魔力量。常人は精々肌から弱く発散する程度で、一メートルも離れれば大気魔力に溶けて分からなくなると言えばその異常性は分かるだろうか。
俺はまたエマーリオの評価を上方修正した。エマーリオ株急騰。本日トップ高。
「私の祖父ですから」
戦慄する俺の様子を見て何を納得したのかシルフィアは深々と頷き、誇らしげに言った。お爺ちゃん子っぽい。
俺は普段から無意識に行っている魔力固定に意識を向け、更に念入りに気合いを入れて強固につなぎ止めた。プレッシャーは消えないが安定感は増す。これで多少は近付いても拡散させられずに済むだろう。エマーリオに直接触れでもしたら即死する確信はあるが。
「ひとまず大丈夫だ。先へ案内してくれ」
「先って言ってもそこの部屋がお祖父様の部屋なんですが」
シルフィアは右手側のニメートル程先にあるドアを指した。
うっは、もうですか。武者震いがする。これほど緊張するのは妻との初チョメチョメ以来だ。
シルフィアがドアに歩み寄り、ただいま帰りました、魔法使いなのかどうかよく分からないお客様がいらっしゃっているのですが、ノックをしながら言った。そして何事かくぐもった返事を聞き、俺に視線を向けて頷く。
シルフィアに続いてドアを潜った俺は濃密な魔力に叩かれながら室内を観察した。
魔法使いっぽいものも特に無い、極普通の書斎風の部屋だった。格子模様の茶色いカーペットが敷かれ、壁際の本棚には本がみっちり詰まっている。隅の小さめのベッドはしっかり整えられており、几帳面な性格を伺わせた。そして部屋の中央、ロッキングチェアに座って木製のどっしりした文机越しに俺に興味深気な視線を向ける老人が一人。
「……ようこそ」
宙に浮かぶ半透明の俺を見て一瞬驚いた様子を見せたが、それほど動揺する事無く言った。
短い白髪頭に皺が目立つ顔に、豊かに蓄えられた白髭。理知的な輝きを放つ瞳は深い碧色。ゆったりとした藍色のローブを見事に着こなしている。
正直な話、今まで「殺気の籠った目とか憂いを帯びた目とか言うけど目を見ただけでそんなもん読み取れる訳ねーだろ、創作物の中でしかありえん(笑)」なんて思っていたがこれは撤回せざるを得ない。それほど圧倒的なカンストしてんじゃねぇのかってレベルの知性がこれでもかと溢れている。この老人……できる! ……ざわ……ざわ……!
「中へどうぞ」
俺が入口で停止してあるとエマーリオが促した。後ろから入ってきたシルフィアがドアを閉めたので、俺はできる限りエマーリオから離れるべく部屋の隅に移動する。
エマーリオは不審そうに眉を顰めた。
「貴殿は特殊な魔法を使っておられる様ですが、私は別段危害を加える意思は持っておりません。もう少し近付いてはいかがか」
「無理。死ぬ」
「ほう? すると近付いた者を殺す様な……いや……なるほど……そのままで結構」
エマーリオは俺の台詞を「俺が死ぬ」のではなく「エマーリオが死ぬ」と勘違いしかけたらしかったが、すぐに俺のすぐそばの肘掛け椅子にぽすんと座ったシルフィアと本棚に半分埋もれている俺の腕、更に浮いている足に素早く目を移し何事かを理解した。やはり大魔法使いともなればゴーストを知っているのか。
「名は」
「ロバート」
「私はエマーリオ。大魔法使いなどと呼ばれております。御用件は」
「魔法についてできる限り教えて欲しい」
「……残念ながら弟子はとっておらんのです。それにそれほどの魔法を行使できるならば弟子入りの必要も無かろうかと」
「いやこれは魔法じゃなくてだな。ゴースト……死者の霊? 死人の記憶の残滓? 正式名称は知らないが」
「魔法では無い、と? 魔法が発動している様にしか見えませんが?」
……んん? ちょっと待て。大魔法使いがゴーストを知らない?
「質問に答える前に聞かせて欲しい。エマーリオ……さんは魔法の実力と知識で評価するとどのあたりにいるんだ?」
「呼び捨てで結構。恐らくはロバート殿が聞き及ぶ噂の通りかと」
「いや知らん」
「……知らない? それはどのような」
「お祖父様、ロバートさんお祖父様の名前を聞いた事ないみたいです」
シルフィアが挟んだ言葉にエマーリオは虚を突かれた様に目を瞬いた。そんなに有名なのか?
「……まあよろしい。私の知る限り、少なくとも王国、帝国内部では魔法に関して言うならばあらゆる面において最も優れている、と自負しております」
「つまり最強?」
「最強……そうですな。不遜な言い方ですが」
「偉いのか」
「いえ、既に一線は退いております。しかし妙ですな」
「何が」
「貴殿の魔力は魔法が使えるほど祝福が強く無い様に見えるのですが、同時に非常に流動が少なく固定的にも見えるのです。新しい魔法の発動法を発見し、その発動法に対し魔法以外の名称を付け、魔法では無いと主張なさっているという理屈でよろしいか」
俺は数秒かけてエマーリオの言葉を咀嚼してから頷いた。
「そうかも知れん。が、これは完全我流だからはっきり分からん。簡単に言うとだな、偶然秘薬を飲んで自分なりに魔法を使おうと一人で四苦八苦してたらこういう状態になったんだよ。魔法に関しては秘薬を飲まなきゃならんって事以外何も知らん。祝福だのも分からん。分からんから教えを乞いに来た。……教えて貰っても今は対価を払えんが……礼をしようとは思っている」
最初はコソコソ偵察して知識をつけようと思っていたが、こうして友好的な知識人に会った以上はその必要も無い。エマーリオは俺の言葉を聞くと顎に手を当てて思案顔になった。シルフィアは俺とエマーリオの顔を交互に見比べてから、真面目くさった顔になりエマーリオと同じ様に顎に手を当てた。よっぽどそのポーズは小娘がやっても似合わんと言ってやろうかと思ったが空気を読んで止めておく。
やがて考えが纏まったのか、エマーリオは重々しく口を開いた。
「ロバート殿。貴殿の行使している魔法と現在世界に知られている魔法は根本的に異なっておる様です。従って今この場で貴殿の魔法についての講釈をする事は出来ない、と理解して頂きたい。しかしながら現在知られている魔法に関して教える事は可能」
「弟子はとらないんじゃなかったか?」
「左様。弟子はとりません。弟子では無く取引の形になりますかな。私からは知り得る限りの魔法の知識、技術を提供しましょう。対価として貴殿の魔法について研究させて頂きたい」
「いや、人体実験は勘弁してくれ」
「同意の得られない実験は行わない事を誓いましょう」
「…………」
好条件に思えるがすんなり承諾して良いものか。
裏の意図を勘ぐって悩む俺にエマーリオは言葉を重ねた。
「ロバート殿、私は魔法に目覚めた少年時代からこの歳までただただ魔法を研究し、鍛えておりました。今日この日まで、間違なく私は誰よりも魔法の神秘に近い場所に居たのです。貴殿の魔法は私の生涯の研究に匹敵……凌駕する程の物。私は我流でその域に辿り着いた貴殿に尊敬の念を抱いております」
エマーリオの「尊敬している」という言葉を聞いて、さっきから空気になっているシルフィアが息を飲んだ。
「どうしてそのような人物に無礼を働き陥れる事がありましょうか」
エマーリオは立ち上がり、胸の前――――心臓部分に右手の握り拳を当ててゆっくり一礼した。
この仕草は知っている。俺が村長だった時、公の場で村人によくされたものだ。目上の者に対する最大限の礼である。意味的には平伏に近い。
俺はちょっと迷ってから同じ様に礼を返した。頭を上げたエマーリオは皺くちゃの顔に微笑みを浮かべる。俺は苦笑を返した。
俺が魔法についての知識を求めエマーリオを評価しているのと同じ様に、エマーリオも俺の技術の知識を求め俺を評価している。
俺とエマーリオは対等なのだ。
「個人的には取引ってか協同研究が良いんだけどな」
「なるほど、そちらの方が効率的ですな。共に魔法の神秘を解き明かしましょうぞ」
Q.魔法が使えるようになったら何をする?
A.魔法の研究をする
そんな捻くれた作者の捻くれた話、それがノーライフ・ライフ
ゼロから仮定や実験や考察を繰り返し魔法法則を解明していきます