第9話 行き止まり
リュカクから向けられたのは、明確な殺意。
それを身に受けたハヤトは一気に緊張が高まるのを感じた。
考えるより早く、身体が動く。
ハヤトはアミの手を掴み、リュカクに背を向けて走り出した。
突然のことにアミも、リュカクも驚きを示す。
だが、アミは戸惑いながらも足を止めることなく、ハヤトのあとに続いた。
「なるほど、逃げるか。そりゃあいい!」
声を弾ませるリュカクが地面を蹴り、彼らのあとを追いかける。
「すみません! どいてください!」
人混みの中を突き進んでいくハヤトとアミ。
ハヤトと衝突した人々がちいさく悲鳴をあげるが、そのことを気にかける余裕は今のハヤトになかった。
振り返らなくてもわかる。殺意が迫ってくる。
蛇のごとく執拗に、隙あらば身体に絡みついてきそうな勢いで。
だから、ハヤトは一心不乱に足を動かした。
彼らの逃走劇を眺める人の数は半々であった。
特に冒険者の格好をしている者達は、ほとんどがハヤト達の方を見向きもしない。
ハヤト達を視界に捉える人々も、すぐに興味を失ったかのように目を逸らし、日常へと戻っていく。
助けてくれる人は誰もいなかった。
警備兵ですら、ハヤト達が目の前を駆け抜けても微動だにしなかったくらいだ。
――これはバグの弊害なのか?
ハヤトは自力で逃げきるしかないことを早々に悟り、視界に入った細道に駆け込んだ。
それから手当り次第に街角を曲がって直線を避け、リュカクを引き離そうと試みる。
「ハヤト君、そっちは行き止まり!」
次に見えた曲がり角に駆け込もうとした瞬間、ハヤトはアミに引っ張られた。
「逃げるならこっちだよ!」
そして、今度はアミがハヤトの手を引いて走り出す。
ハヤトは少々つんのめりつつ、アミの後ろに従った。
「アミ! 俺を信じてくれたのか!?」
「ご、ごめんね! 私はまだ、迷っている!」
アミは懸命に息継ぎをしながら声を張る。
「私、リュカクさんにきちんと理由を、説明してほしい!」
「アミ……」
「でも、今ここで足を止めたら……ほんとうに、殺されてしまう気がして……!」
アミの声には悔しげな色が滲んでいた。
ハヤトも、複雑な表情でアミを見つめる。
相手に対話の意思がなければ、こちらからなにを言っても応答は期待できない。
リュカクの場合、わずかでも立ち止まらせる機会がない限り、言葉を投げかけることも難しいだろう。
――俺が走り出したから……アミを守りたいがために、対話の機会を奪ってしまったのか?
脳裏をよぎった疑問がハヤトの集中力を散らす。
その結果、彼は背後に迫っていたはずの気配が、いつの間にか消えていることに気付いた。
――撒いたのか? いや、そんなはずは……。
ハヤトは走りながらも、背後を振り返って確認する。
たしかに、リュカクの姿はそこになかった。
それを認識した次の瞬間――殺意が正面から現れた。
ハヤト達よりすこし手前の細道から、先回りしたリュカクが滑り出してきたのだ。
「まずい! アミッ!」
ハヤトは死にものぐるいで手を伸ばし、無防備だったアミの身体を自身の方へ強く引き寄せた。
ほとんど同時に、リュカクの刺突が放たれる。
稲妻のごとき鋭さと速さ。
それは紙一重でアミの肉体を貫かず、衣服を掠めるだけに終わった。
ハヤトとアミは転びそうになりながらも体勢を整え、別の道に飛び込む。
だが、その道を抜けた先でアミが絶望の声を零した。
「ハヤト君! ここは行き止まり……!」
眼前にそびえ立つおおきな壁。
傍らには、ふたりの焦燥に反して穏やかな気配を見せる水路。
そこは、倉庫街の裏手にある袋小路であった。
「くそっ!」
ハヤトはすばやく水路の反対側を確認するが、抜け道である細い通路には、木箱が隙間なく積み重ねられている。
引き返そうと振り返ったときにはすでに遅く、リュカクが道を塞ぐように立ちはだかっていた。
「なかなか逃げ足が速いじゃないか」
楽しげに述べるリュカクは、息ひとつ乱していない。
圧倒的な強者の風格に、ハヤトとアミは思わず怯んでしまう。
コツリ、と足音を立てて歩を進めるリュカク。
伴い、ハヤトとアミは段々と木箱の方へと追い詰められていく。
ハヤトは念のため木箱を押してみるも、かなりの重量があるようで動かすことすらままならない。
――なんとか隙をついて、元の道に戻るしか……!
頭ではそのように考えつつも、ハヤトの気持ちは揺らいでいた。
現状は、いわゆる格闘技のリング程度の広さしかない場所で、アースタイガーと対峙している状態に等しかった。
リュカクは短剣を構えておらず、一見すると警戒心がないようでもある。
しかし、いざハヤトが状況を打開するために身構えてみると、どこにも突破口を見出だせないのだ。
それほどリュカクには隙がなかった。
決してハヤト達を逃さないという執念すら、ハヤトには透けて見えたくらいだった。
まさに絶体絶命。
いよいよリュカクの殺意が身体に絡みつく。




