第7話 ありえない事実
台所へ入るには、居間を通り抜けなければならない。
裕斗が居間のドアを開けると、ソファに座っていた母親が反応して顔を上げた。
「あんたね、休日だからってゲームばかりしているんじゃないわよ」
母親は開口一番、小言を述べる。
耳に胼胝ができるほど聞いた母親のその言葉を、裕斗は適当な相槌を打って受け流した。
「ゲームをするくらい暇なら、醤油を買ってきてちょうだい」
「イヤだよ。ゲームをしているから暇じゃないんだ」
裕斗は文句を返しつつ、冷蔵庫の取っ手を掴む。
その際、冷蔵庫の表面に映り込む自分が見えた。
黒髪短髪に暗い目。
よれた部屋着に、小柄で前傾姿勢。
頼りのなさが全身から醸し出されていて、裕斗はそっと視線を逸らした。
――ハヤトくらい運動神経がよくて、顔も整っていたら、もうすこし人生が楽しかったかもしれない。
裕斗は冷蔵庫から緑茶のペットボトルを手に取った。
母親がいつも買い置きしてくれているうちの一本だった。
その蓋を開けると、裕斗は緑茶を一気にあおる。
いっそ死んで楽になりたい、という感覚を誤魔化すように。
ネガティブな思考を腹の底へ流し込んでいく。
裕斗は半分ほど中身の残ったペットボトルを持ったまま、台所から離れた。
母親がまだなにか言っていたが聞き流し、足早に階段を上がっていく。
自室に入ると彼は学習机の上にペットボトルを置き、代わりにスマートフォンを手に取った。
それから再びベッドに横になるとスマートフォンの画面に触れ、ブラウザアプリを起動。
検索バーの中に【ラジカルファンタジア 攻略】と入力し、一番上に表示された攻略サイトのリンクに触れた。
裕斗はメインクエストの攻略情報に目を通していく。
そのうちに、段々と彼の顔色が変わっていった。
「……アミの生存ルートは、ない……?」
攻略サイトには、《ダンジョンを出るとアミはアースタイガーに殺される》ことしか表記されていない。
つまりアミはメインストーリー上、必ずあそこで死ぬことが定められていたのだ。
――でも、アミが死んだから俺はリスポーンしたわけで……!
裕斗は慌てて画面をスクロールさせていく。
しかし、そこには裕斗の反論を打ち砕く情報が表示されていた。
序盤でアースタイガーに遭遇するイベントでは、戦闘中に他のNPCが駆けつける仕様になっており、クエストが失敗することはないようなのだ。
「そんなバカな……!」
納得のいかない裕斗は、さらに他の情報サイトと、改めて公式サイトも確認した。
それでもアミの生存どころか、裕斗のようにダンジョン内まで戻されたという記事は――どこにもなかった。
おかしなことは他にもあった。
町でハヤト達を刺した男や、ゲームの強制終了についても、一切言及されていなかったのだ。
「……どういうことだ?」
裕斗は言いようのない悪寒を感じた。
深淵に触れてしまったような、気味の悪さが背筋を走る。
それなのに、意に反して裕斗の口角は上がっていた。
「これは《バグ》なのか? 誰も見つけていない、公式サイトでもアナウンスしていない……未知のバグ?」
非日常なゲームの中で、ことさら非日常な事態が起きている。
そのことに裕斗の恐怖心と好奇心が同時に疼いた。
そして、好奇心の方がわずかに勝った。
――アミが生きている状態でゲームを進め続けたら、なにが起こるんだ?
裕斗の暗かった目に輝きが生まれた。
興奮でかすかに頬が紅潮し、胸の鼓動も早くなる。
はやる気持ちを抑えきれずに裕斗はスマートフォンを枕元に放り投げ、すばやくヘッドギアを装着する。
それから迷わず電源をオンにして、彼はラジカルファンタジアの世界へ潜り込んだ。
◆
ハヤトの視界に日光があふれる。
次いで喧騒が一気に聴覚を刺激した。
今回復活した場所は町の中だった。
ハヤトの視界は良好で、身体の自由もきいている。
そのことを確認するとハヤトはすぐさま周囲を見渡した。
すると、あまり離れていない場所でアミが立ち尽くしているのを見つけた。
ハヤトは思わず胸を撫で下ろす。
てっきり彼はダンジョン内からの再挑戦になると思っていたため、視界に街並みが映った瞬間、アミの死亡が確定してしまったのではないかと不安になったからだ。
――バグったままオートセーブされたということか?
それもまた不自然な事象であり、ハヤトの心を強く擽る。
だから、彼は急いでアミの元へ向かおうとした。
その直後、ハヤトの視界にメッセージウィンドウが出現した。
しかし、なんの文言も表示されないままノイズが走り、ウィンドウの枠が乱れ、歪んでいく。
ほどなくして、壊れたウィンドウはプツリと消えた。
――やっぱり、バグが継続している。
いささか不気味な光景であったがハヤトは動じなかった。
むしろ、ありえない現象が続いていることを実感し、口元が緩みそうになったくらいだ。
ハヤトは改めて真面目な表情を作ると、今度こそアミの傍に駆け寄った。




