第3話 最初の敗北
ハヤトは反射的に長剣を振るう。
鈍い衝突音と共に、刀身がアースタイガーの皮膚を滑った。
――皮膚が固い……! 剣がまったく通らないなんて!
だが、攻撃を受けたアースタイガーは体勢を崩し、ハヤト達から距離を取った。
どうやらハヤトの攻撃は多少の牽制になったようだ。
――よし、落ち着け。タイミングさえ間違わなければ、逃げるくらいの隙は作れるはずだ!
ただでさえ皮膚が固いというのに、アースタイガーの四肢と背面には岩石のような鱗が備わっていて、物理攻撃が通じるような見た目をしていない。
だからハヤトは戦闘の継続より、町まで逃走することを優先した。
「アミ! 魔術を撃てるか!?」
ハヤトはアースタイガーを注視しながら声を張る。
「なにか目くらましになる術があれば、それを……!」
直後、アースタイガーが低い唸り声をあげた。
それは地鳴りのごとく草原に響き、咆哮とはまた違う重々しい音で空気を震わせる。
同時にアースタイガーの鱗が淡く光った。
「ハヤトさん! そこから離れてください!」
アミの咄嗟の忠告は間に合わなかった。
アースタイガーがひと声吠えた途端、ハヤトの足元の地層が変化し、先端のとがった岩が無数に突出したのだ。
一瞬のできごとにハヤトは反応できず、鎧ごと岩に身体を貫かれる。
「やば……っ!」
ここがゲームである以上、プレイヤーが痛みを感じることはない。
しかし、強力な攻撃を受けたハヤトは瀕死状態に陥り、身体を滑らかに動かすことができなくなった。
そのため、刺さった岩が消えるとハヤトはその場に崩れ落ちた。
「アイスニードル!」
次の瞬間、高らかなアミの声がハヤトの耳に届いた。
おそらくハヤトを助けようとしたのだろう。針の形をした複数の氷がハヤトの頭上を通り、アースタイガーに降り注ぐ。
しかし、アースタイガーは煩わしげに身を引いただけ。
それどころか今の攻撃を起因に、狙いをハヤトからアミに変更したようだった。
――まずい!
ハヤトがアミに警告を飛ばそうとした。
けれど、そのときすでにアースタイガーは地面を蹴り、ハヤトの真横を駆け抜けていた。
ハヤトは懸命に身体を捻り、アミの方へ視線を向ける。
「――あ」
声にならない声がハヤトの口から零れた。
アミの首に、アースタイガーが噛みついたからだ。
間髪いれず、耳を塞ぎたくなるような音がハヤトの元にまで届いた。
それはアースタイガーの強靭な顎が、アミの首の骨を噛み砕いた音だった。
一瞬にしてアミの目から光が消え、小振りの杖が彼女の手から滑り落ちる。
まもなくアースタイガーはアミを離した。
どさり、とアミの身体も力なく地面に倒れ込む。
一連の光景をハヤトは呆然と眺めていた。
そのうちに、彼の視界にノイズが走り始める。
やがてノイズに埋め尽くされた視点は、テレビの電源を落とすようにプツリと暗転した。
◆
数秒と立たずにハヤトの視界が回復する。
けれど、そこはさきほどの草原ではなく、アミと出会ったダンジョン内であった。
そのことに気付くと、ハヤトはすばやく自身の身体を確認した。
貫かれたはずの肉体や鎧には、血が付着しているどころか傷ひとつ付いていない。
「そうか……俺、リスポーンしたのか」
ハヤトはおおきく息を吐き出す。
「なんというか、ずいぶんと理不尽なクエストだったな」
ひとりごちるハヤトの声には力がこもっていない。
なぜなら、アミの死が彼の脳裏に焼きついていたからだ。
骨の砕けるあの音も、いまだに耳の奥にこびりついている。
――チュートリアルでも感じたけど、このゲーム、だいぶ生々しいんだよな。
ハヤトは顔をしかめつつ、視線を前方へ移した。
わずかに折れ曲がった道の先にはダンジョンの出口がある。
そこに、小柄な人影が見えた。
橙色の髪。清楚な服装。
不安げに出口を見つめる横顔は――間違いなくアミだ。
ハヤトは安堵の息を零した。
アミがこの場に復活したのなら、また同じクエストに挑戦できるということだからだ。
――要は、真正面から戦うなってことだろ。あのアースタイガーから逃げ切れば、きっとクエストも進むはず。
ハヤトは両頬を軽く叩き、気合を入れ直した。
ハヤトにとってゲームの中の理不尽な展開は、堅実に乗り越えるべき障害でしかない。
つまり彼の心は折れるどころか、たかぶっていたのだ。
――次はアミを死なせない。
ハヤトは決意を固め、アミに近づこうと足を踏み出す。
直後、彼の視界に再びメッセージウィンドウが表示された。
【メインクエスト︰初級の冒険者、を受注しますか?】
ハヤトは急ぐ気持ちを抑え、努めて落ち着いた声でクエストを受注する。
まもなくメッセージウィンドウが消失し、示し合わせたようにアミがハヤトに視線を向けた。
「すみません。あの……あなたは、初級冒険者の方ですか?」
アミは以前と同じ台詞を口にする。
けれどハヤトは、彼女のその戸惑いが浮かんだ口調に違和感を感じた。




