第25話 【生き物の定義】
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この世界の時間感覚は信用ならない。
リュカクはいつも、それを自身に言い聞かせていた。
夜だと思えば昼に変わっており、メインストーリーが進んだかと思えば最初のシナリオまで巻き戻っている。
ゲーム上でまっすぐな時間軸を辿れるのは、プレイヤーだけだ。
だからリュカクは、常に無気力だった。
意欲も興味も持たず、順不同に発生するイベントに合わせて《キャラクター》を演じるだけ。
――なんとも味気のない生き方だな。
普通のNPCであれば、そのように客観視をすることもなかったはずだ。
ただし、リュカクはラジカルファンタジアというゲームが稼働し始めた頃に、クリーナーとしての意思を植え付けられた存在である。
人の形をした《ゲームシステム》の彼は、普通のNPCでは知り得ない情報を得るようになり、結果的に思考の幅が広がっていったのだ。
そもそも、NPCが自我に目覚めるなど滅多に起こることではない。
仮に自我持ちという《バグ》が発生しても、クリーナーが彼らの排除に手間取ることはなかった。
なぜなら、用意された設定の延長線上を歩いているだけの自我持ちは、警戒心がひたすらに薄かったからだ。
リュカクにとって彼らを排除する行為は、部屋の埃を払うのと同義であった。
虚無的な日常の中で、リュカクは稀に掃除を行なう。
大工のサンギー、門番のバドライ、魔術師のミストラスト……。
皆、偶発的に自我に目覚め、そして掃除の対象となった。
――自我持ちの元NPCと、自我のないNPCは同時に存在できる。だからオレが自我持ちを排除しても、NPC自体が減ることはない。……なら、《生き物》と呼べるのはどちらだ?
リュカクは自由行動が許されるとき、いつもぼんやりと考える。
――オレが排除した自我持ちは、《生き物》ではなかったのか?
いつの頃からか生じたその疑問は、長い間、答えが出ないままだった。
ハヤトとアミに出会うまでは。
「リュカクさん……教えてください。なぜ私達を殺そうとするんですか?」
町中でハヤト達を追い詰めた際、リュカクはアミに問いかけられた。
そのとき、彼は初めてきちんと自我持ちの顔を見た。
リュカクの知るアミは、あくまで《過去という設定》に存在する知識でしかなかった。
初期の配置地点がダンジョンである彼女と顔を合わせる機会など、それこそバグでもなければ発生しなかったに違いない。
あの瞬間、リュカクはアミと初対面だった。
町の中を必死に逃げ回り、明確な意志でもって攻撃を仕掛けてきた彼女は、たしかに《生きている存在》だった。
リュカクの回答を待つ、アミの真剣な眼差し。
それを受けて、まいったな、とリュカクは本気で感じた。
――自我持ちって、こんなにまっすぐな目をするんだ。
ハヤトの存在も、リュカクには異質なものであった。
プレイヤーでありながら自我持ちに接触できる。
これまでゲームシステムの役割を担ってきたリュカクでも出会ったことのない、まさしく《未知》の存在だった。
――だが、それも瑣末ごとだ。
ハヤトとアミ。
規格を外れた彼らが懸命に足掻く姿は、機能的な生き方をしてきたリュカクにまばゆく映って見えたのだ。
◆
エツナ達の元からハヤトとアミを逃した直後。
リュカクは、ヒビツと激しい攻防を繰り広げていた。
互いの刃が何度も打ち合い、何度も相手の衣服を掠める。
一進一退を繰り返す戦況の元、ヒビツが低い声を漏らす。
「お前はバグの逃走を助力した。それは役割の逸脱だ。リュカク……お前を《自我に目覚めたNPC》と断定する。お前は今から、我々の排除対象だ」
「ははっ……ヒビツ、お前けっこう喋れるんじゃねぇか!」
「黙れ。これ以上話すことはない!」
後方に避けたリュカクの背中が木の幹に当たる。
ヒビツは迷わず、リュカクの心臓めがけて突きを繰り出した。
リュカクは間一髪のところで横に飛び、ヒビツの猛攻から抜け出す。
そこに今度は、エツナが短剣を振り下ろした。
反射的にリュカクは守りの姿勢を取り、その一撃を防ぎきる。
「エツナ!」
ヒビツが彼女の名を叫んだ。
するとエツナは、即座に指示を飛ばした。
「ハヤトとアミを追いかけろ!」
けれど、ヒビツはその場から動かなかった。
彼はハヤト達が立ち去った方向を見、それから瞳を揺らして再びエツナに視線を向ける。
彼の表情には、明らかな迷いが生じていた。
エツナはリュカクに斬りかかっていく。
それをリュカクは最小限の動きで避けながら、彼女に問いを投げかけた。
「お前さ、ほんとうはわかっていたんだろ!?」
「なんのことだ……っ!」
エツナは攻撃の手を緩めずに問い返す。
「オレが自我持ちってことだよ! わかっていながら、ずっとオレのことを見逃していた! 違うか!?」
リュカクがハヤト達と交戦したあと、エツナは彼に告げていた。
不要なことを考えるな、と。
それはリュカクに『自我を露呈させるな』と、忠告していたようにも受け取れた。




