第19話 【生きているのに】
+++++
最初にアミは、なにが起きたかわからなかった。
次いで、自身がニレに認識されていない事実を知り、アミは言い表しようのない衝撃に襲われた。
私はここにいる。生きている。
懸命に訴えたところで、なぜか《死んだことにされる》。
そのときに受けたアミの衝撃は計り知れないものだった。
『この世界を作った神様でないと、わからないことだと思う』
アミの脳裏にハヤトの言葉が蘇る。
彼女はずっと、ハヤトのことを羨んでいた。
それはアミの知らない情報を、ハヤトがたくさん持っているからだった。
初対面のときもそうだ。
彼はアミがダンジョンから出られないことをすでに知っていた上で、『アミを助けに来た』と言い切ったのだ。
――あのときは不安でいっぱいだったから、ハヤト君の発言を気にしないことにしたけど……やっぱり不思議だよね。
道具屋へ向かうハヤトを見送ったあと、アミは壁に背を預けて俯いた。
――ハヤト君は、私のバグに関わるなにかを知っている気がする……。
ハヤトを疑いたいわけではない。
彼はアミの、命の恩人だ。
ただ、助けてくれたからといって、この疎外感を解消してくれることはない。
そこにわずかな亀裂が生まれる。
――ううん、ダメだよアミ。仲間にそんな感情を向けるだなんて。
アミはちいさく溜息をついた。
つま先で地面をつつき、真横に置いてある樽に手を置く。
それからアミは顔を上げ、壁から離れた。
彼女は行き交う人の波に近づき、いちばん傍にいた人に声をかける。
「あの、すみません」
けれど、通行人は無反応で通りすぎていく。
それはアミの心にひどい痛みを与えた。
「すみません……あの、聞こえませんか?」
切実な声で呼びかけながら、アミは別の通行人の腕を掴もうとした。
瞬間、彼女の手は相手の身体をすり抜けた。
「――えっ?」
驚いて手を引っ込めるアミ。
振り向きもせずに立ち去っていく通行人を呆然と見つめつつ、彼女はおぼつかない足取りで後退する。
現実から目を逸らし続けるのも限界だった。
生きているのに、誰の視界にも捉えられない。
声も届かない。他人に触れられない。
「……これが、バグ?」
アミは声を震わせて呟く。
彼女の心臓は早鐘を打っていた。
経験したことのない恐怖が胃を締めつけ、胸の中に気持ちの悪い感覚を生み出していく。
――私は、生きているのに。
唐突な孤独感がアミの心を襲った。
アミはその衝動的な寂しさを誤魔化すために人混みから目を離し、天を仰いだ。
白い雲がたなびく青空。
吸い込まれてしまいそうなほど深く、広大な空を見つめてアミはふと思う。
もし、この空の向こうに神がいるのだとしたら――。
無意識にアミの手が動き、祈りの形を作ろうとする。
「アミ、お待たせ」
そこにハヤトが戻ってきた。
アミは反射的に姿勢を正し、ハヤトの方を振り返った。
「おかえり、ハヤト君」
どうだった? と身内の様子を聞きかけて、アミは言葉を呑んだ。
ハヤトからどのような返答があったとしても、落ち込んでしまうことは目に見えていたからだ。
「これ、頼まれていたものと余ったお金」
「ありがとう! これでいよいよ冒険に行けるね」
購入してもらった物を受け取り、アミはなんとか笑顔を作る。
「それと、アミにこれを……」
「ん? なに?」
再びハヤトが手を伸ばしてきたため、反射的にアミも自身の手を差し出す。
すると、シャラリと鎖の音がして、アミの手中に宝石の付いた首飾りが置かれた。
「これ……魔除けのペンダント?」
「うん。一度だけ攻撃から身を守ってくれる効果が付いているんだろ? あるに越したことはないと思ったんだ」
そのように告げてからハヤトはやや視線を落とし、うなじをさする。
「……というのもあるけど、まぁ……宝石の意味が《幸福》だと店の人に聞いたから……」
彼の言いたいことがわからず、首を傾けるアミ。
ハヤトは静かに息を吐き、アミの目に視線を合わせた。
「これからアミにいいことがありますようにっていう、願掛け」
それはアミにとって、想定していないことだった。
彼女は視線を下げ、手中の首飾りをジッと見つめる。
途端に目頭が熱くなる感覚を覚えた。
――あぁ。私、こんな変なことになっているのに、孤独じゃないんだ。
胸中に溜まっていた不快感が溶け、代わりに安心感がじんわりと滲み出てきた。
ハヤトには複雑な感情を抱いている。
彼がなにかを隠していることも、薄々察している。
――それでも、私はハヤト君の存在に救われている。
アミは涙が零れる前に、服の袖で目元を拭った。
それを見たハヤトはギョッとした顔になり、慌てた様子でアミに声をかける。
「えぇと、アミ……大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ、ハヤト君。ありがとう」
顔を上げたアミは柔らかく笑う。
「すごく嬉しい」
たった一言の感謝は、アミとハヤトどちらの心も優しく照らしたのだった。
+++++




