第15話 かすかな違和感
武具屋の店主はニレという名前なのだとアミは言う。
大柄な体格で、髭だらけの顔。
厳ついその容姿を初めて見たとき、幼い頃のアミは怖くて泣いてしまったらしい。
「話してみると、とても温かい人なの。私が親に付いて配達に行くとね、必ずお菓子をくれたんだ」
大通りまで戻れる道を最短で辿りながら、アミは思い出話に花を咲かせる。
ハヤトはそれに相槌を打ちつつ耳を傾けていた。
パーティを組んでからのアミはずっと機嫌がよかった。
自然と饒舌になる彼女の口からは、ニレとの思い出話がたくさん語られていく。
「ニレさんの家に子どもが産まれたときは、自分のことのように嬉しかったなぁ。たしか今は五歳くらいだったはず」
最初のうちはハヤトもなんの気なしにアミの話を聞いていたが、段々と彼は複雑な心境に囚われていった。
――アミの語る思い出は、彼女にとって経験してきたことに違いない。でも……この世界は《ゲーム》なんだ。
哲学の分野には、《世界は五分前に創られた》という考えがある。
ゲームの世界についてはまさしくそれが当てはまるだろう。
プレイヤーがゲームを起動した時点で、アミはダンジョンの出口に佇むことが決められている。
アミがダンジョンに来るまでの経緯については、しょせんゲーム上の設定でしかない――はずだった。
――アミの話は実体験に聞こえてくる。まさか……ほんとうにアミは過去を経験して生きてきたのか? ゲームの世界は、プレイヤーがいなくても存在するということなのか?
あり得ないことを考えている自覚はハヤトにもあった。
だが、《ストーリー上で死ぬだけのNPC》に、これほどのバックボーンがついているとは考えにくい。
バグの影響、と考えようとしてハヤトはまた悩む。
――《キャラクターの過去を生み出すバグ》ってなんだ? そんなものは……あまりにも現実的じゃない。
ここにきてハヤトは、初めて好奇心より恐怖が勝った。
胃の裏側から不安があふれ出し、ハヤトの思考を支配していく。
そして、急に彼は自分が今どこにいるのか、わからなくなった。
ゲームの世界を堪能しているのか。
それとも、ゲームだと思っていた別の世界に流れ着いてしまったのか――。
くらりと、現実と仮想の境目が歪む。
「ハヤト君?」
ふとアミの優しい声が、ハヤトの耳に届いた。
瞬間、ハヤトは思考の海から引き上げられる。
弾かれたように顔を上げれば、不思議そうな表情のアミと目が合った。
「大丈夫? なんだか、元気がないみたいだけど」
「あ……ごめん、考えごとをしていたんだ。自分にはどんな装備が必要なのかな、ってね」
咄嗟にハヤトは誤魔化し、笑顔を作った。
「それならよかった。大通りはもうすぐだよ」
アミの言葉を受けてハヤトが耳を澄ますと、いつの間にか大通りの喧騒が近くまで聞こえてきていた。
この賑やかさに気付かなかったとは、よほど深慮していたのだろう。
ハヤトは気まずげにうなじをさすり、なんとか思考を切り替えようとする。
その矢先のことだ。
大通りに続く前方の道から、ふたりのプレイヤーが駆け込んできた。
「ほんとうにこっちで合ってんのかよ」
「近道なんだって。信用しろ」
口々になにかを言い合う彼らは、曲がった先にハヤト達がいたことに気付いていない様子である。
正面衝突は避けられない距離だった。
「危ないっ!」
アミが慌ててハヤトの腕を引く。
その反動でハヤトはよろめきつつ、アミと共に通路の端へ寄る。
プレイヤー達はハヤトとアミに一瞥もくれず、そのまま走り去っていった。
「もうっ、冒険者なのに不注意な人達なんだから!」
アミは珍しく声を荒げ、ハヤトの腕から手を離した。
「ハヤト君、大丈夫だった?」
「あ、あぁ……」
アミの問いかけにハヤトは曖昧な返事をする。
彼の戸惑った様子を見て、アミは首を傾げた。
「どうしたの?」
「なんか今……絶対ぶつかったと思ったんだけど」
ハヤトは自身の肩や胸に触れながら、直前のできごとを思い返す。
真正面から迫ってくるプレイヤーの身体が、まるで気体のようにハヤトの身体をすり抜けていった。
少なくともハヤトにはそのように感じられたのだ。
――VRMMOでプレイヤー同士が触れないなんて、そんな仕様は公式サイトに書いてなかったよな……?
気味の悪さがハヤトの背筋を通り、彼を再び思考の海へと誘おうとする。
だが、ハヤトは隣にいるアミの存在を思い出し、考えを改めた。
「アミが引っ張ってくれたから、ギリギリぶつからずに済んだのかも」
「よかったぁ。実は私も、間に合わないかと思ったの」
アミは自身の胸に手を当てて安堵の息をつく。
ハヤトはアミに礼を言い、それからプレイヤー達の去った方角に目を向けた。
「ボーッとしていた俺も悪かったけど、気を付けてほしいな」
ついちいさく愚痴を零したが、今のできごとでハヤトは目が覚めた心地になる。
彼は背筋を伸ばして正面を向くと、今度こそしっかりと気持ちを切り替えた。




