第1話 非日常の幕開け
四足歩行のモンスターが雄叫びをあげる。
空気を震わせるその咆哮は、地に伏すハヤトに敗北を悟らせた。
モンスターの足元にはひとりの少女が転がっている。
彼女の細い首から流れ落ちるのは、大量の血。
即死だった。
少女がなすすべなくモンスターに噛み殺される瞬間を、ハヤトはただ眺めていることしかできなかった。
ザリッ、とハヤトの視界にノイズが走る。
そのノイズは次第に激しくなり、ハヤトの視界全体を埋め尽くしていく。
やがて彼の視界は真っ暗になった。
◆
惨たらしい死が訪れる三十分前。
早坂裕斗は、ひとつのゲームを起動していた。
VRMMORPG《ラジカルファンタジア》。
メインストーリーが重厚で自由度が高い、と評判のそのゲームは、専用のヘッドギアを装着することでゲームの世界へ入り込むことができる。
さすがに五感の直結とまではいかないが最新のAI技術と音声認識機能を搭載しており、ゲームのキャラクターや他プレイヤーとのシームレスな会話を進められることが、特徴として挙げられていた。
裕斗は自分の年齢に近い十代後半の青年アバターを選び、淡々とキャラクタークリエイトを進めていく。
赤い短髪。ヘーゼル色の勝ち気な目。
それがいつも裕斗の作るアバターだった。
キャラクタークリエイトを終えると、周囲がチュートリアル用のダンジョンの最奥に変わった。
そこには中性的な容姿をしたゲームの案内人が待機しており、裕斗――もといハヤトに笑顔を向けてくる。
「ようこそ、【ハヤト】さん! チュートリアルを開始しますね!」
「こんにちは。よろしくお願いします」
ハヤトは試しに当たり障りない挨拶をしてみた。
すると、案内人は即座に口を開く。
「こちらこそ! ハヤトさんがこの世界を楽しめるよう、精一杯ご説明させていただきます」
「おお。ほんとうに反応してくれる」
「日々AIは進化しておりますので、今後のアップデートにもご期待ください」
案内人が丁寧に頭を下げる。
「まずはステータス画面を開いていただきます。右手を前方にかざしてください」
ハヤトは言われた通りに行動する。
途端、空中ディスプレイが目の前に現れ、体力や攻撃力などの数値が表示された。
「こういう操作感は、他のVRMMOと変わりないんだな」
なにげなくハヤトは呟く。
すると案内人は興味深そうにハヤトを見た。
「なるほど。ハヤトさんはVRMMOで遊んだご経験があるのですね」
「まぁ、何回かね。没入感のあるゲームって、現実を忘れさせてくれるから好きなんだ」
ハヤトはこの空間に案内人しかいないのをいいことに、さりげなく本音を零す。
「学校、勉強、学校、勉強の繰り返し。毎日が平坦で刺激がなくてさ。楽しいことがゲームしかないんだ」
「人生にも息抜きは必要ですからね」
「いっそ死んだ方が気楽かもしれない……って思うこともあるよ。もちろん、本気じゃないけどね」
軽い調子でハヤトは告げ、案内人の方を見る。
「それで、ここからなにをすればいいんだ?」
「はい! お名前、職業、割り振っていただいたステータスの数値にお間違いがないかをご確認ください」
ハヤトは案内人に言われた通り、ステータス画面に目を向ける。
「えぇと……名前、ハヤト。職業、戦士。ステータスは……攻撃力と筋力が多めで……よし、問題はないかな」
「それでは、一緒に最初のダンジョンを攻略していきましょう!」
案内人は茶目っ気のある笑みを浮かべた。
基本操作は他のVRMMOと大して変わらない。
そのためハヤトは、特に苦労せずダンジョンを進むことができた。
すこし意外だったのは、モンスターと戦っているときの描写が思いのほか生々しいことくらいだった。
モンスターを斬れば血飛沫が舞い、ハヤトの鎧に付着する。
ただ、その返り血は時間経過で消えるため、あまり不快感はなかった。
「チュートリアルは以上になります。それでは、これからの冒険を楽しんでください!」
案内人はダンジョンの出口手前で立ち止まり、ハヤトに向けて手を振った。
ハヤトは軽く頭を下げ、案内人に背を向けて歩き始める。
そのとき、ハヤトの視界にメッセージウィンドウが浮かび上がった。
【メインクエスト︰初級の冒険者、を受注しますか?】
ハヤトは文言を見つめながら腕を組む。
VRMMOの醍醐味と言えば、ゲームシナリオに囚われない自由度の高さ。
それゆえに、ここでメインクエストを進めないというのも、ゲームの楽しみ方のひとつであった。
――まぁ、このゲームはメインストーリーの作り込みも売りみたいだし。今のうちに軽く触れておいてもいいか。
あとから戻ってくるのも面倒だしな、とハヤトは考えつつ口を開く。
「受注する」
ハヤトの音声を認識すると、メッセージウィンドウはおもむろに消えた。
直後にダンジョンの出口方面から声が聞こえてくる。
「すみません。あなたは初級冒険者の方ですか?」
そこには、橙色の髪を揺らす少女がいた。




