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狩の使  作者: 在原白珪
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九段 関守

   Ⅰ


「何してんだ? 暇なのか?」

 頭上で声がしたが、どうせ人間どうしの会話だろうと、無視した。

「おうい、大丈夫か?」

 シラツユはまだ動かない。動きたくなかった。

「おいって」

 手が触れて、やっと自分に話しかけられていることに気づいた。ゆっくりと顔を上げる。

 見覚えのない男であった。見た目でいうと、芥河よりも年長で冠と同じくらいであろうか。無精ひげを整えれば杜若くらいの貫禄は出るかもしれない。腰を下ろしているが、立てばクラトよりも背が高いだろう。

 暖かく広い手をしている、シラツユはそう感じた。

「どうした? 前髪ぐしゃぐしゃだぞ」

 シラツユは手櫛で伸びた前髪を分ける。

「やっと顔が見えた」

 笑いかけられた途端に、シラツユの頬は紅潮していく。見知らぬ人に心配をかけてしまっていると思うと、どうしていいか分からなくなった。

「俺もそろそろ休みたいし、どこか茶店でも入るか? 一人も二人も変わらないから」

 その男はシラツユの腕を掴んで、引き上げようとする。芥河と似たことをする男だと思った。無意識に従おうとしたが、踵が痛んで立てない。

「けがしてるのか」

 男はシラツユに何も聞かないうちに、靴と靴下を脱がせて足を見た。

「あーあ、しばらく治んねえぞ、これ」

「……そう、なんですか」

「他の奴には内緒な」

 男の指が傷口をなぞると、血が乾いて痛みが和らいだ。

 そして男は当たり前のように、靴下と靴を履かせなおした。

「ほら、行くぞ」

 一時間も経っていないのに、とても久しぶりに立ったように感じる。男はシラツユの手首を掴んで、ゆっくり歩き出す。

 振り切ろうと思えば振り切れる。だが、シラツユは一歩遅れて従いながら、声を発した。

「あなたは……」

「俺はカタノ。水無瀬の遣いだ」

 路地裏から通りに出た瞬間、カタノとシラツユの体は人間に見えるようになった。シラツユが媒介なしでできるかどうかの術を、カタノは二人分、そつなくこなせる。傷を癒す術もシラツユには初見だった。

 シラツユの足は動いていく。


 笠のついた丸い電球が並んで黄色く灯り、磨かれた椅子の背もたれの装飾に反射する店であった。

「俺はここの奴に道を聞こうと思ったんだが、なんで俺の方が店を教えてやってるんだ」

「あまり、……出歩かないので」

「へえ。うまいか」

 カタノは自分が選んで頼んだコーヒーフロートの感想を求めた。シラツユはスプーンでつついて溶かしたアイスクリームを、ストローで混ぜながら吸った。一口分、二口分と減っていく。

「とてもいいです。常世でも飲みたいくらいに。……やや苦いですが」

「これも混ぜてみろ」

 カタノは自分のコーヒーについてきたシロップをシラツユのグラスに注いでやった。

「水飴ですか?」

「そんなもんだ」

 シラツユは素直にストローを回す。

「おいしくなりました」

「うん。味覚がお子さまで結構」

 びっくりするシラツユを眺めながら、カタノは何も入っていないコーヒーを飲む。

「それ、おいしいですか?」

「こういうもんだよ」

 気がつけば、窓から見える道路脇の樹木から小鳥が飛び去っていた。午後の喫茶店で、人間たちの日常と同じように、カタノとシラツユの時間が流れていく。


 コーヒーを飲み終わった二人は喫茶店を出た。

 シラツユは深々と頭を下げる。

「いいって。うまそうに食ってるところ見て、俺も気分が良かったし。……ところで、足の傷、術が切れるとまた痛くなるぞ」

 シラツユはカタノの言いたいことが分からない。

「いえ、ありがとうございました。今日はもう帰って、手当てをして、探し物はまた明日から」

「うん。家に帰ろう。でも明日はまだ早い」

 カタノはシラツユの耳を寄せる。

「どうせお前、自分の家に帰ってもまだ働くんだろう?」

「それは、……。他にする人がいないので」

「なら、うちに来い。いいだろ?」

 カタノが再び、シラツユの手を取ろうとしたときであった。

 アスファルトの地面から煙が立って、煙管を持った芥河が姿を現した。

「何がいいのかな」

「主」

 シラツユが呼んだときには、カタノは既にシラツユの手を掴んでいた。

「こいつ、足にけがをしてる。霊力も弱まってる。しばらく養生させた方がいい」

「忠告ありがとう。うちでゆっくり休ませるよ」

「あんたの家にいて休まるかよ」

「カタノさん」

 シラツユがカタノに迫る。

「この方は私の主です。……神さまです! 礼節を」

 カタノは嘲笑う。

「分かってる。分かった上で、お前のために強く言ってんだ」

「シラツユ」

 カタノを遮るように芥河が呼ぶ。

「ありがとう。さすがは僕の精霊だ。カタノ、見ての通り、初対面の男の家よりはうちの方がましだと思うよ」

 カタノとシラツユは睨み合う。

 先ほどまで、アイスクリームを解かしながら食べていたのが嘘のようである。しかし、芥河にとっては連続する瞬間であった。

「お別れにお代を払うよ」

 芥河は紙幣を一枚、カタノに差し出した。

「金なんていらねえんだがな」

「僕も貸しなんかいらない」

 芥河の冷たい眼差しに、カタノは小さく舌打ちして受け取る。そしてシラツユの手を一度強く握ると、放した。

「じゃあな」

 カタノはシラツユの目の前で煙のように消えていく。



   Ⅱ


 芥河はシラツユと、硬く冷凍されたアイスクリームとできあいの弁当を持って常世に戻った。

 玄関が開くと同時に、クラトとタマキが走って出迎える。

「シラツユ!」

「無事!」

 タマキが突進するように抱きついて、シラツユはふらつきながら苦笑する。

「大げさですね。……心配をかけました」

 芥河は買い物をクラトに預ける。

「とりあえず今晩の分。けがをしているから、しばらく休ませようと思って」

 クラトは弁当とアイスクリームの袋を床に置く。

「怪異にやられたのか」

「いえ。けがなんて大層なものでは。靴擦れですよ」

「なんだ」

「痕になったら困る。悪いけどクラト、タマキをよろしく」

 タマキは靴下ににじんだ血を見て、自分の足も痛むように思った。シラツユの出血を見るのはこれが二回目である。そういえば、クラトが〝シラツユはけがをしやすい〟と言っていたであろうか。

 

 芥河が薬や包帯を持って部屋に入ると、シラツユは単衣に袖を通しているところであった。

「いいよ。着せてあげよう」

「そこまでは」

「いいじゃないか、手を貸したいんだ」

「主はどうなさったんですか」

 話すうちに、シラツユは細い帯を留めてしまった。

「どうもしていない」

「私が、……他の神の遣いに情けをかけられたのがお気に召さないのですか」

「あれは情けじゃない。気まぐれで、無責任で、残酷な遊びだよ。……座って、足を見せて」

 芥河はシラツユの素足を自分の膝に乗せて傷口を確認する。血は止まっている。

「怖かっただろう。今度水無瀬に言っておくから、それまでは」

「いえ」

 シラツユは訴える。

「動けずにいたところを助けてくださいました。また会えたらお礼を言いたいです」

「それは……」

 芥河は首をふる。

「それは僕のせいだ。今朝、君を引き留めなかった僕のせいだということにしてくれ」

 消毒液を染み込ませた綿が傷口に当てられる。

 シラツユは痛いと言わない。

「僕を悪者にして、全部僕のせいにして、彼のことを忘れて……くれないか」

「主は悪くありません。私がしっかりしていなくて、……カタノさんは優しい人です」

 消毒の綿は捨てられる。

「そう。君の気持ちを強制しようとしてごめん」

 指に取られた軟膏がゆっくりと塗り広げられていく。シラツユにとって慣れた、柔らかく心地よい指である。

 傷口を覆うために、包帯が足首と踵に巻かれていく。

「大げさではありませんか」

「大切にしたいんだよ。君は僕の精霊だから」

 シラツユはそんな優しい芥河に、体を預けていることに安心しだした。知り得なかった過去も、疑わなければならないことも、忘れることができた。

 芥河は名残惜しくシラツユの疲れた足に触れている。



   Ⅲ


 ベニバナが広い屋敷の廊下を歩いている。夏らしい鮮やかな色の衣は彼女によく似合っているとは言えないが、庭の風景には似合っていて、長い髪を垂らした後ろ姿が古めかしく美しい。

 とある部屋の前で、ベニバナは足を止めた。

「主、芥河さまからお便りでございます」

 ベニバナが主と呼ぶのは水無瀬という芸術を司る神である。めったに人前に出ず、自分の遣いとも御簾越しでしか会わない。

 ベニバナは御簾の前に手紙を差し出した。

 水無瀬の手がそれを受け取る。

 手紙が読まれる間、ベニバナは頭を下げたまま廊下に控えている。

「カタノのことを僕に言ってくるなんて、芥河くんは少し怒っているのかな」

「そのようで」

 水無瀬は顔を見せないまま、ベニバナを下がらせた。

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