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狩の使  作者: 在原白珪
異段
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異三十一段 化粧じて

   Ⅰ


 芥河という神が冠の住居の近くに家を構えて一年と経たない頃であった。ぼうっとしているので何かと心配で様子を見ているうちに、親兄弟のように懐かれた。芥河が合わせているのか、元々なのか、趣味も近いので、互いの家に交互に茶を飲みに行くような交流を取るようになった。

 今日も芥河が訪れたのだが、隣にもう一人女がいる。長身の芥河と比べるとかなり小柄に見えるが、表情に子どもっぽさは全くなく、小さな唇が真っ赤で目立つ。

「やっと見つけたんだ」

 芥河はそう紹介する。

「前に話してたやつか」

「そう。現世で拾った子だ」

「へえ。美人だなあ」

 まじまじと見ていると、彼女はふっと視線を冠の後ろにやる。そこにはムラサキとハルがにこにこしている。

「へ?」

 冠がしまった、と振り向くと、ムラサキとハルはくすくす笑っている。

「そっくり」

「そっくりですわ」

 芥河も冠も何のことだか分からない。女の勘というものであろうか、連れられてきた女は、ムラサキとハルに同調するように頷く。

「誰と誰が?」

 冠が尋ねる。

「主と」

「お嬢さんが」

 冠は間抜けな鼻を指さす。

「俺が?」

「目元がそっくりでいらっしゃいます」

 指摘されて、冠は彼女の目を見つめる。

 と、彼女は芥河の背に隠れてしまった。

 芥河は嬉しそうに笑う。

「怖くないよ。僕の友だち、冠だ」

「そっちの名前は?」

「ユウガオ。ほら、ご挨拶してごらん」

 ユウガオはやや不満そうに、芥河の横に出てくる。


 客間に通され、ムラサキとハルから砂糖菓子をもらうと、ユウガオは語りだした。

「聞いたことがあるの。わたしのおばあちゃんは色好みで、よそからきた男の人と勝手に結婚したから、河原のお家にしか住めなかった。それで、そのよそから来た人のお名前はカン。結婚したと思ったのに、すぐどこかへ逃げちゃった」

 芥河は姿勢よく、黙って座っている。

「河原に住んでいたから、わたし、川に落っこちて、主が助けてくれたの。それから流行り病で死んだけれど、第二の人生が始まってびっくりしたわ。そうしたら、おじいちゃんと同じ名前の神さまがおわすなんて」

 冠は当然ユウガオから目をそらして、かといってムラサキとハルとも目を合わせられず、頬杖をつきながら虚空を眺めている。

「わたしのおじいちゃんのカンっていう人、大柄で、鼻が高くて、眉が太いんですって。冠さまにそっくりね」

「おい」

 冠は真向いに座る芥河に詰め寄る。

「どういうことだ」

 芥河は俯いていた顔を上げる。

「知らないよ。僕はただ、好みの女の子を助けて、それから神になって迎えに行っただけだ」

「じゃあなんだ、あんた、俺の顔が好みなのか」

「確かに目元は似てるけど、他は全部違う。ユウガオの方が繊細で賢そうだよ。ちゃんと見て」

 冠は恐る恐るユウガオの顔を見る。

 確かに冠と違って、肌に透明感があるし、髪がさらさらしている。

 小さな口で言う。

「おじいちゃん、お小遣いちょうだい」

 冠は言われるままに紙幣を渡す。



   Ⅱ


 冠の邸を出て、芥河はユウガオに尋ねる。

「どこかに寄る?」

「なんで」

「何か買いたいのかと思って」

 芥河は、冠から得た小遣いを気にしていた。

「いくらもらったの」

 ユウガオは自分では数えず、芥河に包みごと渡した。

 包みを開けた芥河は目をむく。

「君、すごいね。僕よりもらってるよ」

「ふふ」

 ユウガオは得意げに、手を出して「返せ」と訴える。

「ね、これで何が買えるかしら」

「何でもいいよ。お菓子を買って、残りを貯金してもいいし。着物を買って、足りなければ僕が払ってもいいし」

「着物……」

 ユウガオは自分が今着ている着物の袖を見た。

 現世では小袖のようなものだけを着ていたが、常世ではわざわざ袿を重ねて、外を歩くときには帯で裾をたくし上げている。加えて笠を被ったり、足袋と沓を履いたりもする。

 それだけでも十分贅沢なことだが、実は、ムラサキとハルを見て思ったことがある。

「あのお二人、……ムラサキさんとハルさんは、お顔に何か塗っていらしったわ。あれは何?」

「お化粧かな」

「わたしもお化粧、してみたい」

「じゃあ、今から買いに行こうか」


 芥河には化粧の知識などまるでなかったが、ユウガオのためにと、少し背伸びして化粧品店に入り、店員に説明をさせた。

「おしろいと、頬紅と、口紅と、眉墨があって……」

 ユウガオと芥河は並んで椅子に座らされて、机を挟んだ店員の話をずっと聞いている。

 机には鏡と、試供品の化粧が並べられている。

「その前にお肌のお手入れが大事で、化粧水と、美容液と、乳液と、クリームと、」

 芥河は、ずっと変わらないユウガオの表情を眺めている。

「眉や産毛のお手入れには毛抜きと剃刀が必要で……」

 次々と商品が並べられていく。

「最近は目を大きく、鼻と頬を細く見せるのが流行りで……」

 芥河は段々眠くなってくる。

「ただし、流行にとらわれすぎず、お顔に合ったお化粧を心掛けることで……」

 うとうとしていてぱっと目覚めると、横でユウガオも目を閉じているではないか。

 芥河は店員に謝って、勧められた化粧道具一式を買った。



   Ⅲ


 道具が手に入っても使い方を聞いていなかったので、何をどこにどのように塗ればいいのか分からない。ユウガオは翌日、ムラサキとハルを訪ねた。

 訳を聞いたムラサキとハルは、快く自分たちの部屋を開ける。そこには、ユウガオが持っていない化粧台がある。木細工で囲われた鏡が小さな棚についていて、それぞれの引き出しの取っ手にも小さな金の飾りがついている。木目は流水に絵の具を垂らしたようである。そんな化粧台が二台並んでいる。

「すてき」

 ユウガオが息をのんで膝をつくのを、ムラサキとハルは微笑ましく見ている。

 その微笑みが鏡に映って、ユウガオの目に入った。

「お二人にお似合いだわ」

「あら、うれしい」

「あなたにもお似合いですわ」

「本当?」

「主にそっくりだけれど」

「可憐なユウガオさん」

 ムラサキとハルはユウガオを囲み、ムラサキは右手を、ハルは左腕を両手で包む。

 ユウガオの体に緊張が走る。

 ムラサキは右手を取ったまま、その手を自分の頬に近づける。

「妾たちの主も、こんなにかわいらしければよかったのに」

 ハルは衣ごしの左腕をさする。

 なぜ、同じ女性の遣いである二人が、芥河がするようなことをするのだろう。

 ユウガオの頭に考えがよぎる。

 ――ムラサキとハルが冠の遣いであるのに、たったの一晩、現世で交わっただけの女の孫であるユウガオが現れたのが不都合なのではないか。

 そんなことも考えないで、たった一人で彼女らの巣に入り込んでしまった。まさに袋の中のねずみである。

「怖がらないで」

 ハルが甘い声でささやく。

「さ、お化粧を始めましょう」

「まずは一度、妾たちがしてさしあげましょう」

「そうは言っても、他の方にお化粧してさしあげるのは慣れませんわね」

「筆を落としてはいけませんから、上着は脱いで、前掛けをしましょう」

 ハルがユウガオの背に回って、袿を脱がせる。

 ムラサキが赤い前掛けをつける。

 前掛けの紐をハルが結ぶ。ハルはそのまま、ユウガオの両肩に手を載せている。

 ユウガオは動けない。

「あまり緊張なさらないで。妾たち、楽しいのですよ」

 ムラサキは綿に化粧水を取る。

 冷たく濡れた綿が、ユウガオの頬に当てられる。

「男の人がなさらないことって、楽しいでしょう」

「このお邸では、妾たちだけの秘密。わくわくしますでしょう」

 鏡越しにハルが「ねえ?」と相槌を求める。

「そうかしら」

 ユウガオはやっと喋った。

「主が知らないことって、無駄遣いじゃないかしら」

「そんなことありません」

「きっと、ユウガオさんが楽しくなさることなら、芥河さまにも必要なことです」

 ムラサキは白粉の入った器を取る。

 その色と、ユウガオの肌の色を比べる。

「ユウガオさんはお肌がきれいですわね」

「そうですわ。おしろいがなくても良いくらい」

「髪も真っ黒で、うらやましい」

 ハルが、ユウガオの短い髪の一束に触れる。

「切ってしまわれたの?」

 ユウガオは答える。

「現世で病にかかったときに切ったの。形だけでも出家して、浄土へ行けるように」

「あらそう」

「浄土には行けませんでしたね」

「ええ。神さまのお手つきだったって、知っていれば切らなかったわ」

「長い方がよくって?」

 ムラサキが問う。

「長い方がきれいじゃない」

「妾たちの主もそうおっしゃいます」

「だから妾たち、切れないのですよ」

 ムラサキとハルの髪は長い。昔ながらの、垂らしたまま先の方だけ結んである髪は、床に付くほどである。手入れが大変だろう、ユウガオはそう思った。

 ムラサキは大きな筆に、薄い色の白粉を少しだけ取る。

「色は変わらなくても、おまじないに」

 ユウガオは目をつむる。

 大きな柔らかい筆が、 額と、頬と、鼻と、顎、そして唇まで、ユウガオの肌を撫でる。

 目を開けると、顔の一面が真っ白に均されている。ムラサキはすでに次の紅を面相筆に取っていた。

「お口、少し開けてくださる?」

 ユウガオは言われるままに、唇を少し開いた。

 細い筆で、白粉に塗られた血色のない唇の内側が触れられる。

 べっとりとした紅色だ。

 気味が悪い、と思っていると、ムラサキはもう少し淡い色の紅を小指に取る。

「もう少しだけ」

 濃い紅色の周りをぼかすように、淡い紅色が塗られる。ムラサキの小指はユウガオの唇よりも柔らかく感じられる。それがこそばゆい。

「あら、すてき」

「お花みたい」

 ムラサキとハルは勝手に喜んでいる。

 二人がつけているとよく似合っていてうらやましいのに、同じようなことをユウガオ自身にすると、どうにも馴染まない。美しいはずなのに、願っている自分ではない。

「眉も元から整っていらっしゃいますわ」

「主とは違いますわね」

 ムラサキとハルは笑っている。

 ユウガオはとうとう我慢できなくなった。

「もし、冠さまが本当にわたしのおじいちゃんだったとして」

 既にムラサキとハルは頷いている。

「もし、でなくて本当ですわ」

「ユウガオさんのおばあさまのお話、昔、妾たちもお聞きしたことがありましてよ。主のお口から」

「なんてこと」

 ユウガオは目を丸くする。

「妾たちに嫉妬してほしくて浮気なさったんですって」

「意地悪ですわ」

 ユウガオは更に驚く。

「妾たちの主のせいでご苦労なさったのですね」

「でも、そのおかげで芥河さまにお会いなさられたのですから、言いっこなしですわ」

 ムラサキは化粧を進めようとする。

「お二人は嫌じゃないの。わたしみたいなのがいきなり現れて」

「いいえ全く」

「申し上げましたでしょう? とても楽しいですわ」

「なんで」

 白粉で白っぽく均されたユウガオの眉に、薄く眉墨がなぞられる。心なしか、緩く弧状を描いているように見える。

「妾たち、一緒に遊んでくださる女の子のお友だちが欲しかったのですわ」

「主と繋がりがある方なら、いくらでも一緒にいられる理由になりますから」



   Ⅳ


 冠が長く外出している日の午後、ムラサキとハルの部屋に鶯が舞い込む。手紙を咥えた小鳥で、月に一度訪れる顔なじみである。

 ハルが手紙を受け取ると、鶯は窓辺に座って緑色の羽を休ませる。手紙を開くと、遠慮ぎみな小さな字が、瓶の中の金平糖のように詰められている。

「まあ、」

 ムラサキが感嘆を漏らす。

「タマキさんとクラトさん、遠いところまでお出かけなさったのね」

「ユウガオさん、うれしそう」

 二人は薄色に花柄の便箋を出し、返事を書き始めた。

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