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狩の使  作者: 在原白珪
異段
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異三段 忘れ草

   Ⅰ


 冠の邸で撫子の花を見てきたタマキは、自分に与えられている着物を部屋に広げて、何が何の柄なのかと芥河に尋ねていた。

 水色の衣を指して、

「これは?」

「あさがお」

 黄色の衣を指して、

「これは?」

「おみなえし」

 白色の衣を指して、

「これは?」

「ゆり」

 薄紅色の衣を指して、

「これは?」

「なでしこ。ねえ、これを見てきたんでしょ?」

 タマキは疑問に思う。

「見てきたのと違う」

「それは、絵に描いたり縫ったりしたら変わるものだよ」

「じゃあ、全部本物と違う?」

「そうだね」

 数秒してタマキは言った。

「全部見に行きたい」

「全部?」

「全部」


 芥河はクラトの部屋の戸を叩く。

「相談があるんだけど」

「明日にしてくれ」

「明日の予定について相談なんだ」

 やっと戸が開く。

「何だ」

「小旅行をしよう」

「なんで?」

 クラトは芥河を部屋に入れた。

 クラトの部屋は小ざっぱりとしていて、物が少ない。服は全て押入れに箪笥に収まっているし、他のものも全て押入れに押し込められている。

 広々と見える室内で、芥河はこじんまりと座る。

「タマキが、色々な花を見たいというから」

「花?」

「朝顔とか、百合とか」

「そんなの、どこにでも咲いてるだろ。わざわざ一日かけなくても」

「いや、ここでタマキの願いを聞いて、信頼されたいんだ」

「じゃあ自分で調べて回れよ。心配だからついていくけど」

「ついてきてくれるかい」

 芥河は願いが叶ったかのように声を高くする。

 クラトはのけぞる。

「タマキに何かあったら、かわいそうだし。主はともかく」

「ありがとう。じゃあ、みんなで行こう」

「はあ」

「昼食は、弁当と店、どちらが良いと思う」

「えー」

 クラトが呆れていると、「考えておいて」と芥河は去っていく。


 芥河は次にシラツユの部屋を訪ねた。

 シラツユの部屋には背の低い棚があって、まばらにある本と本の間に筆記具や髪の手入れの品、土産の置物などが立てられている。

 芥河は座布団を出されて、遠慮気味に座る。

「明日、急だけれどみんなで出かけないか」

「お出かけですか」

「花を見に」

「桜ですか」

「いや、朝顔とか百合とか」

 不思議なことだと思いながら、シラツユは不満を言わなかった。

「それで、昼食は弁当と店と、どちらにしようかと思って」

 ここでシラツユはようやく、面倒そうな顔をした。

 何といっても、弁当ならば作るのはシラツユのように思われるからだ。

 しかしここで店での食事を選ぶのも浪費のように感じて、そうであっても生まれたばかりのタマキには祝いなどいくらあっても足りないくらいだと思う。

 シラツユは悩む。



   Ⅱ


 結局、タマキの希望で昼食は弁当になったが、料理もしてみたいというので、弁当作りにはクラトとタマキも加わった。

 一段目には塩結び、二段目には桜でんぶと椎茸煮、錦糸卵の載ったいなり寿司、三段目にはから揚げときゅうりのハム巻き、四段目には厚揚げや里芋、人参、うずらの卵などの煮しめを詰める。

 タマキがしたのは、いなり寿司に桜でんぶと椎茸を乗せる作業、切られたきゅうりをハムで巻く作業であった。シラツユが他すべての作業をこなす間、クラトは煮しめの鍋とタマキを交互に見張っていた。

 台所に三人が立つ騒ぎよりも、料理の炊ける匂いで、芥河は朝を知った。

 それからしばらくして完成し、出発の時間になると、クラトは弁当の包みを手に持ち、ジュースの缶や水筒などを鞄に入れて背負う。

 料理の指導で疲れてはいるものの身軽なシラツユは、そんな兄貴分を見上げた。

「……私も何か持ちましょう」

「じゃあ、ジュースだけ」

 クラトの鞄からシラツユの鞄に、ジュースの缶が二本、移される。白ぶどうジュースと桃ジュースだ。

「これだけ」

「ジュース飲むの、お前とタマキだけだから」

 シラツユは、自分が好きな白ぶどうのジュースの缶を少し持ち上げて眺めた。

 もしかして、クラトや芥河が特別に甘い物を好まないのではなく、自分が生まれたばかりのタマキと同じように甘やかされているのではないか?

 クラトはそんな悩みを知らず、こう聞いた。

「今ならみかんにでもりんごにでも変えていいぞ」

「いえ、……」

 シラツユは白ぶどうジュースを、自分の小さい鞄にしまった。桃ジュースも鞄に収まる。

 

 一行は家から徒歩で移動できる範囲で、野花を探すことにした。

 芥河の家の周りは竹林で、南に抜けると野原があり、その東に里山がある。そちらに向かえば色々な植物が見られる。

 タマキは早速、足元に生えている、てんとう虫ほどの小さな黄色い花を見つけた。

「そこから?」

 タマキがしゃがんで観察しているのを、父兄たちは微笑ましくも、暇に思う。

「これは?」

 タマキは名前を尋ねるが、誰も知らない。

 芥河が隣にしゃがんだ。

「思うに、すべてのものに名前が定まって、皆に知られているわけじゃないんだ」

 タマキはぽかんと口を開けている。

「そうだろう。君はたまたま花が好きで、興味を持ったから気にした。けれど、君が興味のないもの。なんだろうね、例えば、……そう、野菜の種類なんか」

「にんじん」

 タマキは芥河の語りを遮って、先ほど知った野菜の名前を言った。

 芥河は調子を崩して頷く。

「……うん」

「いんげん」

「……うん」

「さといも」

「……そうだね」

「きゅうり」

「……すばらしい」

「ごぼう」

「……うん」

「たけのこ」

「……一旦止まろうか」

「じゃあこれは?」

 タマキは再び黄色い花を指さす。依然芥河は答えられない。

 クラトがしびれを切らした。

「行くぞ」

 クラトとシラツユは先を行こうとしている。それに従うように、タマキは立って歩きだした。

 芥河が一人残される。

 これは途方もなく険しい旅になる、芥河はそう感じた。



   Ⅲ


 常世におおよその季節はあっても、そのときにしか咲かない花というのは珍しい。大抵の花は季節に関係なく一定量咲き、季節に合わせて数を増やすくらいである。

 よって、この春の時期にでも川辺に朝顔を見つけることができた。石や砂利の上を蔦が這って、桃や紫、群青の色の丸い花を咲かせている。その中に白い星模様があることにタマキは喜んだ。

「誰が描いたの」

「自然にそう色づいているんだよ」 

 芥河は懲りずに会話に応じる。

 見上げれば柳の枝葉、そして白い花が垂れている。

「あれは色つかないの」

「柳の花は白色だよ」

 タマキは立ち上がり、花を掴もうとするが、高くて届かない。

「タマキ」

 クラトが手招きする。

 柳の根元、茂みの中に竹の葉を大きくしたような草花がある。柳の花と同じ白色の花房があり、赤い実も交じっている。

「雪笹」

 クラトが教えると、タマキは花や実に触れたり揺すったりする。

「ゆき、ささ」

 タマキが遊んでいる横に、シラツユもしゃがむ。

「雪みたいですね」

「雪、見たことある?」

 当たり前のことを、と思ったが、タマキはまだ見たことがない。春しか知らないのだ。

 タマキの目の輝くことは、春の日差しそのものである。

「はい」

「私も見たい」

「冬になったら降りますよ」

「冬っていつ?」

「まだ先です。……夏と秋が過ぎたら」

「一緒に見ようね」

 二人がしゃがんで話している、丸まった背中を、芥河はそっと離れてみていた。

 クラトと目が合う。

「何?」

 クラトは機嫌が良さそうな声色で芥河につっかかる。

「別に」

「楽しいんだろ」

「それは、……そうだ。変わった言い方をするね」

「このくらいにしとけよ」

 芥河は笑って、意味の分からないふりをする。

「そうだね。そろそろ山に入って弁当にしようか」

 タマキは聞いて喜んで、立とうとして尻餅をつく。シラツユが驚いて声を出すと、クラトは走って、タマキの手を引っ張って立たせる。

「弁当は逃げねえから」

 タマキが泣かなかったのでシラツユは安心して、着物をはたいてやる。

 タマキは満足そうにクラトと手を繋いでいる。

 芥河は全く何もできていない。



   Ⅳ


 河原の脇にある林道を少し歩くと百合が咲くような薄暗い斜面になり、そう登らないうちに開けた場所がある。

 クラトの鞄から、昔の布団や掛物に使っていたような古い布が出てきて、座る場所に敷かれる。風が吹くとその端が舞い上がる。

「タマキ、座れ!」

 クラトに言われて、タマキははしゃいで端の方に座る。対角線上にクラトの鞄が置かれ、シラツユがタマキの沓を拾って別の角に置く。

「良し。そのまま待ってろよ」

 タマキは言われるまま座っていて、二人が色々と支度をする姿を眺めたり、栗やりんごの木を見上げたりしていた。どちらにも、小さな実と白い花がついている。

 芥河はやはり何もしないでいるので、タマキの視線に気づいた。

 そして何も言わないまま、高いところに咲くりんごの花を摘む。

「ほら、あげる」

 芥河はタマキの髪にりんごの花を差す。

 タマキは触れて、少し嬉しそうにする。

 そうしていると、シラツユが弁当の包みを開いて、重箱を広げだした。クラトも取り皿や箸を並べている。

「ありがとう」

 タマキは一言そう言うと、芥河の返事も待たないまま、取り皿と箸を手に持っていざっていく。

「桜でんぶ、食べる」

「本体はいなり寿司ですよ」

「ハム巻き、ちゃんときれいなままだな」

 三人は芥河を置いて早くも弁当を囲んでいる。

 花より団子、というだけでもない。分かっていても、何かすればふり向いてくれるタマキを、芥河は好きになっていてどうしようもない。

 自分ばかりでなくクラトやシラツユとも仲良くして、世話を焼かれている様子など、とてもユウガオとは似つかない。こんなはずではなかったが、これもこれで捨てられない。もっと信頼されて、好かれたい。

 ……それはそうと、食事の前に少し喉をうるおそう。

 芥河はそっと、置いてある鞄の中をさぐった。

 小さい方の鞄に缶が二本入っていて、果物の絵が描いてある。

 果実酒とは珍しい。

 芥河は白ぶどうの方の栓を開けた。その高い音が山に響く。

 その瞬間、クラトが驚くべき勢いで迫った。気づけば缶を取り上げられている。

「人のもん勝手に盗るな! 主は薄い茶でも飲んでろ」

 クラトの手からシラツユの手へ、白ぶどうジュースが渡される。

「タマキもちゃんと自分で持っとけ」

「うん」

 クラトは桃ジュースも取り上げて、タマキに手渡す。

 シラツユもタマキも、大事そうにジュースの缶を握って、どこか恨めしく芥河を横目に見ている、気がする。

 クラトは叩きつけるように、水筒の茶を注いだコップを芥河の膝の前に置いた。

 信頼されるとは、難しいことである。

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