四段 年頃の桜
Ⅰ
土産のきらびやかな菓子を大量に持たされて、素朴さに安心するような、無機質さに呆れるような竹林に戻ると、留守番していたはずのシラツユも同時に帰宅するところだった。よそ行きの衣の二人と反対に、シラツユはなれた狩衣を着ている。
「どこに行っていたの」
「現世に」
怪異を浄化してきたようで、衣の胸元に血がついている。タマキが驚くより先に、クラトが青ざめる。
「怪我したのか」
「いいえ、返り血です。すみません、せっかく良い景色を見てきたでしょうに」
タマキは土産の箱を胸に大事に抱えこんで、まじまじと赤い血を見つめる。
クラトはシラツユの腕を掴んで、庵の方へ向かわせる。
「そんなんじゃない。お前は怪我しやすいんだから単騎で行かせるなって、主は覚えてないのか」
「お止めにはなりましたが」
タマキは、静かに言い合う二人の背を慌てて追いかけていく。
家に入ってからも、タマキはずっと呆れているような、とぼけているような風体で、男たちに気を遣わせた。
「食欲がないなら、もらったお菓子だけでも」
とシラツユが勧めると、
「取っておく」
と退け、
「では僕が先に一つ、味見してもいいかい」
と芥河がからかうと、
「あげない」
と断り、
「何も食わないで風呂に入ると倒れるぞ」
とクラトが心配すると、
「お風呂は入る」
と振り払う。
タマキが不機嫌に去って行った居間で、三人は一旦箸を置いた。
「何というか、……反抗的?」
「反抗期?」
「まさか、生まれて一週間で」
自分に怒ろうとしない彼らの会話を、タマキはひっそりと障子ごしに聞いていた。それに飽きると、足音を立てないようにそっと歩き出す。
入ると言った風呂には入らず、まっすぐに自分の部屋に向かった。暗いままの部屋に夜目を利かせて布団を出し、寒くもないのにくるまる。
意味もなく芥河を良く思っていた気持ちを義務のように賞賛されて、ともすれば羨望され、タマキから自然に現れる感情でなくなっていくようだった。そうすると、今まで自然に接していた全ての相手と、意味や義務のある会話をしなければならないようで、その方法が分からなくて、嘘をついてしまう。
一日しまっていた布団は、春雨に濡れたように冷たい。触れている足や、浴衣ごしの背さえ冷えていくようである。それなのにだんだんと汗をかいてきて、うつ伏せになっている胸が気持ち悪い。空っぽの内臓が布団につぶされている。
Ⅱ
いつの間にか寝てしまっていたタマキが目を覚ますと、とっくに昼が過ぎていた。寝汗のせいか髪が乱れたまま、手で直すこともできない。なぜ誰も起こしに来なかったのか、と家中を歩き回ると、芥河一人が書斎にいて、背を向けて何か書いていた。
タマキが無言で戸を開けたことに気づくと、筆を止めた。
「おはよう。お腹が空いているだろう。何か用意しよう」
タマキは首をふる。いつもは少女らしくさらさらとしている髪が今は松のようにうねっているのも、余計にどこか調子が悪いと思わせて、芥河は目を丸くしていざった。
「あまり食欲がないのは病気じゃないか」
タマキはもう一度首をふり、口を開いた。
「クラトとシラツユは」
「二人なら現世に行ったよ。もうすぐ戻ってくる」
タマキはじっと、芥河の鼻を見つめる。
「毎日行くの?」
「そういう約束ではないけれど」
「じゃあなんで」
「それは」
芥河は立ち尽くしているタマキに手招きして、対に座らせる。しかしタマキはどこか、書斎の隅や壁に目を逸らす。
「現世にいる人間は怪異に立ち向かう術がない。だから毎日でも助けてあげないといけない」
「なんで」
芥河は少し首をかしげる。
「君がもし人間だったら、恐ろしい怪異から助けてほしいと思わないかい」
「私はシラツユがケガしたり、クラトが怒ったりするのが嫌だ」
「それももっともだ」
芥河はそう言いながら、他の言葉を続けない。それが、タマキの虫の居所を悪くさせた。
「主は行かないの」
「行けない」
「神さまはみんなそうなの」
「どうだろう」
タマキは急に芥河の顔を見た。いつもの優しげな顔である。
そしていちはやく、タマキは泣き出した。
芥河は戸惑うばかりで、慰めもせず、叱りもせず、追い出しもしない。
次の日には、タマキはクラト、シラツユとともに現世に降り立った。
「怖くないか」
クラトの問いかけにタマキは答えない。その代わりに弓を引いて、一体の悪霊を撃ち抜いた。
「やりますね」
シラツユが一言、褒めるとタマキは頷く。
「もっと喜べばいいのに」
クラトに促されてもタマキは笑わない。
クラトとシラツユが沈黙する間、タマキはコンクリートとフェンスの間に生える小さな菫と、崖の前にしゃがんだ。
「お花」
タマキはつぶやく。
クラトとシラツユの顔色が暖かくなる。
「お前、花が好きなのか」
「うん」
相変わらずタマキの声は小さいが、クラトとシラツユには大きな進展だった。
「そうか。じゃあ、花が咲いているところを見に行こう」
「そうですね。たまには現世の観光でも」
「していいの?」
タマキは青ざめた顔で言う。思わず、シラツユは腰をかがめて訴えた。
「なぜ、そう疑問に思うのですか」
「主、お花見てきていいって言わなかったから」
「いけないとも言われていません。それよりも、主はあなたが楽しそうにしていることをお望みだと思いますよ」
「なんで」
タマキはうつむいて声を震わせる。
「主は、私たちの主です。いつもお傍に仕える私たちを大切にできないで、他の何を守れましょうか」
「じゃあなんで、私たちは戦うの」
タマキは顔を覆う。
三人のすぐ横を、エンジンの低い音を鳴らして自動車が走り抜けていく。かすかな排煙が空気に溶けていく。
シラツユは地面に膝をついて、タマキと向き合った。
「嫌なら戦う必要はありません。主は一度もお叱りになったことはありませんから。でも私は、現世の平穏を守ることで主にお力添えできるのであれば、それが日頃のご恩に報いることだと思って戦っています」
クラトは股を広げて縁石に腰を下ろす。
「シラツユはまじめだな。俺は一人のとき、戦う意味が分からなかった。今もよく分かってない。現世がケガレに呑まれたとして、常世や主がどうなるのか見たことがないから。でも、シラツユが戦うなら守ってやりたい。もちろんタマキも」
タマキはゆっくりと立ち上がって、フェンスに手をかけた。
遠くには山、そして崖の下には河原がある。
「私は、……みんなのこと大好きだけど、誰かの言うことを聞くばかりなのは嫌」
谷から吹く柔らかい風が前髪を崩す。
そして、大猿のような悪霊が現れた。
クラトとシラツユが立ち上がる。
「いいこと聞いた。お前は正しい!」
「今回は主のためではなく、あなたを守るために戦いましょう」
シラツユの放つ矢が大猿に当たる。
クラトは剣を持ち、フェンスに飛び乗ると、更に上空に飛翔する。
大猿はクラトを狙って爪を振るうも、シラツユの矢に阻まれる。
クラトの剣が大猿の首を斬る。
崖の下から飛んで戻ってきたクラトに、タマキは抱きつく。
クラトは驚きながら、タマキの頭をなでた。
「怖くなかったか」
「うん」
タマキはにっこり笑う。
「お花、見に行く」
「よし!」
Ⅲ
クラトとシラツユが案内したのは、社に近い公園だった。桜が並んで咲いている。
「葉っぱがない」
タマキはそう言った。
「桜だからな」
「花が落ちる頃には葉も生えてきますよ」
クラトとシラツユは「見せにきた甲斐があった」と頷きあう。
タマキは桜の木の下を、幹の周りを回ったり、落ちている花房を拾ったりして歩いた。細い枝を見つけて手に取ろうとすると、撫子色の軽い衣が風に揺れた。
その様子を公園の外から見ている人があった。
その老人はおずおずと中に入ってきて、精霊の三人をじっと見た。
視線に気づいたのはクラトだった。
「なあ。あのじいさん、こっち見てないか」
クラトはシラツユに言ったはずだった。
しかし先に驚いたのは老人であった。重い瞼から飛び出そうなほど、目を凝らす。
「見てはならぬもの……?」
「え、見えてる?」
クラトと老人の目が合ったことに、ようやくシラツユは気づいた。
「人間、ですよね?」
「か、……」
老人は曲がった腰でのけぞる。
「神さまじゃ!」
タマキが〝桜〟でんぶの味を求めて桜の花弁を一枚、口に含んだときであった。
「女神さま……」
老人はよたよたと、タマキに近づく。
とっさにシラツユがタマキを引き寄せて、クラトが間に割って入る。
「申し訳ないが、人が寄ることは許されぬ尊きお方ゆえ」
「お姿を見ただけでもありがたきことと思われよ」
タマキは花びらを咥えたまま首をかしげる。
「それは、なんと……」
老人は頭を深く下げながら、土に正座して、更に頭を下げた。
シラツユはタマキにささやく。
「あなたは黙っていてください。声を聞かせないように。言いたいことがあれば私たちにだけ」
タマキは小さくうなずきながら懐から扇を出し、口元を隠す。
老人は少し顔を上げて、語り出した。
「お社に人がおりませんで、申し訳のうございます。てっきり、もうここにはおわさないものと思うておりましたので」
クラトとシラツユはタマキを挟んでこそこそと確認しあい、クラトが答えた。
「不在が多いこちらにも非がある。願いがあれば申せ」
老人は再度頭を下げる。
「どこも不景気で、若者にやる気がなく、みなふさぎ込んでおります。お助けください」
クラトとシラツユはまたタマキの頭上で話し合い、今度はシラツユが答えた。
「よろしい。いずれ恵みがもたらされるであろう。そのときを待て」
「ありがたきお言葉に存じます」
タマキは老人が、額を土にこすりつけるのをじっと、見下ろしていた。
老人が頭を上げると三人は消えていた。桜の下に公家のような着物を着た美しい人たちがいて、直接に話した。それが数秒前だったのに、まるで夢のように跡形もない。
きっと、桜が咲いているときにだけ現れる神さまだったのだと、老人は伝えることにした。




