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狩の使  作者: 在原白珪
39/48

三十九段 渚

   Ⅰ


 山の中を駆けていたはずのタマキが、息を切らして見渡すと、辺りは渚になっていた。

 冬の乾いた斜面は砂浜になり、うねる木の根は散らばる貝殻になり、はるかに連なる枝々は、緑がかった水面に姿を変える。

 アライグマのぬいぐるみを抱きしめて、タマキの足は波の方へ向かう。冷たく湿った風が髪を揺らす。巻き上げられた砂がうなじに当たる。潮の匂いは少しだけ、桜でんぶの匂いに似ている。青白い世界で、タマキは懐かしい桜色のご飯を夢見る。

「君」

 音のない声がした。タマキは向こうを見つめる。

「水に入ってはいけない」

 タマキは波打ち際から後ずさりする。

「何を探しているの」

 誰ともしれない声にタマキは口を開く。

「クラトと、シラツユと、主」

「そう。では、全てを主のせいにしてはいけないよ。その瞬間、君は何者でもなくなってしまう」

「私は、主から生まれて、主にお仕えする、主を信じる」

「どうだろう。信じることと従うことは違うことかもしれない」

 振り返ると、白い日が差している。

 波の向こうには何もない。



   Ⅱ


 タマキを見失ったクラトは、ひたすらに山道を上っていた。枯れた木の間を縫うように、やはり枯れた楓の蔦が這っていて、天に近づいているはずなのに薄暗い。虫も鳴かない。

「タマキ! 返事をしろ!」

 数歩進むごとに呼び掛けているが、まったく返事がない。

 勘の鈍いクラトにも、タマキの霊力が近くにないことが分かる。無駄だと思っても、他にできることはない。

 更に歩みを進める。

 芥河の領地に近いとはいえ、山の中まで足を踏み入れたことはなかった。

 登るごとに、雪が積もる、ユウガオの住処を思い出す。今はクラトも孤独である。

 シラツユに会うために、芥河を置き去り、タマキを見失ってしまった。この三人の他に、クラトには何もない。嫌いな芥河と、ずっと一緒だったシラツユと、手間のかかるタマキ。

 一気に全てを失ってしまった。これほど絶望的なのに、クラトの足はまだ動く。目も見える。耳も聞こえる。

 力尽きて、背負う弓矢も剣も投げ捨てられたら、どんなに楽であろうか。

 目を閉じて、眠ってしまって、目が覚めたらシラツユとタマキが傍にいないだろうか。

 そんなどうしようもないことを妄想しては、石を踏んで、その音がどこまでも響いていく。

 蹴とばされた石はいともたやすく山道を登っていく。

 その先に、開けた場所が見えた。

 あそこでタマキが泣いているかもしれない。シラツユがけがをしてうずくまっているかもしれない。そんな憐れな期待をして土を踏みしめる。

 

 開けた場所に出たかと思うと、そこは芥河の領地の〝芥河〟であった。

 つい先ほど、タマキをつれて常世から現世へ渡ってきた場所であり、つい一月前、シラツユがいなくなった場所である。

 川面に小さな波紋がいくつも広がる。雪が落ちているのである。

 空はどんよりと曇って、砂利も、クラトの着物も、灰色に塗りつぶされたようである。

 白い息を吐く。

 顔と指先だけが熱を持って、赤くなる。

 入水して常世に戻ろうという気は起きなかった。川縁に腰を落として、足を投げ出す。空を仰ぐ。雪が頬に当たり、溶けていく。


 静かな中で、腹の中を、何かおぞましい叫びが入ってくる。ケガレの感覚である。

 クラトにこれだけ強く感じられるのだから、とてつもない怪異に違いない。

 立ち上がり、そちらへ歩き出す。走り出す。

 クラトの頭の中は、怪異との戦いでいっぱいになった。浄化すればシラツユとタマキを奪還できる、言われもしないで、そんなつもりになっていた。


 怪異の気配は、川からそう離れていない神社にあった。

 ちょうど、夏に鬼が現れた場所である。そしてやはり、今日もそこに真っ黒い男の影がある。

 朽ちかけの社殿を前に、石畳の上に浮かんでいる。

 クラトは彼を睨んだ。

 言葉を交わさないまま、剣で斬りかかる。

 近づくことでケガレを受けるなどという心配を、している暇がない。自分の心配などとてもできない。

 鬼は刃を受けながらも、血一滴流さない。

 それでもクラトは剣を振り続け、一撃が首に当たる。

 鬼は少し姿勢を崩したものの、剣の刃を片手で掴むと、クラトごと吹き飛ばした。

 クラトは地面に体を打ち付ける。

 それでも立ち上がる。

 見ると、鬼はクラトに向かって歩いてくる。

 クラトは逃げ出さず、剣を構える。

 鬼はクラトを殴らなかった。代わりに言葉を発する。

「どうした」

 クラトは固まったまま、剣を振らない。

「君はそんなに僕が嫌いか」

「そうだ、いつも俺たちの邪魔をする」

「邪魔をするのは君だ。……タマキを返せ」

「タマキ?」

 クラトは耳を疑う。

「ユウガオじゃないのか」

「タマキはどこにいる」

 鬼はクラトの胸ぐらを掴む。

「君が連れ去った」

 鬼はクラトに迫る。

 今日、俺がしたことだ。


――芥河さまは元々鬼だった。浄化されて神さまになったけど、強いケガレに触れると戻ってしまう。それで、そのとき、芥河さまは守っていたはずのわたしに斬りかかった


――強いケガレに近づくと、お前自身がケガレを思い出して、鬼になって、弱い奴らを傷つけるから


 芥河は昨日、人の姿をした怪異に接近した。瘴気の中に入り、浄化した。

 そうさせたのは俺だ。

 それが一番、タマキを守るのに適した方法だと考えた。

 しかし今、こうして鬼になり、俺の前に立ちふさがっている。タマキを求めている。こんな芥河に会ったら、タマキはきっと泣いて、力尽きてしまう。

「はは」

 クラトは力ない笑いをこぼす。

「あんたから逃がすためだ」

 鬼はクラトを地面に叩きつける。

「返せ。タマキには僕がいないといけない」

 クラトは背中を痛め、すぐには立ち上がれない。立ち上がらないまま、鬼を睨む。

 鬼はクラトを見下ろす。

「タマキは約束してくれた。お前が破らせた!」 

 クラトの眼前に鬼の爪が光る。



   Ⅲ


 冠は、昨日ケガレを受けていた芥河を案じて、常世の芥河の家を訪ねていた。

 連絡をしないのは常のことであるが、今日は家の前で呼びかけても誰も出てこない。

 玄関を叩いても同じである。鍵のかかっていない戸をそっと引いた。

 食事の匂いがする。

 玄関からすぐの居間には、朝食を取った跡が、皿を洗わないままで放られている。芥河が使うような食器が流しに運ばてすらおらず、飲みかけの茶と、転がった箸までそのままにされている。食事の途中で急な手水に立ったようなさまである。

「芥河」

 冠は友の名を呼ぶ。

「芥河、いないのか」

 繰り返しても返事はない。

「クラトは」

 呼びかけながら、居間から出る。

 芥河の家は、冠にとってもう一つの家のようなものである。各人の部屋をそっと開けてみたが、やはり誰もいない。そもそもクラトとタマキの沓がなかった。

 しかし、芥河の草履はある。

 クラトとタマキは平凡に外出している。芥河には外を出歩く趣味はない。不自然に姿を消した。

 昨日の体調を見ているので、その不気味さには予測がついていた。

 冠は頭を掻く。

 冠には霊魂の浄化を手伝える下部がいない。芥河を助けるには自分一人で行くしかない。

 しかしその自分一人が負傷すれば、邸で待っているムラサキとハルはどうなる?

 冠が寵愛してきた二人には、冠抜きで生活する術を知らない。

 

 冠は意を決して、現世に降りた。

 自分の領地で、自分一人で全てを背負ってきた矜持を以てしてである。

 そしてせめて、クラトとタマキだけでも見つけて、自分の邸に匿うつもりである。

 芥河の領地には既に瘴気が漂っている。その霧の濃い方角と、クラトの霊力のある方角が同じである。冠は走りだす。

ネトコン13の審査期間が終わりましたので更新を再開いたします。次回からは毎週月曜夕方を予定しております。

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