三十八段 たまきはる
Ⅰ
――「シキ?」
――「分かんねえよな。分かんなくていいよ」
――「大丈夫、なるべく俺がどうにかするから。……お前は分かんなくていいよ」
クラトはシラツユやタマキに、これまで何度、こうやって説明をごまかしてきただろうか。
しかしそれは怠惰ではなく、二人には聞かせたくないこと、知らないでいてほしいこと、口に出すのが憚られること、……そういうものから、二人を守るためだと思っていた。
芥河も、もしかすると同じなのかもしれない。自らの素性や行いが汚らわしくて、大切な相手にこそ教えたくないのだろう。
そうはいっても、そのような純情を守るために、タマキにずっと何も教えないでいる、家の中に押し込めているのはかえってタマキの心を傷つける。外界から守ろうとする芥河の腕によってこそ、タマキは毒されていくのではないか。
――「二人が、その子のところに行けばいいのよ。……一緒になればいいの。ちょいどいいじゃない。芥河さまから逃げられて……」
タマキとシラツユが芥河を慕ってさえいなければ、クラトはユウガオに同調するほかなかった。
芥河に都合の良いことしか教わってこなかったタマキを尊重した。それは間違いではなかったが、正解でもなくなった。
――『だから、君は僕を疑い続けてくれ』
生まれてすぐ、文字も知らないうちに聞かされた言葉である。あの日の芥河は、いつかこうして誰かを騙す癖がつくことを思って、剣とともに理性を預けたのかもしれない。
クラトは芥河と長い間共に暮らしてきても、同情せず、かといって離反もせず、剣を守り、芥河の言動に鞭を打ってきた。
精霊は不変である。
どこまでがモノとしての意識で、どこから神の設計がで、どこに自己が発生しているのか分からない。分からなくても生きていける。
しかし今は、そんなふうに甘えてばかりでいたくない。不変を打ち破るときである。
クラトは芥河に啖呵を切ったまま、タマキを買い物に誘った。
「シラツユが好きなものを買って、持っていこう」
「どこに?」
「覚えてるか? カタノさん」
タマキは頷く。タマキの腕にはアライグマのぬいぐるみがある。演技ではなく、手放せないでいる。
「もしかしたら、あの人は親切で、シラツユに届けてくれるかもしれない」
タマキの表情が明るくなる。クラトの方便を信じているのだ。
まるっきりの嘘ではない。ただタマキが傷つかない程度に、やさしい言葉を使っただけである。
クラトは自分に言い聞かせながら、奮い立たせた。
「でも、もしかしたら怒られるかもしれない」
「なんで?」
「カタノさんもきっと精一杯だから。主と同じだ」
「主も、いっぱいいっぱい?」
「ああ。だから、俺たちが頑張るんだ。タマキはシラツユが好きなもの、分かるだろ?」
――「こういうものを一緒に楽しめる相手ができてよかった」
タマキは頷く。
Ⅱ
クラトはウツに頼んで、交野の現世の領地を調べた。驚くことに、本当に芥河の領地と離れていない。高くない山を一つ越えればすぐで、そういう悪路を避けても、車に乗って一時間かからない。
生まれて初めてのバスに揺られたタマキは、電車よりもやや高い車窓から田園風景を見晴らす。
冬の田の面はただ土が見えるばかりで、ところどころに枯れた藁が散っていても、やはり枯れているだけで、虫すらどこかに隠れて眠っている。
空が青く晴れていれば土の色と対称になろうものの、今日は曇っていて、世界のすべてがくすんで見える。
車内の空気は暖房に乾かされて、乗客の老人があくびをする。タマキはそのまねをした。膝の上にはアライグマのぬいぐるみと、自分で持つと言って放さない土産物の袋がある。
バスから降りると、自然とタマキの足が動く。
「そっちでいいのか」
クラトは不安に思いながらもついて歩くしかない。
山にさしかかる道に鳥居がある。この先に社があるのだ。
タマキはその鳥居をくぐった。
その瞬間、地面から煙が立つ。煙が人の姿を作り、上等な衣を着崩した交野が現れた。
クラトはタマキを庇う。
「よう、昨日以来だな」
友好的な交野をクラトが睨んでいることに、タマキは驚いた。そしてすぐに〝昨日以来〟という言葉にも気付く。芥河とクラトだけで現世に降りたときのことだ、と考える。
「どうしたんだ」
聞かれると、クラトはタマキの手から紙袋を受け取り、交野に突き出す。
「これ、渡してくれ」
「なんだ、誰に?」
「シラツユに。決まってるだろ」
タマキは段々と怖くなってきて、クラトの背にくっついて、少しだけ顔を出して様子を窺う。
そんなタマキに、交野は微笑みかける。
「お嬢さんからか?」
タマキは無言で頷く。
「ありがとな」
「約束しろ」
クラトは語気を強める。
「絶対にシラツユに渡すって」
「まあまあ」
交野は包みを受け取る。
交野はシラツユの安否を心配しない。なぜ自分に頼むのかも聞かない。それだけで、タマキにも答えが分かってしまった。
途端に、タマキはクラトの服の裾を掴む。その細い指先を、交野はじっと見下ろす。
「用はこれだけか」
「会わせてほしい」
「それはまた今度。今日許してやっただけ、幸運だと思え」
交野は鳥居の先へ歩いて行く。
「待て!」
クラト叫ぶと、タマキはそちらへ走り出す。
「こら、タマキ!」
クラトはタマキを追いかける。
Ⅲ
交野は少し後ろを振り返って、クラトとタマキを撒いたことを確認する。交野の領地においては、あの山が現世と常世の狭間であり、交野次第で迷い込んだ者を思いもよらない場所へ行かせることができる。二人を傷つけようという心はないが、時間稼ぎでもして、芥河を苦しめたい。
自分は贈り物を手に、邸に戻る。
物忌みが明けたユキフミは交野の部屋にいた。
昨日と同じく身なりを小ぎれいにしていて、うやうやしく交野が上着を脱ぐ手伝いをする。
「留守番は大丈夫そうだな」
ユキフミは「はい」と言わない。伸びた前髪で表情は隠されている。
「待っているというのは寂しいものですね」
「そうか」
交野は広い手でユキフミの頭をなでる。
「土産があるから許してくれ」
交野は、粗末な食品しか入っていないと確かめた包みをユキフミに差し出す。
「開けてみろ」
ユキフミはそっと、淡い色の包みを開ける。
さくらんぼを模した干菓子、巾着に入った金平糖と、ガラス瓶の中には茶葉と花が詰められていた。
――以前、ムラサキとハルからもらった、さくらんぼを模した寒天の干菓子である。
――「これ、おいしかった」
――『同じものを買ってほしい』と言われる、そう思って構えた。
――「あげる」
――「でもタマキは、タマキのしたいことをするべきです」
――そう言われても、タマキはシラツユの傍を離れない。
――手を伸ばして、小さな巾着を取った。
――「どうぞ」
――タマキは受け取って、紐を緩める。金平糖が入っている。
――「主からいただいたのですが。それを持って、いってらっしゃい」
――「多いからいっしょに食べる」
――それは、四日前にシラツユがタマキにやった金平糖であった。
――ここぞというときに、と取っておいた、模様の入った筒を見せる。
――「花茶です。主とクラトには内緒……と言いたいですが」
甘い香りが漂うにつれ、目が痛む。一滴、一滴が重なって、流れていく。
「何が悲しいんだ。甘い物は好きだろう」
ユキフミは答えない。
「気に入らないなら別の物も買ってきてやる。何が欲しい?」
交野は慌てて、言葉を重ねる。
「悪かった。『散歩に出たい』って、こういうのを自分で選びたかったのか」
「いいえ、……」
クラトが恋しくて、泣き虫のタマキが心配で、これまでさも平穏にこの邸で過ごしてきたことが悔しい。
それなのに、今この場で、戸惑いながら背中をさする交野の手から離れられない。
土産物を置いて、交野の胸に額を当てる。
ネトコン13応募のため、審査期間中の更新を停止いたします。
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