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狩の使  作者: 在原白珪
秋下
32/48

三十二段 目離れせぬ雪

   Ⅰ


「なんで」

「覚えているの。あのときの芥河さまの霊力を。きっとその剣に力を分けて、あなたに預けているのね。あなた、使いこなせていないでしょ」

 クラトの顔色が変わっていく。

「芥河さまのせいよ。精霊には扱いきれないものを持たせているんだもの」

 芥河はユウガオを傷つけた自らの力を畏れて、クラトに分け与えていた。

 クラトは今にでも、剣をこの雪山に投げ捨てたい。

 それは普段からの、芥河への嫌悪感であり、ユウガオへの同情であり、穢れへの恐怖である。

 あのとき、秋の会ではタマキを守るために抜いた剣が、昔はユウガオを傷つけ、主から忌まれていた。タマキにそんな武具を見せることができない。だから、ここで捨てることができない。

 外では、剣が埋められるのを待っているかのように、雪が降り続いている。

 タマキの鼻に、その冷たい匂いが刺さる。

「そう。……わたしはその剣に斬られて、咄嗟に落ちていた矢を拾って、鬼の額に刺したわ。そこから逃げて、ここにたどり着いたの。一人きりでケガレが癒えるまで、数十年かかった。その間、ずっと恐怖が離れないの」

 タマキが鬼からケガレを受けたとき、クラトが家まで運び、芥河が薬を飲ませた。シラツユが話をしてくれた。ユウガオにはそういう人たちがいなかったという。

 そんな孤独を数十年、それからどれだけの年月が経って、今のユウガオがあるのであろう。タマキには想像できないことで、計り知れない寒さを感じた。

「あなたたちは、鬼を見たことがある? 真っ黒の、影みたいな男よ」

 クラトとタマキは頷く。

「きっと、芥河さまの中に眠る鬼が姿を現しているの。芥河さまはそのことを説明したかしら」


――「……その服はお前のものではない。返せ」

――男は退かず、じっとタマキを見ている。

――男はタマキの顔に触れ、自身の真っ暗な顔と近づけた。

――「……似ている」

――タマキの目から、男が触れている頬へと涙が伝う。男は濡れた指を、タマキの頬に強く押し当てた。

――「お前はユウガオの親類か」


「かわいそうだけれど、芥河さまは自分の内にある鬼から逃げられない。一緒にいれば、あなたたちもよ。そう思って行動なさい」

 タマキは、あのときの鬼は――芥河は、ユウガオを求めて、ユウガオと見間違えたタマキに触れようとしていたのだと、タマキの部屋に元からあった衣はユウガオが残して、芥河が取っていたものだったのだと、ようやく理解した。

 鬼は、そうしたくてユウガオを傷つけたのではない。

 そう思うと、あのとき、ユウガオのふりをしてやれず、泣いてしまったことで悲しませたのではないかと思うと、自分が恥ずかしい。


――芥河はタマキに体を向けて抱擁した。

――「君は、出て行かないでくれ」

――「ずっとこの家にいてくれると言ったね」

――「本当に。それだけでいいんだ」


 鬼とともに、一昨日の芥河との会話も思い出される。


「帰る」

 タマキはそう言った。

「どこへ?」

 ユウガオが尋ねる。

「お家。主のお家に帰る」

「どうして? わたしのお話、難しかった?」

「ちゃんと分かった。だから帰る。主に会いたい」

 タマキは半ば泣きそうになりながら畳の上に立つ。

 ユウガオは心配そうに見上げ、クラトはまだ座っている。

「かわいそうだと思ったの?」

 タマキは答えない。

 タマキはユウガオの顔を見た。

「今度は、私の好きなお菓子あげる。またね」

 クラトは慌てて深々頭を下げながら、土産の饅頭を押し付けて、タマキを追いかける。



   Ⅱ


 雪山を降りると、クラトは広い道を選んで駅を探した。そして葦毛の馬を一頭借りた。

「お馬さん」

 タマキは呑気に鬣に触れてみた。人の髪と違い、ふさふさしているように見えて、硬く、脂っぽい。長いまつ毛の目が、タマキに挨拶する。

「急ぐぞ。遅くなると主が心配する」

 クラトは駅員が手伝おうとするのもはねのけて、タマキを横座りで乗せ、自分はその後ろに乗って腕を回させ、手綱を持つ。

「久しぶりだなあ」

「どのくらい久しぶり?」

 タマキはおもしろげにクラトを至近距離に見上げる。

「……うん十年とか?」

 駅員は「これはまずい」と思ったが、止める暇もなくクラトは馬を走らせた。タマキの腕は力一杯にクラトにしがみつく。駅員は運賃の紙幣を握らされて、彼らを見送った。

 遠くから、タマキの軽い悲鳴と馬のいななきが重なって聞こえる。あれで同乗者を後ろに乗せては、振り落とされるからそうしなかったのだ、と日誌に書いたという。


 風で乱れた髪を直しながら、夕刻にタマキとクラトは帰宅した。馬はもちろん近くの駅に返してきたので、ありえない速度で帰路の時間をごまかしたことなど、芥河が知る余地はない。

「どこまで行っていたんだ」

 芥河はかがんでタマキの前髪を直してやる。

 クラトはそこに、白いチョコレートがかかった卵型の饅頭の手提げを差し出した。

「ちょっと観光に」

「随分お気楽じゃないか」

「タマキが泣くから気分転換だよ。ほら、本物みたいな柔らかい人形」

 クラトはさらに、アライグマのぬいぐるみを出した。体はクラトの肘から手先ほどまである大きさで、縞模様の尻尾はその体の半分ほどの長さを以て、垂らすとタマキの胴体と同じくらいになる。開いている設計の口が物言いたげで、クラトの目を惹いた。帰宅が遅くなる言い訳に使おうと、観光地になっている杜若の領地で買ったものである。

 タマキはその作戦を察して、クラトの手からぬいぐるみを奪う。

「私の」

 あたかも〝とても気に入って手放したくない〟というように抱きしめた。

 芥河は演技だと気づいているのか、気づいていないのか、ともかく感心しているように見える。

「現世にはそんなものが」

 芥河がぬいぐるみに触れようとすると、タマキは遠ざけてより強くぬいぐるみを抱いた。ぬいぐるみの腹に仕込まれた笛が鳴る。〝気に入ったぬいぐるみを手放さない子ども〟の完璧な演技である。

 芥河は諦めてタマキの頭をなでた。

「おかえり。元気になってくれてよかった」

 芥河は微笑む。その奥に鬼の影が潜んでいるなど、タマキにはとても信じられない。

 しかし、頭に触れる手は、現世の社でタマキの涙を拭おうとした手と確かに似ていた。



   Ⅲ


 入浴を済ませて、タマキは浴衣姿で部屋に戻り、湯冷めを防ぐための羽織りものを探していた。箪笥を開くと、色々な着物が畳んで眠っている。タマキは未だ、冬用の衣の全てを着ていない。

 赤茶色のものは先日に着ていた。深緑に竹葉模様のものは今の気分ではない。白地に雪模様のものを手に取った。冬に着るべく厚く、柔らかい生地をしている。

 否、柔らかいのはユウガオが以前に着ていたからであろう。タマキは、その雪模様に、今日訪れた雪山を重ねた。あれほど孤独な場所は、タマキにとって初めてであった。

 タマキの部屋には、芥河がくれたものがたくさんある。それが孤独でない証であった。しかし、もとはユウガオのものだったのだと思うと、よそよそしくなるような、寂しくなるような気がする。

 足音が、部屋の前で止まる。

 そして戸が開けられた。

 芥河が高い背を丸めて、タマキの様子を伺っている。タマキは拒絶しなかった。

「主、寂しいの?」

 芥河は猛禽が爪先を見るように、小さくうつむく。

「私、ここにいるよ」

 タマキが座ったままでいると、芥河は入ってきた襖を閉めて、いざり、タマキに寄り添った。

 芥河はタマキに抱かれるのを待っていた。

 タマキはそれを感じながら、両方の手をそれぞれ握る。

「……そうだね」

 芥河の目は乾いている。

「明日は早く帰ってきておくれ。泣いていても、慰めてあげるから」

「うん」

「一人でいるのは寂しい」

「うん」

「怖いんだ。また誰かを失わないか、自分が分からなくならないか」

 芥河は握っている手を引き寄せる。

「君の前では、ちゃんとしていられる気がするんだ。だから……」

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