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狩の使  作者: 在原白珪
秋下
30/48

三十段 時しらぬ山

   Ⅰ


 アカシはユウガオの白んだ眼差しを鮮明に覚えている。

「まるで、僕を笑ってるみたいだったんだ」

 アカシは微笑んだ。

「僕にはできない笑い方だよ。フジくんもしない。タマキちゃんもあまりしないかもね」

 タマキは、これまでに会ったいろいろな人の笑顔を思い浮かべて、そのどれでもなく、かつ、芥河が惹かれる笑顔などあるのかと、疑問に思う。

「いいよ。途中まで一緒に行こう」

「いいんですか」

 クラトは飛び上がる。

 フジは眉をひそめる。

「待ってください。なんで遣いが主と離れて暮らしてるんすか。絶対何かあります。危険です」

「大丈夫だよ。彼女は悪い人じゃない」

「じゃあなんで」

「悪いのは主だ」

 クラトが言う。

「主がユウガオさんを傷つけた。それで逃げられたから、代わりに俺たちが作られた」

 アカシは微笑んでいるのをやめた。

 月が陰ったようである。

「そうだね」

 アカシはクラトの言葉を肯定した。それがフジには信じられない。

「そうだねって何すか! クラトさんもタマキさんも、そんなんじゃないっすよ。たった一人の大事な」

「僕たちもそうなんじゃないかな」

 フジの純粋な激高を、アカシは冷たく否定する。アカシの目には新月が浮かんでいる。

「僕とスマの前にも、遣いがいたって聞いたことがあるんだ。もしかしたら、僕たちの後にも誰かいるかも。主にしか分からないことだけどね」

「アカシさん、どうしたんすか」

「フジ君の言うことも正しいよ。僕たちの完全な写しは存在しない。けれど、僕たち自身も完全で、永久な存在じゃない。君たちは気づいたね」

 アカシはまた微笑む。

 タマキは、アカシと初めて話したときを思い出した。

 現世の芥河の社で、仕事の輪に入れないタマキを、アカシが励ました。できるようになる、できるようになれ、とは言わなかった。できなくても大丈夫、タマキはその言葉に支えられてきた。

 でも今は、その心がフジやタマキを貫く。

「大丈夫、特別なことじゃないよ。ユウガオさんもきっと分かってる」



   Ⅱ


 アカシは三人を伴って常世に戻ると、フジに手紙を預けた。スマに向けての伝言である。

「本当に、行くんすか? スマさんを呼ばなくていいんすか? 主に許可は」

「フジ君は心配性だね」

「許可を取るのは基本っす!」

 フジはじたばたして訴える。敬愛するアカシに危険な行動を取ってほしくないのである。

 杜若の邸の、整えられた庭先でわめいていると、洗濯物を干そうとしていたウツが様子を見に来た。

「うるさいな。フジ君、何が気にいらんの」

「ウツ! ウツにも言ってほしいっす。芥河さまから逃げた遣いに会いに行くとかなんとか」

「芥河さま?」

 ウツはクラトがいることに驚いて、洗濯物を落とした。

 ウツは、フジのたった一言で、芥河の社で見た怪異、スマの言葉、全てを想起する。 

 

――「……なあ、芥河は何か知ってると思うんだが

――「……あれの正体。心当たりがなきゃ、もっと驚くはずだ」

――「後は芥河次第だ。俺には解決できない」


 スマは身を引くと言った。ウツはそれに従う。

「怖いわあ。ボクはよう行かん」

 クラトは苦笑いする。

「だから、途中までって言ってるでしょ」

「でも」

 アカシとフジの様子は変わらない。

「フジ君は待っていていいよ」

「そうじゃなくて! ……ウツ! スマさん呼んで」

「呼ばん」

 ウツは洗濯物を拾いだす。

「アカシさんが行く言ってるんやろ。なら、そうさせ。スマさんも止めたがるかもしれんけど、ボクたちくらいアカシさんのこと信じんと」

「でも今日のアカシさんはおかしいっす」

「なら、特別そうしたいって気持ちは大事なものやないの」

 フジはまだ何か言いたげに、しかしそれをためらって、手のひらにこめた。

 その手でアカシの肩を叩く。

「お供するっす!」

 叩かれて、アカシの体全体が震えた。

「ありがとう」

 フジは驚くべき勢いで残っている洗濯物を拾い、ウツに押しつけた。

 ウツは整えられた、乾いた庭から四人を見送る。微風が吹いても何一つ揺れない。小さな芽の一つもなく、ただ、年老いた梅の木と、まだ背の低い桜の木が交互に並んで、梅の花が白くつぼんでいるばかりである。

庭の手入れが好きなスマは、冬には手持ち無沙汰になる。ウツはそんな冬が好きである。庭に洗濯物を干すと、それしか色のついたものがない。スマは部屋の炬燵に入って庭を、洗濯物を眺めている。

 洗濯物は毎日変わる。全く同じ並びになることはない。冬が来て、草花がなくなると際立つ。

 ウツは庭を彩りながら、タマキとクラトの暗い色の衣を目で追った。

「あの子、またおらん」 

 ウツは芥河の手狭な邸で一目見た、痩せて大人びた少年を思い出した。ウツはシラツユとまともな会話をしたことがない。



   Ⅲ


 普段から慣れた道すら間違えてばかりのアカシは、ところどころ立ち止まりながら、常世の山道を先導する。フジは不安でならない。

「これ、本当に五時までに帰れるんすよね?」

「……多分」

「どこを目指してるんすか?」

「雪が降るところ」

 鹿も鳴かない、鳥の尾も揺れない山の中である。水の音もない。

 楓の蔦も枯れていて、陽こそ遮られないが、孤独も隠されない。

「ここ、常世?」

 タマキは質問する。

「そうだよ」

 アカシは優しく答える。

 芥河の家を覆う竹林は、季節によらず、青々としている。タマキはまだ見たことがないが、春先に筍が生えるくらいしか、変化はない。

 冠の邸の裏に広がる花畑は、種類が変わっても、いつでも花が咲いている。昨日訪れたときも、桃色や黄色の菊が咲いていた。

 タマキは、草花が枯れるのは現世だけだと思っていた。

「常世でも、神さまがいない土地に花は咲かない。ほら見て」

 アカシは天を指さした。

 寂しく細長い枝が伸びている。

「椿だよ。現世では咲いているはずだけど、ここでは咲かない」

 タマキは初めて椿という木を知った。クラトも教わるまで気づかなかった。常世では山の奥でしか見られないのである。

「せっかく、落ちるまで枯れない花なのに」

 フジが呟く。

 歩き続けて、タマキがクラトにおんぶを訴えたところであった。

 遠くから煙の匂いがした。

「誰かいるみたい」

 タマキの額に雪が降りた。その冷たさに、タマキは目を覚ます。


 アカシとフジは案内役を終えて来た道を帰る。

 嫌がっていたフジも、中途半端な道で放り出した二人が心配で、今は最後までついていきたいという思いに変わっていた。

「心配っすね。あいつら、街育ちだから山なんて歩けないっすよ」

「街、ではないかな」

「違いました?」

「里くらいだと思う。でも、僕たちからしたら街だよね」

 アカシもフジも、スマもウツも、田舎の生まれである。

 現世を旅していた杜若に見出され、遣いや精霊として生まれ変わったのである。

 フジとウツに現世で生きていた頃の記憶はないが、言葉が訛っていたり、静かで気取らない場所を好んだりするのは、その名残であろう。

 反対に、スマとアカシには現世で生きていたときの記憶がある。

「寒いとお腹が空くね」

 アカシは懐かしそうに、木の枝の先を折った。そして口に咥える。

「味がしない」

「木ってそういうもんすよ」

「昔はもっと甘かったんだけど」

「……体が変わったんじゃないっすか」

「そうだね。この体は鈍くて仕方ない」

 アカシはつまらなそうに、咥えた枝を捨てた。転がって軽い音が鳴る。

 重なるようにわずか先で、枝が踏まれる音が鳴った。

 アカシとフジは勘づいて、合図もなく構える。

 相手は気づかれたことを察し、姿を表した。

 大柄な男が、小柄な男と切り下げ髪の男を率いている。

「お前ら、芥河の精霊の仲間か」

 大柄な男は尋ねた。

 アカシは応える。

「……僕はそう思ってる」

「何しに来た」

「ただの道案内だよ。彼らの目的は知らない」

「知らずにこんな山奥まで? とんだお人好しだな」

「えっと。……えへへ」

「褒めてると思ったか?」

 フジは大柄な男を睨む。

「文句あるっすか」

「あいつらにな」

 フジは正体の分からない男たちが、何かしでかすと思った。そのために弓を持とうとした。

 その手を、アカシが止める。

「もし」

 アカシは見知らぬ男たちに語りかける。

「君たちが僕たちの友人をもてなすとしたら、僕も誠意を以て君たちをもてなすよ。方法は君たちに合わせる」

 アカシの目は、ひっくり返った三日月を映している。

 男たちはそこに、獲物を睨む猫の牙を見出した。

 大柄な男は太刀で弾き返そうとする。

 しかしその刀身には、アカシの弓矢が映る。

 大柄な男を守ろうと、小柄な男と切り下げ髪の男が飛び出す。

 フジが二人ともをいなし、アカシは大柄な男に向けて弓を張り続けた。

「僕はこの弓を引くことができるけれど、君はどうする」

 大柄な男は、アカシの強い霊力に圧倒される。

「言いたいことは言わせてもらう」

 これが大柄な男の答えであった。

「ここらには、神がいない。神から離れて暮らす霊がいる。……俺らもそうだ」

 大柄な男はひそかに嘘をついた。

「邪魔をしてくれるな」

 依然、アカシは弓を構えている。

「君たちこそ。自我があるというのは苦しいね」

「何が言いたい」

「分からないなら、友だちにはなれない」

 アカシは弓を下ろす。

「またね」

 アカシはフジを伴って歩き出す。

 しばらく歩いて振り返ると、目指してきた山の頂に白っぽく雪が積もっているばかりで、無法な男たちの姿はない。

「フジ君、嫌がっていたのについてきてくれたね」

「当然っす。アカシさん一人じゃ心配っす」

「ありがとう。僕も考えたんだ。フジ君を置いていくか、連れてくるか。どちらがフジ君には良いだろうって」

 一歩歩みを速めて覗くと、そこにはいつもの穏やかな、そして寂しそうなアカシの顔があった。

「……僕だったら。嫌いな場所に主が行くと行ったら、嫌でもついて行く方が楽だ」

「楽?」

 フジは聞き返す。

「うん。主の言われる通りにしているのが楽なんだ。いくら嫌なことでもね。むしろ、彼らみたいに、自分たちで考えて、間違ったことをしてしまうかもしれないのはつらい。クラト君とタマキちゃんはがんばっているよ。だから、僕も今日はがんばった」

 これが、アカシが杜若でなく、同等のスマに不在の連絡をした理由である。ウツの言う通りであったと、フジは切なくなる。

「ごめんね、早く帰ろう」

「そうっすね」

 フジは誇らしく、山道を下っていく。

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