三段 撫子
Ⅰ
「じゃ、行ってきます」
クラトがタマキを連れ出したのを、芥河とシラツユが見送る。
「賑やかな二人が行ってしまった」
「主が行かせたんでしょう」
玄関を閉めて、芥河は自室にシラツユを伴う。ちょうど昼前の影に入り、室内には日があまり差していない。
「お茶でもお淹れしましょうか」
「君の分だけでいいよ。僕のはここに取ってあるから」
芥河は低い戸棚から色のついた瓶を出し、にこっと笑う。酒である。
「それならお一人でどうぞ」
「待ってくれ」
芥河はシラツユの袖を引っ張る。シラツユはため息をつく。
「クラトが追い返されてきたらどうするんですか」
「それはないよ。冠はいつも将棋の相手を欲しがってる。僕も似たようなものさ」
「長い対局をお望みですか」
「もちろん」
芥河はシラツユの腕を上から下になぞる。
Ⅱ
芥河の目論見通り、クラトは冠の将棋に付き合わされていた。広大な邸の離れ、木材が香る茶室、将棋盤の前で、冠は煙草を吸う。煙が嫌いなクラトは少々不快に思ったが、芥河やシラツユに助けを求めようもない上、盤面に集中したいと思った。
「なかなかやるなあ、若いの」
「はあ、あんまりしないんですがね」
クラトはやや楽しそうに駒を動かす。
「ま、そんなものって感じだがな」
冠は嬉々として駒を動かす。
「うっそ……」
「降参なら早く言ってくれよ。次の勝負がしたい」
クラトは冷や汗をかく。しかし、言われた通りには動かない。
「三分ください」
「ほう?」
冠は足を組む。
「いいぜ。三分でも五分でも待ってやる。俺は従順じゃない奴が好きだ」
女子会に招かれたタマキは、芥河宅の四倍もあろうかという豪邸には目もくれず、色とりどりの菓子に目を眩ませていた。
「これ、全部お菓子?」
「そうですよ」
ムラサキが笑顔で答える。
「全部食べられるの?」
「ええ。どちらから召し上がります?」
ハルも笑顔で答える。
「迷う」
「「かわいらしい」」
白い机の上に、鳥かごに段をつけたような置物がいくつかあり、その三段それぞれに二つずつ小皿が置かれている。小皿には落雁や練切り、寒天が盛られている。
もちろん菓子だけでなく、急須に入った茶も、色のついた角砂糖やオレンジのマーマレードも揃えられている。
「こちら、何のお茶ですか?」
ベニバナが尋ねる。
ベニバナは水無瀬という神の遣いの女性である。ムラサキとハルが二十代くらいに見えるのに対し、ベニバナはそれより上に見える。話し方はおっとりしているが、特段美しいというより、鼻が高いのが目立つ。
「紅茶です」
「なんの紅茶ですか」
「キャンディ、だったかしら」
「いいじゃない」
ベニバナはムラサキとハルを称える。遣いとしては見た目通り、ベニバナの方が年上である。
「ベニバナさん、お砂糖とマーマレード、どちらを入れますか」
水無瀬の精霊であるノドカが目を輝かせながら聞く。本心では、自分はどちらも入れてみたいです、と言っているようだ。
「初めは何も入れないでいただきます。あなたは好きになさい」
「はい。タマキさんはどちらに……」
先輩とはいえ立場の近いノドカに話しかけられ、タマキは少し意気込んだ。
ノドカはきれいな桜色の髪を短くして、タマキと同じくらいに幼い印象だが、顔つきも動作もしっかりと女性らしく、雪の髪飾りが似合っている。
一方のタマキは、水色の角砂糖をそのまま指でつまんで、ごりごりと噛み砕いて食べてしまっていた。
「お砂糖、おいしいですか」
ノドカは驚いた口元を手で隠す。
タマキは甘くなりすぎた舌を気にしながらも冷静に頷いた。
「味は普通のお砂糖」
「まあ、そうでしょうねえ」
ベニバナは笑いをこらえている。
「ラムネの味がすると思った」
「そうでしたの。どの色も味は同じですわよ」
ところがムラサキは、何でもない様子で間違いを訂正する。
「ちなみに、どのお色がどんなお味だと思いましたの」
ハルも興味深そうに聞く。
「えっと……。黄色はレモン、ピンクは桜でんぶ」
「桜でんぶ」
「桜ではなくて?」
ベニバナとノドカは聞き返す。
「桜でんぶがお好きですの?」
「昨日のお寿司にものっていましたね」
ムラサキとハルは理解を示す。
タマキは頷く。
そのやり取りが、ベニバナとノドカにはおかしかった。
「無垢なタマキさんと素直すぎるお二人で、どこにでも行ってしまいそうですね」
「そうでしょうか」
「どこに行きましょうか」
ムラサキとハルはやはり、向けられた言葉を否定しない。
「ああ、そうですわ。お花畑に行くんでした」
「今のお茶を飲んだら行きましょう。お菓子はまた後で」
しかし、タマキにはベニバナの言葉が気になる。
Ⅲ
冠の邸から、庭を通って花畑に行く野道で、ムラサキとハルの後方を歩きながら、そっと声をかけた。
「ベニバナさん、賢い」
「賢い? 年長者に向かって当たり前のことを」
「ムラサキさんとハルさん、お菓子もお花も、たくさん知ってる。だけどベニバナさんはもっと、……お話しが上手。神さまみたい」
ベニバナは少し考えて、タマキがこれまでに会って話したことがあるのが、反抗的で言葉の少ないクラト、物静かなシラツユ、そして神である芥河と冠、ムラサキとハルだけであることに至った。よく喋るのは確かに神だけである。
「神さまみたいだなんて。ベニバナさん、良かったですね」
ノドカに囃されて、ベニバナは、男が痰を吐き捨てるような顔をした。
「あたしが賢いんじゃなく、ムラサキさんとハルさんがばかなだけです。……相手の言葉を繰り返すか褒めるかしかしない」
タマキは言われてみればそうかも?と思考を巡らす。と同時に、ベニバナは意地悪なのかもしれないと思ったが、ノドカが懐いているあたり、そうでもないのだろうな、と信じることにした。
「昔、そういうふうに作られたからですよ。かわいそうに」
先に花畑に着いたムラサキとハルが、手を振って三人を呼んでいる。花畑に隠れてしまうような、曇りのない美しい笑顔である。
「詳しい話は、本人たちが話したいというときに聞くことですね」
「さあ、撫子のお花を探しましょう」
タマキはノドカに手を引かれて行った。目の前はお菓子よりも色とりどりで瑞々しい花畑である。
ムラサキとハルが手招きするところに、撫子の花があった。濃い桃色の花をじっと見て、確かに自分の衣の色と模様だと、タマキは思った。だが、撫子の花だけでなく、周りの白や黄色の花の方が目に馴染むような気がする。
手に取れる花で花冠を作りながら、タマキは我慢しきれず、婉曲的に質問した。
「ムラサキさん、ハルさん、冠さまのこと、好き?」
「あらまあ」
「まあまあ」
ムラサキとハルは赤面しながらも、嬉しそうに答える。
「それはもちろん」
「好きなところも嫌いなところもありますわ」
「嫌いなところもあるの?」
「長くお付き合いしているとどうしても。……ねえ?」
その表情は軽い愚痴のようであった。
「どんなところ?」
しかしそう聞くと、困った顔をする。
「どうお話ししましょうか」
「そのまま言うしかありませんよ。タマキさんだってずっと知らないままでは困るでしょう」
「そうですね。では言いましょうか」
タマキはぽやっと、花冠を地面に置く。
「女性好きなところでしょうか」
「現世に行くと大変ですのよ。あちこちで声をかけて」
タマキはまだぽやっとしている。
「難しかったかしら」
「まだ早かったかしら。でもいつか分かりますわ」
タマキは首を横に振る。
「嫌って言っても直らないの?」
今度はムラサキとハルがぽやっとする。
「主にはそんなこと申し上げませんわ」
「怒られるの?」
「怒らないでしょうけれど、申し上げませんの」
タマキの頭の中で、ベニバナの言葉が繰り返される。
〈相手の言葉を繰り返すか褒めるかしかしない。昔そういうふうに作られたからですよ〉
「タマキさんは」
ムラサキが言う。
「芥河さまのお嫌いなところ、ありませんか?」
タマキは考えていたことを振り払うように、首を横に振る。
「ない」
「まあ」
「素敵」
ムラサキとハルが微笑むところに、ノドカが完成させた花冠を被ってやってくる。
「主の愚痴大会ですか? 私も混ぜてください」
満面の笑みで入ってきて、タマキの横に腰を下ろした。
「主ったら、滅多にお会いできないんです。とてもお優しいですし風流らしいですけれど、会えなくっちゃ意味がありません」
「会いたいって言わないの?」
ノドカは手を振る。
「とてもとても」
「会えないのにお仕えしてるの?」
「そうです」
「なんで?」
「そういうものなので」
ノドカに、ムラサキもハルも頷く。
「大嫌いにならないの?」
「なっては困りますね」
タマキはハルに否定される。
「そういうものですね」
「タマキさんはお幸せですよ。毎日お会いできて、何でも申し上げられるんですから」
「精一杯お応えするんですよ」
タマキの心の中では元から、三人の言う通りのはずだった。
それが他人から言葉にされてみると、あるいは他人と比べられると、それがみじめに思えてきた。
いっそ芥河には会えないで、望まない命令を受け続けて、それにずっと文句を言っているだけの方が気楽に思えてくる。
この、蜂蜜色の西日が差す花畑から帰りたくない。




