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狩の使  作者: 在原白珪
秋下
28/48

二十八段 若菜

   Ⅰ


「……悪いな。話が長くなった。クラト、もういいぞ」

 冠は〝もう喋らない〟という意思表示のために煙草に火をつけた。

 クラトはタマキの両耳を塞いでやっていたのを放す。

「何のお話?」

 途中から耳を塞がれていたタマキはクラトに尋ねる。

 クラトは頭を悩ませる。妹分のタマキに、目の前にいる頼りになるはずの大人のだらしない恋愛経験を教えたくないのだ。

「……例えば、」

「たとえるの?」

「蝶々が花畑で、どの花にとまろうか迷ってるとするだろ?」

「うん」

 クラトはその続きを考える。

「……違うな。鉢植えにツツジとか桜は植えられないよな?」

「うん」

 クラトは再びその続きを考える。

「うーん」

 タマキは首を傾げる。

「何のお話?」

「振り出しに戻ったな」

「いいよ。多分その方向でごまかすのは難しいと思うから。悪いけど諦めて」

 芥河が言うと、タマキの探求のまなざしは芥河に向かう。

「えっと……、そう。君たちは君たち自身が考えているよりずっと繊細だから、僕たちが願っても、変わってしまった心は元に戻らないんだ。ムラサキさんとハルさんにもそんなことがあった。だからシラツユも同じだ。そういう話だよ」

 タマキは優しそうな芥河の目をじっと見つめる。

「シラツユは、自分で決めたの?」

「分からない。けど、もう変わってしまったんだよ」

「変わらない。信じない」

「タマキ」

「私はシラツユと一緒がいい」

「最悪だ」

 冠が言う。

「本当に最悪の場合だ。本当に最悪のことがあれば、俺が奴からシラツユを奪って、芥河に返してやる。しかし、そうするとシラツユは今回に重ねて一回か二回、また魂が変容することになる。元の人格がどのくらい残るか分からない。その方がマシだと思うなら、言ってくれ」

 今の神から冠が奪って一回、そして、芥河の手に戻って二回目である。〝一回か二回〟というのは、どちらで終わる可能性もあるということだ。

 それはもちろん、何回も主が変わることにシラツユの魂が耐えられなければ、冠の邸に置いて芥河らが度々会いに来るのが良いであろうという意味を含んでいる。

 そしてもう一つ、芥河が再びシラツユを配下に入れても、芥河の力が耐えられないかもしれない。だから余裕があって親しい冠の元にいさせてはどうか、という意味もある。

 冠は〝最悪の場合〟と繰り返したが、現状こそが最悪である。わずかにでも可能性があるとすれば、シラツユが望んで新たな神から逃げ出すことに成功することであるが、奇跡に等しい。

「奴って誰だ」

 クラトが問う。

「シラツユは誰と一緒にいる」

「断言はできない」

 芥河が言う。

「推測はできてるんだな」

「うん。だけど教えない。理由はある。君たちを守るためだよ」

 冠が頷く。

「分かるだろ。お前たちが行って話がつく相手じゃない。……クラト、ちゃんと守ってやれよ」

 クラトがその神と交渉しようとすれば、タマキやシラツユに害が及ぶ。冠はそう伝えた。

「冠さまは、……それができるんですね」

 クラトは冠に頷いた上で疑問する。

「あ、いや……。突然訪ねて、迷惑かけました。どこまで助けてくれるんだろうって」

「なんだ。俺を力不足なんて言う奴は珍しいと思ったが、それもそうだ」

 冠はクラトに、タマキの耳を塞げ、と合図した。クラトは従う。

「そういえば言ってなかったか。さっき俺が話した現世の女、あれの娘……、そのまた娘だかなんだかが、芥河の遣いだ」

 クラトは仰天する。

 タマキは耳を塞ぐクラトの手を掴んで足をばたばたさせている。

 芥河は少し照れる。

「そういう縁だ」

「でも、あの人ももういないじゃありませんか」

 クラトは自分も話しながら、できる限りの力でタマキの両耳を押さえつけている。

「それでも、一度会って、芥河のことも気に入ったんだ。俺は欲が強い」

「僕も冠のことが好きだし、冠もどんな理由であれ僕を気に入ってくれているなら、それ以上のことはないよ」

 クラトの眉に皺が寄る。

「もちろん、彼女には会いたい。……まだ新しい主を見つけていないようだし」

「帰ってきたら俺にも会わせてくれよ」

「嫌だよ。冠の方が良いとか言われたら僕は立ち直れない」

「今聞くと洒落にならねえな」

 冠と芥河の戯言を聞きながら、クラトは一つ、思案した。

 そして頃合いを見て、タマキの耳を解放してやる。

「何のお話?」

 タマキはまた振り出しに戻るが、クラトが何か企んでいるのを悟って、口をつぐんでいた。



   Ⅱ


「選ぶなら、女の子の方だと思っていたよ」

 水無瀬はそう打ち明ける。神の位を取り戻した交野を祝いに、邸を訪れているのである。

 自宅や人前で着るような高級そうな衣を脱ぎ、私度僧のような古い衣に身をやつしていて、それが交野の古びた邸に似合っている。

 交野も交野で、神の位を取り戻しても、水無瀬の遣いに身をやつしていたときと同じ衣のままである。

「俺もそう思ってたが、すぐにやめた。ありゃ子どもだ」

「好きじゃないか。若い女の子」

「若すぎる。まるで話が通じねえ。芥河にしてもあれは失敗作だろうよ。そのくらいだったら、男でも聞き分けがよくて奥ゆかしい方がいい」

「そう。君がいいならそれで」

「なかなか正義ってもんがねえなあ」

「君もね。だから僕たちは親友なんだろう」

 そんな会話で、ユキフミは目を覚ました。

 四肢が動かず、胴に感覚がない。

 なんとか目を開けるが、見覚えのない天井が暗い中で薄らぼんやりと見えるだけで、瞼も重いので、再び目を閉じた。

 聞き覚えのある声はまだ続いている。

「ああ。水無瀬には世話になった」

「本当にそうだよ。君を抱えているのは疲れた。今度は零落しないように気をつけて」

「まあ、大丈夫だろ」

「恨みはあまり買わない方がいい」

「知ってる知ってる。でもいい狩りだった。物忌みが明けたら見せてやる」

「僕も話したことくらいあるよ」

「それでもだ。暇だろ?」

「暇ではないけど、そこまで言うなら」

 それからの会話は記憶できなかった。ただ何となく、交野の声が近くにあると落ち着くような気がしていた。



   Ⅲ


 うつらうつらとしながら目が覚めると、鈍い感覚に鞭を打って、床をいざり、戸に手をかけた。しかし力が足りず、開けることができない。

 すぐに疲れ、諦めると、戸は開いた。交野が開けたのである。

「まだ出るなよ。物忌みだからな」

 交野は入室しながら、すぐに戸を閉めてしまった。

 交野は腕にかけていた着物を、ユキフミが着ている白い浴衣の肩にかける。

「なぜ」

「加護が変わって一月は不安定だから。外で動けるような体じゃないだろう」

 交野はユキフミを布団の上に座らせ、自分はそのすぐ横に座った。

「でも、帰らないと」

 ユキフミは言う。

「どこに?」

「家に」

「家はここだ」

「主が」

「主は俺だ。俺がここにいろと言ってる」

「私は、」

「お前はユキフミ、俺の、交野の遣いだ」

 交野はユキフミの上半身を抱く。

「かわいそうに。まだ混乱してるんだな」

 長く眠っていたユキフミの体の中は冷えて固くなっていた。

 交野の体温が衣ごしに触れて、肌の表面だけが少し、柔らかくなる。

 交野はユキフミの芯を抱きたかった。

「そうでしょうか」

 ユキフミの声が交野の耳をなぞって流れていく。

「そうだ。信じろ。俺がお前の神さまだ」

 自分はユキフミで、主は交野である。そう教わっても、やはり、芥河の横顔が瞼にちらつく。しかし考える間にも、ユキフミの腕は交野を抱き返している。

 交野の衣から、自分にかづけられた衣と同じ香が匂う。これが交野の好きな香なのであろう。晩秋の乾いた空気に、その匂いだけが鮮明に存在している。

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