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狩の使  作者: 在原白珪
秋下
25/48

二十五段 盗人

   Ⅰ


 昨夜、寝付くのが遅かったにも拘らず、シラツユは明け方に目が覚めてしまい、目の下の隈をこすった。障子から穏やかな朝日が入ってきて、小さな鏡を光らせ、一筋の光を作らせている。その他はまったく夜のようで、どこかに虫が這っているとしても分からない。

 布団を膝にかけたまま、上半身を起こす。一晩眠れば忘れてしまうかもしれないとも考えたが、こんなに短い間しか眠れておらず、夢も見なかったので、まるで手記でも見返しているかのようにカタノの言葉が繰り返される。


――「迷ってるんだ。シラツユは耐えられないだろうから」

――「聞いたら卒倒するに決まってる。それでそのまま寝込む」

――「割と、芥河の根幹の話さ。以外と昔馴染みだからな」

――「秘密にしてることをただで教えるわけにはいかない」

――「どうしても聞きたいなら、ちゃんと覚悟を決めてこい。約束をしよう」


 布団を被せたままの膝を抱えて、顔をうずめる。空っぽの胃が悲鳴をあげそこねて、眠りたがって、それを煩わしい心肺の鼓動が邪魔している。

 冬に差し掛かった冷たい風が、閉め切った障子を細かく鳴らす。



   Ⅱ


 祭りの後から、芥河の領地の現世に現れる怪異の数は減っていた。それでも二日に一回は、クラト、シラツユ、タマキが揃って巡回し、小さな穢れや怪異を浄化していた。強い怪異を発生させないためであり、日常の買い物も兼ねている。

「安売り商品が売り切れる前に、片付けましょう」

 シラツユはクラトが視認していないほど遠くの怪異を狙って矢を射った。

 子鹿の鳴き声が響き、消えていく。

「毎度毎度、よくやるなあ」

「あっち! 豚さん!」

 感心するクラトの腕をタマキが引っ張り、指差す。怪異ではあるが、豚ではない。

「あれは猪だな」

「違うの?」

「むしろ、似ていると感じるあたりタマキが鋭すぎます。やってみますか」

 シラツユに教わりながら、タマキは弓を引く。

 猪の怪異は暴れながら浄化されていった。

 山中を歩きながら、場全体の浄化を確かめる。三人は里に下っていく。


 クラトは飲み物や洗剤を、シラツユは野菜や肉、魚を、タマキはパンや菓子の袋を持って、川辺に向かう。ここが、霊力を使わずに常世と行き来できる場所であり、以前に老人が語っていた鬼が現れた場所である。

 慣れたもので、なんとなくクラトが先頭を歩くだけで、声をかけることもなく、川の流れに入水する。


 常世の竹林にクラトはたどり着いた。振り返ると、タマキも続いてくる。そして数秒が経った。

「シラツユは」

 タマキが大振りに四方を見渡す。

「いない」

「一回戻ろう」

 クラトとタマキは買い物袋を持ったまま、数歩下がって現世の川辺に戻る。

 食材の入った買い物袋だけが川辺の石の上に置かれ、誰の姿もない。

「……かくれんぼ」

 タマキがそう言った。

「そんな、シラツユがふざけたことを」

「探す」

 タマキは買い物袋を並べて置いて、辺りに駆けていく。

 クラトは買い物袋を放ってタマキを追いかける。

「待て!」

 タマキは荒い砂利をものともせず、段々と足を速めていく。

「鬼ごっこじゃねえんだぞ!」

 クラトの足音が大きくなっていく。

 タマキも捕まるまいと、里の方へ更に走る。楽しみにしていた紅葉は既に半分以上が落ちていて、秋雨に濡れ、土や虫の死骸と一緒に道の脇に避けられている。タマキの靴はそれを踏みつけて、蹴散らし、木陰という木陰の間を縫って、シラツユの姿を探す。

 しかし元から、近くにシラツユらしき霊力を感じられていない。タマキが動ける範囲にはいないのであろう。分かっていても、走らずにいられない。

 秋の会で、大広間に行けなかったタマキの代わりをしてくれて、再会してみると元気がなかった。タマキのせいだ。あそこでタマキが泣かなかったら、シラツユは元気でいられたのに!

 シラツユは怪異を見つけて、一人で戦おうとして、けがをしているかもしれない。怖くて身を隠しているのかもしれない。

 赤い実をついばむ雀にも、舌を伸ばす蛇にも目もくれず、おっとりした狸を飛び越えた。

 車がまばらに通る道を抜けようとして、縁石につまづく。

「こら!」

 タマキは転んだまま立ち直らず、クラトに捕まった。

「シラツユ、いない」

「急に走るな」

「なんで」

「タマキまでけがしたら、俺はどうしたらいいんだよ」

「シラツユ、どこにいるの」

 タマキとクラトの会話が噛み合わない。

「……また主に探してもらおう。立てるか?」

「おんぶ」

 クラトは言われるままにタマキを背負う。負担だが、急に走り出されるよりはましだと思う。本当はクラトが走り出して、シラツユを探しに行きたいのだが。

 二人は元来た道を戻りながら、大きな影に出会った。魚の怪異である。

「なんで山の中に魚がいるんだよ」

「お魚じゃない」

 よく見ると、全体像は魚によく似ているが、短い手足のようなものが生えている。

「なんだ、あれ」

「分かんない」

「まあ、分かんなくていっか」

 クラトは断ってタマキを下ろすと、剣でその大魚のような怪異の腹を斬った。

 大魚は消えていく。

「さっき浄化しきったと思ったのに」

 クラトがぼやくと、タマキが騒ぐ。

「クラト! 地面! ちっちゃいの!」

 クラトがやれやれと見下ろすと、枯れ葉に混じって小さい虫のようなものが大量にうごめいている。幼魚である。よく見ると、破れた卵の殻も転がっている。

 タマキは転んだことを忘れて木に上る。

「お前足痛いんじゃなかったのか」

「むり」

 タマキは小さいものが大量に這ってうごめいている様子を直視できないらしい。クラトもできればしたくない。だが、発生した怪異はこの場で浄化しなければならない。


 クラトが一人で幼魚を殲滅した頃には、夕方の冷えた風が吹き始めていた。

 買い物袋を拾って常世に戻る。

 玄関に買い物袋を投げ出すと、クラトとタマキは競うようにシラツユの部屋の戸を開けた。

 やはり、シラツユの姿はない。

 二人の騒ぎに、芥河が出てくる。

「遅かったね」

「シラツユがいない!」

 タマキは芥河に抱きつく。

「はぐれたの?」

「ずっと探してたんだ」

「なぜすぐに言わない」

 芥河が声を荒らげると、タマキが目を潤ませる。

「泣いたって」

 たしなめようとする芥河を無視して、タマキは泣きつく。

「怪異が出た」

 クラトが言う。

「ほんの数分探してるうちに、浄化しきったはずの場所に大きな怪異が出た。不自然なやつが」

「不自然?」

「山の中に魚。しかも子持ち」

「川魚じゃないの」

「大きさの割に弱くて、そのくせ後から子どもがうようよして、時間だけかかって」

「もういい」 

 芥河は歩いて行く。

 置いて行かれたクラトとタマキは呆気に取られて、その背中を見送る。

「怒ってる?」

「いや、どうだか」



   Ⅲ


 シラツユはクラトとタマキについて行かず、買い物袋を置いて川を渡った。

 煙のようにカタノが現れる。

「いいんだな」

 口では確認しながら、答えを待たずに腕を引いていく。歩かされるシラツユの足から、川の水が滴り、乾いていく。

 針葉樹の木陰の世界に入り、その影はどんどん濃くなっていく。昼間だというのに、暗闇のようでさえある。シラツユはカタノに腕を引かれる以外に、道を選ぶことができない。

 暗闇から洞窟に入る。空気は一段と冷たく、生物の気配はない。カタノはそんなおぞましい道を迷わずに先導していく。

 洞窟が開けると、カタノが目指している場所が分かった。現世から常世に移り、だだっ広い野に一軒、衰えた邸がある。

 カタノが出入りするということは水無瀬の離宮か何かであろうか、シラツユは疑いながらも、カタノに従った。従わなければならない。ここは既に芥河の目の届くところではないのだ。

 邸の中に上がった途端に、外では雨がそほ降る。誰もいない邸とそれを囲む野に、雨音が聴覚と嗅覚を与える。

 カタノはそれをよしと思ってか、邸の奥ではあっても、庭に面した部屋にシラツユを通した。雨雲越しのかすかな陽が簾に遮られて、とても衣の模様など分からない。互いの眉の形も分からない。

「雨が降ると川が溢れる」

 カタノは語りだした。

「溢れる川の流れにさらわれるのを、人は〝鬼が食った〟と思う」

 シラツユは話に合わせて雨を眺める。しかし実は、暗がりで表情が読めないゆえに、わずかに光や音の感じられる外に気が向いているというのでもある。

 カタノは手を床に打ちつけた。

「雨と一緒に雷が落ちる、――神が鳴ると、鬼と神は一体だと思う」

 床板に響く音は充分にシラツユの心臓を驚かせた。

「実際そうだ。神と鬼は元、同じだった。お前、鬼を見たことがあるだろう」

「ありません」

「ある。祭りの日、お前の神坐を狙っていたやつだ」

「あれは、浄化されなかった怪異だと」

「そうだ。穢れを溜めこんで、溜めこんで、……悪霊の域を超えて、多くの人間から忌避されて生まれるものが鬼だ。崇められて、信じられて生まれる神と、ちょうど反対で、同じだ」

 シラツユに、雨の音も匂いも届かなくなる。

「芥河は鬼だった。それを浄化してやったのが俺さ」

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