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狩の使  作者: 在原白珪
秋上
23/48

二十三段 あづさ弓

   Ⅰ


 協議を終えた三人組は、一斉にクラトとタマキを目掛けて突進してくる。

 タマキはクラトの後ろに隠れ、クラトは慌てて剣を出した。怪異を浄化するための剣である。それを小柄な男に振るった。

 小柄な男は跳躍して剣に乗り、すぐに降りて剣を飛ばす。切り下げ髪の男が空いた隙間から短刀を差し込む。

「クラト!」

 タマキが叫ぶより先に、クラトは小さな結界を用いて男ごと短刀を弾き返した。

 クラトは目を剥く。大柄な男が視界にいない。

 大柄な男はクラトの背後で、タマキに太刀をかざしている。

 クラトは咄嗟にタマキを隠すように抱いた。

「斬られたくなきゃ、オレに従え」

 クラトであっても、タマキを守りながら三人と戦うことは難しい。それでも守らなければならない。

 クラトの片手に剣が再び現れる。

「交渉は平等にしようぜ」

「平等? お前らとオレたちは違う。力も立場も」

 大柄な男は声を低くする。

 太刀がクラトに向く。

「弱い奴は黙って従え」

「悪いな」

 クラトは少し笑う。その瞬間、タマキの目に一本の矢が映る。

 矢は天から降ってきて大柄な男の背に刺さり、庭に血を注いだ。

「主!」

 小柄な男が懐抱し、切り下げ髪の男が短剣を振るう。

 クラトの剣が切り下げ髪の男の短剣を弾き、タマキが弓矢を小柄な男に向ける。

 三人の動きは止められた。

「あんた、神なのか?」

 クラトが問う。

「そうだ! 罰当たり野郎め」

「こっちだって神の精霊なんだよ。よそに穢されてたまるか」

 大柄な男は自ら矢を抜き、血を更に流しながら、立ち上がる。

「諦めるもんか」

「何をしたい」

 相手が神と知っても、クラトは怯まない。

「オレの名を取り戻す」

 名前、とクラトははるかな記憶を辿る。芥河という名を、塵芥の河川とは卑俗なものだ、とからかったときのことである。



   Ⅱ


 芥河はたった一人の精霊に嘲笑されて、怒るでも許すでもなく、煙草に火をつけた。クラトは嫌がって笑うのをやめる。

「僕のこんな小さな動作に苦しんでいるのに、よく笑えるものだね」

 クラトは頬杖をついたまま舌打ちする。

「それに、僕の名前は僕に言われてもどうしようもないんだ。君もそうだろう」

 精霊や遣いには神が名付けるものである。

「じゃあ、神さまは誰から名付けられるんだ」

「大勢の誰かだよ」

「多数決でも採るのか」

 芥河は笑う。

「そんな面倒な方法は採らないよ。名付けようとして名付けられるんじゃない。ただ何となく〝このあたりにはこんな神がいるだろう〟と話されるんだ」

「……現世の人間から?」

「そう」

 芥河が手に持った煙草から上る煙が薄らいでいく。野焼きの火が消されていくようである。

「僕は、そして僕の名は、僕の存在を信じる人たちによって創られた。彼らがいなくなれば零落する」

「レイラク?」

「信仰が減ると霊力や魂が弱まるんだ。そしていずれ神でなくなる」

「神じゃなくなった神って、何ていうんだ」

「呼び名はない。彼ら自身の名前もなくなるんだ」

 煙草に吸い殻が透明なガラスの器に擦られて消える。



   Ⅲ


 記憶を辿ったクラトは、太刀を持った男に憐れみを覚えた。腕の力が少し抜けたことにタマキが気づく。

 タマキは代わりに自分で彼をにらみ、弓弦を張る。大柄な男は鼻息を吐いた。

「単純なんだな。未知のものを恐れ、既知のものを信じる」

 静かな声を、タマキは聞いてしまった。

「私は、あなたを知らない」

「そうだ。でも、これから知る。それで良い」

 大柄な男は太刀をかざす。刀身に二人の顔が映り、その影がクラトの目に映る。

 自分の顔ではない。

 否、自分の、クラトの顔である。ただ、クラトがする表情ではないだけだ。

「聞くな! タマキ!」

 太刀に映るタマキは怯えている。

 タマキは恐怖以外の感情を持てなくなっていた。それは太刀の男がそれらしい言葉を以てタマキの心にずかずかと入り込み、中を荒らそうとしているからである。そして、大抵の被侵入者はそのことに気づけない。

「怖くない。タマキはタマキを守れ。あんな奴、助けてやる義理はない」

 クラトの言葉は太刀に反射して、すぐ隣にいるタマキに届かない。構えていた弓矢が消えていく。

「もしお前がオレだったら? オレの精霊だったら? 助けてほしいと思うだろ。お前の立場にいるオレに、なんで助けてくれないんだって思うだろ」

 男の声ばかりが中庭に響く。傲慢で荒くれた言葉が、弱者の心をすくい上げるふりをして、傍観者たちの少し開いた唇が共感をよせる。

 乾いた風に舞う葉すら、その唇のように赤く色づいている。

 あるいは、二人の声に惑わされるタマキの強く打つ鼓動に従って、体中の血が速く流れていくのと似ている。

 太刀を持つ男の背からはゆっくりと、一滴ずつ、矢の刺さった傷から血が落ちていく。

 その血が真っ白な砂に溜まり、拳ほどの大きさになっていた。

 その血が心臓に戻っていくように、ゆっくりと宙に浮いた。

 一人の傍観者の目にだけそれが見えた。

「逃げろ」

 傍観者は一度呟いて、誰にも聞こえないでいると、もう一度叫んだ。

「逃げろ! 場が穢れている!」

 傍観者は隣人――彼の身内であろう、の手を引いて走り出す。向かうのは大社への入口がある方向である。

 大柄な男が築いた劇場に観客の足音が紛れると、その脚光は消え失せた。

 他のまばらな傍観者たちも、ある人は靴を汚さないようにそっと歩き、ある人は霊力に頼って姿を消して、誰もいなくなった。

 血に目を奪われてタマキは腰を抜かす。

 神であった男の従者たちは、主に駆け寄る。

 宙に浮いた血は膨張し、楓の木のような影を作り、枝葉を振って、従者たちをなぎ払う。

 神であった男は絶望しても、彼らの名を呼んでやれない。叫びを吐き出せないまま、切り下げ髪の男が背と頭を強く打ちつけられるのを見ていることしかできない。

 小柄な男が切り下げ髪の男に腕を伸ばしながら、神であった男に目を向けた。

「助けて」

 無音の中で声が聞こえた。

 楓の根が神であった男を踏み潰す。

 真っ白な砂に血が滲み、その血が更に、楓に吸われていく。楓は更に力を増す。

 クラトはタマキだけを抱えて、動けずにいる。タマキが立っていられなくなったように、この場はケガレに呑まれ、クラトの力も奪っていた。

 なぜあの傍観者たちは逃げた! 若く力無い精霊をつれた俺を見捨てた!

 クラトの頭の中に、神であった男の独白が繰り返される。

 楓の木が三人に飽き、クラトの方を向いた。

 クラトはより強くタマキを抱きしめる。攻撃されても自分が盾になる決意である。

 その眼前に、天から降りてくるものがあった。クラトの知らない男と、よく知る少年である。二人のきれいな衣が風上にあって翻る。クラトにはその袖の先も遠くて掴めない。

「三階から飛び降りるなんて久しぶりだ」

「現世ではよくやります」

「危ないからやめてくれ」

「問題ありません」

 シラツユはクラトとタマキの方を振り向いた。化粧紅に彩られた目はすぐに前を向き、声をかけないまま、楓の木に矢を放つ。

 幹に刺さり、楓は葉を少し落とす。しかし揺らがない。

 シラツユは次の矢を構える。

「だめだ。力不足」

 クラトの知らない男は、馴れ馴れしくシラツユの胸を抑えて下がらせ、すぐさまその手に銃を持った。

 その銃が発砲する。

 楓の影は赤い葉を振り落としながらもがく。

 もう一度発砲すると、池の底に吸い込まれるように渦を巻いて消滅した。

「……良かった。俺もまだやれる」

 クラトの知らない男は慰めるようにシラツユの頭に触れる。

「あんた、どこの誰だ」

 クラトはタマキを下ろして、その男に突っ込んでいく。タマキはクラトの後ろに隠れた。

 知らない男は眉間の皺を伸ばす。

「水無瀬の遣い・カタノだ」

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