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狩の使  作者: 在原白珪
秋上
22/48

二十二段 ちはやふる

   Ⅰ


「いないのか」

「迷子でしょうか」

「そうだが、向こうが二人でいて、お前が芥河さまと離れて行動してるから、……一番迷子っぽいのはあんただ」

 シラツユは仰天する。

「確かに」

「庭にでも出てるんじゃないのか」

「ありえそうですが、主は控え室に、と言っていましたから、いつか戻ってくるはずです」

「そうだな。行き違いになるのはまずい」

「あ。あれは何ですか」

 シラツユは少し歩いて、黒字に橙の縞模様の入った四角いものを見る。

 甘い香りがする。

「チョコレートケーキだ」

「ケーキ、とは、円形のものを放射線状に切り分けるのでは」

「四角く作って、短く切り分けるものもある。うまいぞ」

 シラツユは既にその皿とデザートフォークを手に取っている。

 コウシはシラツユを受動的で怖がりな男だと思っていたのだが、それを一部改めた。甘い物の前で、彼は積極的である。

 コウシはシラツユに倣ってチョコレートケーキの皿を取り、同時にショートケーキの皿も取った。

 シラツユはコウシが食べる速度を目の当たりにする。

「お腹が空いていたのですか」

「うん。それと、人より多く食べる」

 シラツユはコウシの細長い体を確認する。

「主は、自分のことに使う金がなくても、おれにはお腹いっぱい食べさせてくれようとする。そこは信頼してる」

 コウシはケーキの皿を持ったまま、新しくチーズや乾物が乗った皿を取り、重ねて食べる。

「そうですか」

「遠慮するなって言ってくれる。現世で生きていた頃はずっと我慢してたから、うれしい」

 遣いは精霊と違って、元々あった魂を神が加護することで生まれる。コウシの場合は、現世で人として生きていたというのである。

「でも、今日は普段よりたくさん食べるつもり。それが楽しみだった」

 コウシは更にサンドイッチの皿を取り、かじる。すでに四皿が重ねられている。

 皿を返す場所へ歩いて行くのについていくが、シラツユにはまだチョコレートケーキが数口分残っている。

「どれもうまいけど、やっぱり主が作ってくれる料理が好きだな」

「二条さまが料理なさるのですか」

「ああ。食費を抑えるためだって言ってた」

「そこまでして食べさせてもらえるなんて、お幸せですね」

「うん」

 コウシはロールパンを食べる。

「現世では何をしてご加護をもらったのですか」

 コウシはオレンジジュースを飲み干す。

「賽銭泥棒を殴り倒した」

 シラツユはチョコレートケーキをすくったフォークを止める。

「神職だったのですか」

「いや、普通の家の子だった。遊ぶ場所がないから神社で遊んでたら泥棒がいて、ちょうど自分の家の畑に泥棒が入ったのを思い出して、代わりにこいつをって思った。主のためでも、良心のためでもなかった」

「なんと……」

「シラツユはお上品だね。きっと悪いことをしたことがない」

「いえ、悪者を成敗するのは悪いことでは……」

「よう」

 シラツユの背後から、少し聞き慣れた声がした。

 ふり向くとカタノがいた。

「友だちか?」

「うん。食べ物への執着友だち」

 コウシはハムを食べながら答える。シラツユは言葉遣いにぎょっとしたが、コウシは遣いであり、控え室にいる者全員と対等以上なので問題ない。

「執着するほどひもじかったのか。知らなかった」

「していませんが」

「知り合い?」

 コウシはアイスクリームを舐めながら問う。

「助けていただいたことがあって」

「うん。助けたくなるような感じだからな」

 カタノはシラツユの頭をなでる。

「苦労してるんだな」

 コウシは添えてあるウエハースを食べる。

「まあな。ちなみに俺も苦労してる」

「そうなのか」

 コウシは紅茶を飲む。

「だから、礼だと思ってちょっと付き合ってくれねえか」

「でも、……」

 シラツユはやっと空いたチョコレートケーキの皿を持ったまま動かない。

「あなたといると、主が怒ります」

 コウシはココットを食べながら考える。

「芥河さまとあんたの主、仲悪いの?」

「いえ、そういうことでは」

「あんた、どこの誰だ?」

 ココットの器が空になる。

 答えようとするシラツユの唇にカタノの人差し指が触れる。

「お前には内緒」

「悪いことでもあるのか」

「どうだろうな」

 コウシはサラダを食べる。

「悪いやつの言うことだ」

「そうかもな。じゃ、借りてくぜ」

 カタノが軽く腕を引っ張ると、シラツユは抗わずについていく。

 コウシはスープを啜りながら、シラツユにも意外な悪友がいるのだと思った。



   Ⅱ


 カタノは大社の中に詳しいようで、廊下を迷わず進んでいき、階段を上がる。

「どこに行くんですか」

「内緒」

 カタノはシラツユの手を引く。

 階段を上りきって、物置のような戸を開けると、外に面した部屋に繋がった。ひさしの向こうで常世がはるけく見渡せる。

 真っ青な秋晴れと、赤や黄色の紅葉が、頭上ではなく目の先に小さく映る。茶色に白斑の鳥が音もなく飛んでいく。

 しかしカタノ自身はその展望に興味がない。面白そうに陽を浴びるシラツユの横顔を眺めている。

「今日は化粧してるんだな」

 カタノはそう言った。シラツユは赤く縁取った目尻を向ける。

「今日と、正月だけです」

「正月もするのか」

「お祝いの日なので」

「秋の会にしてくるのは知ってた。去年までも見てたから」

 シラツユは驚く。

「見てたさ。わざわざ声をかけなかっただけで」

「気づきませんでした。ノドカさんのことは知っていたのですが」

「水無瀬からは離れてたからな。今日もお前が控え室に来なきゃ、会えなかった」

「たまたまだったのですが。……よかった」

 シラツユの頬が微笑んだ。

 カタノがその頬に触れようと手を伸ばし、一歩歩み寄る。シラツユは一歩退く。

「怖がるなよ。俺は冠や杜若ほど荒っぽくない」

 カタノがまた一歩進むと、シラツユは更に一歩下がり、ひさしの影がかかる。

「怖がってなんか」

「芥河がこうしたらお前、喜ぶんだろう。俺は違うのか」

「違います。だって主は」

「芥河はお前にとって何なんだ。何か特別な施しをしたのか」

「主は……」

「もし、主だからって理由だけで芥河に従ってるなら、それは人が神を信仰するのと同じだ」

 シラツユはまた一歩退き、影に隠れ、壁に背をつけた。カタノの手が頬に触れる。

「お前はただの信仰を一番にするのか」

「そうです」

 シラツユは昼間の薄影の中でカタノを見つめる。

「私は信仰以上のものを欲しません」

 カタノの背が、日向から影の中へ徐々に進んでいく。

 シラツユは壁に背をつけたまま動かない。ただじっと、カタノの表情を窺っている。

「俺を張り倒しでもすればいい」

 以前会ったときには、怪異を前にしてさえも気が抜けているように見えた。それなのに今日はどうにも、どこか張り詰めているように感じるのだ。

 秋の会という機会のせいではないだろう。しかしそれ以外にそれらしい原因を思いつかない。

「しません」

「恩があるからか」

「その上で、あなたが主について、私より知っていることがあるからです」

「教えると思ってるのか」

 カタノはシラツユの頬に沿って指を動かす。

「惜しいな」



   Ⅲ


 タマキを抱えながら歩いているクラトは、タマキが嫌がるだろうと知りながらも、足を庭の方へ進めた。人があまりにもいないところに居続けるのはよくないと感じたのだ。

 二人を追っていた足音の主たちは時機を得たと言わんばかりに、クラトの前に躍り出た。

「追い詰めてやったぞ、人さらい!」

「罰当たりめ! その子を返しなさい!」

 クラトは目を丸くする。

 そして三秒考えて、諦める。

「は?」

 庭で散歩を楽しんでいた数名の精霊や遣いたちが、喜劇でも始まったのかと注目する。

 クラトはそれに気付いて、面倒なことに巻き込まれた、とため息をついた。

「多勢に無勢、とっとと観念しろ!」

 調子よくクラトを責めているのは三人の青年で、クラトが感じるところ、霊力は極めて低い。普通の精霊並みかやや劣る。しかしそのうちの一人は体を鍛えているようで、肩を回した。

「いやいやいやいや」

 クラトは眉を八の字にする。

「人さらいじゃないし、罰当たりじゃないし、多勢に無勢でもないぞ? 何言ってるんだ」

「だってその子、泣いてるだろ!」

「それでさっき、着物脱がせるとか言っていたでしょう!」

 これにはタマキも驚きのあまり涙が止まる。

 戸惑って、クラトの肩に腕を回した。

「あれは何?」

「……さあ。とりあえずは〝勘違い野郎ども〟だな」

「おい! 何か言って脅してるんじゃないだろうな」

「身内だ! 同じ神に仕えてる精霊どうしだ!」

 クラトは青年たちに対抗するように大声を出した。

 居合わせた見物人たちの中には「なんだ」と納得する者も、まだクラトを信じない者もいる。

「そんなこと言うなら証拠を出せ!」

 青年の一人がそう言う。

「証拠? 証拠……、タマキ、立てるか?」

 タマキが頷くと、クラトはタマキを地面に下ろした。すると、タマキは青年たちを怖がってクラトの服の裾を持って立つ。

「ほら、俺は信頼されてる」

 クラトは満足そうに言う。

 青年三人は集まってひそひそと会議する。

 納得したのなら謝るなり逃げるなりすればよく、納得しないのなら追及を続ければよいだけの話である。何か謀があるのだ。

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