二十段 西の対
Ⅰ
程なくして、タマキは人生で二回目の車での移動をすることになった。秋の会の当日のことである。一週間前に届いた、桃色に赤の糸で楓の模様の入った衣を表に、橙色や黄色の衣も重ねて、髪飾りも金属のものをつけて、大変重苦しい。化粧をしているので皮膚が痒くなるが、触れない。不機嫌になっているのを芥河とクラト、シラツユの三人がかりでおだてて取り繕ってみているが、決着はつかない。
着付けのために早起きをし、堅苦しい着物を重ね、タマキは眠たくてもうまく寝付けない。横に座る芥河にもたれてみたり、向かいに座るクラトに足を延ばしたりするが、やはり暇で仕方ない。あくびをする。
「タマキ、扇は?」
芥河はお目見え前の作法のおさらいをする。タマキは面倒そうに扇を出し、両手を使って広げると、顔を扇いだ。芥河は肩を落とす。
「そうじゃないでしょ。ノドカさんならどうする?」
タマキは扇ぐのをやめて目から下を隠す。
「そう。着いたらそうするんだよ」
タマキは扇をしまう。
「できないかも」
「今できたじゃないか。忘れないだけ」
「忘れる」
「もう……」
呆れる芥河の斜め向かいで、クラトは窓枠に肘をかけて、脚を組んでいる。
「クラトも座るときはお行儀よく」
「へいへい」
クラトは改善しようとしない。ただし、本人はここで鼻をほじりたいと思っているのを我慢している。
「タマキもちゃんとしてるんだから、君ももっとしっかりしないと」
「してねえだろ」
クラトは伸ばした脚をタマキに蹴られて遊ばれている。
「変にかしこまってるより、ぶらぶらしてる方が〝大物感〟が出ていいんじゃねえの」
「大物はぴしっとしてるものだよ。せっかく冠が衣装をくれたのに、これじゃあ顔に泥を塗ってしまう」
「へえ」
クラトは上から相槌をうつ。シラツユが咳払いする。芥河が選んだ衣は深い紺色で、目尻にはタマキと同じように紅の化粧を入れている。よくそのような面倒な身支度ができるものだ、とクラトは遠く思う。
「せっかく主にお供するのですから、相応の気持ちがあれば相応の振る舞いをするはずです。できるできないではありません」
「真面目だなあ」
クラトはシラツユの肩を揺さぶる。車の揺れと重なって、シラツユはよろめいた。つられてクラトも体勢を崩し、互いにしがみついて座り直す。
「ちょっと」
「悪い悪い」
軽く怒っているシラツユに、クラトは笑いながら謝る。
Ⅱ
車の中ではふざけていたのが噓のように、大社の門前に着いたタマキは人見知りを発揮した。現世で祭りをしたときよりも多くの人手に遭遇して混乱しているのだ。水無瀬の邸に入ったときにシラツユにそうしたように、芥河にぴったりくっついて中々歩けない。
「タマキ、怖くないから」
芥河は遅刻しないために必死に訴えるが、状況は変わらない。深呼吸をしてクラトに命じた。
「大広間に連れて入るのは無理だ。君と一緒に控え室で待っていて」
「稀に見る英断だな」
無理やり引き剥がされたタマキを、クラトが引き受けて手を繋ぐ。
その様子を通りすがりの色々な霊が見ている。遣いも神も混じっているであろう。冷めた目で見るものも、苦笑いするものもいる。
「代わりにシラツユが僕についていてくれ」
「こうなると思っていました」
シラツユは誇らしげに応える。
「では、先に行っているから。控え室には刻限がなくて、お茶うけはあるから自由にしているといいよ。それじゃあ」
芥河とシラツユは、クラトとタマキを置いて早歩きで行く。
タマキはクラトの手を振り払って座り込み、わっと泣き出した。
大社の奥へ向かう霊たちがぎょっとしながらも皆、通り過ぎていく。
「あーあ」
クラトは頭をかく。そして深呼吸して、腕力と霊力でタマキを抱え上げた。
「そんなに泣いてちゃ、菓子どころじゃねえな。外に出よう」
クラトは人の波に逆らって、大社の廊下を戻り、庭への階段を下りる。下りていいと言われてはいないが、下りてはいけないとも言われていない。係の者に見つかったらそう答えればいいと考えた。
「にしてもこの服重いな。いつもの倍くらいある気がする」
クラトは独り言を続ける。
「こんなに着せられちゃ不機嫌にもなるよな。……誰も見てないし、何枚か脱ぐか?」
タマキは頷きもしない。言葉が届いていないのだろう。
提案した後で、ここで着替えると服が汚れる、と気付いた。
立てないかもしれないタマキを下ろせないまま、クラトは庭をぶらぶら歩く。
建物の中からは静かな話し声やすり足の足音が絶えず、騒がしい。現世の街中のようだ。
「うるさいの、苦手だろ」
クラトは広い庭の、更に遠くの方へ足を進める。
そのゆっくりした歩みを、忍び足で追う者があった。タマキの表情に気を取られているクラトは、その足音に気づかない。
Ⅲ
大広間には既に下級の神々やその下部たちが入っていて、芥河はその中に知人を見つけた。シラツユは芥河に従う。
「二条」
二条は片手を上げて応える。
「どうだい、最近は」
「何もねえぜ。ヒマしてる」
二条はとても神とは思えないほど品がない。小柄な体型で、きしんだ髪を掻きあげる。
「お前は」
「精霊が一人増えた」
「へえ」
二条はシラツユに目を移す。
「随分シラツユに似てるな。瓜二つだ」
「シラツユだもの」
シラツユは何も言わない。二条の遣いがほのかに苦笑いすると、愛想笑いを返す。
「そこまでは来たんだけどね。人が多くてびっくりしたみたいで、交代した」
二条は鼻で笑った。
「じゃあまた今度、楽しみにしてる」
話すうちに、大広間には飲み物や食べ物が運ばれてくる。一つのテーブルに並べきれないがゆえに立食形式が採られているそれらは常世、現世、あらゆるところから運ばれてきたものであり、その全ての場所をここに集う神々が治めている。それを食すことは、神々の連帯を示す意味を持つ。それが秋の会である。
誰かの声が聞こえたのであろうか、二条が振り返る。
姿を現したのは、スマとアカシを引き連れた杜若である。刺繡糸に金や銀が入っているような煌びやかな衣装を誰よりもよく着こなし、他の神々の目を引いているが、それを全く気に留めない。
「二条君」
二条の背筋がしゃんとなる。
「芥河君も一緒だね。ちょうどよかった。二人とも会いたかったのだよ」
芥河の背筋も凍る。のほほんとしているのは、杜若の後ろについているスマとアカシだけだ。
「おっ、シラツユ。元気か」
スマは少し速足になって近づくと、シラツユはためらいながら握手に応じる。
「あれ、タマキちゃんは来なかったの」
アカシは近辺を見渡す。
「途中でぐずってしまって」
「そっか。僕もそうだったから、分かるよ」
二条の遣いが不思議そうに話を聞いている。身は細いが背は高い男で、シラツユ、アカシ、スマの三人は揃って彼の顔を見上げた。
「最近会ったばかりなんだ」
「祭りがあったから見に行ってさ」
「仕事を教えてくださいました」
それぞれに説明すると、二条の遣いは少し、興味を持ったような顔をする。
「スマさんもアカシさんも、優しいな」
シラツユは頷く。
「お二人のおかげで、慣れない仕事ができました」
鼻を高くするスマの肩に、杜若が触れる。
「君たちはよく頑張った。しかしあまり偉そうにするものではないよ」
芥河が割って入る。
「そんなこと。スマは」
「金を出したのは冠だと聞いた。そうだろう?」
芥河はシラツユを庇うように前に出る。
「それとこれとは別だ。二人と、君にも感謝している」
「そんなことを言って、冠は怒らないかい」
杜若の視線の先に、一人きりの冠がいた。冠は杜若に応えるように、靴音を鳴らして歩いてくる。
「芥河」
芥河の体は、自然と冠の方へ後退する。それに伴ってシラツユは手を引かれる。
「何を話してたんだ」
「君の話だよ。いつも世話になっているから」
「へえ」
冠は芥河の体を引き寄せる。
「二条も困ったら俺に相談してくれて構わないぜ。金なら余ってる」
「本当か」
二条は飛び出していきそうになったところを、笑顔の杜若の腕一本に阻まれて後ろ向きに倒れる。
場内の人々が物音に驚いて注目するが、杜若は気にせず二条を見下ろす。
「金なら私が貸してあげたじゃないか。いつ返してくれるんだい」
「えっと……」
二条は床に大の字になったまま顔を青くする。
「最低限の衣食住は保障しているつもりだよ」
「……はい」
二条の遣いは呆れながら、起き上がれない主の傍に実を縮めてしゃがんだ。
「コウシ、ごめんな」
二条は遣いの名前を呼んで謝るが、やはり起き上がれない。
二条は芥河以上に金も力もない神なのである。ただし、コウシが痩せていることはあまり関係ない。
「怖い。さすが杜若」
冠は穏やかに野次を飛ばす。
「あんな奴に借りなんて作るもんじゃねえな」
冠が杜若を悪く言うごとに、スマとアカシの顔色が変わっていく。
「主に失礼だぞ」
「僕は、あなたとこそ仲良くなれない」
「勝手に言ってろ」
冠はスマとアカシをまるで相手にしない。
双方に恩を感じている芥河は何も言えず、シラツユも従って黙っている。




