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狩の使  作者: 在原白珪
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二段 花の賀

  Ⅰ


 玄関が開いた音に目を覚まし、芥河はタマキの部屋から忍び足で出、自室に滑り込んだ。

「戻りました。主」

「あれ、いない」

「お部屋ですかね」

 シラツユとクラトの遠い声に安心しながら、あたかもずっとくつろいでいたように本を広げ、姿勢を崩す。

 呼吸を整えた頃、精霊たちが戸を叩いた。

「戻りましたよ」

「お帰り。お疲れ」

 短い言葉を発しながら、クラトの背中に気づく。撫子色の似合う見慣れぬ、しかし懐かし気な少女が眠っている。

「タマキはどうしたの」

「疲れて寝た。部屋に降ろしてくる」

 芥河は軽く手を振り、「よろしく」と見送った。

 本当は、眠っているタマキの顔を近くで見たかった。やはりどうしても彼女の面影がちらついて、頭から離れない。

 しかし、昔の思い出にばかり浸っているわけにはいかない。新しく生まれた彼女のために、祝いの席を設けるべきであろう。


 タマキは目を覚ますと、部屋の中にある鏡台を見つけて覗きこんだ。

 寝崩れていた髪に手櫛をかけ、それから本物の櫛を取って梳き、目やにを払う。唇が白いことを見て、下唇を噛んだ。もう一度強く噛むと、いくらか血色がよくなった。

 服の皺を伸ばそうとして、任務用の服のままであることに気づいた。箪笥の引き出しをひっくり返し、適当な柔らかい衣に着替える。随分なれていて、以前に誰かが着ていたことがあるように思われるが、柑橘系の香が焚いてあり、他人の匂いは追えなかった。

 廊下が暗い。もう夜になっているのだろう、と肩を落としながら、話し声のする方に歩く。

 そこは朝、きゅうりを勧められた居間だった。そっと戸を開ける。

 クラト、シラツユ、そして芥河が驚いて振り向く。

「起きたの?」

 タマキは頷く。

「夕食、食べますか?」

 もう一度頷く。食卓にはちゃんと、タマキの分の皿が置かれている。

 皿に盛られているのは、煮魚、おひたし、たくあん、椀には豆腐の味噌汁、白米だ。

「今日は普通のご飯だよ。明後日はお祝いに、いろんな人を呼ぶから」

「いろんな人って誰?」

「君と仲良くしてくれそうな人たちだよ」

 タマキは目を輝かせる。


   Ⅱ


 翌々日、タマキは撫子色の衣に袖を通した。そうして部屋から出て、シラツユに会った。シラツユは運んでいた盆を置いて、部屋に戻りましょう、と言う。

 シラツユは部屋に一緒に入り、鏡台の引き出しを開けた。

「ここに紅があるので使ってください。普段ならともかく、今日はお祝いですから」

 と言ってそれを差し出すが、タマキは色々な角度から眺めるばかりで、使い方が分からない。〝紅〟と言われてもただの黒い丸ではないか、と思っている。

「では、じっとしていてください」

 シラツユはタマキと膝をつき合わせて座り、黒く丸い入れ物の蓋を開け、紅を出し、化粧筆に乗せ、唇に触れた。

「どうですか」

 鏡を覗くと、噛んだ後よりも艶やかな唇になっていた。

「ありがとう」

「あなたは口紅の他はいりませんね。そのままで素敵です」

「シラツユ、なんでお化粧できるの?」

「以前、主が少しだけ教えてくださったので」

「主はなんで知ってるの?」

「どうしてでしょうね。主はなんとなく、女性についてご存じですよ。だからあなたにも着物や化粧をご用意されたのでは」

 シラツユから言われてやっと、タマキは自分が女性であると意識した。

 鏡に映る唇は、まるで自分が生まれもった血の色ではない。美しいようで、禍々しい。

 その日のうちに、自分以外の女性と初めて出会うことになった。

 芥河から招待されて訪れた、ムラサキとハルである。そして女性ではないが、二人の主である(かん)とも初対面した。

「誕生おめでとう。小遣いをやろう」

 冠は茶色い封筒をタマキに手渡す。祝い金だというのに、宛名が書かれていないどころか飾り紐もついていない。外見はぶっきらぼうだが、その中身はぎっしりと詰まっていた。とても子どもの小遣いの額ではない。

「こんなにいただいても困ります」

 と、クラトが頭を深々と下げる。

「嘘言え、金があって困ることはないだろう。何にでも使ってくれ」

 冠は軽く手を挙げて応えた。気前のよい男で、軽く会釈しただけのタマキにも笑顔で接する。

「知らねえ奴が来たって顔してるな」

 タマキは頷く。

「俺は冠。神の中では古株で、千年は生きてる。金ならあるし顔も利くから、困ったことがあれば何でも言え」

 千年以上生きていると言われても、顔は芥河より二、三歳上くらいにしか見えない。本当のことを言っているのだろうか、とタマキは疑いの目を向ける。

「おい、こら、お祝いくださった方になんて顔するんだ」

 クラトは茶色い封筒をしっかり握りしめて、タマキを注意する。

「はは、じゃあこれでどうだ? おうい、芥河!」

 冠は恥ずかしげもなく大きな声を出して、芥河を呼びつけると、勢いよく肩を組んだ。

「もう、冠。何をするの」

 芥河が笑っている。タマキは雷に打たれた気分になった。

「お友だち?」

「そうだよ」

「そういうことだ」

 芥河の態度から合点がいき、タマキは冠に頭を下げた。そしてムラサキとハルに呼ばれて行く。

「俺の言葉よりお前の顔で判断するんだな、あいつ」

 肩を組んだまま、芥河の顔の近くで冠はささやいた。

「そうみたいだね」

「そういう風に作ったのか」

「そんなつもりはなかったけど」

 芥河は視線を逸らす。

「気をつけろよ」

「何を」

「作り込みすぎると後で虚しくなる」

「先輩としての教訓?」

「まあな」

 冠は肩を放して笑った。

「言い返すようだけど」

 芥河は懐から煙草の箱を差し出す。

「君の方が悪趣味だよ」

「なんの話だか」

 冠はそこから一本取った。


(わたし)がムラサキ」

「妾がハル」

 タマキは今度は、瓜二つの大人らしい女性の顔を見比べている。

「二人で冠さまにお仕えしていますの」

「妾たち、いつも一緒ですのよ」

 顔も声も髪型も、つけている香もすべて同じで、衣だけが違う。ムラサキと名乗る方はその名の通り、紫色の地に蒲桜の模様の浮いた衣。ハルと名乗る方は薄桃色の地に紫色の桜模様の入った衣を着ている。

 そっくりなことに気を取られていたが、だらしなさがある冠はともかく、このムラサキとハルという女性二人に芥河の狭い邸は不似合いだった。それほどに優美で、欠点がない。

「タマキさんのお召し物、ちょうど妾たちの衣の間のお色ですわね」

「撫子色、お似合いですわ」

「ナデシコ?」

「そう、撫子。撫子の花をご覧になったこと、ありますか?」

 タマキは首を横に振って答える。

「生まれて三日ですものね。でしたら、今度一緒に見に行きましょう」

「いろんなお花が咲くお庭がありますのよ。ベニバナさんとノドカさんもお誘いして」

 また知らない人物の名前が挙がったが、タマキはそれ以上に、楽しそうだという感触を得た。分け合いたい、そう思った。

「クラトとシラツユも……」

「素敵ですけれど今回は」

 ムラサキは唇に人差し指を当てる。

「女子会にしましょう。芥河さまのお宅にはあなたしか女性がおられませんから」

「殿方には秘密のことを教えてさしあげますわ。これは親切だけではなくって、妾たちの楽しみでもありますから」

「「ぜひぜひ」」

 ムラサキとハルが近づくと、二人分の同じ香がぐっと押し寄せてくる。春霞のように柔らかそうな頬の桃色も、長いまつげもしっかりと見えた。口紅しかつけていないタマキは頷かざるをえなかった。

「やりましたわ」

「帰ったら準備をしましょう」

 ムラサキとハルは両手を互いに合わせて歓喜する。



   Ⅲ


 昼に残ったちらし寿司を茶碗に取って食べながら、タマキはもらった手紙をシラツユに読ませた。

〈明日のお昼から妾たちの邸にいらして、女子会をしましょう。おいしいお菓子を用意しています〉

「行く」

「一人で?」

 タマキは頷く。

「道、分かるの?」

 タマキは首を横に振る。

「じゃあクラト、連れていってあげて」

「へえ」

 クラトは他人事のように、味噌汁を飲みながら返事する。

「私もついて行きましょうか」

 シラツユが言う。

「いや、君はいいよ。今日よく働いてくれたから。気が利いていたね」

「……ありがとうございます」

 この日に限らず、食事の支度や掃除など、この家のことはシラツユばかりがしている。

 タマキが手伝おうとしたこともあって、少しずつ教えるべきだと思っているが、危なっかしくて見ていられず、結局シラツユが全部してしまう。

「では代わりに、一つ教えましょう。ムラサキさんとハルさんは私たちより格上です。許してくださるとは思いますが、礼儀には気をつけるように」

 タマキは首をかしげる。

「年上だから?」

「それもありますが。お二人は〝遣い〟と言って、元々人格があって、神さまに加護されてお仕えする存在です」

「ムラサキさんとハルさんだけ?」

「他にもおられますよ」

「じゃあ、精霊は私たちだけ?」

「他にもいますよ。うんと」

「ふうん」

 タマキはそんなことよりも、このちらし寿司に乗っている桃色のふわふわの粉――桜でんぶが気に入って、これを毎日食べる方法はないか、と考えていた。

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