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狩の使  作者: 在原白珪
17/39

十七段 玉簾

   Ⅰ


 先を歩いているノドカの表情はよく見えないが、はしゃいだり、楽しそうにしたりなどしていないように見える。話しかけられてから、シラツユが笑わない。タマキはどんどん水無瀬を恐れていった。

 それゆえに、いつもクラトにそうするように、シラツユの腕にしがみ付いた。

「……もっとちゃんと歩けませんか」

 シラツユは片腕を掴まれて歩きづらかったが、首を横にふるタマキを否定できない。

「分かりました。でもみっともないので、手を繋ぐだけにしてください」

「大丈夫?」

 タマキは不安そうな顔でシラツユを見上げている。

「大丈夫ですよ」

 答えてから、それはタマキの大丈夫だったのか、シラツユの大丈夫だったのか、迷った。しかし今更どうしようもなく、花の落ちた藤棚の横を通り過ぎ、玉砂利を踏んで、邸の奥に通されてしまった。

 二人は沓を脱ぐ。

 

 水無瀬は御簾を閉じずにタマキ、シラツユと同席し、ノドカに茶を持ってこさせた。

 ポットから、桜色の甘酸っぱい香りの桃色の茶が、薄い白磁器に注がれていく。四つの同じ見た目のカップから、水無瀬が一つ取り、シラツユとタマキにも選ばせた。

 カップには青い小花柄があしらわれていて、飲み口には金色の線が引かれている。

 シラツユは高級なものだと思って、タマキは見慣れないものだと警戒して、口をつけるのをためらってしまう。

 しかし水無瀬とノドカは平然としている。これが二人にとっての平凡なのだ。

「ばらの香りがします」

「うん。そろそろ秋のばらが咲く季節だからね」

「タマキさんはお砂糖が必要かも?」

「持ってこさせようか?」

 水無瀬に遠慮して、タマキは慌てて一口飲んでみた。やや酸っぱいが、苦くはない。そもそも、家では普段から砂糖の入っていない茶を飲んでいる。

 ノドカは冠の邸で紅茶が出たときに、添えてあった角砂糖を菓子だと思ってそのまま食べていたのを覚えていただけである。

「おいしい。……です」

 緊張しながらも、タマキは敬語で味の感想を伝えた。

「それはよかった」

 シラツユもそろりと茶に口を付けた。湯気から甘酸っぱい香りが漂うのに、口に入って喉を通ると、後味はやや酸っぱいだけだ。ローズヒップとはこういうものである。砂糖が欲しいと思うが、口に出せない。

「ふふ、君も甘い物が好きだったね」

 水無瀬がほほえむ。

「カタノから聞いているよ」

 シラツユは驚いて、中身を零しかけながら奇跡的にカップを置き、隣に座るタマキの肩を掴む。

「君たちは仲が良いね。いつでも触れていられるのかい」

「カタノって誰」

 タマキが間髪置かずシラツユに問う。シラツユはタマキの後を陣取ったまま固まって、水無瀬から目を逸らせずにいる。

「おや、秘密だったのかな?」

「……機会がなくて」

 シラツユにつられて赤らんた頬を、ノドカは袖で隠す。

「誰?」

 タマキは繰り返して首を後ろのシラツユに向ける。シラツユは咳払いする。

「私が現世でけがをしたとき、主がいらっしゃるまで助けてくださった方です」

「いい人?」

「いい人ですよ」

 視線を感じて顔を上げると、水無瀬もノドカも面白そうに聞いている。

「それで? どんなふうに助けたの?」

 シラツユは、自分をからかうような、見守っているような、あいまいな雰囲気を、水無瀬とカタノの両名に感じた。

「……止血して、飲み物を飲ませてくださいました」

「芥河君はなんて言った?」

「色々と……お怒りでした」

「何に対して?」

「恐らく、私が……、自己管理を怠ったことに」

「違うと思うけれど」

 水無瀬は菓子に手をつけた。

「君が嫌でなければ、これからもカタノ君と遊んでくれれば、僕はうれしい」

 シラツユはまだタマキの肩を持ったまま固まっている。

「遊んではいません」

「そっか。じゃあ、嫌わないであげてね。寂しがりやなんだ」

 タマキはシラツユの手を肩にのせたまま、水無瀬の眉をじっと見ている。

 見るほどに、表情が読めない。神とはいっても、冠や杜若とは何かが違う。もちろん、芥河とも違う。

「タマキさん、何か不安なことがあるのかな」

 タマキは素直に頷いた。

「言ってごらん」

「分からない。……です」

「それは困ったね」

「主」

 ノドカが声を発した。

「タマキさんは私よりもお若いんです。色々と敏感なんですよ」

「そうだね」

「タマキさん」

 ノドカはタマキに体を向ける。

「私は大人の男の方みたいに難しいことは言いませんから。また一緒に遊びましょう」

 タマキはノドカの穏やかな目を見て、それを信じた。

「……紅葉、観に行きたい」

「待ち遠しいですね」

 タマキは笑顔を作る。

「うん。シラツユ君も、タマキさんも、ありがとう」

 水無瀬からの礼に、シラツユだけが姿勢を直して言葉を返し、タマキは軽く会釈しただけであった。

「それから、僕は秘密が好きなんだ。ここで話したことや僕の顔を見たことは誰にも、……芥河君にも内緒だよ」

 そうやって食べ残した菓子を持たされ、部屋から出された。

 犬に先導されながら庭を歩いていると、面している廊下にベニバナの姿があった。

「ベニバナさん」

 タマキは声をかけた。

「あら、タマキさん。と……」

「シラツユです」

 シラツユは初めて会ったベニバナを、とても年上だと思った。水無瀬と合わせてこのような遣いが上にいては、ノドカは自由に動けないのだろう。

「お帰りになるところ?」

「うん。ノドカとお茶した」

「そう。あの子も世間知らずだから、あなたみたいなのがちょうどいいのかしらね」

 タマキは首を傾げる。

「またお話ししてちょうだい。あの子の勉強になるでしょうから」

「うん。またね」

「はい、さようなら」

 タマキが手を振ると、ベニバナは小さく振り返した。



   Ⅱ


 片付けをして客間から出たノドカは、社務所でベニバナに会った。水無瀬の邸には人が多いので、数日分の予定を報告する様式が設けられている。ベニバナはそれを管理する役目である。

「ただいま戻りました」

「お帰りなさい。少し前に、タマキさんとすれ違いましたよ」

「お茶の片付けをしていたので。何かお話しされましたか?」

「また来てください、と」

「良かったです。私も別れ際にそうお話ししたので。二人で言えば、きっと来てくださいますね」

「タマキさんとはそれほど仲良くなったの?」

「それはもちろん。お互いに似合う布を選び合いました。今度は紅葉狩りに行く予定です」

「人と関わって知見を得るのも大事なことですから、許しましょう。でも、日頃の仕事を忘れないように」

「明日はちゃんとしますから」

 ノドカはまったく同じことを、自分の表に書き入れて退室した。


 廊下を回り、邸の奥に向かった。ノドカの部屋の前には、羊たちが運んだ布が重ねられている。

 ノドカはそれを一度に持ち上げようとして、重さに諦めさせられ、数枚ずつ持ち上げることにした。

「大丈夫、貸して」

 背後から声がした。

「主」

 水無瀬がノドカの腕から布を取り上げ、まだ床に置いてある布も持ち上げた。

 ノドカは慌てて戸を開ける。

「ここでいいかな」

 水無瀬は布を戸の傍に置くと、すぐに戸を閉めた。

 涼しい廊下でノドカの細い手を取り、背を抱く。ノドカは動かない。

「無事に帰ってきてよかった」

「近くに布を買いに行っただけですよ」

「それでも。疲れただろう?」

「少しだけです」

「今晩は針仕事を休むといい。ついておいで」

 ノドカは水無瀬に手を引かれていく。



   Ⅲ


 シラツユとタマキは車に乗って代金を払うことなく、牛車に乗り込んだ。

 二人きりの車内で、シラツユは小さな声を出す。

「あのとき。……あなたが倒れた日」

 タマキは秘密らしい話に耳を傾ける。

「現れたのは、強力な怪異だった、悪霊ではない怪異だったと聞きました」

 タマキは頷く。

「黒い影のような男でしたか」

 タマキは戸惑った。なぜシラツユがそう指摘するのか。タマキが伝えていないことを、芥河やクラトが伝えたとして、なぜタマキに確かめるのか。

 考えた末に答えの出ないまま、頷いた。

「それは何か喋りましたか」

「その着物は私のじゃない。それから、ユウガオに似てるって」

「だから新しい着物がほしかったのですか」

 タマキは頷く。

「それと……似ているのは、あなたとユウガオが?」

「うん。だけど、知らない」

「あなたがユウガオを知らない?」

「シラツユは知っているの」

「いいえ」

「じゃあ、どうしたの」

「え」

「なんで気になるの」

「それは、……。主のために」

「本当?」

「……多分」

「分からないの」

「はい」

 シラツユは嘘をついた。本当は、カタノから聞いた断片的な情報を確かめたかった。しかし、祭りの日にカタノと会ったことは芥河に隠したい。だからタマキにも伝えられない。

 無言になった車内で、タマキを傷つけずに真実を得る方法を、シラツユは思案していた。

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