十四段 ものやゆかしき
Ⅰ
その朝は祭りの夜を控えていた。クラトとシラツユは早く起きて、出店が準備するの誘導をしている。開始の十三時に間に合うよう、慌ただしく人が動き、物が届き、広げられ、組み立てられていく。
シラツユは人に話しかけられない間を見つけては、物影に隠れて荷箱や木の根に腰を下ろしていた。
「大丈夫か?」
クラトもその様子を見つけては駆けて行って、具合を尋ねた。
「はい。タマキから教わったんです」
「何を?」
「疲れたら隠れて座っても怒られない、と」
「俺も教えた気がするが。……でも、いいんじゃないか。俺もちょっと休憩」
クラトは少し走って適当な布を持ってきて、土に敷いて座った。松の防風林は参道よりも涼しい気がして、じんわりと木や土の匂いもする。常世のまったりした絵画のような景色よりも、こういう自然をクラトは好んだ。
「クラトも、体の調子はどうですか」
「俺はもともと軽傷。自分で歩けてたのが、目が覚めたら全快!」
「丈夫ですね」
「安心してくれ」
「ありがとうございます。ずっと、一人で耐えていてくれて」
大きな木の根に腰かけたシラツユと、布を敷いただけの土に座ったクラトの目線が合う。いつも上から見やっていたシラツユの表情を真正面に受け止めることに、クラトは緊張して目を逸らしてしまった。
「うん」
今日が終われば日常に戻れる。また穏やかに過ごせる。そう考えて、クラトは立ち上がった。
「俺は戻る」
「私も」
シラツユも木の根から離れる。
Ⅱ
十三時になる前から、神社の周辺にはまばらに人が集まりだした。暇な老人や、子どもの遊び場に困った親子ばかりであるが、そうであってもクラトとシラツユには壮観であった。
その人の波に混じって、芥河の手を引いたタマキが合流した。
「クラト、シラツユ!」
タマキは芥河の手を捨てて二人とハイタッチする。
「ご苦労。それでは約束通り、シラツユは昼休みだ。中にお入り」
芥河はシラツユの肩に触れる。
「はい」
「それで、代わりにタマキが人間の相手、僕は怪異の番」
「そうだ」
クラトは冷淡に相槌を打つ。
「タマキ、これを」
シラツユはタマキから借りていた指環を返そうとする。シラツユが紛失した指環はまだ見つかっていない。
「一緒に社の中に入って替えた方がいい。外だと隠れても誰が見ているか分からない」
「うん」
芥河はそれらしく指示を出している。できるのなら普段からそうしてくれ、とクラトはげんなりする。
タマキは社から参道に出ながら、開店したての屋台に目と鼻を奪われ、芥河の腕を引っ張り続けた。
「カステラ食べたい」
「量が多いよ」
「りんご飴!」
「食べている途中で落とすと思うな」
「ウインナーは?」
「かじるのはお行儀がよくないから」
「焼きそばおいしそう」
「味が濃いものはあまり……」
「わたあめ! 虹色!」
「……もう、いいよ」
芥河はタマキに敗れ、財布の紐を解いた。これはクラトに怒られる、そう思いながら再度合流すると、クラトは透明容器にたくさん入ったたこ焼きを爪楊枝で差していた。
「シラツユが見てない隙にと思って」
「一個ちょうだい」
タマキは左手にわたあめを持ちながら、クラトにたこ焼きをねだる。
「待てよ、熱いから冷ましてやる。あと、そっちも一口分けてくれ」
「いいよ」
仕方なく、芥河が主催者テントの椅子に座った。クラトはその後ろでたこ焼きを半分に割って、タマキの口に入るようにする。
「ほら」
タマキは半分に割ったうちの、たこが入っている方を口に入れた。
「おいしい」
「うんうん」
「ねえ、もう半分は僕に」
芥河が振り返る。
「ん? あんたにはやらねえぞ」
「クラト、僕にだけ当たりが強すぎない? 今日くらい加減して」
「しない。もう半分、タマキが食え」
「やった」
「タマキ、クラトより僕の方がえらいんだよ?」
芥河がごねる頃には、タマキはもう半分を食べてしまっていた。
「えらいから何?」
「うわぁ」
芥河は座ったまま机に倒れた。
そのだらしないときに、テントを訪ねる人があった。正しくは精霊と遣い二人ずつの計四人である。そのうち三人はクラトとタマキの見知った人であった。
「アカシさん、スマさん、ウツ」
クラトはたこ焼きの残りをさっと裏に隠して、彼らに頭を下げた。
「ちゃんとやれてるか?」
「ええもうそれはばっちり」
「え? どこが」
芥河の小さな不満がスマとクラトに置いて行かれる。
アカシが横で小さく手を振ると、タマキも同じように手を振った。
「アカシさん」
「タマキちゃん、元気?」
「元気」
「ほら、僕の精霊のフジだよ」
アカシの横に少年が控えている。背はタマキより少し高いくらいしかない。人間の少年と見間違えるような、今風で軽い髪型をしていて、簡素な洋装が似合っている。
「初めまして」
「はじめまして」
アカシの言う通り、元気でしっかりしていそうな人だとタマキは思った。
「今日は遊びに来たんだ。スマが勝手におじゃましてたって言うから、挨拶も兼ねて。お疲れさま」
アカシは芥河に声をかけた。
「ああ。手伝ってくれたんだ。ありがとう。おかげでお祭りっぽいお祭りができているよ」
「そうだな。あ、人形焼き、ちゃんと見たか?」
「人形焼き?」
芥河は事情を知らない。
「あ」
クラトは思い出した。
「後で買って、終わってからシラツユと食おう」
「うん」
「何かあったんスか?」
フジもウツも不思議そうにしている。
「君たちにもお祭りの思い出ができたね」
「うん」
タマキはアカシとほほえんだ。
Ⅲ
昼休みと称されて、シラツユは社の奥の部屋で仮眠を取ろうとしていた。しかし外がうるさく寝付けない。暇つぶしに眺める本などもあるはずがなく、ぼうっと横になっていた。
そこに足音が近づいてきた。誰か人間が迷い込んできたのかと思い、指環もつけていないのに、気を張って体を起こした。必要があれば空き箱の中にでも隠れようと思ったときである。
「よっ」
現れた人物はシラツユの目を見て声を発した。
「カタノさん」
芥河が知ったらいい顔をしないだろう、そう思いながらも、シラツユはカタノを出迎える。カタノは先ほどの芥河がそうしたように、シラツユの肩に触れた。
「マシになったみたいだな」
「はい。カタノさんのおかげで」
「俺はその場しのぎしかしてない。……お前、外で遊ばないのか? にぎやかだ」
「今は休憩時間で」
「そうか。主さんの代わりに神座を守ってんのかと思った。……危ない」
意味が分からず聞き返そうとした瞬間、カタノは背を向け、入口に向かって発砲した。手には小銃があり、銃口の先には顔の真っ暗な男が立っていた。とても古びた着物を着ている、シラツユはそう感じながら、腰を抜かした。
「ここは僕の所領。なぜお前たちがいる」
男はそう唸る。
カタノは動じず、歯を見せた。
「いつの話をしてんだ? とっとと失せな」
銃弾が男の胸を貫き、男は煙のように消えていく。
放られた銃もどこかに消え、カタノはシラツユに手を貸す。
「大丈夫、じゃねえよな」
握られた手から、体温が戻っていく。シラツユは目が覚めたように、手を握り返す。
「あれは何ですか」
「ん? 何だろうな」
「喋っていたではありませんか。ご存じなんでしょう」
カタノは笑って、手を繋いだまま腰を下ろす。
「悪霊よりも強いやつ。浄化されずにいるとああなる」
「悪霊の浄化なら私たちがほぼ毎日していますし、つい一月前に杜若さまが」
「あの個体は最近発生したんじゃない。お前が生まれるよりもっと前からいた。ずっと封じられてるはずなんだがな」
シラツユは握る手を強める。
「なぜ、あなたが知っているのですか。主の領地で、私が教えてもらえないことを!」
「さあ」
シラツユは膝立ちになってカタノに迫る。
「ここじゃ言えねえな。主さんがおっかねえ。お前もそうだろ?」
芥河に聞かれると悪いことがある、その情報に、シラツユは再び腰を下とした。やはり芥河は、シラツユとタマキに隠していることがある。それは出ていった遣いや、潜んでいる強力な怪異と関係していそうだ。それだけのことをシラツユは頭の中で結び付けた。しかし、そこから先の推測はできない。
再び座り込んだシラツユの顔を、カタノが覗きこむ。
「うん、主人思いで賢い。いい男だ」
カタノはシラツユの頭をなでてやった。