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狩の使  作者: 在原白珪
10/39

十段 鬼一口

   Ⅰ


 シラツユが床に伏せたことで、現世での仕事はすべてクラトが行うことになった。簡単な手仕事はやって見せればタマキが行ったが、人間との交渉はすべてクラトがする必要がある。今までもクラトが主に話の場に立っていたが、横にシラツユがついて助言を添えることは多かった。ゆえに一人になって、これまでより対応に困るという場面が発生する。

 初老の男が氏子の弟を名乗って訪れたときである。

「どこから来たか知らぬ若造が、急に祭りをするとはどういうことだ」

 老人は怒鳴っていて、タマキはそもそも指環を外していた上で荷物の箱の影に隠れてしまった。クラトは本当に一人で老人と向き合うことになった。

 まずは冷静と健康と微笑を繕う。

「何か悪いことでもありますか」

「なぜわしの許可を取らぬ」

「許しをいただくような方がいらっしゃらないと思ったので。誰も出入りしていないようでしたし」

「なぜ人の身で堂の中に入った」

 人ではないから、とクラトは思いつつ、それらしい言い訳を考える。

「社ではあっても人の世なので」

 老人は更に怒った。

「今に祟りが起きる!」

「祟り?」

 うちの主が人間相手に祟りなんて、と、タマキは耳を疑った。老人の記憶違いなんだろう、そう思う。

 しかし、クラトには心当たりが少しある。それで真剣な顔になると、老人は語り始めた。

「昔、ここらには鬼が棲んでいた」


 昔、水を得るには川へ行くしかない家があった。

 そういう家に、若い娘がいた。幼い頃から、母親が水を汲みに行くのについて行き、ある歳からは一人で行くようになった。

 その日は晴れていたのに、雲のない空から雨が降る。通り雨であろうと、娘はまた一人で川に向かった。

 しかし雨は止むどころか、雲を伴って激しくなっていく。それでも娘は家へ引き返さず、川に入った。

 流れが激しく、足を滑らせ、体が川に流されそうになってしまった。

 そのとき、どこからか若い男が煙のように現れ、娘を岸に出してくれた。礼を述べると、その男はこう言った。

「今日助けてやった恩を忘れるな。お前が死ぬときには、その魂を私が食らう」

 娘は恐ろしく思って、家に帰ってからは必死に仏に祈り続けた。家族も読経をしたり法会をしたりして、娘を守り続けた。

 そうして数十年が経ち、女は流行り病で亡くなった。きょうだいたちは女を手厚く弔い、僧を呼んで遺体を焼いた。

 ちょうどその骨を墓に埋めるときであった。雨が降り出したかと思うと、若い男が現れた。

「その骨を私によこせ」

 もちろんきょうだいたちは抵抗して、骨壺を抱きかかえた。しかし男は触れるまでもなく、骨壺を手に入れる。

「その者は私によって生かされた。私が得よう」

 男は骨壺を持ち、煙にように消えてしまった。

 きょうだいたちは女が遺した着物だけを墓に埋めて、女は鬼に食われてしまったのだと言い伝えた。


「なんだ」

 老人から話を聞かされたクラトはきょとんとした。

「最期まで家族と過ごせて、幸運だったじゃありませんか」

「魂の何たるかを知らんのか若造め!」

 老人は入れ歯を飛ばしそうな勢いで攻め立てる。

「いやだって、死んだんなら骨はただの無機物で、そこに魂とかないでしょう」

「あるわ!」

 入れ歯ではなくても唾は飛んでいるなあ、とクラトはのけぞる。

「しかもちゃんと供養したんでしょう? なら、きっと浄土に行けていますよ」

「話を聞いておらんのか! 鬼が食うと言って、骨を奪った。意味を考えろ」

「あー」

 クラトは適当に考えるふりをした。

「でも、鬼って本人が名乗ってないですよね」

「魂を食うというのは鬼だろう」

「『食う』の意味によりますね」

「なぜ細々議論したがる? あんたは何者か」

 段ボール箱に隠れているタマキに二人の会話の意味は全く分かっていない。だが、クラトが何かしょうもない言い間違いをしたか、表現にあやがあったのだろうと、雰囲気で察した。

 クラトもそれを自覚し、冷静さを取り戻す。

「……関係者です」

「何の?」

 神の、とは言えず、クラトは付近に置かれていたタマキの上着を手にした。

「これが、かの有名な天の羽衣……」

 老人はまるで鑑定するようにまじまじと羽織を見つめて、触れようとしてはっと引いた。

「どこで手に入れた?」

「実家」

 老人は、もうこの若者は手に負えないと思い、交渉を諦めて去って行った。

 クラトは全く噓をつかなかった。

 タマキはのそのそと箱の影から出てきた。

「帰った?」

「帰った、帰った。危なかったなあ」

「もう大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

「本当?」

 タマキは納得しなかった。

「鬼、本当にいない?」

「鬼?」

 クラトは笑い飛ばす。

 しかし笑い声はだんだん小さくなっていって、すぐに止んだ。

「主とシラツユには内緒な」

「内緒?」

「そうそう」

「なんで?」

「つまらないから」

「そう?」

「そう」

 タマキはクラトを大人に感じた。



   Ⅱ


 社の中で行うような仕事を終え、二人は怪異退治に向かった。

「今日もまだ弱いのしかいないだろうから、大丈夫だろ」

 杜若のお陰だろうと、タマキはクラトを信じてついていく。

 病院の前でうずくまる、女の姿をした怪異を見つけた。

 二人は病院の屋上から矢で彼女を狙う。

 弓を引こうとするタマキに、クラトが助言する。

「頭より首を狙え」

 タマキの弓先がわずかに下がる。

「霊力は指先に集中させるな。弓は自然と全身の力を寄せる」

 いつもより鋭く、音が鳴って矢が飛ぶ。

 まっすぐに女の首を射抜いた。

 女は消滅していく。

「一発でできた」

 タマキ自身、驚いている。クラトも鼻が高い。

「まあな! シラツユにも俺が教えたんだからな」

「教えるの上手?」

「そうかもなー。俺の才能だ!」

「でも、シラツユの方が強い」

「まあな。……そういうこともある。みんなで補えばいいんだよ」

 病院の屋上は庭園のようになっていて、いくらか草花が植えてある。夏らしく、ひまわりや百合、葵が、コンクリートの隙間に埋められた腐葉土に根を張って、天を求め、厳しい日差しに耐えている。

「クラト」

「どうした?」

「桜はないの」

「桜? もう咲いてないぞ」

 タマキはフェンスから身を乗り出し、街を見渡した。どこにも桃色の木はない。緑の葉ばかりだ。

「なんで?」

「季節ごとに咲く花は変わるんだよ。桜の季節はもう終わった」

 タマキは寂しそうに、葵の花に触れる。

「終わったら葉っぱになるの?」

「桜はそう見えるけど、本当は違う。花は全部、終わったら枯れる。しおれて、茶色くなって、地面に落ちる」

 タマキは、公園で土に落ちていた花びらを思い出す。あれは枯れていく最中だったのだ、と初めて知った。

「落ちてなくなったら、実ができたり、できなかったりして、葉っぱだけになる。けど、葉っぱもいつか枯れる」

「緑もなくなっちゃう?」

「秋には紅葉するんだ。茶色だけじゃなくて、赤とか黄色とか。そうなったらまた見に行こう」

「秋っていつ?」

「そうだな……。祭りが終わったらすぐだ」

「お祭り……。あと二週間」

「あと二週間だねえ」

 タマキたちの会話に参加するかのように、後ろで声が聞こえた。

 屋上庭園を散歩する妊婦と子どもだ。七歳にならないくらいの彼に、新たな家族がやって来るのだ。

 母親が答える。

「あと二週間でお兄ちゃんになるんだよ。お母さんが赤ちゃんのお世話してる間、良い子にできる?」

 少年はもじもじして、母親の脚にしがみついた。

「わかんない」

 母親は笑う。

「そっかあ。こりゃお父さんも大変だ。仕方ないねえ」

「お父さんが赤ちゃんのお世話して、お母さんは僕と一緒がいい」

 母親は重い腹を下げて少年の頭をなでる。

「じゃあお願いしようね」

 タマキはフェンスに足をかけ、天の羽衣をひるがえし、飛び降りた。クラトも後に続く。



   Ⅲ


 常世に戻り、タマキとクラトは誰にも言われず手を洗い、自分たちで茶を淹れた。

「クラトは寂しくない?」

 タマキが小さな声で言う。

「なんで寂しいんだよ。タマキがいるのに」

 タマキはじっと、グラスについた水滴に触れている。

「シラツユがいなくて、お前が寂しいんだろ」

 タマキはグラスを机に置いたまま両手で奥に押しやって、そのまま机に伏した。

「だらしないな。俺は怒らないけど」

 そういうクラトは頬杖をついた。

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