3:聖戦の始まり
「お力加減はいかがですか?」
「最高〜〜!」
顔無しのメイドが俺の背中をタオルで洗いながら、眠気を誘う声で尋ねる。
最初は女性に体を洗われるのにドギマギしたものだが、よくよく考えれば今の自分は女だから何も反応しなかった。
そう、俺の相棒はもう居ない。
2度と勃ち上がることはない。
「・・・王様? 何かご不満がございますか?」
無言になった俺に不安げにメイドが口にした。
慌てて「そんなことないよ」と振り向く。
きょとんとした顔が可愛い。
顔無しだけど。
声もスタイルも良い女性に、やっぱり反応しないと心の中で小さくため息を吐く。
「ほんっとうに女に変わったんだな〜」
大きな湯船に浸かる。
なみなみと貯められたお湯がザパンと波打ち、自分の胸をプカプカと浮かび上がらせる。
「それに王様・・・、ねぇ・・・」
しばらく思案した後、カラス達の元に戻った。
「カラス」
「王。これはまたお美しい」
再びメイド達に化粧直しをしてもらい、玉座の間に着席するやいなや、開口一番にカラスが穏やかやな雰囲気で褒める。
「あはは・・・」
野郎に褒められても嬉しくはないが。
そんなことより重要なことがある。
「・・・さて、お前達。聞きたいことがある・・・が。答えてくれるな?」
「もちろんで御座いますとも」
カラスが顔を真面目モードに戻す。
うーん、戻したのか?
コイツもメイドと同じで顔無しだから分からないな。
鳥になった時はあったが、どうなってるんだ?
「まずここはどこだ?」
「我ら異形の美しき都、浮遊島ヴェルスで御座います」
「知らん、聞いたことがない。そもそも、空に浮かぶ島など見たこともない」
自分の記憶をどれだけ手繰っても、ファンタジーな世界など漫画やラノベの中にしかなかった。
空想の世界だ。
バ◯スとか言えば崩壊するのか?
「それはその筈で御座います。王はこの世ならざる者・・・つまり異界から受肉した存在ですから」
周りの異形達も頷いている。
「あー、えっと・・・。なぜ俺がこの・・・女の体に受肉したんだ?」
「貴女様が我らに希望と救いを与えるためじゃの」
「つまり?」
「言葉の通りじゃの」
「いやいや、意味がわからん。そんな曖昧な言葉で濁してんじゃねぇよ」
バァ様の言葉に納得行くわけがない。
だが俺の思いなど知らずに続ける。
「貴女様は我らに力を示した。この国の門番トロルを屠り、この島の民達に歓迎を受けた。王が納得いかずとも、我ら異形にはそれが重要であり、我らに流れる血が、記憶が貴女様が王であると告げておりまする」
「そうだぜ、この俺を喰いやがって。くははははッッ!」
「生きてるじゃねぇか」
「そりゃ死なねぇからな」
要領を得ない会話に一周回って少し冷静になると、再び恐怖と怒りが湧いてくる。
苛立ちに貧乏ゆすりをしているとバァ様が言う。
「すぐには納得はいかぬだろうが、貴女様は我ら異形とこの世界をお救い下さる。どうか―」
―どうか、と。
頭を下げるバァ様に続き、他の異形達もそれに倣う。
その姿を見て、呆れと共に聞きたいことが霧散していく。
「もういい。それで? 俺は何をしたらいいんだ」
俺の言葉にバァ様が口角をグチャグチャに歪め笑う。
「まずは、下界の民と世界を滅ぼしましょう」
地球に住んでいた頃より、僅かに長い1日が30回程過ぎた頃。
空に滞空する王と彼女を守護する異形達が眼下を望んでいた。
広大な大地を埋め尽くすほどの多種多様な異形。
まず群体する炎の巨人がマグマを纏う戦斧を掲げ、異形達の戦意を高めた。
次に大樹を守護する亀が柔らかな風を起こし、仲間に大気の守護を与えた。
空を切り裂く鳥は甲高い声を上げながら、人間の恐怖を煽り、動きを鈍らせる。
そして海を操る怪魚は津波を発生させ、人間が住まう大地を容易に飲み込むだろう。
最後に小さな異形達。
体は小さくとも、様々な武器を持ち負けじと雄叫びを上げる。
浮遊島の端に集まった数多くの異形達が、遥か真下に見える人間の街を殺意のこもった瞳で望む。
「凄いな」
「ええ。この島に住む者達は全て戦士で御座います。さぁ、王よ。彼らに御声がけを」
「え、そんなこと言っても何を言えば」
「王の御言葉を」
俺の独り言に同調したカラスが頭を下げ、異形達への言葉を懇願する。
だが少し前までただの日本人だった俺に言葉など出るはずも無かった。
1ヵ月ほど彼らと過ごしても、まだわからないことだらけ。
正直、これから行われる行為が正しいのかさえ不明だ。
彼らが望むのは、きっと・・・。
俺の・・・いや、王の言葉を待つ異形達の視線にたじろぐ。
「我に身を委ねろ」
その時、突然脳裏に反響した女の声。
それには聞き覚えがあった。
確かトロルと戦っている途中に聞こえた声だった。
わけの分からない出来事に、返事に逡巡する間もなく、体をナニカに乗っ取られた。
そして、
「聞けッ! 異形達よッ!」
妖艶に目を細めて言葉を発する。
「私が王だ。まず、すまなかった」
王の謝罪に異形達が驚愕に目を見開く。
「王ッ、そのようなことはッ!」
カラスの焦りを手で遮って続ける。
「長い・・・悠久とも取れる時の中、お前達は耐えた」
異形達が王の言葉に顔を上げ、ガタガタと身震いを始めた。
それは寒さでも、怒りでも、ましてや恐怖でもなく、これから続くであろう言葉への歓喜の震えだった。
「苦しかったであろう? 歯を噛み締めたであろう? 怒りに眠れぬ夜もあっただろう。だが、安心して欲しい。それも、今日までだ」
王が大粒の涙を流す。
カラスが胸ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭った。
嗚咽を隠さずに王は続け、吠えた。
「この世に存在してはならない神を我ら異形が屠りッ、堂々と大地を踏み締めようではないかッッ!!!」
多種多様な異形達が拳を握り、己の牙を持って我らの悲願を果たさんと決意する。
「王」
誰かの呟きがやけに耳に残る。
ただそれもつかの間。
「行け・・・我が愛し子達よ。・・・そして世界に救済を」
喝采、そして咆哮。
歓喜に暴れ狂う異形達が浮遊島から飛び降りる。
異形達は隕石の様に炎と破壊を伴いながら落下を続ける。
一見すれば流星群と見間違える輝きを放ちながら、彼らは進行する。
「彼らにとって、これほどの感激はないでしょう」
カラスが狂笑する。
トロルも、バァ様も。
すべての異形が笑う。
今ここに、異形達の聖戦が始まった。
イニティと呼ばれる大国の首都、イニティには70万人を超える人々が住まう。
人口の大多数を占めるのは人間種だ。
そこに森精種、土精種といった他種族が出稼ぎでこの街にやって来る。
奴隷制度といった非人道的な制度を持つ国だが、そこに目を瞑れば非常に良い国と言えた。
特別大きな産業がある国では無いのだが、首都であるイニティが大都市に至った理由はたった1つ。
遥か上空にある浮遊島。
大地に根を生やす生物を創造した神が排斥した異形達が住まう島。
そこから落ちて来る浮遊島由来の謎の動植物に鉱石といった未知なる資源に人々は魅せられた。
小さな国だったイニティにはしだいに人々が家を建て、商売を始め、それを求めて他国から多くの人々がやって来た。
その日も、浮遊島から落ちて来る資源を求めて歩き回る商売人の奴隷達が平原を駆けずり回っていた。
スポットと呼ばれる、資源が落ちて来やすい場所は当然諍いが起きやすい。
「てめぇッ!! 離せッ!」
「お前がだろっ! これが無いとダメなんだよっ!」
首輪を付けた奴隷が今朝落ちてきたばかりの鉱石を取り合っていた。
群青色に点滅する未知の鉱石だった。
やがて殴り合いを始めたのだが、周囲の奴隷は見て見ぬふり・・・と言うより、そんなことに構ってはいられないとばかりに資源集めに精を出していた。
飼い主に決められたノルマをこなせなければ折檻されるのは自分達、他人を気にしている暇はない。
またある奴隷が争い始めた時だった。
空からの音に手を止める。
徐々に大きくなる轟音と共に、炎を纏う巨人が天空より破壊と共に降り立った。
半径数kmに居た奴隷達は熱で炭化し、崩れ落ちた。
即死範囲から外れていた奴隷達も着地時の爆風と大地の崩壊に巻き込まれ、死亡した。
巨人が歩くたびに、地面がガラス化していく。
遅れて着地した異形達が、炎の巨人の後に続く。
少し先に見える街からサイレンらしき音がここまで届いた。
「ミナゴロシダ」
炎の巨人がたどたどしく口を開き、咆哮。
勢い良く走り出した。
それにしては緩慢に見える動きに見えたが、それはあまりにも巨大過ぎるためだった。
トロルを超える30〜50mの炎の巨人達は大地を噴火させながら跳躍、両手で硬く握りしめた戦斧で街を割断した。
イニティの総面積の3割がこの一撃で消滅し、ドロドロと溶けるマグマの炎熱によって火災が発生した。
そこに、空を駆ける鳥達が旋風を巻き起こし、融合。死を撒き散らす火炎旋風が人々を抱いた。
黒煙と炎が立ち昇る隙間に、多くの異形達が見える。
後続の異形達が人間を殺す為に我先にと駆ける。
「サァ、ワレラガ王ノタメニッ!!! ワレラ異形ノタメニッ!!!」
異形達の雄叫びが生き残った人間の悲鳴を掻き消す。
「ユコウッ!! 王トトモニッッッ!!!」
聖戦はまだ始まったばかり。