ゴブリンが人類に受け入れられない理由についての考察
ゴブリンという種族がいる。
ヒューマンと比較し小柄でやや非力ではあるものの、獣とは一線を画す知能と独自の文化を持つ人型種族。
繁殖力が高く集団で行動することを好み、その個体数はエルフやドワーフを凌ぐ。
能力は個体差が大きく、中には平均的なヒューマンを上回る戦士や魔術を使いこなすエリートも存在するため、一概に弱者というわけではない。
地域によっては王国を打ち立て、オークやオーガといった他種族と同盟を結んでいるケースもあった。
そんなゴブリンたちに人類が下した評価は「駆除対象」。
コボルトやオーク、オーガといった類似の人型種族は亜人種として人類に準ずる権利を認められることもあるが、人類──特にヒューマンは決してゴブリンだけは受け入れようとはしない。
その理由は一般に「ゴブリンは心根の邪悪な種族で話の通じる相手ではない」から、とされているが、オークやオーガとさえ一定の交渉を持てているのに、ゴブリンだけを特別視する根拠は薄弱だった。
むしろかつて敵対していたオークやオーガたちのように、対話によって積極的に人類圏に取り込む方が利があるのでは、と主張する識者も少なからず存在する。
だが、これまでそうした意見が主流となったことは一度もなく、人類は常にゴブリンと敵対し続けてきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………ワフ?」
シロ、と呼ばれるコボルトがいる。
親の顔は知らず、物心ついた時にはスラムで残飯を漁って生きていたが、ある日似た境遇のヒューマンの少年に拾われ冒険者となった、幸運で稀なコボルトだ。
今では少年以外に仲間も増え、特別な技能こそ持たないが、人類にはない鋭い嗅覚を持つ索敵役として重宝され、搾取されることなく大切に扱われている。
今日は冒険者の仕事はお休みで、相棒の少年はスラムの上役と打ち合わせで不在。暇を持て余したシロは一人のんびりとスラムを散歩していた。
散歩範囲は顔見知りが多く“安全”なスラムや裏通りで、一般人の多い大通りには決して近寄らないよう、相棒から固く言い含められている。この都市ではコボルトに人類とほぼ同等の権利が認められているが、やはり一定の偏見や差別は存在し、シロが一人きりで街を歩いていればトラブルに巻き込まれる可能性が高い。
そしてコボルトはその小柄で愛らしい見た目から、いきなり攻撃されるようなことは滅多にないものの、ペットにしようと無理やり連れ去ろうとする好事家は珍しくなかった。
小一時間ほど目的もなく辺りをパトロールし、小腹が空いてきたので屋台で何か買って食べようかとキョロキョロ周囲を見回していた時、シロは嗅ぎ慣れない臭いに鼻腔をくすぐられた。
索敵役として鍛えられたシロの嗅覚──嗅ぎ分けの精度はとても高い。多種多彩な魔物とその匂いが混じり合う迷宮の中で、警戒すべきものとそうでないものを正確に嗅ぎ分けてきた彼の鼻は、これまで都市内で嗅いだことのない臭いに鋭敏に反応した。
「クン、クンクン……」
臭いのする方向に、無防備な表情でトテトテと歩いていく。
仲間たちがその様子を見れば「危ないから知らないものに一人で近づくんじゃありません」と注意していただろうが、シロの嗅覚はその臭いに「怯え」を示すフェロモンを感じ取っていた。
臭いを頼りにシロが辿り着いたのは、スラムでも一際人気のないゴミ捨て場。ゴミを拾って生きる者たちからも、もう使い道がないと判断された本当のゴミが打ち捨てられた一角だ。
シロが臭いの発信源である壊れたタンス──だったものの中を覗き込む、と。
「…………ギギッ」
「…………ワフ?」
緑色の肌をした小柄な人型の生き物と目が合う。
それが、シロにとって初めてのゴブリンとの遭遇だった。
ゴブリンはあまり迷宮には棲みつかない。それは人類が迷宮に居を構えることがないのと同様、態々魔物が跋扈する危険な環境に住むメリットがないという当たり前の理由からくるものだ。
その為、迷宮都市で生まれ育ち、迷宮内を主戦場としてきたシロは、これまで一度もゴブリンというものを見たことがなかった。
「ワフゥ……」
「ハグハグ、ハム……ッ」
緑色の肌の小人はシロが一目見て分かるほどに弱っていた。それを空腹によるものと考えたシロがポシェットに相棒が常備してくれている保存食を差し出すと、小人は一瞬警戒するように匂いを嗅いだ後、シロの手からそれをもぎ取りものすごい勢いでかじりついた。
その様子を見つめるシロは、さてどうしたものかと首を傾げる。
初めて見る人型の生き物。
小柄なシロと比べても大差ない背丈しかなく、痩せぎすでアバラがくっきり浮き出ている。頬がこけ皮膚はガサガサなので分かりにくいが、恐らくはまだ子供なのだろう。
だがその見た目から、明らかにヒューマンではなく、似たような種族をこのスラムでは見かけたことがない。
事情は分からないが、こんなところに一人で隠れていたということは、きっと仲間は近くにいないのだろう。
何となく食料を分け与えてみたが、この後どうすればいいのかシロには分からない。シロ自身は自分が仲間に養われている身だと自覚しており、仲間に負担をかけてまで目の前の小人に手を差し伸べる理由を見出せない。そもそもこのスラムでは身寄りがなく日々ゴミを漁って生きている子供など珍しくない。一人で飢えている子供を見かけたからと一々同情してはいられない。
その上で、シロの頭を悩ませていたのは、この小人を放置しても問題ないのか、という点。
緑の肌の小人はこの街では明らかな異物だ。何かの間違いで紛れ込んでしまったのなら本来あるべき場所に戻してやりたいとも思うし、このまま放置して周囲に悪い影響がないのかも気にかかる。だが、下手に関わればやはり仲間に迷惑がかかるかもしれない。
「ワフゥ……」
どうしたものか。
普段から相棒や仲間がどうすればいいか指示をくれる環境に慣れていたシロは、珍しく遭遇した難問に知恵熱を出しそうになった。
「ギギィ!」
「ワフ!?」
そんな中、いきなりシロの首元に飛びついてきた小人──ゴブリンに、シロは驚き目を白黒させる。
攻撃ではなく顔をシロの体毛にこすりつけ、純粋に食料をくれたことへの感謝の意を表しているようだ。コボルトであるシロはそうした身体的接触を好む傾向があり、ゴブリンに害意がないことを感じ取るとすぐにその抱擁を受け入れた。
ゴブリンはそれに気をよくしたのか、シロの背中や喉元をわしゃわしゃと撫でさする。それはシロが思わずウットリしてしまうほど巧みな手つきだった。
ゴブリンは野生の狼などを使役して騎馬のように乗りこなすこともあり、そうしたイヌ科動物への接し方はヒューマン以上に巧みだ。またゴブリンの国では実際にコボルトが使用人や奴隷として使われている例もあり、両種族の相性は実のところ非常に良かった。
「ワッフゥ……ワフ!?」
「ギギッ?」
しばし撫でられてウットリしていたシロだったが、ふと我に返りゴブリンを振り払う。ゴブリンはキョトンと驚いた眼をしていたが、シロは自分を撫でていいのは仲間たちだけだと、牙を見せて威嚇する。
「グゥ~……ワン!」
「ギギ、ギギィ!」
ただ、その威嚇が形だけだということはゴブリンにも分かったのだろう。彼は楽しそうにシロに纏わりついてきた。シロもそれを拒絶するようなそぶりをするが、内心決して嫌だと感じていなかったため、その拒絶はおざなりで、余計にゴブリンを調子づかせた。
自分を手懐けようとするようなゴブリンの素振りに、シロは奇妙な焦燥に駆られてそこから離れようとする。
「ギィ?」
しかしゴブリンはシロから離れようとベッタリ後をついてくる。シロはそのことを不快に感じていない自分が不思議で──少しだけ怖かった。
「…………ワン!」
結局シロはゴブリンを引き離すことを諦め、仲間に助けを求めるべく、その場から歩き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふんふん。なるほど、そういうことね~」
シロが助けを求め訪れたのは、打ち合わせ中の相棒ではなく、郊外に住むノームの女性だった。
彼女は拠点に駆け込んできたシロとゴブリンを見るなり、仲間の女エルフ二名に指示してゴブリンを縄で縛って拘束し、シロから事情を聞いていた。
「ワフ……」
ほっと一息つくシロの後ろでは、怖い女エルフ二人に縛り上げられ、猿轡を嵌められてガタガタ震えているゴブリンの姿があった。
「それにしても珍しいわね~。この辺りは冒険者が多いからゴブリンなんて見たことなかったけど」
「はぐれって奴じゃない? 見たとこまだ子供みたいだし、群れを離れて移動してたところを親が死んだか、トラブルにでも巻き込まれたか」
おっとりと呟くノームに、金髪のエルフが可能性を口にする。ただ二人ともそうは言いながらさしてゴブリンの事情に興味がある風ではなく、話しながらシロの様子を観察していた。
「…………ワフ?」
シロはゴブリンに何か危害を加えられた様子はなく、ただ初めて見る生き物に纏わりつかれて困惑しているように見えた。その目にゴブリンに対する嫌悪の色はない。
二人はどう話を持っていこうか目配せし、ノームが屈んでシロと目線を合わせ話しかけた。
「それで、シロちゃん。ここに来たのはこの子をどうしたらいいか分からなくて相談に来た、ってことでいいかしら?」
「ワン!」
シロはそう元気よく肯定し、しかしすぐ眉をへの字にして縛られているゴブリンを見た。
「……コイツ、アブナイ?」
「う~ん。危ない、とはちょっと違うんだけど……」
保護しようとしたのは間違いだっただろうか、とシロは不安な顔をするシロ。
「この子はゴブリンって種族の子供で、この子の親は私たちとはあまり仲が良くないのね? だから街中でウロウロするのは良くないし、ゴブリンが嫌いな人に見つかっちゃったら酷い目に遭うかもしれないの」
ノームは暗に、縛っているのはゴブリンを保護するためだ、と伝わるように言葉を選んだ。
そして金髪のエルフが、シロに問いかける。
「シロは、この子を助けたい?」
「…………ワフゥ」
肯定とも否定ともつかない曖昧な反応だったが、それが「みんなに迷惑はかけたくないが、できるなら助けたい」という意味であることは、仲間たちには明白だった。
ノームはシロを安心させるように微笑み、口を開く。
「分かったわ。ただ、この子が人間の街で暮らすことは難しいし、知り合いに頼んで仲間のところに送り届けてもらいましょ」
「ワン!」
シロはほっとしたように表情を明るくし、尻尾をパタパタと振った。
そしてノームはシロの頭を優しく撫で、後は任せてとほほ笑む。
「さ、シロちゃんはもう帰りなさい。あんまり遅くなるとあの子が心配するわよ」
「ワフ!」
相棒の少年のことを引き合いに出され、シロはピンと尻尾を立てて立ち上がる。
「アリガト!」
そして仲間たちに改めてお礼を言うと、縛られ不安そうにしているゴブリンに一度手を振り、そのまま勢いよく仲間たちの拠点から飛び出していった。
仲間たちは玄関でシロを見送り、彼の姿がすっかり見えなくなってからドアを閉め、縛られたままのゴブリンを囲む。
「……どうするの?」
口を開いたのはそれまでジッと黙っていた銀髪のエルフ。
「報告してギルドに引き渡しましょ」
ノームは顔色一つ変えず答える。
「いいの?」
念のため、といった様子で確認するのは金髪のエルフ。
「いいも悪いもないわ。わざわざゴブリンを庇って、ヒューマンの不興を買う理由なんてどこにもないもの」
ノームは自分たちが何を喋っているのか理解できず、ただただ怯えているゴブリンに視線をチラリと向けて続ける。
「それに嘘をついたわけじゃないわ。報告すればギルドはこの辺りに他のゴブリンが潜んでないか確認を行うことになるだろうし、仲間がいたとすれば直ぐに同じ場所に行くことになるでしょ」
淡々としたノームの言葉に、金髪のエルフは肩を竦める。
「ま、仕方ないわよね。ヒューマンのゴブリン嫌いは筋金入りだもの」
実のところ、この場にいる非ヒューマンの三名はゴブリンに対して特別敵意や嫌悪感を持っているわけではない。ゴブリンを特別に敵視している人類種はヒューマンだけだ。
「でも、前から不思議だったんだけど、何でヒューマンってゴブリンをあんなに嫌うのかしら? 野蛮とか邪悪とか色々言ってはいるけど、そんなのゴブリンだけの話じゃないでしょ?」
金髪のエルフが、ふと以前から抱いていた疑問を口にする。
もちろんゴブリンが好感の持てる種族だなんて言うつもりはないが、オークやオーガの方がよっぽど野蛮で暴力的だし、邪悪な奴は種族関係なく邪悪だ。見た目の醜さを口にするヒューマンもいるが、エルフの美的感覚からすればヒューマンもゴブリンも正直大差ない。
それでも人類圏がゴブリンを亜人とすら認めず駆除の対象としているのは、人類圏の実質的な盟主がヒューマンであり、彼らがゴブリンに強い拒否反応を示しているからに過ぎなかった。
ヒューマンの能力は他種族と比べ決して高くなく、どちらかと言えば愚かで貧弱と欠点の方が目立つ種族だ。しかし彼らはとにかく貪欲で適応力が高く、諦めが悪い。
ドワーフのように鍛冶や戦いなど特定分野にしか興味を持たぬということもなく、エルフのように厭世的で達観しているわけでもない。
ただ貪欲にあらゆるものを求め続けたヒューマンの勢力は、必然、人類圏において他種族の追随を許さぬものとなっていた。
そのヒューマンが、オークやオーガは交渉相手と認めても、ゴブリンだけは頑なに認めようとしない。それは多くの他種族が、少なからず疑問に思っていることではあった。
「そうねぇ……多分、近親憎悪って奴なんでしょうね」
その疑問をノームの賢者は一言でぶった切った。
エルフたちは、ああ、と納得の表情を見せる。
貧弱で、愚かで、けれど貪欲で、適応力が高くどんな環境でも生き延び、諦めを知らない──それはまさしく、ヒューマンであり、ゴブリンの特徴そのものだった。
「そんな貪欲な種族がこの世に二つと並び立てるはずがないもの。きっとヒューマンはそのことを本能的に理解してるんだわ」
似た者同士だからこそ相容れず、棲み分けも共存もできない。
「あるいは、もう少し彼らが狡猾で強かだったなら……」
ノームは意味のない仮定に苦笑し、哀れなゴブリンの子に最後の慈悲を与えた。
連載用に書いていたエピソードですが、ちょっと他のエピソードとテイストが異なる内容となったため、手直しして短編として投稿しました。
良ければ同キャラクターたちの冒険を描いた連載版「死神(?)パーティーが〜」も読んでいただけると幸いです。