【Case:18 雨女】4
台風の日の週末をはさんで月曜日。ちらほらと怪奇現象の話が耳に入るようになってきた。
「雨が降った形跡もないのに、家の前の路面に水たまりができているんです」
最初は何か別の要因かな、と思って気にも留めなかったそうだ。だが、次の日には門の内側、次の日には玄関扉の前。そして昨日、ついに玄関のたたきに水たまりができていた。しかも、大きくなっている。業者に家を調べてもらったが、もちろん雨漏りもしていなければ、水漏れもしていなかった。
似たような訴えが何件か地域生活課に届いていた。持ち家だったりマンションだったりアパートだったり様々だが、ほとんどの家が昨日の日曜日の時点で玄関扉を越えている。
件数が多いので二人一組でそれぞれの依頼者の家を確認しに行った。俐玖も幸島とペアで見に行ったのだが、確かに家の中、玄関のたたきの家の中に近い方に水たまりはあった。
「今朝もこの場所に?」
「いえ……もっと扉寄りだった気が」
ちょうどど真ん中くらいにあったように記憶しているそうだ。なんにせよ、水がたまる場所は動いている。一応、天井を見上げてみたが、俐玖にも何かが漏れてきているようには見えなかった。
「確かに、雨水っぽくない成分だな」
早速水の簡易検査をした幸島が言った。俐玖にはそう言ったことはわからないが、同意見だった。もっとも、俐玖の場合は半分勘である。
「じゃあ、何に近いんですか? ミネラルウォーター?」
「いんや。普通の川の水かなぁ、この辺の」
「……なぜ?」
「さあ……?」
二人して困惑の表情を浮かべる。
いや、それはいい。川の水だろうが雨水だろうが水道水だろうが、ここにあるはずのない水たまりが存在することが問題なのだ。
俐玖は立ち上がると、家の壁に触れた。それから玄関扉に触れる。
「……憑いてきたかな」
「何が?」
幸島に問われたが、俐玖は首を左右に振った。それ以上は感知できない。だが。
「川の水か」
幸島が考え込むようにつぶやいた。
とりあえず怪異のあった家にはお守りを置き、市役所に戻ってきた。手分けして調査してきたので、他の調査班も戻ってくるのを待つ。先に千草と鹿野の組、夕方近くになって宗志郎と下野の組が戻ってきた。
「どの家も、まだ玄関までではあるのか。部屋の中には入っていないんだな」
端末で調査してきた家の状態を確認しながら幸島が言った。確かに、一番侵入されていても玄関の三和土までだ。家によって若干差があり、まだ玄関ドアを突破されていないところもある。
「多分、住人の出入りについてくるんだろうな」
「日本では玄関で靴を脱いで家に上がりますから、そこでもまた境界があるのでしょうね」
俐玖はそう言ったが、物理的な家の境である玄関ドアを越えられているので、もっと中まで侵入されるのも時間の問題である。
怪異をいくつか見てきて思うのは、この境界という考え方がとても大事だと言うことだ。どこかで越えてはならないラインが敷かれている。このうち側は自分の領域で、それを越えられるか越えないか、というのが怪異現象の一面なのだと思う。
お守りや呪符、祝詞などはその境界をはっきりさせるためのものだ。ただし、その効力は長くは続かない。何度も取り換えるのは現実的ではないため、何らかの対処が必要となる。
「幸島さんが川の水の成分に近いって言ってましたけど、すべての家が川の近くにあったわけじゃないんですね」
被害にあった家をマーキングした地図を眺めながら、俐玖はそう感想を漏らした。俐玖が幸島と一緒に調査に行った家も、すべてが川の近くにあるわけではなかった。
「連れ帰ったと考えるのが自然か? 共通点がわからないが……」
宗志郎も首を傾げた。俐玖も同じように首をかしげる。悩むよりは資料をあたった方がいいと、千草が宗志郎と俐玖に資料を押し付ける。俐玖たちが出ている間に、麻美と瀬川がまとめたものだ。麻美が着々と瀬川に鍛えられている気がする。
ざっと資料を流し読みした俐玖は「やはり川ですかね」と首を傾げた。川と言うのは逸話が多いものだ。日本でも河童や橋姫、気色は違うが三途の川などもそうだろうか。後世に後付けされたものも多いが、そもそも川での事故や災害が多いために、逸話が残るものなのだ。
川でおぼれた女の子が親と同じくらいの年の男女についていく、という怪談があった。男の子の場合もあるらしい。ほかにも恋人に殺された女性だとか、妻の不倫相手に殺された夫だとか、色々出てくる。宗志郎の『連れ帰った』という意見を踏まえると、川でおぼれた女の子、もしくは男の子の可能性が一番高いだろうか。
ついて行ったのなら、川から離れているのも説明できる。その子が近づいた分だけ水たまりが家の中に入ってくる。そう考えられる。
鎮魂するのは難しい。おそらく、様々な要素が絡み合っている怪異だからだ。だとしたら、家に入ってこないように何らかの対策をするか、元の場所に戻してくるかが現実的なところだろうか。
俐玖は宗志郎と顔を見合わせた。
「どうする?」
幸島が顔を見合わせた俐玖と宗志郎に尋ねた。佐伯に頼んで家自体に呪文を書いてもらうのが一番簡単だが、全部で二十軒以上あるのだ。すべてに書くのは大変すぎる。
「でも、佐伯さんに頼むしかなくないですか?」
下野が言った。たぶん、みんな同じことを思っていた。
「……佐伯、怒るだろうなぁ」
佐伯の能力が本物であるため、負担をかけているなぁとはみんな思っている。
翌日、思わぬ方向にことは進んだ。
「俐玖」
出勤してすぐ宗志郎に声を掛けられ、鞄を肩にかけたまま俐玖は「うわっ」と声を上げた。
「何? どうしたの?」
すごく顔色が悪かった。もともと色白の宗志郎であるが、それを差し引いても青い顔をしている。
「……出た」
一瞬、何が出たのかわからなかったが、二秒ほど考えて俐玖は「ああ……」とうなずいた。
「連れて帰っちゃったんだね……紅羽と芽衣は?」
「今のところ影響はない」
紅羽は肝が据わっているので「ま、大丈夫でしょ」と玄関に盛塩をしてお守りを飾っていたそうだ。
「ただ、芽衣は明らかに見えざるものが見えていた……」
「まあ、まだ三歳だもんね」
小さい子が『友達』と遊んでいるのはよくあることだ。今は怪異の影響を受けない脩でも、小さい頃はそういうことがあった、と言うのだから小さい子にはありがちなことなのだろうと思う。佐伯に至っては神社の祭神と遊んでいた疑惑があるそうだ。
よって、芽衣に起きている現象は珍しいわけではないが、かと言って放っておくわけにはいかない。下手をすれば『連れて』いかれる可能性もある。
「でも、おかげで条件がわかったね。その怪異は、川の怪異に触れた、小さな子供のいる親について行っているんだ」
昨日、調査に行った中で小さな子供がいるのは宗志郎だけだった。千草もシングルマザーであるが、子供は中学生なので小さいとは言えない。ほか四人、俐玖、幸島、鹿野、下野は全員独身だ。
宗志郎はもともとの引きの良さに加え、この条件を満たしていたために怪異を連れて帰ってしまったのだろう。運がなかった。
「来宮のところに出たのなら、話は簡単ね。来宮の家で怪異をあぶり出し、無理やり返しましょう」
千草が強硬な意見を出すが、たぶん理にかなっている。千草は同じ現象を起こしている怪異はすべてつながっていて、一つを押し返せばすべて返すことができる、と考えているのだ。
人の家でやるには少々危険であるが、宗志郎の家である。今なら紅羽は仕事中だし、芽衣は保育園に行っていて誰もいない。宗志郎なら理解もあるし職場の身内であるので、アフターケアもしやすい。
「今、紅羽も芽衣もいないよね。行く?」
「……頼む」
少し葛藤したが、宗志郎はうなずいた。この夫婦は、紅羽の方が力のある夫婦なのだ。尻に敷かれているとまでは言わないが、発言権は紅羽の方にある。だから迷ったのだ。とはいえ、紅羽も怪奇現象を解決するために俐玖たちを部屋に入れることを嫌がりはしないだろう。
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