【Case:18 雨女】3
ハンバーグとサラダとスープにご飯。それっぽい夕食になった。一人暮らしの俐玖はBGM代わりにテレビをつけていることが多いが、今日はどのチャンネルも台風のニュースばかりだ。
「明日も災害対策かなぁ」
「だろうな。昼頃には台風も抜けるみたいだし、半日ってところか」
こういう突発的なことがあると、通常業務が止まってしまう。しかし、業務を止めるわけにはいかないので、どうしてもどこかに負荷がかかってしまうのだ。
「私も明日は避難所待機とかかな」
脩は土嚢積みかもしれないが、女性は避難所管理に行かされることが多い。
「いや、俐玖は明日も通訳だろ。土嚢積みも避難所もほかの人ができるけど、通訳できるひとは少ないんだから」
「……だよね」
その通りである。多言語話者である俐玖は英語や中国語が通じない外国人を相手に無茶振りをされることがよくある。
「今日だってラテン語で話してきたんだよ……」
「日常会話でラテン語って聞いたことないな」
ヨーロッパ圏の言語の元になった言語ではあるが、この時代に会話で使うものではないね。
「そっちはどうだったの?」
「土嚢積んでも意味ないくらい降ってたぞ。まあ、ないよりましかな」
大変だったようだ。水防訓練などで土嚢を作ることはあるが、その時と違って土は水を含んでいる。重いし、大変だろう。
「鹿野さんが手慣れてたな」
「まあ、元軍人だもんね」
災害でもたびたび出動する軍だが、今回も川が氾濫した地域などに派遣されているはずだ。
明日は土嚢積みではなく、むしろ排水作業がメインになるはずだ。また、片付けも大変なのであるが。
コンビニで買ってきたデザートも平らげ、食器を片付けると寝る支度をして並んでテレビを見始めた。テレビの前に小さめの二人掛けのソファとローテーブルが置いてある。俐玖の隣に座った脩がおもむろに腕を広げた。
「何?」
「抱き着きたいんじゃなかったか?」
覚えてた! 先延ばしにしたことを俐玖は思い出す。顔が熱い。今、絶対顔が真っ赤だ。
脩はそんな俐玖を見て笑っている。なんとなく悔しくて、八つ当たりするように勢いよくその腕の中につっこんだ。
「おっと」
危なげなく脩は俐玖を受け止めた。量販店で買った安物のソファががたりと音を立てる。背中に腕を回し、肩に顔を押し付ける。改めて意識すると、脩が案外がっしりした体格であることがわかる。俐玖の背中にも腕が回り、抱きしめられると包み込まれるような力強さを感じた。
そのまま無言で抱き合っていると、眠たくなってきた。大雨の中町中を歩き、普段使わない言語で会話をしてきたのだから疲れているのだ。それで行くと、脩の方がつかれているだろうけど。
「俐玖?」
自分にかかる体重が増えたからだろう。脩が俐玖を呼んだ。俐玖は頭を脩の肩に乗せたまま言った。
「眠ったらベッドまで運んでね……」
「えっ、寝るのか」
半分眼が閉じていた俐玖は、驚いたような声を上げた脩に無理やり目を開けた。少し身を離して顔を見上げる。脩は大まじめな表情で言った。
「成り行きとはいえ恋人の家に泊まりに来たんだぞ。期待してたんだが」
「えっ」
俐玖も驚いたような声を上げた。一気に目が覚めた気がする。いや、いい年の恋人同士の男女が二人きりでお泊りなのだ。俐玖もそう言うことがあるのかな、と思っていたし、多少は期待していた。しかし、ぎゅっと抱き合ったらどうでもよくなった。
「さすがに男を一人暮らしの家にあげる意味は分かってるよな?」
俐玖があまりにもきょとんとしたからだろうか。脩が確認するように尋ねた。慌ててうなずく。さすがに理解している。
「えっと、私も期待しなかったわけではないんだけど、ぎゅっとしたらこれもいいなってなったというか」
「俺はもっと深く抱き合いたい」
「ひっ」
耳元で低くささやかれて俐玖は悲鳴を上げた。男の色気にやられている気がする。というか、色気のレベルで負けている気がする。
「俐玖」
名前を呼ぶ声が甘いのがわかる。
「お前も期待してたんだよな?」
さっき自分で口走った言葉が思い出される。
「うん……」
うなずいた俐玖の顎を脩の手がつかんだ。無理やり視線を合わせられる。
「いいな?」
「い、いよ」
同意を得た瞬間、噛みつくようにキスされた。というか、たまに見る噛みつくような、ってこういうことか。
これまでも深いキスは経験があったし、だんだん脩の手が俐玖の体のあちこちを触るようになっていた。背中だとか、腰とか、足とか。俐玖も自分とは違う筋肉質な脩の腕に触れると、なぜか嬉しそうにされた。
するっと脩の手が俐玖のシャツの裾から中に入ってきた。腹を直接なでられて思わず身をよじる。
「嫌だったか?」
「ううん。くすぐったかっただけ」
そっと触られるとくすぐったい、と言うと微妙な表情をされた。俐玖が首をかしげると、通じていないことに気づいた脩が硬い声で言った。
「……ちゃんと触ってくれと言っているように聞こえる」
「ちゃんと……」
んっ、と変な声が出た。確かに、裏を読むとそう言っているように聞こえる。羞恥から顔が熱くなるのを感じながら、俐玖は返事の代わりに脩に抱き着いた。俐玖もシャツの裾から手を入れて、脩の背中を直接触ってみる。脩の体がびくっと震えた。
「俐玖」
「は、初めてだから、お手柔らかにお願いします……」
嫌ではないが、これだけは主張しておかねば、と思い小さな声で俐玖は言った。脩は一瞬言葉に詰まった様子で息を呑んだ後に、言った。
「……善処する」
それ、善処されないやつ、と思いながら俐玖は遠慮なく触れてくるようになった脩の手に身をゆだねた。
翌日の昼頃には、雨は上がっていた。まだ風はあるが、日も出てきた。夏であるので、日が出てくればすぐにアスファルトは乾燥した。
「も~。なんなんですかね!」
自然現象に文句を言っても仕方がないが、麻美がそう言ってむくれるのもわかる気がした。
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