【Case:17 同窓会】1
さて、以前から決まっていたことではあるが、北夏梅市役所は新庁舎を建設しており、そろそろ完成する。現在夏に入ったところであるが、年末には引越しし、新年からは新庁舎で仕事始めとなる。
現在の庁舎は老朽化している、と言うほどでもないが、さすがにそれなりの年数が経過しているし、何より耐震基準を満たしていないのだ。昨今の災害事情により、新庁舎の建設が急がれたわけである。
引っ越しするのは中にいる職員だけではなく、備品やデータも一緒だ。丸っと中身が移動するのである。そのため、どの備品やデータを持って行くか、取りまとめたものを書いて提出しろ、と総務部管理課からのお達しがある。
これについて、主に対応しているのが瀬川と麻美だ。二人とも、怪異があったから、と頻繁に駆り出されることはない立場である。この二人がメインで、俐玖や脩、下野なども手伝っているが、案外、怪異関係のデータが多い。
「もー! 備品は全部廃棄して、新庁舎に新しい備品を入れればいいと思います!」
どうやら書棚の数が合わないらしい麻美が悲鳴を上げた。正直、麻美の言うことは尤もだと思う。旧庁舎であるここから、新庁舎まではそんなに離れていないが、やはり机や棚など、大きなものを運ぶのは手間である。もちろん、業者にも頼むが、移動中に紛失した、となったらシャレにならない。
瀬川が顔を上げて麻美をにらんだ。なお、二人の間に座っている藤咲は、今日は不在だった。宗志郎と下野とともに現場へ行っている。
「みんなそう思ってるんだよ」
「うぐぅ」
麻美はカエルがつぶれたような声を上げると、デスクに突っ伏した。
「まあ、数がそこまで多くありませんからね……」
むしろ、瀬川が整理している資料関係が問題だ。昔は紙媒体でしか保存していないため、重要書類がファイリングされて残っていたりする。これらをスキャニングしてデータをまとめているのが瀬川だ。俐玖も内容をチェックして振り分けているところだ。今、延々と資料をスキャニングしているのは脩である。
これが数が多くて大変なのだ。まあ、人数でカバーできる量ではあるが。だが、その人数がいないのである。
「こっちも今は役割分担できてるだけましだけどな。鞆江、いったん休憩を入れよう。向坂呼んで来い」
「わかりました」
スキャナーは課内にもあるが、速度が遅い。なので、脩は別室にあるコピー室まで大容量スキャナーを使用しに行っていた。スマホは持っているだろうが、斜め向かいくらいの場所にあるので俐玖は直接顔を出した。
「脩、一回休憩しようって、瀬川さんが」
「了解。単純作業だから、ちょうど飽きてきたところ」
少しおどけたように脩は言った。俐玖は彼にもそう言うところがあるんだな、と笑った。
先日恋人同士となった二人だが、職場では今まで通りの態度を崩さないようにしていた。俐玖はもともと公私で性格が分かれているようなものだし、脩は基本的に、いつもこんな感じでフラットだ。
「知っていたが、怪異案件ってこんなに起きてるんだな……」
脩がしみじみと言った。資料を残しておけないので、二人で運ぶ。データ化されていない資料は、一応、一覧化はされており、どこ書庫のどの場所に納められているのかは確認できる。おおよその分類はされているので、参考になりそうな案件があれば書庫まで確認しに行っていた。
「嫌ではないが、手間だよな」
「それはわかる。私も本は紙派だけど、気軽に検索をかけられないと言うのがね……あと、達筆で読めない」
俐玖がむくれると、「君はそう言うのもあるよな」と苦笑した。これはドイツ生まれとかそう言うのは関係なく、読めないのだ。だって俐玖は古文書は読める。
脩は一旦資料の入ったケースをおろし、事務所の扉を開けてくれた。先に俐玖を通してくれる。俐玖は代わりに扉を押さえようと振り返ったが、脩はうまく体を滑り込ませていた。
「……なんだ、その顔」
「いや、手助けはいらなかったんだな、と」
「なんかすまん」
謝りながらも、脩の顔は笑っていた。俐玖も引きずるほどのことではないので、おとなしく手を降ろす。
「俐玖さーん、向坂さん、コーヒー飲みます?」
給湯場所から麻美が声をかけてきた。飲む、と二人とも即答だ。どうやら、瀬川がコーヒーを淹れているらしい。彼にはこういうところがある。自分が飲みたいものを淹れるのに、人に入れてもらう必要はないとか、お茶を出すのが女性である必要がないとか、コンプライアンス的にまっとうなことを言う。いや、それが正しいのだが。
「あと、課長からの差し入れのプリンもあるぞ」
瀬川のところにコーヒーを受け取りに行くと、彼はさらっとそう言った。課長にも礼を言っておく。冷蔵庫からプリンを取り出した麻美は、「なめらかなやつだ!」と喜んでいる。彼女は格安プリンよりも、こうした濃厚なプリンが好きらしい。
「引っ越しって、大変ですねぇ」
空いている会議用のテーブルでプリンを食べながら麻美が言った。残念ながら、課長も含めてここにいるメンバーは全員、庁舎の引っ越しは初めてである。
「人事異動で自分がほかの部署に異動する、と言うのとはわけが違うからな」
瀬川もプリンをすくいながら言う。彼もいい年をしたおっさんではあるのだが、幸島とは違う意味で若者に溶け込んでいる。
「人事異動で異動しても、自分の身が動くだけで書類とかはそこに置いたままですもんね」
脩も苦笑気味に言った。なお、彼を含め、俐玖や麻美も、入庁してから異動したことはない。俐玖と麻美はそろそろ怪しいが。
「個人情報とか、重要書類が多いですからね。紛失した、と言うわけにはいきませんしね」
引っ越しの途中で紛失した、などとなったら目も当てられない。すぐに動かさないにしても、目録は必要だし、バックアップデータが必要になってくるのもわかる。
「作業するほうは大変ですけどね!」
地域生活課は現場に出ることが多い部署なので、基本的に事務屋で、事務所にお留守番になる麻美や瀬川の負担は大きいと思う。
できるだけ手伝いたいとは思っているが、なかなか難しいものがあるな、とプリンをほおばり顔を上げたとき、たまたま麻美の肩の向こうに窓が見えた。
「ん」
「どうしました?」
麻美が気づいて首を傾げた。
「麻美、そのまま窓の方を向いてみて」
窓から目をそらさず、俐玖は言った。素直な麻美はくるっと振り向き、窓の方を見た。
「……なんですか? なんかあるんですか!?」
「俺にも何も見えないが」
「俺もですよ」
瀬川も脩も窓の方を見たが、二人とも何も見えなかったようだ。
「お前、何を見たんだ」
瀬川が怪訝そうに言った。俐玖が瞬きしている間に消えたそれは。
「大量の手形」
「誰かが窓を触ったんじゃないか?」
冷静な突っ込みをしたのは脩だ。まあ、窓だ。そんなこともあり得るだろう。
「手形が赤くても?」
「ひぃっ!」
麻美が悲鳴を上げた。その悲鳴に反応して、千草や鹿野もこちらを見た。話は聞こえていたらしく、二人も窓の方を見た。鹿野は何も見えなかったようだが。
「まあ、これだけ庁舎内が騒がしければ、何かが起きてくるかもしれないわねぇ」
「何がですか!」
麻美がまたも悲鳴を上げる。百点満点の反応だと思う。麻美も三年目であるが、この反応ができるのがすごい。元の性格もあるだろうが、脩などは慣れ喫して待っている反応だ。
「まあ、いろんなものが? よほどのものじゃない限り、害はないわよ」
千草は泰然として言った。麻美が怖がっている時点で害があるとは言えなくもないが、他部署から要請がない限り、動くほどのことではないと俐玖も思う。
「一応、窓を確認しておきます」
そう言って、俐玖は大きな窓を開けた。窓の向こうは、一応ベランダにもならない小さな足場があり、俐玖はそこに立って外から窓を見てみた。
「落ちるなよ」
脩がはらはらした様子で俐玖に声をかける。鹿野が立ち上がると、脩の隣に立った。二人そろって見守り体制である。足場になる部分が狭いので、体格のいい男性である二人は外に出られないのだ。
「窓は普通ですね」
「そりゃそうだな」
瀬川があきれたようにツッコみを入れる。一応確認してみたが、何か仕掛けがあると言うこともなさそうだ。つまり、赤い手形は怪奇現象か、もしくは俐玖の見間違いと言うことになる。
「俐玖さんの見間違い説を推したいけど、たぶん、違いますね……」
麻美がうなだれて言った。その微妙な信頼はなんなのだろう。
確認を終えた俐玖は、部屋の中に飛び降りた。降りてから、脩が手を差し出しているのに気づいた。
「……えっと?」
「いや……手助けはいらなかったんだなと思って」
どこかで聞いたようなやり取りだ。俐玖は、コピー室から戻ってきた時の脩の心情も、こんな感じだったのかな、と思った。なんというか、気づかなかったのでちょっと申し訳ない。
「害はないんだから、ほっときなさい。どうせ日下部には見えないんだし」
「そうですけど!」
千草がさらりと言った。麻美は勘が鋭いが霊感が強いわけではないのだ。おそらく、宗志郎よりは視えるだろうが、方向性を示さなければ認識できないだろう。なので、ないのと同じだ。
「ほら、お前ら、休憩終わり。続きするぞ」
「はぁい」
瀬川に促され、麻美が間延びした返事をする。作業に戻る前に、俐玖は脩にスキャンの作業を代わるかと尋ねた。スキャン作業は地味に大変なのだ。
「いや、いい。資料重いし。ただ、ぼんやりやってるから中身のチェックは頼む」
単調な作業なのでぼんやりするのはわかるが。
「それ、瀬川さんに言わないと」
内容チェックをしているのは瀬川だった。
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