【Case:16 遺跡】3
役所へ戻ったところで通訳を頼まれ、それに対応している間に定時になった。自分の仕事が何も進んでいない……。急ぎのものはないが、積まれていると気になるものである。
それを片付けだしたとき、夏木が顔を出した。
「鞆江、いるわね」
「夏木さん?」
「行くわよ」
夏木が俐玖の腕をつかんだ。強引に連れて行かれそうになるが、同僚たちが相手が夏木なので笑って「行ってらっしゃい」と言っているだけだ。
「どこに行くんですか?」
尋ねたのは麻美だった。夏木が「あんたも行く?」と尋ねると、麻美は嬉々として準備をし始めた。俐玖もあきらめて帰宅準備に入る。
夏木は俐玖と麻美を連れて職員玄関を出ると、さらに二人と合流した。
「俐玖、お疲れ様~。麻美ちゃんも」
「芹香?」
芹香と蔵前だった。芹香はにこにこと手を振っているが、蔵前は沈んだ暗い表情で、いつも明るい……と言うより自信が前に出た表情の彼女には珍しい状態だ。
「音無も蔵前もお疲れ。ちゃんと鞆江を連れてきたよ」
日下部はおまけ、と夏木は笑う。麻美は気にした風もなく「おまけです!」と明るく言った。
「急にごめんねー。俐玖に連絡したんだけど、現場に行ってるって言われて」
スマホに連絡しても既読にならないし、と言われてスマホを見ると、確かに無料メッセージアプリに連絡が入っていた。
「ごめん」
「いいんだけどね」
と俐玖は芹香に肩をすくめて見せた。彼女の急な思い付きに振り回されるのにはなれている。たいてい、許容範囲だし、急に俐玖のアパートに突撃お泊りに来るよりはましだ。
夏木が四人を連れて行ったのは、役所の近くのイタリアンレストランだった。カジュアルなレストランだが、内装がおしゃれなので女子会によく使われる。
「まあ、そんなわけで、お疲れ様」
グラスを持って夏木が音頭を取る。芹香と麻美が「かんぱーい!」と明るく言う。俐玖も一応乗ったが。
「ほら、言いたいことがあるんでしょ」
食事が始まる前に芹香が蔵前を小突き、発言を促す。五人いるので、芹香と蔵前が並び、俐玖と麻美、夏木が並んでいる。夏木の前は空席だ。
蔵前はためらうような様子を見せた後、居住まいを正して頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました!」
割と大きな声だったので、周囲の客たちがこちらを振り向いた。芹香と夏木が「すみません」とぺこりと謝った。美女二人に愛想よくされ、客たちはあいまいに笑って視線をそらした。
「ええっと、ごめん、蔵前さん。何のこと?」
本気でわからなくて俐玖が尋ねると、夏木が「あれでしょ」と口を開いた。
「ほら、昼頃、モラハラのおっさんに絡まれてたじゃない」
「ああ……」
思い出して、俐玖はうなずいた。そう言えばそうだ。そのあとに父に連れまわされたため、すっかり忘れていた。
「ああ、あのおっさん。夏木さんと俐玖さんが間に入ったやつですね」
麻美も途中まで見ていたので思いあたったようだ。芹香が「女の子が困ってるところに助けに入るの、すごぉく夏木さんと俐玖っぽいですよね」と言った。
「まあ、実際に納めてくれたのは鞆江のお父さんだけどね」
肩をすくめサクッと夏木が言った。それで思い出したように蔵前は「あっ」と声を上げて俐玖に向かって言った。
「その、お父様にもお礼……」
「伝えておくよ。まあ、父も気にしてないと思うけどね」
入庁したばかりの時とは打って変わったしおらしい蔵前の態度に少々戸惑いつつ、俐玖はうなずいて見せた。伝言くらいなら問題ない。
「ま、蔵前も何の話してたか知らないけど、ああいう高圧的なおっさんはたまにいるから気を付けるのね。すぐに人を呼んだ方がいいわ」
夏木のさばけてはいるがどこかあきれた口調にも、蔵前はしおらしく「はい……」とうなずいた。どうやら本気で堪えているらしい。
「若い女ってだけでなめられるのよね~」
「失礼な話よね。女だって男と同じくらい仕事もできるっつーの」
「だからと言って夏木さんは喧嘩腰になるの、やめましょうよ」
「あんただって愛想がないでしょ」
「あたしはお二人が怖いんですけど」
麻美にジト目で言われ、夏木と俐玖は顔を見合わせた。とても心外である。
「でも、鞆江はただでさえ外見が外国人じみてるんだから、愛想は大事でしょうよ」
「私割と日本的な顔立ちだと思うんですけど……それに、外見は若い女である、と言うのと同じくらい、自分ではどうにもならないじゃないですか」
外国人的だとはあまり言われない。ぱっと見の雰囲気がヨーロッパ系に見られることはあるので、全くないとは言い切れないのだが。だが、それもどうしようもない話だ。俐玖は日本国籍の日本人である。ドイツ生まれのドイツ育ちではあるが。
「鞆江さん、ハーフなんですか?」
突然問われて、俐玖は蔵前の方を見た。俐玖の母がいわゆるハーフなのを知っている面子ばかりなのでうっかりしていたが、蔵前は知らないのだ。
「正確に言うと、母がいわゆるハーフにあたるかな。父は見ての通り、純粋な日本人だし」
「じゃあ、クォーター……」
どおりで英語が得意なわけですね、とむすりとして蔵前は言った。春先、入庁したばかりのころに語学力の差で俐玖と夏木にコテンパンに自尊心を折られていることを忘れてはいないらしい。
「と、言うより、鞆江の場合は育った環境の差よね。帰国子女だし」
「それは聞いたことがあります」
何度か自称・英語が堪能な蔵前の後を引き継ぐ形で通訳に入ったことがあるが、その時に「鞆江さんは帰国子女だからね」的なことを言われたことがあるようだ。
「育ったと言っても、子供のころですし、夏木さんは留学していたとはいえ、英語が堪能じゃないですか」
夏木は日本生まれの日本育ち、しかも、本人曰く、ド田舎の出身らしい。それでも夏木はアメリカで全英語の授業に困らないくらいの英語力がある。
「それでも私はネイティブじゃないなって思うのよね」
もう一回留学してこようかしら、と言う夏木は向上心が高い。
「私も別に、ネイティブではないですよ」
「俐玖はドイツ語が母語だものね~」
お酒が入って少し陽気になってきた芹香がふわふわと言った。気づいた蔵前が「大丈夫ですか?」と少し引き気味に芹香に尋ねた。
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
「大丈夫じゃなさそうなんですけど……」
「言動がふわふわしてる割に意識ははっきりしてるから、大丈夫だよ」
怪訝そうな蔵前に、俐玖はそう言ってメニューを手に取る。もう一杯くらい飲みたい。
「俐玖さん、あたしも!」
「麻美はノンアルコールにしておきなよ」
「えー」
麻美は膨れながらもノンアルコールカクテルの一覧からドリンクを選んでいる。麻美もおそらく、それなりに飲める方だが、飲み慣れない間は注意した方がいいだろう。ついでに言うなら、まだ週のど真ん中だ。
蔵前がおとなしく夏木の助言を聞いているので、特に問題なく夕食会、ならぬ女子会は進んだのだが、デザートを頼んだ頃に芹香がぶっこんで来た。
「そう言えば俐玖。向坂君とはどうなってるの?」
さすがに驚き、飲んでいた紅茶が気管に入ってむせた。えっ、と夏木と蔵前には驚きの声を上げ、麻美は楽しそうな声を上げた。
「えっと、それは言う必要ある?」
「ある!」
「どうして?」
「私が聞きたいから!」
ほかにある? と言わんばかりに芹香に言われて、俐玖はため息をついた。この酔っ払い。
「えー、あたしは結構推せるカップルですね。美男美女ですし」
大丈夫、行けます! と何のことかわからない太鼓判を押す麻美に、俐玖は苦笑した。蔵前は複雑そうだ。春の出来事からして、蔵前は脩のようなタイプが好みなのだと思う。しかし、その脩に一喝され、以来苦手意識があるようでもある。まあ、今回のことには関係ないけれど。
「と言うか、素朴な疑問なんだけど、鞆江って誰かと付き合ったこととか、あるの?」
そう尋ねる夏木は、今は恋人はいないが一年ほど前にはいたらしい。振られたのだそうだ。夏木を振るとは、視る眼のない人だと思う。
「……ありませんけど」
俐玖の返事を聞いて、夏木は「でしょうね」とうなずいた。蔵前もなんだか「ああ……」と言う目で俐玖を見る。悪かったな。
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