【Case:15 結婚】3
ちょっとしたハプニングはあったものの、おおむね幸せな結婚式を見てきた俐玖であるが、今の彼女は誰も幸せになれないであろう結婚に直面していた。
「うーん、アメリカでこんなものに遭遇するとはねぇ」
「冥婚って東アジア周辺の文化だと思ってた」
「うん。俐玖の認識で間違ってないよ」
うんうん頷いて同意を示しているのは、俐玖の父の晴樹である。俐玖は姉の結婚式に参列した後、両親とともにアメリカ国内を旅行しているのだ。そして、とある州の都市で冥婚と呼ばれる文化に遭遇した。
といっても、俐玖たちは当事者ではない。少し離れたオープンカフェで、冥婚に巻き込まれてしまった哀れな旅行客を見守っているのだ。
「晴樹も俐玖も、物知りねぇ」
おっとりと言ったのは母のアンドレアだ。栗毛に青灰色の瞳をした、ヨーロッパ系の顔立ちの女性である。俐玖と恵那の姉妹がクォーターなのだから、もちろん母は、いわゆるハーフだった。
父の晴樹は考古学者であるし、俐玖は自然科学史を専門に勉強していたのでこういった文化的な背景に明るいが、母のアンドレアはピアニストだ。普段は近所でピアノ教室を開いている。まったく関りのなさそうな父と母だが、母が日本に語学留学中に父に一目ぼれしたらしいので世の中わからないものだ。
俐玖と晴樹の視線の先では若いヨーロッパ系の男性が中年の男女に熱心に話をされていた。話を聞くに、中年の男女(どうやら夫婦らしい)の開いていた個展で飾られていた絵画の女性に、若い男性は恋をしたらしい。この絵画の女性は中年の夫婦の若くして亡くなった娘で、せめて結婚してほしいと考え、そこで冥婚という文化を知ったようだ。
そして今、若い男性の恋人の女性が割って入ってきて、もはや修羅場である。そのせいで、みんな遠巻きにしているのだ。
「死んだ人と結婚しても、結婚生活も送れないのにねぇ」
ここはアメリカで、会話が日本語であるとはいえ、アンドレアの言うことは結構きわどい。しかし、心理をついている。
「死んだ際の未練を解消するための俗習だからね」
死んだ後、と言うことではないのだ、と晴樹は言いたいらしい。俐玖は少しぬるくなったカフェオレを飲んだ。
「私はコッペリアみたいだな、って思ったけど」
「コッペリアって、バレエの?」
そうよ、とアンドレア。アンドレアはピアニストであるので、クラシックにそこそこ詳しい。俐玖は小さいころにバレエをかじったことがあるので、有名どころは知っていた。
「あれって人形に男の子が恋をする話でしょ。男の子には村娘の恋人がいるわよね」
むしろ、その村娘の方がコッペリアの主人公である。コッペリアは人形の名前なのに。
それはともかく、アンドレアの言いたいこともわかった。今冥婚に巻き込まれている男性は、絵画の女性に恋をした。この状況が人形のコッペリアに恋をした、という状況に似て見えるのだろう。
「似たような話はどこにでもあるってことだね。ところで俐玖、あのご夫婦の描いた絵には魅了のような力がこもっていたのかな」
「見ていないからわからないけれど、その可能性はあるね」
何事もなかったかのように晴樹が娘との会話を再開したため、アンドレアは怒って「もう!」と頬を膨らませた。もういい年なのだが、そう言う振る舞いが許されるような可愛らしさのある人だ。
コッペリアではないが、かつて人形に魂を宿らせようと、人形自体に術をかけ、魅了された人物の魂を奪い取ろうとした事案がある。日本で起こったことではないし、少し前の話なので俐玖は直接は知らないが、レポートで読んだことがあった。
今回の件とは少し様相が違うような気もするが、似たようなことをしている可能性はある。男性は恋人の女性の言葉にも耳を貸していないようだからだ。
遠巻きにしていた人たちも、さすがに気になるのか様子を見守るような姿勢を見せ始めた。俐玖は父と顔を見合わせる。
「俐玖」
「うん……」
確かに、男性の方が魅了されていのだとしたら、おそらく俐玖には解除できる。俐玖は霊的能力はそれほど高くないが、暗示ができる。暗示ができると言うことは、それを解除することもできるわけで、今回の場合はそれの応用だ。
このままでは男性は、本当に冥婚させられかねない。恋人の女性の悲鳴が、失礼だが、耳障りだ。俐玖は身の回りをごそごそとあさり、おもむろに防犯ブザーを取り出した。紐を思い切り引く。
ピーッ、とけたたましい電子音が鳴り響いた。日本で買った安物であるが、かなり音ができる。高い音で、大変耳障りだ。
「Sorry」
しれっと周囲に謝り、操作を間違えたのだ、と言う調子で防犯ブザーの音をとめ、片付けた。周囲は眉を顰めつつも、注意は俐玖の方に逸れていた。冥婚の夫婦もこちらを見ている。
その間に、恋人の女性が男性を引っ張って立たせ、連れて行く。
「Thank you!」
女性は俐玖がわざとやったとわかったらしい。通り過ぎざまに俐玖に礼を言って慌ててその場を離れていった。まあ、男性が魅了にかかっていたとしても、時間が経てばとけるだろうと考えてそのまま見送る。
「うーん、俐玖。お前は思い切りがいいところがあるよね」
母さんと一緒だ、と笑う晴樹に、アンドレアはなぜか「まあ」と嬉しそうに笑う。俐玖は無表情で、今度はこちらに向かってののしる夫婦の声を聞いていた。
『何をしている!』
だが、それも長くは続かなかった。どうやら俐玖の防犯ブザーの音を聞きつけたらしい警察官がほどなく駆けつけてきたのだ。旅行客らしい若い女性に悪態をついているという点で、警察は夫婦の方をとがめた。
「こういう仕事もしてくれるんだね」
「お前、怒られるよ」
少しあきれて晴樹に言われた。夫婦が逃げるように去っていき、俐玖は間違えて防犯ブザーを鳴らしてしまったのだ、と説明した。
『お嬢さん、英語が上手だね! よい旅を!』
警察官の男性にサムズアップされた。俐玖はかろうじて『ありがとう』と返したが、少し驚いていた。
「なんというか、俐玖は対処の方法に慣れてるわね?」
「そうかな」
アンドレアにしみじみと言われるが、俐玖はそんなつもりはない。
「私はどちらかと言うと、俐玖は晴樹さんに似ていると思うのよね~」
「そうかな?」
晴樹が小首をかしげる。俐玖自身の認識もどちらかと言うと父に似ている、というものだが、両親のどちらに似ていても別にいいのでは、とも思う。
『ねえ! ちょっと待って!』
女性のそんな声が聞こえたが、自分が呼び止められているとは思わず、俐玖はスルーした。だが。
『待ってってば! もしかして、言葉がわからない?』
がしっと俐玖は肩をつかまれた。びくっとしてみると、声をかけてきたのは先ほどの騒ぎのときの、彼女さんの方だった。俐玖より背の高い女性で、濃いめの金髪をしている。
『……いいえ。わかるわ』
英語で返すと、女性は明らかにほっとした様子を見せた。
『よかった。さっきは本当にありがとう』
俐玖は少し困ったような表情をしたが、『どういたしまして』と返した。少し気をそらすことができればいいな、と思っただけなのだが。
女性はエラと名乗った。男性の方はヘンリーと言うそうだ。二人は無事にあの場を離れることができたが、ヘンリーはまだおかしいのだ、とエラは言う。
『ずーっとあの絵の話をするの。確かにいい絵だとは、私も思ったけど』
俐玖は晴樹と顔を見合わせた。どうやら、本当に魅了の術でもかかっているらしい。ここまできて半信半疑だったのだが。
どうしても言動がおかしくて、カウンセラーにでも連れて行くしかないのだろうか、と思ったようだが、そこに俐玖たちを見かけて声をかけてみたそうだ。
『あの時、うまく対処してくれたでしょう? もしかして、こういう知識があるんじゃないかと思って』
よい洞察力であるが、巻き込まれたなぁと思ってしまった。思わず父を見る。
「私は専門外だね」
と日本語で言われ、手でバツを作られた。確かに、父は情報を収集するような能力はあるだろうが、こういったことに対処する能力はないと思われた。専門外だ。潜在能力的な意味では、母の方がまだ可能性がある気がする。
とにかく、ヘンリーに会いに行くことにした。ちなみに、ヘンリーの女性名はヘンリエッタで、ヘンリエッタはヘンリエッテの英語読みである。つまり、俐玖とヘンリーは同じ名前の持ち主だった。
さて、そんなわけで顔を合わせたヘンリーは、絵がどれだけ素晴らしいか語って聞かせてくれた。適当に相槌を打ちながら、俐玖はエラに尋ねた。
『そんなにいい絵だった?』
『……まあ、きれいな絵だったわよ。写実的で、そこに本当に人がいるみたいだったし……血が通っている、というか』
エラの言葉に、俐玖は『へえ』とうなずきつつ、その絵も調べた方がいい気がしたが、先ほどの騒動ですでに処分されているかもしれない。どちらにしろ、ここはアメリカ。俐玖の領分ではない。
ひとまず、俐玖は一番簡単な暗示の解除方法を試してみた。すなわち、ヘンリーの目の前で柏手を打った。しかし、効果はない。
『ダメか』
『えっ、ダメ?』
『もう一つ試してみよう』
俐玖はそう言ってメモ用紙とペンを取り出した。英語で文字を書いていく。最後にヘンリーの名を書いた。
『何をするの?』
さすがに不安そうにエラが尋ねたが、俐玖は答えなかった。文字を書いたメモ用紙を指先で押さえる。それからラテン語で述べた。
『それは投げかける。私が人間にすぎぬことを思い知らせたもの』
ペンでメモ用紙に対角線を引いた。俐玖にも多少影響があったが、手ごたえはあった。
『俺、何話してた?』
つらつらと絵のすばらしさを述べていたヘンリーが目をしばたたかせていった。エラが歓声を上げる。
『エッタ! ありがとう!』
『どういたしまして』
あまりにもエラが喜ぶので、俐玖は苦笑気味だ。様子を見ていた晴樹が声をかけてくる。
「どうやったんだ? 最初は失敗していたな?」
「どう、といっても」
どちらにしろ、父にはできないか、と思いつつ問われたのと同じ日本語で答える。
「ヘンリーが私と同じ名前だったからね。暗示を解除するのがうまくいかなかったから、私の名前を基軸に意識を引っ張り戻した、と言う感じかな」
まあまあの荒業だったが、うまくいってよかった。道具あればほかの方法も取れたのだが、今は旅行中の身の上である。
『本当にありがとう。私、あなたにどんなお礼をすればいいかしら』
喜んだエラが弾んだ声で言うが、俐玖は『別にいいよ』と断ろうとする。だが、エラは押しが強かった。
『いいえ。それでは気が済まないわ。観光に来ているのよね。街を案内しましょうか』
可愛い雑貨の店とか、とエラはぐいぐい来る。俐玖は小首をかしげて少し考え。
『なら、ご飯のおいしいお店を教えて。ディナーを食べに行くわ』
レストランでもパブのようなところでもよい。そう言うと、エラは『任せて』と請け負った。ちなみに、ここまで恋人のヘンリーは放置気味である。
『一緒に行きましょう。ごちそうするわ』
『教えてくれれば一人で行くよ』
俐玖は両親と観光中だが、たまには両親も二人きりがよいだろう。少なくとも俐玖が見る限りまだラブラブな二人である。
『ダメよ。エッタみたいなかわいい子が一人でいたら、すぐに変なのに捕まるわよ』
これは真剣に言われたので、実際にそう言うことがあるのだろう。アメリカは日本ほど治安が良くない。
結局、その日は俐玖はエラとヘンリーとともにパブに出かけた。両親は二人でレストランに行った。デートだわ、とアンドレアは嬉しそうだった。
俐玖は俐玖で結局楽しかった。エラは親切で、いいお土産も教えてくれたし、ヘンリーはエラに振り回されていた。ちなみに、魅了の暗示にかかっていた間のことはあまり覚えていないらしい。
その後も、某テーマパークに行ってみたり、父と共に遺跡に行ってみたりした。十日ほどアメリカを満喫し、日本へ帰国した。お土産を入れるためにキャリーバッグを追加で買うことになったが……。
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