【Case:14 山奥の神社】8
しばらく沈黙が続いた。俐玖は開けられた宮の扉から外を眺めていた。脩は扉から足を外に出して同じく外を眺めている。俐玖は足を引き寄せて抱え込んだ。
「あ、もうすぐ止みそうだな」
脩がそう言うので俐玖も空を見ると、少し明るくなってきていた。確かに、もう少しで止みそうだ。
「ある程度止んだら下山しよう。そのままだと風邪をひく」
「うん」
足元は悪いが、俐玖と脩なら小雨でも下山できるだろう。もともと、装備が必要なほど高い山ではないのだ。
「あ、止みそう」
振り方も小雨になってきたのを見て、俐玖は立ち上がった。脩も「そうだな」と言って立ちあがる。ここにいては連絡も入れられない。スマホは相変わらず圏外なのだ。
外に出ようとした時だ。突然、襟首を後ろからつかまれて引っ張られたような感覚がした。体が後ろにかしぐ。
「えっ」
「俐玖!」
ここには俐玖と脩の二人っきりだ。そして、脩は俐玖の視界に入っている。なら、俐玖を後ろから引っ張ったのは誰だ。
「ひっ……!」
思い至ったとたんに恐怖を覚え、ひきつった悲鳴が漏れる。背中を床に打ち付けて、その衝撃で息が詰まる。ばたん、と開いていた引き戸が閉まる音がした。
「俐玖! 大丈夫か!?」
脩が倒れた俐玖の肩をつかんで引っ張り起こす。俐玖はまだ頭の中が混乱している自覚があり、言葉を発することができない。開閉する口が何も声を発しないのを見て、脩は俐玖を抱きしめた。背中をさする。
「びっくりしたな。大丈夫だ」
抱きしめられて、自分が震えていることを自覚した。しばらくそうしていると、落ち着いてくるのがわかった。震えがおさまったことに脩も気づいたのだろう。体を離して、しかし肩に手を置いたまま顔をのぞき込んでくる。
「落ち着いたか?」
「うん。ありがとう」
ゆっくり息を吐いて、無理やり落ち着く。
「一応聞くが、足を滑らせたわけではないよな」
「まさか。後ろから引っ張られたんだよ。ちなみに、扉は脩が閉めたわけではないんだよね?」
「あたりまえだろ」
わかり切ったことである。俐玖は自分で転んだくらいで悲鳴を上げないし、扉が閉まった時脩は俐玖の方を向いていて、扉に背を向けていた。
引き戸が閉められると、小さな窓が高いところにあるだけの宮の中は採光性が低い。それもあって、戸を開けっぱなしにしていたのだ。俐玖と脩は肩を寄せ合って周囲を懐中電灯で照らす。俐玖はホルスターから拳銃を取り出すと、安全装置を外した。
「今、俺たちはどういう状況なんだろうか」
「うーん……位相のずれた空間の、さらに隔絶された空間に閉じ込められている……?」
「まんまだな」
一応、引き戸が開かないか確認し、他にも開けられるところがないか探したが見つからない。本格的に閉じ込められたと思われた。
「……」
懐中電灯のほの明るい中で顔を見合わせた、その時。
がらり、と引き戸が開き、俐玖は脩の肩を押して壁際による。懐中電灯の光が漏れないように、俐玖は電気を消した。中には若い男女が入ってきた。今風ではない格好をしているが、身なりはよかった。
ぼそぼそと話す内容を聞くに、どうやら駆け落ちしてきたようだ。これからのことを相談しているようにも見える。
しばらく身を隠し、外に出た二人だが、どうもすぐに追手に捕まったのだろうという声が聞こえてきた。
間を置かずに、乱暴に引き戸が開き、今度は武者姿の男たちがぞろぞろと入ってきた。おそらく、落ち武者の集団なのだと思う。皆汚れた鎧を着ていた。
十人にも満たない集団で、しばらくどう反撃するかなどを話し合っていたが、突然、宮の戸が開いた。わっとなだれ込んできた武士たちが、先に入ってきた落ち武者たちを切り殺していく。血しぶきが舞う。
銃声が響いた。
はっと俐玖の意識はそちらをむいた。ぱちぱちと瞬くと目の前の光景は消えていた。ただの広い堂の中である。振り向くと、脩が天井に向けていた銃を降ろすところだった。
「気が付いたか?」
たたいても気づかなかったから、焦った、と脩は苦笑気味に言って俐玖に銃を返した。俐玖のものだったらしい。それはそうか。
「……ついた。ありがとう」
「ああ」
安心したように脩はうなずいたが、俐玖は冷や汗がひどい。ウインドブレーカーの中で熱気がこもり、暑いのでファスナーを降ろす。
「俐玖!」
鋭く名を呼ばれてびくっとしたが、そうだ。雨に濡れて中のシャツを脱いでしまったのだった。キャミソールも着ていないので、ほぼ下着姿だ。これはだめだと何事もなかったかのようにファスナーを戻す。
「急に動かなくなったから驚いた。大丈夫か?」
「うん……過去の光景を幻視したのだと思う。脩は見えなかった?」
「全然」
どうやら俐玖だけに見えていたようだ。そもそも、脩はこうした怪異の影響を受けにくいのだった。
外を見ると、すっかり晴れていた。足元はぬかるんでいるが、下山できるだろう。話しながら下山することにした。
「駆け落ちしたけど捕まったカップルと、戦に負けて逃げてきた落ち武者を見た。ちなみに、落ち武者も追手に殺されていた」
過去のことだとわかっているから怖くはないが、いい気分はしない。震えた俐玖の手を、先行する脩が軽くたたいた。
「あまり気にしすぎるな」
「わかっている。ありがとう」
そこはわきまえているので、しばらく経てば消化できると思う。
「あの宮は、求めているものがたどり着けるのだと思う」
そこに善悪は介在していない。ただ求めるものの前に現れる。だから、駆け落ちして逃げ場を求めた男女の前にも現れたし、落ち武者の前にも現れた。おそらく、逃げている指名手配犯の前などにも現れるのではないだろうか。
「いいものでもなければ、悪いものでもない、ということか。中庸ってことか?」
「そうともとれるね。私はシステム的だと思ったけど」
「確かに」
話している間に下山した。ふもとに降りた後に、脩が思い出したように言う。
「俺、君の銃撃ってしまったんだが」
「あ、そうだね。内緒と言うことで」
銃の発砲許可を持っていたのは俐玖だ。俐玖を正気に戻すために、空へ向けてとはいえ、脩が銃を撃っている。始末書ものだ。……始末書で済むのかわからないが。
民宿に戻ると、さすがに心配されていた。
「遅かったな。雨が降ってきたから、滑落でもしたのかと思ったが」
さらっと毒舌であるが、心配されているのがわかる口調で宗志郎が尋ねてきた。二人とも雨や汗でぐっしょり濡れていたので心配されるのもわかる。
「滑落はしませんでしたけど、降られました」
「みたいだな。話はあとで聞くから、二人ともシャワー浴びてこい」
はーい、と返事をしながら二人は部屋にシャワーを浴びに行く。髪まで乾かしていったので、脩より俐玖の方が後だった。脩があらかたの説明をしてくれたので、俐玖は補足だけになる。
「一種のトランス状態だったんだと思うが、何を見たんだ?」
「駆け落ちするカップルと落ち武者」
「端的すぎる」
宗志郎につっこまれ、さすがに説明が足りないのはわかっているので簡単に見たことを話した。と言っても、脩に説明したのと同じ程度だ。おなかがすいたので、脩が渡してくれたおにぎりとインスタントの味噌汁を受け取る。
「聞いた感じ、過去の情景を見ているようだな。落ち武者と言うことは、戦国時代のころから存在するのか……」
五百年程度前から、少なくとも存在すると言うことだ。集落に残っていた伝説は江戸時代ごろにまとめられたものなので、それ以前から口伝などで伝わっていたこともあるのかもしれない。
「話は戻るが、お前たちはたどり着けたんだな」
そうだ。俐玖が到着する前にチャレンジした三人は、誰もたどり着けなかったのだった。脩が苦笑する。
「多分、俺たちも急に雨に降られたからたどり着けたんだと思います」
あの時、雨をしのげる場所を探していて、だからたどり着くことができた。そうでなくては、俐玖と言えどたどり着けなかっただろう。
「脩は中庸だと言ったけれど、私は非常にシステム的、機能的だと思った。求める相手には、開かれる。だが、その求めた相手には配慮しない」
ただ場所を提供するだけ。隠れたいとか、逃げたいとか、そう言った機微については感知しない。だから、駆け落ちも見つかっているし、落ち武者も追手に追いつかれている。
「中庸にシステム的か……どちらも的を射ている気がするな」
まとめた資料を確認しながら、宗志郎は言った。
「結論は鹿野が戻ってきてから出すが、これはそのままにしておいていいと思うか?」
「というか、しておくしかないと思う」
「排除が困難と言う意味では、俺も同じ意見ですね」
実際に現場にたどり着いた俐玖と脩は同じ意見だった。何かを神として祀っているのも確かだし、その権能的に排除が難しいのだ。求めるものにしか開かれないその存在。排除するにも、たどり着けない。
「あのお宮自体に害はないんだよ。せいぜい、近づかないようにする、とかの対処療法を行うしかないんじゃないかな」
「そのための口伝ですよ」
「お前ら、投げやりすぎないか」
しれっと放置しようとする俐玖と脩に、宗志郎はそうツッコんだが、接触したのはこの二人だ。意見をむげにすることはないだろう。
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