【Case:13 占い師】9
本人が言ったように、拓夢は市役所に出入りしなければ蔵前に会うことはない。だが、芹香はそうはいかないし、芹香ほどではないが俐玖も被害を受けている。また、芹香と俐玖が受けている仕打ちは、正確には違うものだ。
同じ課であるからかまだ遠回しに嫌味を言われている芹香に対し、俐玖には直球だ。そもそも、俐玖は用がある時しか窓口に行かないので、遭遇率が低い。
「まあ、音無も気の毒な話よね」
山狩りに駆り出されていたところを帰ってきた俐玖を捕まえてそんなことをのたまったのは夏木だった。彼女も、蔵前に何かと突っかかられるらしい。
「まあ、私はいいのよ。もともと、やっかまれるタイプだし」
「よくはないと思いますけど」
夏木のさばさばした性格は敵を作りやすい。慣れれば面倒見の良い姉御肌で頼りにしてしまうのだが、初見ではきつい物言いが反感を買うこともあるようだ。
「ああいうタイプは自分が被害者ぶることで相手を悪者に仕立てるのよね。音無には縁がなかったでしょうねぇ」
「そもそも、嫌われるタイプではありませんからね、芹香は」
「そう、いい子よねぇ」
苦笑気味の俐玖に、夏木も肩をすくめた。
「鞆江も気を付けるのよ。なんだかんだ言って、音無は大丈夫だと思うから、自分がメンタルやられないようにね」
どうやら、夏木はこれを言うために俐玖を引き留めたらしい。相変わらずのフライトジャケットを腕に引っ掛けたままの俐玖は小首をかしげた。
「夏木さん、本当に面倒見がいいですよね。私なんて同じ部署になったこともないのに」
市役所内の若手女性職員をまとめ上げているのが夏木なので、彼女が俐玖や芹香を気にするのはおかしな話ではないのだと思う。だが、よくやるなあ、面倒見がよすぎるなぁ、と言うのが俐玖の感想だ。
「感謝してるならそのうちあなたが代わりにやってちょうだい」
「それは芹香に頼んだ方がいいですね」
「違いないわ」
笑って夏木はそう言うと、俐玖に手を振って仕事に戻っていった。これから外に出るそうだ。俐玖は観光系の部署に配属されても、仕事ができない気がした。
俐玖が地域生活課に戻ると、すぐに脩に呼び止められた。
「俐玖」
脩が死んだような眼をしている。珍しいな、と思いながら「何?」と尋ねた。
「蔵前と遭遇した」
「おめでとう」
「おめでたくない……」
誰に対してもほとんど態度の変わらない脩にしては珍しい反応だ。彼は先にどんな情報を得ていようと、先入観を持って接する、と言うことはない。絶対にいじめなどに加担していないだろうな、という印象の人だ。
「思ったより、強烈だった。拓夢さんがどん引きするのもわかる」
そう語る脩は、先ほど窓口で明らかに困っている外国人の住民と遭遇したそうだ。職員から話を引き継いだのだが、その対応していた職員が蔵前だった。
「最初はにらまれたと思ったんだが……」
すぐに態度を変えてあざとい感じで話しかけられたらしい。私も困ってたんですけど、他に話せる人がいなくってぇ、的なことを言われたらしい。それを聞いてさすがの俐玖も鼻白んだ。
「何それ。本当に相手を見て態度を変えているんだね」
「俺も俐玖の話を聞いてたから、ちょっと身構えたんだが」
本当に男女で対応を変えているのだとしたら、逆にすごい。
やたらと好意的に話しかけられたらしく、振り切るのが大変だったらしい。いつぞやのALTのような状況だろうか、と俐玖は思った。
「確かに、蔵前さんの求める条件がそろってますよね、向坂さんって。高学歴で人当たりもよくてイケメンです」
さらりと言ったのは麻美だ。俐玖も「確かにハンサムだね」と苦笑する。脩の方に向き直ると、彼はなぜか驚いた顔をしていた。
「なんでびっくりしてるの」
「いや……俐玖は前に幸島さんの顔の方が好みだって言ってたから」
名前が出てきて幸島から「おい」とツッコみが入ったが、スルーした。
「私の好みと脩の顔が整っている、という客観的事実は別物でしょう」
「俐玖が論理的すぎるな」
事実を述べたのみだが、脩は苦笑してそう言った。俐玖の好みは関係なく、彼は端正な顔立ちをしていると思う。男前とはこういうことを言うのだろう、と思った。
「あたしも向坂さんを見てイケメンで頭よくて性格もいい人って存在するんだって思いました」
向坂もそう言うので脩は困惑、というより少し照れているように見えた。
「誰に対しても紳士的ですよね。蔵前さんにも見習ってほしいところです」
「実際のところ、誰に対しても同じ態度って言うのは難しいよね。蔵前さんほど露骨なのはどうかと思うけど」
先ほどは蔵前の態度を非難した俐玖だが、脩のように誰に対しても全く同じ態度を取れる方が珍しい。俐玖自身も相手によって多少態度が違う自覚がある。今回は、俐玖と脩の置かれた状況がほぼ同じだったため、態度の違いが余計に目についたのだと思う。
人は自分が取られた態度と同じような態度をその相手に返すと言う。好意的に接すれば好意的な態度が帰ってくるし、逆もまたしかり。そういうことだ。
「ま、俐玖さんの意見はともかく、向坂さんは気を付けた方がいいと思いますね。花森さんと違ってフリーですし、狙われますよ」
「狙われる、だろうか」
「たぶん……?」
麻美が首をかしげるのに合わせて脩も首を傾げた。なんかこの二人、ちょっとかわいい。
果たして、麻美の予言通りになった。部署は違えど同じ建物が職場だ。脩は蔵前とやたらと遭遇率が高い。脩に会う代わりに、蔵前は仕事が進まないし、だが芹香への被害は減っているらしい。
一方の脩は明らかに憔悴している。目が死んでいる。
「部署は遠いはずなのに、よく会うのはなぜだ」
「向坂さん、俐玖さんみたいになってますよ」
「麻美、それ、暴言だよね」
そんな感じで会話をするくらいには、地域生活課の事務所の中では平和だった。一週間くらいは。
「こんにちはぁ」
失礼します、とやってきたのは蔵前だった。それほど部署間のやり取りがあるわけではないが、どうしても同じ庁舎内にいる限り、何らかの交流は発生するものである。その声を聞いてすぐ、俐玖は立ち上がって可動棚の方へ向かった。すでにそこには先客の千草がいた。
「何してるんですか?」
「様子を見てる」
明らかに棚の陰に隠れていたので問いかけると、千草はさらりとそう答えた。俐玖は困惑して「そうですか」とだけ答えて、必要な書類を探すふりをした。蔵前には麻美が対応している。
「お疲れ様です。どうしました?」
「誰に渡せばいいかわからないんだけど、書類を預かってきました」
作ったような甘さのある声で蔵前は手に持った書類を差し出す。礼を言って受け取ろうとする麻美に、「あなたにわかるかわからないけど……」と言っている。高卒の麻美をあてこすっているのだな、と言うことは俐玖にもわかった。
「あはは。わからなくても、全員に聞けば誰かがわかりますから大丈夫ですよ」
「聞くたびに相手の仕事の手を止めるのじゃない?」
「間違えるよりはマシですよー」
麻美の対応力がすごい。さらっと受け流している麻美が大人だ。俐玖は太めの用例集を手に取った。そろそろ蔵前も帰るかと思い、席に戻る。蔵前の目当てであろう脩が不在なのだ。
そう思っていたのだが、たまたま脩が戻ってきた。宗志郎や下野とともに外に出ていたのだが、戻ってきたのだ。麻美があちゃあ、と言う顔になる。俐玖も一報入れておくべきだったか、とちょっと反省した。
「お疲れ様です!」
先ほどよりも高い声で朗らかに蔵前が挨拶をした。脩がびくっとしたのは見間違いではないと思う。
「ああ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
宗志郎と下野が我関せずとばかりに事務室の中に入ってくる。動揺を見せた脩もすぐにいつもの顔で笑って「お疲れ様」と言った。前の二人に続いて蔵前の前を通り過ぎようとしたが、阻まれている。
「向坂さんの仕事場がどんなのか気になって見に来ちゃいました。あ、ほんとは書類を持ってきたんですけど」
仕事をしているアピールも忘れない。大したものだ、と俐玖は思った。こうやって自分を演出しているのだろう。仕事はできるがたまにミスをする、くらいなら可愛いと思える。
「外に出てたんですか? 大変ですねぇ」
にこにこと蔵前が脩に話しかける。まったく帰る様子がない蔵前に、俐玖と麻美は目を見合わせた。肝の据わっている麻美が、明らかに困惑している。俐玖も肩をすくめた。自分が口をはさむとこじれることはわかっている。
「こういう部署もあるんですね。私、市役所に入って初めて知りました」
「ああ……俺もだな」
誰が相手でも態度が変わらない、と言われる脩も、さすがに歯切れの悪い返事だ。話しかけられる間、仕事が止まるのだ。たまにならいい。芹香なども話に来るし、麻美の同期が尋ねてくることだってある。私語をするなとは言わない。だが、脩はこの状況がすでに十日、毎日続いているのだ。
「あたしならキレるなぁ」
「いや、麻美はよくやってると思うよ」
ちゃっかり俐玖の席の隣に立って成り行きを見ている麻美が言った。慰めではなく、本気で麻美はよくやっていると思う。
そんな会話をする俐玖と麻美の目の前で、蔵前は脩にあれこれと話しかけている。あからさまだし、あざとすぎる。また事務所のドアが開いて、今度は会議に出ていた瀬川が戻ってきた。いぶかし気に状況を見て、おもむろに口を開いた。
「向坂、昨日の案件の資料なんだか、修正してほしいところがある」
「……あ、はい」
脩は何のことだ、と言う顔を一瞬したが、瀬川がこの状況を何とかしてくれるつもりなのだ、と気づいたらしく、すぐにうなずいた。
「すまない、蔵前さん。まだ仕事中だから」
聞きようによっては当てこすりのようにも聞こえるが、蔵前はそう盗らなかったらしい。
「ええー。じゃあ、今日の夜とか、お時間ありますか。もっとお話ししたいです」
「それは」
「向坂!」
瀬川がもう一度脩を呼んだ。その怒鳴り声に脩は「はい!」と返事をしたが、蔵前は一瞬震えた。すごすごと引き下がっていく。
「失礼しました」
小さな声でそう言うと、事務室を出て行く。その足音が聞こえなくなってから、麻美がぱちぱちと手をたたいた。つられて俐玖も拍手する。
「瀬川さん、すごい! 今までで一番尊敬します!」
「今までなんだと思ってたんだよ。向坂も、自分であしらえるようになれ」
「これで平日十日連続で、ネタ切れです。本当にありがとうございます」
深々と脩が瀬川に頭を下げた。瀬川は半笑いで「どういたしまして」とうなずいた。
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