【Case:13 占い師】8
脩があきらめて巻き込まれることになってくれたところで、芹香が話を始めた。
「大卒の新人の子で、蔵前さんって言うんだけど」
県内の私立大学、というか、白鷺学院大学の出身らしい。俐玖と芹香は、ここの付属高校の出身だ。そこそこ有名な大学を卒業し、成績も悪くなった。留学経験もある。しかし、学校と社会は違うのだ。
仕事ができないわけではないし、やはりそれなりに頭はいいし、愛想も悪くない。なので、最初はそんなに問題にならなかった。だが、しばらく一緒に仕事をしていると、なんとなく気づいてくる。
蔵前は何でも自分が最も優れていなければ気の済まない人だった。芹香がやんわりと間違いを指摘しても、「でも……」と反対意見を述べてくる。まあ、これくらいならよくある話だ。自分が納得できるまで質問を重ねる、と言う人はいる。
これまでの仕事のやり方を教えても独自の方法で処理する。留学していたからと英語でのやり取りに口をはさんでくる。やたらと人の外見の話をする……など、どれか一つなら大したことはないのだが、重なってくるといら立ってくる。それで、女性職員の一人がキレた。そんなに他者と比べて勝っていることがうれしいかと。
蔵前は女性受けはよくないが、男性受けはよかった。それが完全に悪いとは言わないが、態度があからさまに違うらしい。それでいて、自分より学歴の低い男性は見下しているのがわかるのだそうだ。
職場でキレた女性職員もよくなかったが、蔵前はその場で強く指摘されて泣き出したそうだ。すると、蔵前に好感を持っていた男性陣が蔵前をかばい、女性職員を責める。課長と部長は蔵前をかばうほどではないが、まだ新人なんだから、ととりなそうとする。それ以前の問題だ、とほかの女性陣も怒り、課は二分状態らしい。
「一応、私も後で蔵前さんに注意したんだけど……」
ここは職場で、プライベートな空間ではない。私語をするなとは言わないが、話す言葉は選ばなければならないし、女性職員に反省を述べるべきだった、と伝えたらしい。だが。
「皆さん、私は悪くないって言ってました」
あっけらかんとしてそう言ったらしい。さすがの芹香も唖然としたそうだ。
「もう……どうすればいいかわからなくて」
どう言葉を投げかけても相手に受け取るつもりがない。どうしようもないのだ。
「そいつ、芹香が美人で自分より学歴があって人望もあるから嫉妬してるんだろ」
拓夢があきれたように言った。俐玖もそう言えば麻美がそんなようなことを言っていた、と思い出す。
「SNSでにおわせ投稿とかもしてるって聞いたな。自分が一番いい女で、一番モテると思っていて、自分より上の女を引きずり降ろそうとする、だったかな」
「それ、言ったの日下部か?」
いやそうに尋ねた脩に「そう」とうなずく。あまり人を悪く言ったりしない脩もさすがにドン引きらしい。
「市民課の男性職員も、そう言うのに気づかないんですか」
「そうなのよ。外から見ると、おかしいと思うみたいなんだけど」
だから、市民課はともかく近くの課の職員には「あの子はちょっと……」と思われているらしい。学生気分が抜けないだけならともかく、人に迷惑をかけている。
「で、その女、俺に粉かけてきやがった」
拓夢の顔がなかなか凶悪であるが、ここにいる三人はそれにおじけづいたりしない。
そもそも、拓夢は市民課に用事があったわけではなく、納税課に用があったらしい。どちらも一階に窓口のある課だが、ロビーから入って左右に場所が分かれている。つまり、たまたま通りかかる、と言うことが滅多にない。
それなのに拓夢は納税課の前で蔵前に声をかけられたらしい。いい子っぽい演出で「警察の方ですよね。かっこいいです!」と言われたそうだ。拓夢は制服警官ではなくスーツ姿なので、一見して警察官だとわからない。いや、普通の会社員にしては体格はいいが、それは脩にだって言える。
職業柄、名乗る前から自分の身分を知っていた蔵前を、拓夢は警戒した。それからいくらかやり取りをしたそうだが、どこへ行くのかやどんな仕事をしていて何をしに行くのか、などギリギリ許容できる範囲のことから、自分の話を延々とされたらしい。後から考えると、精一杯自分をアピールしていたようだと気づいたらしい。
「拓夢もぶれないね」
「まあ、音無さんみたいな彼女がいたらぶれようもないですよね」
俐玖と脩のそれぞれの感想だ。二人とも本気なのだが、芹香はちょっと困った顔をしている。
「そうかしら……やっぱり蔵前さんってかわいいじゃない? 胸も大きいし」
思わず芹香の胸元に視線が向き、男性陣は視線をそらした。俐玖はしれっとして言う。
「そこは関係ないんじゃないの。拓夢は芹香だからいいんだって言ってるよ」
「俺の気持ちを代弁するんじゃねぇよ」
いやそうにツッコむ拓夢に、芹香が笑ったのでほっとする。この問題はどうすれば解決に向かうのだろう。残念ながら、俐玖にはわからない。
「他部署の人に間に入ってもらう? 上から言われるくらいじゃどうにもならない?」
「いっそ住民から苦情きて対処、ってのもありじゃないか」
それだと実害があってからの対応になる。いや、芹香に影響が出ている時点で実害があるが、拓夢から警察っぽい案が出てきた。
「苦情……なら、接遇委員会とかかなぁ」
「ああ、俐玖に目と髪の色を指摘してきた、あれな」
「それ。裸眼だし地毛だって言ってるのに」
この前、接遇委員会の若い女性職員から指摘が入ったのだ。ヘアカラーはともかく、職場にカラコンはまずいと言われた。残念なお知らせだが、俐玖の目は裸眼である。姉の恵那は青灰色だが、俐玖は青灰色と言うよりグレーの瞳だ。よく見ないとわからないので、指摘されるとは思わなかった。
「それも蔵前が情報流したんじゃねぇの」
拓夢が疑ってかかる。俐玖は「まさか」と笑ったが、脩はあり得るかもしれない、と思ったようだ。
「俺はその蔵前主事補に会ったことはないが、俐玖も絡まれたことがあるんだよな。話を聞く限り、逆恨みで、ってことはあるんじゃないか」
「ああ……俐玖の物言いは冷たく聞こえるものね」
脩と芹香は拓夢の意見に賛成のようだ。言われてみれば、なくはない意見だ、と思う。実際、俐玖も彼女に嫌味を言われたことがあるのだし。
「……もう少し柔らかく言った方がいいのかな」
「言葉自体は柔らかいと思うが」
脩が首をかしげて少し反省した俐玖に言う。拓夢も「そうだな」とうなずく。
「ネイティブじゃないせいだろうが、日本語が丁寧なんだよな」
砕けた感じじゃない、と拓夢は言う。俐玖としては、そうでもないと思うけどなぁ、と言う感じだ。人生の半分近くは日本で暮らしているのだ。根本は日本人的ではないかもしれないが、表面的には日本人的になっていると、自分では思っている。
「それもあるでしょうけど……俐玖が蔵前さんよりも英語が話せるから、と言うのもあるんじゃないかしら」
麻美も言っていたが、蔵前は自分が有名私立大学を出ており、留学経験もあることを誇っている。しかも可愛くて美人で大概の人を下に見ているわけだ。
彼女の中では、スマートに通訳できているつもりだった。しかし、俐玖が通りかかり、頓珍漢な通訳になっていたことがばれてしまった。プライドを傷つけられたのではないだろうか、と言うのが芹香の意見だった。
「お前の自業自得じゃねーか!」
「違いますよ。蔵前主事補の性格に問題があるんです」
「そうだった!」
ツッコみを入れた拓夢にすかさず脩が冷静に指摘した。脩は今のところ被害を受けていない完全なる第三者なので、視点が冷静である。
「私と仲がいいから、どちらにしろ目をつけられたと思うわ……」
疲れたように微笑み、芹香は言った。俐玖は彼女のマグカップに紅茶を継ぎ足してやる。
「俐玖の件は一旦おいといて、俺が芹香と付き合ってるのはどこから漏れたんだ?」
拓夢も明確な回答は求めていないであろうことを尋ねた。芹香と拓夢が付き合っているのは、役所内では有名だからだ。どこから漏れたのか特定できない可能性が高かった。しかし。
「さっき、麻美が調べてくれたんだけど、日曜日に映画を見に行ったでしょう。その時に目撃されたみたい」
「日下部って探偵だっけ?」
「探偵ではないね……」
主に庶務と電子捜査を担当している。と言っても、本当の電子的な調査は主に幸島と脩が担当しているので、どちらかと言うとSNS的な調査が多いのが麻美だ。
「まあ、ちょっと調べれば情報が出てくる時代だからな」
すっかり電子戦担当になっている脩が言った。その言葉に、俐玖は先日同じようなことを言われたことを思い出した。
「そう言えば、SNSとアプリで私と芹香の特定がされていたね」
「は? どこのどいつだ」
「駅前の占いの館の占い師だよ」
半切れの拓夢を見て、俐玖は自分がこいつに通報しようとしていたことを思い出した。
「氷月ルナって名乗っていて……」
結構当たるのだ、と言う話をした。芹香も「急に話しかけてきたのよね」とうなずいている。
「ああ、この前俐玖たちが調べに行ったやつだな」
「そう。その時に氷月が言ってたんだよね。そもそもは芹香が大学時代にミス・キャンパスになったところから調べてきたみたいだけれど」
「ああ……あったな、そんなこと」
拓夢が少し懐かしそうな顔をする。芹香も初耳なので、「そうなのね……」と意外なところから漏れているところに驚く。
「じゃあ、俐玖は? 一緒にミスコンに出てはいたけど」
そう。芹香が推薦したので俐玖もミスコンのリストには載っていたのだが、八位くらいの微妙な順位だった。
「私は論文から。だから、ヘンリエッテ・カヴァナーで認識されていたけどね」
「ああ、超能力についての英語の論文だろ。読んだ記憶がある」
「えっ、お前、あれ読めたの?」
「拓夢さん、一応俺も留学経験あるんですよ」
読もうとして挫折した拓夢が驚いて脩を見た。脩の留学期間は三か月だと聞いている。それくらいなら、話せるようにはなるが読み書きができない人も多い。そう考えると、脩はやはり優秀なのだと思う。
「……その占い師と言えば、言われたこと、あたっていたわね」
二人の思い人が大変な目に合う、新人のぶりっ子女に気をつけろ、と言うやつか。観測した結果、氷月ルナこと山田裕子は超能力者であるので、占いが当たることに何の不思議もないのだ。
酔っぱらってはいたが、芹香も言われたことを覚えていたらしい。その後、俐玖は氷月に合っているし、その時も同じことを言われている。
「ああ……新人のぶりっ子女が蔵前ってことか」
氷月の占いには信ぴょう性があったため、俐玖は芹香にも拓夢にも話をしてあった。なので、拓夢も知っているのである。
「けど、占いの内容的には俐玖の思い人も大変な目に合うんだよな?」
「やっぱりそう言う解釈よね? 俐玖!」
ちょっと元気が出た様子で芹香が俐玖の顔を覗き込んだ。話には入ってくれるが、本人の恋愛話はさっぱりだったので、好奇心だろう。
「それが、全く思い当たらなくて」
「ああ……」
芹香ががっくりと肩を落としたが、拓夢が「自分で気づいてないだけじゃねぇの」とツッコみを入れる。穿った意見だと思った。その可能性はある。
「逆に言えば、大変な目にあった人が俐玖の好きな人なのね……」
逆説的にそう言うことになってしまうのだろうか。低くつぶやいた芹香はふいにあくびをかみ殺すような動きをした。
「なんか眠くなっちゃった」
ころん、と俐玖の膝に頭を乗せる。俐玖は拓夢を指さす。
「芹香、あっちだよ」
「ええー、恥ずかしいじゃない。向坂君もいるのよ?」
そう言って膝になついてくる。俐玖はあきらめて芹香の頭をなでた。
「……聞いてくれてありがと。少し楽になったわ」
芹香が本当に眠ったのを確認して、拓夢が芹香を二人掛けのソファに寝かせた。狭いが、寝室に入ることは俐玖が断固拒否したのである。忘れられているかもしれないが、ここは俐玖の部屋だ。
「俺ら帰るけど、ほんとに大丈夫か?」
「うん。一度芹香を起こすから」
どちらにしろ、着替えなければ服がしわになる。それに、もっと楽な恰好で寝た方がいいだろう。今日はお客様用の布団も引くつもりだ。ベッドでくっついて寝るのもいいが、寝返りが打ちにくい。
玄関まで拓夢と脩を見送る。内側からなら、オートロックは関係ないので出られるのだ。
「お付き合いありがとう」
「どういたしまして。……ま、お前も気をつけろよ。お前が傷つくの、芹香も嫌がるからな」
「わかってるよ」
「ほんとか? 脩、見ててやれよ」
「わかってますよ」
脩も苦笑気味に請け負うので、そんなに信用ないだろうか、と俐玖は少しむくれる。
「ここまで首つっこんでくるの、珍しいしな」
「確かに、俐玖は結構ドライなところがあるよな」
男性陣がいぶかしむように言うが、それ以上突っ込んでは来なかった。ありがたい。
「じゃあ、ちゃんとカギ閉めてから寝ろよ」
「二人も気を付けて帰りなよ」
やたらと戸締りの心配をする拓夢を引っ張り、脩が手を振って「また明日」と帰って行く。二人がまだドアの前にいる段階で、家の鍵を閉めてやった。
部屋の中に戻ると、芹香はまだ眠っていた。しばらく心配事が続いて眠れていなかったようだ。こうして眠れるようになったのならよかったと思う。俐玖は芹香の頭をなでた。
俐玖と芹香は高校生のころからの付き合いだが、いつも世渡り上手で愛想のよい芹香が俐玖を引っ張っていて、ここまで芹香が打ちのめされることはなかった。これも、学生と社会人との差なのかもしれない。
俐玖自身が学生気分から脱しているのかわからない。だが、芹香を放っておくことはできなかった。
「だって、芹香は私を助けてくれたのに」
中学生のころドイツから帰国して、日本になじめていなかった高校時代。芹香が引っ張ってくれなければ、俐玖は今こうしていなかったかもしれない。
自分が人の間に立つのが苦手なことは自覚している。だが、ここで何もしなければ、きっと将来後悔する。芹香も拓夢も仕方ない、と言って責めないだろうけど、俐玖は二人の、芹香の前に立てなくなる。そんなの嫌だ。
だから、慣れなくても首を突っ込んでしまう。いや、俐玖に解決するなど不可能であるから、できるだけのフォローはしたいと思っている、が正しい。
俐玖は一度深呼吸すると、ひとまず芹香を起こすことにした。
「芹香、起きて。着替えて、布団で寝よう」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




