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【Case:13 占い師】3






 北夏梅市は基本的にフリーアドレスの席となっているが、なんとなく役所によって座る場所は決まっている。部長や課長になると部屋の奥だし、新人や若い職員ほど窓口や扉の近くにいるものだ。


 そんなわけで、地域生活課も、笹原のいた席に瀬川が、神倉がいた席に下野が座っている。ほかにも使っていない席はあるが、ものが置かれていたりして物理的に使用できる状態ではないのだ。


 昨年は怪異が混入したりしてなんとなく不審な状態で終わった新人研修だが、今年はつつがなく終わったようで、新人職員が各課に配属され始めたようだ。今年の地域生活課に新人職員は来ないので、周囲の課に見慣れない顔が増えたことでそれを察することになる。


「鞆江、ちょっと」


 ちょいちょい、と俐玖を手招きしたのは観光推進課の夏木だ。ちなみに下の名前は果音かのんといい、俐玖と同じでどちらも名のようなフルネームである。


「どうしたんですか?」

「あれ」


 と、夏木が示したのは廊下で立ち話をしている男女だ。一人は北夏梅市内の小学校でALTをしているアメリカ人の青年で、もう一人の女性は初めて見る顔だが、職員証を下げていることから新人職員なのだろうと察せられた。主に女性職員の方が楽し気に話しかけていて、ALTのほうは戸惑って見えた。


「もう十分もあの調子なのよ。俐玖、止めてきなさいよ」

「夏木さんが行ってくればいいじゃないですか。ていうか、十分も見てるんですか?」

「言うわね、あんたも」


 頭を小突かれて反射的に「痛い」と言ってしまった。はっとALTがこちらを向く。


『俐玖! よかった! 用があったんだ!』


 あからさまに安堵した表情でこちらに駆け寄ってくるALTのアメリカ人青年は、麻美の言うところの「アメリカンイケメン」である。俐玖などとそう年が変わらないが、どことなく犬っぽい。金髪だからだろうか。


 この時の俐玖は、あからさまに嫌そうな顔をしていたと思う。だって、先ほどまで話していた女性職員が、こちらをにらんでいる。結構可愛らしい顔立ちで装いもかわいらしいのに、表情がいただけない。


『果音も! 見てたなら話しかけてよ! 困ってたんだよ!』


 このALTは日本語もそれなりに話せたはずだが、今は英語でまくし立てている。俐玖の英語はアメリカ英語ではないので、ところどころ怪しかったりするが、聞き取れないわけではない。


『まあ、困ってるんだろうなって思ったけど。なに? あの子に話しかけられたの?』

『そう! 急いでるって言っても、伝わらなくて。訳の分からない英語で話してくるし』

『なるほど』


 日本の学校で学んだ英語をそのまま会話で使おうとすると、伝わらないことがままある。俐玖が中学生のころに意思疎通がうまくできなかった原因の一つでもある。


『そういう時は振り切っていいものよ。教育委員会事務局に行くんでしょ。一緒に行くわよ、鞆江がね』

『ええ……』


 決裁を取りに来ただけだったのだが、なぜこんなことに。まだ女性職員がにらんでいたが、そちらは夏木に任せて俐玖はALTを教育委員会事務局まで連れて行った。夏木が逃がしてくれたのがわかったからだ。


「って言うことがあって」

「へえ、そりゃ災難だったな」


 なんとなく幸島に愚痴ってしまった。幸島をはさんだ向こう側の席にいる瀬川にも話が聞こえていたようで。


「まあ、採用の段階で相手の性格や考えをすべて知ることは不可能だからな」


 だから、そう言う面倒な人間が混じっていても仕方がない、と言うことを言いたいらしい。確かに、面接などでは猫をかぶっているものの方が多いだろう。


「瀬川さんって、人事課にもいたことがあるんでしたっけ」

「いや。都市企画課にいたことがあるからな」


 都市企画課は地域おこしを管轄しているので、そう言う相手を面接したことがあるそうだ。


「わかっていたつもりですけど、部署によって仕事内容って全然違いますね」

「鞆江は国際交流課とか、教育委員会事務局とかでもやっていけそうだな」


 多分、瀬川は俐玖の語学力を買ってくれての発言だと思うが、別の部署に異動となると、ちょっと怖い。だが、一度くらいどこかに動かされるかなあとは思っている。


「鞆江の前に俺動かしてくださいよ。もう九年目なんですけど」


 幸島が突っ込むと、瀬川は「その決定権は俺にはない」とすまし顔で言った。とっつきにくく見えるが、瀬川は結構冗談も言うし、きさくなタイプに見えた。


 話が転換してその女性職員のことが隅に追いやられていたのだが、終業後、地域生活課の事務室に芹香が乗り込んできた。


「俐玖~!」


 しかも、半泣きと言う珍しい状態だった。椅子に座ったままの俐玖に乗り上げるように抱き着く。終業時間が過ぎているので、瀬川は何も言わない。彼は結構、オンオフがはっきりしている。


「どうしたの」

「俐玖、今日時間ある? 飲みに行きましょ!」

「……」


 芹香がディナーやランチに俐玖を誘うことはよくあるが、飲みに行こう、と言うことは少ない。彼女の中で何かが起きたらしい。


「……いいよ。行こうか」


 週のど真ん中であるが、付き合うことにした。麻美がはっとして手を挙げる。


「あたしも行きたいです!」


 いつものように元気に主張した麻美だが、即座に「駄目よ」とだめだしされた。


「むう。何故ですか」

「二人で行かせた方がいいわ」


 淡々とそう言ったのは千草だった。彼女は占いが得意だが、それは洞察力に優れている、と言うことでもある。彼女は瞳をじっと見て占うことが多いが、今回もそうだった。一種の透視能力だと、俐玖は思っている。


 幸島が仕事のきりの良いところで帰ればよい、と言ってくれたので、芹香に帰り支度をするように言い、きりの良いところまで仕事を片付ける。それから、俐玖は第二職員玄関へ向かった。芹香のいる市民課からは多少遠いが、地域生活課から近い玄関だ。


「お待たせ。行こう」

「うん……急にごめん」


 心なしかしょんぼりして見える芹香に、本当に珍しいな、と思った。芹香は能天気なわけではないが、基本的に朗らかで前向きだ。何か落ち込むようなことがあったらしい。何を食べたいか聞きだし、鍋、と言われたので鍋の食べられる店に向かう。もう春だが、日が暮れると肌寒い。まだ鍋を食べても不自然ではない季節だ。


 市役所に近い鍋の食べられる居酒屋に入ると、周囲の注目を浴びた。どちらかと言うと和食レストランに近く、女性だけで入るのも珍しくない店なのだが、俐玖と芹香が二人でこういった店に入ると、注目を浴びると言うことがよく会った。


 鍋は普通の水炊きにした。本当の冬場なら、豆乳鍋もいいのだが。飲みたい、と言うのでお酒も注文する。二人ともチューハイだ。


「それで、どうしたの? 珍しいね」


 突き出しの枝豆を食べながら尋ねる。ちなみに、個室で掘りごたつになっている席だ。芹香が個室の方がよい、と言ったからだ。


「うん……あのね、私にはまだ新人の教育とか、早かったのかなって……」

「ああ、今年入った新人の話? 芹香が見てるんだ?」


 新人にはその課で教育係がつくものだ。たいてい、主任から係長だが、俐玖や芹香のような主事が担当することもある。同じ業務のグループに主事しかいない場合などがそうだ。市民課は比較的若い職員が多いので、これにあたると思われる。


 鍋が出てきた。店員が下がってから、芹香の話が本格的に始まった。愚痴と言うよりは自分の至らなさを相談している、と言った口調だ。芹香が人のことを悪く言うことはほとんどない。


「やっぱり社会人になると学生だった時に許されたことが許されなくなったりするでしょ。その辺のずれを指摘したら、泣かれちゃったの……」

「……うん」

「あんまり強く言ったつもり、ないんだけどなあ。仕事のやり方を説明してもわかりにくいって言われてるみたいで……マニュアルも作ったんだけど」


 その課によるが、役所は異動が多いので引き継ぎ書やマニュアルが用意されているものだ。仕事の形式が定まっていない地域生活課にすら、それなりの対応マニュアルが存在する。


 社会情勢や技術の進歩などによって、マニュアルに変更が加わることもよくある話で、更新が滞っているところもあるが、芹香はちゃんと更新したのだろう。


「芹香の口調と雰囲気で、怒られていると思う方が難しいと思うのだけど。相手の子が怒られ慣れてないんじゃないの」

「最近はそうだというものね……」


 各言う俐玖や芹香の世代だって、そんなに怒られたり怒鳴られたりした世代ではない。やりすぎるとパワハラだなんだと騒がれる時代なのだ。


 あんまり気にしない方がいいよ、と言うのは簡単だが、そもそも芹香はそう簡単にへこむタイプではない。それがこれなのだから、相応の何かがあったのだと思う。


「芹香のことだからそんなに心配していないけれど、孤立はしていないよね?」

「ん。それは大丈夫よ。補佐も見ていてくれるからね」


 と言うことは課長は見ていないのだろうか。市民課は市民生活部の管轄で、部長も近くにいるはずだが。


 孤立していないならしばらくは大丈夫だろうか。一応、拓夢に話しておいた方がいいかもしれない。


「あ、拓夢君には言わないでね」


 思考を読んだのだろうかというタイミングでそう言われ、俐玖は肩をすくめた。こちらからは言わないが、聞かれたら答えることにしよう。拓夢なら、芹香の異変に気付くと思う。


「まあ、私からは言わないでおくよ」

「んふふ。ありがと」


 少し気分が上向いてきたのか、芹香は機嫌よさそうに笑った。だいぶ酒が入ってきたせいもあると思う。彼女は俐玖よりも酒に強いが、非常に絡み酒だ。対面で座っているから大丈夫だとは思うが。


「今回教育係を任されて、私たちもいつまでも新人じゃないのねって思ったわ」

「そうだね……」


 ベテランには程遠いが、中堅に差し掛かるくらいだろうか。少なくとも、新人なので、と言う言い訳が通用しないところまで来ている。正確に言うと、俐玖は芹香の一年後に入職しているので、一年後輩になるのだが。一年の留学の影響が、ここで出ている。


「芹香はしっかり者だから大丈夫だと思うけどね」

「ありがと。……でも、今回はだめだったぁ」


 またへこんでテーブルに突っ伏した。危ないので、鍋をちょっと自分の方へよせる俐玖だった。


「初めてのことなんだから、そう言うこともあるよ」


 たぶん。俐玖はしたことがないからわからないけど。


「芹香、デザート食べる?」

「……食べる」


 俐玖はイチゴのジェラート、芹香はレモンのシャーベットを頼む。アルコールが入って涙もろくなっているのか、涙目になりながら芹香はシャーベットを食べていた。






ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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