【Case:13 占い師】2
役所というものは部署移動があるものだ。特に行政職だと、五年程度で別の課に異動になることがある。早ければ一年で変わっていくこともある。
大体、三月下旬になると次の年度の人事の内示が出るものだ。地域生活課はあまり人事異動のない部署だが、それでも毎年一人か二人は入れ替わる。今年は課長補佐の笹原、それに、神倉の二人だけだった。
「そんなぁ! あたし、どうすればいいんですか!」
嘆いたのは麻美だった。神倉は実働部隊であるが、笹原は現場に出ることもあるが、どちらかと言うと事務屋だった。課の事務を事実上統括していたのが笹原だったのだ。これには汐見課長も「困ったねぇ」とさほど困っていなさそうに笑っていた。
麻美もどちらかと言うと事務を担当しているので、笹原に直接指示を仰ぐことが多かった。俐玖たちも事務作業がないわけではないが、細かなことを差配しているのは笹原だった。
「大丈夫だって。何とかなるよ、たぶん」
笹原がそう言って麻美をなだめている。確かに、人が減るわけではなく減った分だけ補充されるので、人数的には変わらない。
「そうじゃないんですよ~!」
麻美が思いっきりツッコみを入れている。笹原の異動には麻美が嘆いているが、神倉の異動は、こちらはこちらでショックを受けていた。
「せっかく陰陽師の修業を受けてきたのに……?」
そこなのか、と思わないでもないが、才能があったとはいえ、彼は三か月で陰陽術を詰め込まれている。ちなみに、最も得意なのは使役の術だったらしい。確かに、もふもふをたくさん連れていたが。
ちなみに、笹原は総務部財務課、神倉は教育委員会事務局生涯学習課に異動することになっている。二人とも行政職の職員だが、神倉はそのうち、この課に戻ってくるような気がする。
年度末は異動もあるし、業務や会計を閉めなければならない。バタバタしているうちに四月になった。送別会は行ったが、神倉は文字通り泣いて異動していった。愛着のある部署を異動するのをさみしがる人は一定数いるが、実際に泣いて異動していく人を初めて見た。尤も、神倉にとっては初めての部署異動らしいが。
代わりに二人、職員が補充された。今年は新人は入ってこないので、四月一日の時点で全員揃っていることになる。
一人は都市政策部都市計画から異動してきた新課長補佐の男性で、俐玖は面識がないが以前地域生活課にいたこともあるらしい。瀬川貴樹という真面目で少々気難しそうな四十代前半の男性だ。かなり早い出世と言えるだろう。
今一人は下野颯太という市民生活部市民サービス課に所属していた青年だ。二十四歳の主事である。彼は高卒で入庁してずっと市民サービス課にいたが、今回異動してきた。なんでも、耳がいいのだそうだ。
「一人で行くのか? 危なくないか」
「見てくるだけだよ……」
移住体験用の住宅でラップ音がするというので、見に行くつもりの俐玖に、宗志郎が心配そうに声をかける。たいてい、こういう場合仲裁に入るのは幸島なのだが。
「来宮、お前、心配性すぎるぞ。独り立ちさせてやれ。鞆江も何か言え」
「すみません」
「いや、お前が悪いわけじゃないんだが」
謝罪が口をついた俐玖に、顔をしかめたのは瀬川だ。幸島はからかう体で仲裁に入ってくるが、瀬川は真面目なトーンでツッコみを入れてくる。正直なところ、瀬川と宗志郎は似ていると思う。ちなみに、瀬川が以前地域生活課にいたときに一緒だった課員は、汐見課長と幸島しか残っていないようだ。
いつも通り四月の最初の二週間は、新人たちを集めての研修期間になる。脩が「懐かしいな」と笑っていた。下野は「随分前のことで覚えてないんですよね」と肩をすくめた。結局、俐玖は脩と下野を連れて体験住宅の確認に来ていた。
ここの三人は年齢が同じくらいだが、下野が圧倒的に社会人として先輩だった。俐玖は四年制大学を卒業しているし、脩は大学院まで行っているからだ。
「窓口の担当課にいると、毎年新人が入ってくるんですよねー。いろいろ話を聞いてみると、毎年ちょっとずつ研修内容って違うんですよ」
どうやらとても気さくで人懐っこい下野は、朗らかに笑いながらそんな話をした。そもそも入庁してそれほど経っていない俐玖と脩は「へえ」とうなずくばかりだ。その間に、俐玖はパシャパシャと写真を撮る。
「しばらく経ったら、内容が一変していそうだな」
「あり得るかもしれませんね」
脩の言葉に、下野がけらけら笑って言った。笑っていたのが、唐突に静かになる。
「聞こえますよ。家鳴りっぽいけど」
そう言われて俐玖と脩も耳を澄ませる。確かに、家がぎしぎしいう音が聞こえた。下野は相当耳がよい。脩がスマホのビデオとレコーダーを機能させた。機会によって、録音される音が違うことがあるのだ。
音は鳴りやまない。俐玖と脩は顔を見合わせた。おもむろに俐玖は両手を上げ、パン! と柏手を打った。そのとたん、家鳴りは引いていく。
「ラップ音か?」
「多分ね。しばらく使っていなかったら、何かが居ついているんじゃないかな」
体験宿泊用の家ではあるが、立地があまりよくないのでしばらく使われていなかった。見かけはロッジのようで、好きな人は好きだろう。
「下野さん、まだ音はする?」
「呼び捨てでいいですよー。今は特に聞こえませんねぇ」
気さくな人だ。年齢的には俐玖や脩の方が先輩だが、社会人歴は下野の方が長いので悩ましいところだ。まあ、俐玖と脩が互いに呼び捨てで気さくに話していることを考えると、下野の主張を汲んでやるべきなのだろう。
ともかく、下野の回答を聞いて、俐玖は「そう」と言うと、おもむろにファイルから呪符を取り出して壁にペタッと張った。いついた何かは、この呪符の気配を嫌がってはなれていく。
「ま、これでしばらく大丈夫でしょう」
「それ、佐伯さんの呪符か?」
「そう」
大量生産、と言っても俐玖の手元には五枚しかないが、退魔の呪符だ。ほかにも保護の呪符や治癒用の呪符など、いくつか種類もある。
「ええっと……張るだけ?」
やはり困惑したらしい下野が尋ねてきた。俐玖がうん、とうなずく。
「私たちには、祓うだけの力がないからね。対処しかできない」
どうしても排除しなければならないときは、何とかするが、そうでなければ対処療法になることが多いのが事実だ。
「そんな……漫画の法師みたいなこと、あります?」
「ある」
あるのだ。俐玖が作ったものではないから、完全に排除することはできないが、近づけなくすることはできる。俐玖にだって、手順を踏めば結界くらいは張れる。
「前に吸血鬼を退治してなかったか?」
脩につっこまれ、何のことだったか、と思ったが、去年の夏の話だ。俐玖のストーカー事件が同時に起こっていたので、すっかり忘れていた。
「あるね。でもあれは、吸血鬼の弱点を突いただけであって、私の力ではないからね」
怪異には大抵、対処法が存在するものだ。吸血鬼はもっとも有名だろう。俐玖はその方法を取ったにすぎない。自分で何かしたわけではない。
「大抵のものは、手順にのっとりその弱点を突くことで対処できる。その手順を踏まずに対処可能なのが、霊能者なのだと私は思っている」
俐玖がそう言うと、脩はなるほど、とうなずいたが、下野はいまいちピンとこなかったようだ。
「なんか……鞆江さんって頭いいですよね。大卒だし、留学してるし、バイリンガルだし」
「脩は院卒だし、留学もしているよ」
「三か月だけだ。それに、俐玖はバイリンガルじゃなくてマルチリンガルだぞ」
俐玖も脩も突っ込みを入れた。ちなみに、俐玖は自分をマルチリンガルではなくポリグロットと言うことが多いが、日本ではマルチリンガルの方が通りがよいのは事実だった。
というか、我らながら天然が三人集まって何か言ってるな、と自分で思った。
「まあ、生態だけ知っていても、どうにもならないこともあるってことだよ」
「そういう時はどうするんですか?」
「対処できる人を呼んでくる」
佐伯とか。去年度までなら神倉を呼んでくれば大体何とかなったのだが、いないものを欲しがっても仕方がない。彼の能力的に、数年たったらまた地域生活課に戻ってきそうだが。
とりあえず呪符を張って、さらにそれ以上何も集まってこないように結界を張る。しばらくすれば、呪符を外しても大丈夫になるだろう。下野は思ってたのと違う! と騒いでいたが、世の中こんなもんである。
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